中途半端な知識で異世界転生してみました

猫宮 雪人

文字の大きさ
8 / 21
一年目の夏

7. 小さな決意

しおりを挟む
「え、『ファールバウティ侯爵』じゃないんですか!?」
 食事も終わり、ゆったりとデザートとお茶を楽しんでいるときに、ふとそんな話題が出て、計都は思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
 ちなみに、計都のお茶には子供用にとたっぷりのミルクが入っている。この地方では「お茶」といえば紅茶のようなハーブティーのようなものを指すようで、緑茶は少なくともこの地方には無いらしい。『セイリオス』と目覚めて最初に茶を出されたとき、「お茶といえば緑茶」と思い込んだ計都は、緑茶にミルクを入れられるのかと戦々恐々としたのだが、無事に蜂蜜たっぷりのミルクティーが出てきてほっとしたということがある。ハーブらしい清涼感とミルクのコクと蜂蜜の甘さが舌に優しくて、温まる味だった。
 それはさておき。
「そうか、セイリオスにはきちんと話したことがなかったのだね」
 思わずとはいえ、大きな声を上げた計都を咎めだてることなく、マルフィクは柔らかく笑った。
 計都は「侯爵」としか知らなかったが、正確には「キタルファ侯爵」というらしい。当主であるマルフィクは、公式には『キタルファ侯爵マルフィク・ファールバウティ』となる。ざっくり解説すると、キタルファ領を治める侯爵、マルフィク・ファールバウティというわけだ。
「姓と爵位がくっつくんじゃないんですね……」
「はは。そうだったらわかり易いんだけどね。治める領地の名が爵位の前につくのだよ」
「では、父上が武勲を立てられて、褒章を受けた場合はどうなるんですか? お隣さんが削られて、こっちが増えるとかそんな感じになるんでしょうか?」
「いい質問だね」
 素直な疑問を零した計都に、笑みを浮かべたマルフィクが手の中のカップを、静かにソーサーへと戻した。些細な仕草のひとつひとつが、嫌味なぐらいに絵になる男だ。これが貴族のあるべき姿なのだとしたら、計都も最終的にはここを目指すことになる。
 ……正直、生粋の庶民である計都には、たどり着ける気がしない。
「たとえば、私はキタルファ侯爵領とは別に『スラファト子爵領』も賜っている。帝国の南西のほうの土地でね、風光明媚だが賑やかなところなので一度連れていってあげたいのだが……ともあれ、他人から『スラファト子爵』と呼ばれることは、基本的に無いといってもいい。一応、貴族録にはきちんと記載されているけれどね」
「……先に頂いた爵位で呼ばれるということでしょうか?」
「いや、位が高い方……領地が広大なほうが優先される形かな。他にもいろいろと細かい事柄が多いから、そのあたりは今後、きちんと勉強しなければならないね」
「そうですね。そろそろセイリオスも、貴族としての勉強を始めないと……。地図と貴族録をにらめっこするのは大変ですけれども、頑張ってね」
「……はい」
 シュケディのふんわりとした笑顔に、計都は神妙な表情で頷いた。
 貴族の付き合いには、顔と名前と領地名と爵位を憶えるのが必須らしい。しかも、その領地が帝国のどのあたりにあるかわからないと、世間話に入る段階ですっ転んでしまうことになりかねないそうだ。海に面した領地を持ってない人に、漁獲高の話をしたところで通じるかというと難しいわけで、言われてみれば確かに納得できる。
(顔と名前と会社名と役職と会社の業種を憶えるようなものと思えば何とか……)
 貴族というのもなかなかに大変そうだ。
「それにしても……」
 おっとりと息子を見やったシュケディの、美しい薄紫の双眸が眩しげに細められる。
「年頃の子の成長は、早いものね。急に大人になったようで、親としては少し寂しいけれど、誇らしいわ」
「……あ、りがとうございます」
 褒められているはずなのに素直に受け取れないのは、『計都』が『セイリオス』ではないから、だろう。中の人格が6歳児から25歳になったのだから、大人びてみえても当然だ。
(……あ、そうか)
 唐突に気づいて、計都は小さく唇をかんだ。
(この人たちはもう、『セイリオス』には会えないのか)
 この十日というもの、計都は自分のことだけでいっぱいいっぱいだったから気づかなかったが……マルフィクたちにしてみれば、息子が違う人間になってしまったようなものなのだ。もちろん、『セイリオス』の感情や知識の一部は今の計都に溶け込んでいて、まるきり消え失せてしまったわけではない。けれども、だからといってかつてのセイリオスとイコールなわけではなく、あくまで主軸の『計都』にエッセンスとして加わっているようなものなのだ。
(こんなに、いい人たちなのに)
「……どうかしたのかい、セイリオス。急に無口になったが……」
「もしかして、また熱が……? どうしましょう、お医者様をお呼びしたほうが良いかしら」
「いえ……」
 かけられた声音には、真心からの愛情が滲み出ているとわかる。緩くかぶりを振って、計都はぎこちなく微笑んで見せた。
「いえ、大丈夫です」
(これが夢なのだとしても、そうじゃないとしても。きっと、これはチャンスだ)
 計都と、計都の両親の間柄は、べたべたに仲が良いというほどではなかったと思う。悪くもなかったが、それなりの反抗期のあと進学のために一人暮らしを始めてからは、めっきり疎遠になっていた。初めての一人暮らしと大学生活が楽しすぎて、電話をかけることすら稀だった。最後に会話を交わした内容を、今はもう思い出すこともできない。
 きっと、高を括っていたのだ。いつだって、自分がその気になれば会えると。家族なんだから、と。疑いもしないどころか、意識の端にすらのぼらなかった。
 ――突然、居なくなったその日まで。
「ただ……ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたいなので。部屋で休んできてもいいですか?」
「もちろんですよ。ごめんなさいね、気づいてあげられなくて」
「春も終わりとはいえ、夜中は冷えるから。きちんと毛布をかけて、寒くないようにね」
「はい。……あの」
 向けられる愛情は、『セイリオス』に対してであって、『計都』に向けられているわけではない。他人事だと、自分には関係ないと目を背けることだって、出来る。
 それでも――応えたい、と。助けになりたいと、素直に思う。
 それが、もう受け取れないものだからなのか、セイリオスの感情に引きずられてなのかはわからないけれども。
「父上と母上も。あまり、無理をなさらず……お仕事、がんばってください」
 お家騒動がどうこうとか、ゲームのイベントを阻止するような、無責任で軽い、他人事めいたものではなく。
 自分計都が、自分セイリオスの家族の為に。
(それなら、今ここにいる意味を見いだせる)
 そう、思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...