大人になる約束

三木

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 デザートがテーブルに来ると良は目をきらきらとさせて、幸せそうな顔をして小さなスプーンで食べていたが、結局最後まで牧の職業について質問することはしなかった。
 牧の発言にはそれがどんなつまらない軽口でも注意を向けているのがわかったが、反対に牧に注目されることにはどうしても緊張を覚えるらしかった。それでも時折は目を見て話していたし、会話そのものを避ける様子はなかった。
 店を出ると良は、美味しかったです、ありがとうございました、と言って牧に頭を下げた。
「そんなのいいよ~、俺が奢ったわけじゃないし」
 そう言って笑う牧は朗らかで、良ははにかんで少しばかり笑顔を見せた。その良に帰りの待ち合わせの時間と場所を念押しして、迷いようのない大通り沿いのコンビニの前で別れた。
 夜の街の灯りの中で手を振る良の姿は初めて見るそれで、裕司は過保護な気持ちを抑えながら、牧と並んで路地に折れた。
「良くんのこと疲れさせちゃいましたかねぇ、俺」
 苦笑する牧に、裕司は笑う。疲れはしただろうと思われたが、牧といる間良から不快の気配を感じることはなかった。
「大丈夫だと思うぞ。あいつはたぶん牧さんに憧れがあるんだよ」
「へぇ?」
「自分の店を持って、仕事を好きでやってるっていうのが、あいつ的には大きかったっぽいぞ」
「そんな話をしたんですか? 良くんが?」
 目を丸くする牧に、裕司は人差し指を立ててみせた。
「内緒にしてくれよ。今日も本当はお前の仕事のことを聞きたかったみたいだが、切り出す勇気がなかったみてえだから」
「ええ~……そんなら裕司さんがそれとなく話振ってくれたらよかったのに。俺仕事の話ばっかしたら良くんつまんないだろうなと思って逆に気ぃ遣っちゃったじゃないですか」
 本当に残念そうな声を出す牧に、すまん、と裕司は苦笑する。
「でも、いい気分転換になったと思うよ。普段は俺しか話し相手がいないし、家にばっかりいるから……」
「……そうなんですか」
「うん、色々ややこしくてな……いや、あいつ自身に問題があるとかじゃないんだぞ?」
「今本人に会ったところなのに、そんな心配しなくて大丈夫ですよ。そもそも裕司さんの家にいる時点で何かしら事情があるのはわかりますって」
 牧は今さらだという顔をして言った。
「俺からすると、裕司さんはちゃんとしすぎてるぐらいの人なんで、そういう人がああいう子の味方でいてくれるのはほっとしますね。いや、知ったような口きいちゃいけないとは思うんですけど」
「いや……そう言ってもらえると嬉しいよ」
「ですか? ……だったらよかったです。それにしても、十代を前にすると自分がもう若くないのを実感しますねぇ。老婆心が出そうで出そうで正直めっちゃ我慢してました」
 喉元に手を当てて言う牧に、裕司は声を立てて笑った。
「本当だよ。俺は我慢できてねぇけどな」
「だってそれは立場が違うじゃないですか。俺が言うのと、ねぇ、パートナーが言うのじゃ別物ですよ」
 パートナーという言葉を強調されるとどうしてもこそばゆさを覚えて、裕司は落ち着かずに頭を掻く。
「全然変な意味じゃないんで誤解しないでほしいんですけど、良くんみたいな子が心を開いてくれたら嬉しいだろうな~って思って、裕司さんが羨ましくなりましたよ。や、ほんとに変な下心はないですよ?」
 繰り返す牧に、裕司はくつくつと肩を揺らした。
「そんな心配するなら連れて来ねえって」
「あれ、俺って案外信用されてます?」
「何言ってるんだよ酔っ払い」
 ふふふ、と牧はおかしそうに笑って、息をついた。
「下心はないですけど、どうもいいかっこしたくなりますねぇ。とりあえず裕司さんが飲みすぎないように監督しなきゃ」
「おい」
「だって良くんが待ってるのに潰れさせたら、次から絶対嫌がられるじゃないですか。ちゃんと時間通りに帰して好感度上げますよ」
「何言ってんだよ……」
 言いながら、胸に暖かい火が灯るような思いがして、裕司は牧の目を見られなかった。良の孤独を突きつけられるような現実ばかり見ていたから、牧が良を気にかけてくれることが嬉しくて、感傷じみたことを口にしてしまいそうだった。
 人いきれを揺らすだけの繁華街の風は、大して頭を冷ましてもくれない。
「ああ、いいなあ。ねえ裕司さん、おうちでは良くんどんなふうなんです? 甘えてくれたりするんですか?」
「ええ……? まあそういうときもあるけど……あんまり甘ったるいやつじゃないよ」
「なんですかぁ、俺がこれだけ振ってるんだからもっと惚気けてくださいよぉ」
「何だよそればっかり言って……。牧さんは今どうなんだよ」
 うわぁ、と牧は情けない声を出して、額に手を当てた。
「隣の芝生が青いから言ってるに決まってるじゃないですかぁ。俺の方は何にもないっていうか……何にもないようにがんばってるっていうか……」
「は?」
「……職場恋愛って面倒だと思いません?」
 裕司は瞬いて牧の下がった眉を眺め、その意味するところを理解してどんな表情を作ればいいのかわからなくなった。
「職場って…………自分の店だろお前ぇ」
「そうですよ、貴重な従業員を失うのは精神的にも経営的にもキツ過ぎます」
 相手に困らぬ色男だろうと思っていたが、人にはそれぞれ悩みがあるものだとつくづく感じられて、裕司は牧の背中を叩いた。
「この後の酒奢るから、明日からまたがんばれよ」
「がんばります……。裕司さん、またうちの店来てくださいね」
 わかってるよ、と答えると、牧は、ありがとうございますと言いながら、長いため息を漏らしていた。

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