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いぬまみれ編

向日葵畑

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「んーー……ここは……何処でしょう……?」


 腰の上まである濃い蜂蜜色の少しウェーブの掛かった髪、くりりと大きくも芯のある鶯色うぐいすの瞳。
 その少女は薄暗くなった森を一人歩いていた。

(妖精達が全然居ない……。暗くなってきたからなぁ、そろそろ寝床を見付けないと……)
 藍色になりかけた空には星がきらきらと瞬いている。
 辺りを見回した少女は、少し先に木々が開けた場所を見つけた。
 あそこならばいい寝床になりそうだと嬉しくなったのか、少女は編み上げのブーツを鳴らし、跳ねるように、くるぶしまである長いスカートを翻しながらその場所へ向かう。
 すると、ぼわん──と、何かをすり抜けた。


「ん……? いま……、膜? みたいな……」


 後ろを振り返るが、特に変わったところは見られない。
 自分が歩いてきた山道と森。
 けれど、じわぁ~と空気は蒸してきて、先程まで日が沈んで肌寒いと感じていたが、肌にまとわりつくような嫌な暑さが辺りを包んでいる。


「あつい……なんか、急に暑い……」


 そう言えば辺りの緑もなんだか青々としているような。
 しかしそんな事をいちいち気にするような少女ではない。
 まぁいいかと呟いて、とにかく腹が減っては何とやら。
 余計なことを考えるのはまずお腹を満たしてからだ。

 まとわりつく暑さに耐えながら、それから五分程歩くと開けた場所に辿り着いた。
 湿り気のある風が、ザァア───っと、吹き抜けていく。
 その風に揺られて、さわさわと黄金色の花達が踊っているではないか。


「わぁ……向日葵ひまわり畑? 綺麗!」


 風に踊る花達に近寄ると、少女の背丈より少し低い。
 少女が背伸びしても、終わりが見えない程の向日葵畑だ。
 こちらに顔を向けているひとつの向日葵に、そっと優しく触れて、少女は思わず微笑む。


「んふふ! 私の名前とおんなじ花、」

──「娘だ」

「………ん?(なにか、きこえた?)」

──「娘?」
──「本当か?」
──「おぉなんと、」
──「今度こそよ!」

「誰か居るの?」


 ひそひそと風にのって聴こえてくる声に少女は問い掛けた。
 すると相手は驚いたのか、向日葵を激しく揺らしながら何者かが遠ざかっていく。


──「駄目だ、いま見られてしまっては……!」
──「こっちに、はやく!」

「あ、ねぇ……! 待って!」


 少女は追いかけた、何者かの声がする方に。
 ここ数日は、冬も過ぎ昼間は山も笑う程心地の良い陽気だが、日が陰るとまだまだ寒い。
 なのにどうしてか、少し走っただけでも背筋まで汗が流れている。
 少女は着ていたローブを脱いでスカートの裾を捲りあげた。
 みっともないかもしれないが、脚を大きく広げ、彼らに追い付こうと必死に走る。
 少女の髪に汗が転がって、星の如く煌めく。

 走って追いかけていると、目の前には巨大な黒い壁──。
 否、見えてきたのはなんとも大きなやしきの姿だ。
 雲に隠れんぼしていた月は風に流され顔を出し、邸が月光で照らされると、煉瓦造りであることがよく分かる。


──「待ってくれ! 君達みたいに脚が長くないんだ!」
──「早く! コッチよ、早く!」

「んん……!?」


 一体相手はどんな姿だと少女は目を凝らすが、月光だけではよく見えない。
 よく見えないのだが、人でないことは確かだ。
 彼らを追い掛けていると、いつの間にかその御邸おやしきのアプローチに辿り着いていた。
 沢山の花々が植えられている。
 手入れもキチンとされているようだが、今はゆっくり見ている暇はない。
 「急げ、急げ」と言って走る、獣なのか魔物なのか判らない彼らは、どうやら邸の中に入ろうとしているようだ。

 ギギギギ──と古びた音をたてながら、開かれる扉。
 少女ももう既に息が上がっているが、急げば間に合いそうだと心臓に負担をかける。が、残念ながらバタンと直前で閉じられた。


「へぶっ! いってて……」


 人も急には止まらない、大層派手に額を扉にぶつけてしまった。
 ぶつけた額を押さえながら扉に聞き耳を立てると、中からはカシャカシャとフロアを鳴らす音がする。
 まるで爪が床に直接当たっているような音だ。
 「ふーーーっ」と少女は息を整え、大きなアーチ状の扉に、ヨシと意気込んで、ノックした。


「もしもし、何方どなたか。居ましたでしょう?」

 ・・・・・・

「おーい」

 ・・・・・

「入っても宜しいですかー?」

 ・・・・・

「入りますよ?? 良いんですね!?」


(居留守された……!)
 大変悲しい現実であるが、許可もなく勝手に入る手前、一応申し訳なく、少しだけ扉を開けて、まずは顔だけ覗かせてみた。


「こんばんは……」


 すると驚いたことに、邸の中から凍えるぐらい寒い空気が流れ出てくる。
 反射的にブルっと身体を震わせた。


「さ、さむい……!?」


 寒いと感じるのだが、それは覗かせた顔だけで、身体の方は未だ蒸し暑い空気に包まれている。
 一体どういう事だと頭の中はハテナマークだらけで脳の処理が追い付いていないが、取り敢えず中へ入ろうと、また恐る恐る扉を開けた。


「どうも……、勝手に入って申し訳ないですが、何方か……」


 中は暗くて人が住んでいる気配はしない。
 コツン、コツンとブーツのヒールの音だけが響く。

 様子を伺いながら入っていくと、やはり空気が凍るほど冷え込んでいる。
 流れていた汗のせいもあってか、全身に悪寒が走った。
 鳥肌は立ち、手先もかじかんできて、「はあー」と、吐く息も白い。
 少女は急いで脱いだローブを、また着直した。


「どうして、こんなに、寒いの……?」
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