少年が気持ちよくなる方法

三木

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 テレビがCMに入って、ふと見るとリョウはソファの上で膝を抱いて小さくなっていた。
 映画を観ていた様子はなくて、もしかして待たせていたのだろうか、と思って、裕司はリモコンに手を伸ばした。
「……映画観ないの?」
「映画はいつでも観れるよ」
 そう言って裕司はテレビを消す。部屋の中が急に静かになった。
 一人のときはこの落差が少し苦手だったが、リョウのいる空間には静寂の方が似合うと思った。
「何か飲むか?」
 立ち上がりながら訊くと、リョウは曖昧な返事しかしなかった。裕司は少し考えて、リョウの隣に腰を下ろす。するとリョウは、膝を抱いたまま裕司の肩に頭を乗せてきた。
 ──懐いた猫みたいだな。
 まだ湿っている髪に触れると目を閉じる。警戒心はすっかり忘れてしまったようだった。
 このまま撫でていたら寝てしまうんじゃないだろうかと思っていると、リョウの呟きが聞こえた。
「俺……話すの下手だけど……いい……?」
 やはり彼は踏み出そうとしているのだ、と思って、裕司は、いいよ、と答えた。
 その後もしばらくは沈黙が続き、いくらも経ってから、リョウはぽつりぽつりと話し始めた。それは初めてリョウが語る、彼以外の人物が出てくる話だった。
 繁華街で偶然再会した少女『カナちゃん』と、彼女が口にしていた『ダイちゃん』と『コウくん』、それから何人かの知人の出てくる話で、リョウの話は時折前後し、口ごもり、途切れがちだったが、裕司はそれらの言葉を拾い集めるような気持ちで聞いた。
 リョウをここに連れてきた張本人で、裕司の友人である木原が登場するくだりになると、リョウは話しながらはらはらと泣いた。本人も何故涙が出るのかわからないという顔をしていて、裕司もそれが何の涙なのかはわからなかったが、見ていて氷が溶けていくような涙だと感じた。
 リョウの話は、裕司のマンションを初めて訪れた段になって、唐突に途切れた。裕司についての言葉は何もなかった。
 沈黙したリョウの肩を引き寄せて、裕司はそっとその頭を抱え込んだ。
「……疲れたよな」
 いい言葉など浮かばなくて、短くそうとだけ呟くと、やや間があって、子どものような声が、うん、と答えた。

 リョウの話したいきさつを、裕司が了解した限りではこうだった。
 友人の家を転々として過ごしていたリョウは、次第に友人の友人、知人の知人といった具合に、実質赤の他人の家で寝泊まりするようになって、そして行き着いたのが『コウくん』ことコウキという男の部屋だった。その部屋には『カナちゃん』も同棲していて、そこを頻繁に訪れていた男が『ダイちゃん』だった。
 リョウはコウキの口利きで飲食店でアルバイトを始めて、そこでの暮らしはおそらく十数日程度だったと思うとリョウは言った。そもそも何故リョウが自宅にいられなくなったのか、いつ親元を離れたのかは、裕司はまだ聞いていない。ともかく彼はその日その日を、彷徨うように生きていたらしかった。
 ある日リョウはコンビニに行くために、一人でコウキの家──マンションの一室を出た。そして戻ってくるとマンションの前にパトカーが停まっていて、見上げるとコウキの部屋のドアが開け放たれて、警官が出入りしているのが見えたそうだ。
 リョウは怖くなって部屋には戻らず、バイトの時間まで外で過ごして、そしてバイト先に顔を出すなり、店長に解雇を言い渡されたという。あまりにも一方的な話だったので、店の裏で口論になったところに、たまたま通りかかったのが木原だった。その辺りの流れは木原本人から聞いた話とリョウの話とでやや食い違う点があったが、トラブルの渦中の人間と、ただの通りすがりとでは見えるものも違うだろう。少なくとも裕司はリョウが嘘をついているようには見えなかったし、木原は口八丁で嘘も方便といったところがあるので、特に追及はしなかった。
 木原が口論の仲裁に入り、リョウの肩を持ったのは事実だと思われたが、リョウはその段階ではもう『わけがわからなく』て『どうでもいい』という投げやりな心境だったそうだ。だから木原の話もあまり真剣に聞いておらず、木原に対して何をどう話したかも記憶が曖昧だと言った。
 ここからはもはや裕司の推測だが、木原はリョウを言いくるめて、裕司のところに連れてきたのだろう。道端でボロボロになって鳴いている子猫を拾って、猫好きの友人に押しつけるようなものだ。
 ──つくづく災難だな。
 裕司はリョウの髪を撫でながらそう思った。この家に来て、彼はいくらかの安心を手に入れたように見えていたが、実際のところはリョウ本人にしかわからないことだ。
 そして、リョウの本当の居場所がどこなのか、それはきっとリョウが一番知りたいことに違いなかった。

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