7 / 59
七杯目『女王陛下と従者』
しおりを挟む
有栖川茶房。
今更だが、本当に変な店だ。
最後に訪れたときは和風喫茶だった。そこから一週間ほど間を空けて訪れたところ、本来の英国風喫茶に戻っていた。初めて訪れたときとそっくり同じ外観だ。
煉瓦と漆喰の壁に、三角屋根。
有紗は、暫く呆然と眺めていた。
「戻ってる……」
あの和喫茶は夢幻だったのか。そんな風にさえ思う激変ぶりだ。
しかし、どんなに変わっても一つだけ変わらないのが、看板に書かれた屋号。
木の板に書かれた五文字を改めて眺めた。
妙な縁で知ることになった場所。人。
その最初の姿にそこはかとない満足感を感じ、
「うん」
ひとつ頷いて、有紗はアイアンのノブを押した。
りん。りりん。
いつものドアベルの音。もとい、初代のドアベルは太いネコが壊してしまったので、二代目の物と同じ音だ。
中に入ると、外観と同じく初めて来たときと同じ内装がそこにあった。
客が一人も居ないのはいつものこと。
「ぶなー!」
「おー、アリス。いらっしゃい」
「アリスちゃん、いらっしゃーい」
二人と一匹が揃って迎えてくれるのは久しぶりだ。
「元に戻したんだね」
「桂が飽きたって言ってさ」
「まさか、また突然?」
「そ。突然」
元に戻すだけとはいえ、メニューの内容が和風と英国風ではまるで違う。内外装は桂が勝手にどうにかしているのだろうが、商品は宇佐木の担当。それを相談なしにころっと変えられる苦労は前回の騒動を見て知っている。
「もー、桂さん。勝手なことしてると、宇佐木くん、辞めちゃうよ?」
「辞められちゃ困るねぇ。でも、そうなるとアリスちゃんも困っちゃうね」
「う」
そうだった。前述の通り、有栖川茶房での商品担当は宇佐木。紅茶は桂の管轄のようだが、この喫茶店に何をしに来てるかといえば、甘い物を食べに来ていると言っていい。
「宇佐木くんのケーキ、美味しいもんねー」
「別の所で食べさせて貰うからいいもん。それに私、元々コーヒー派だし」
「アリスちゃんが冷たいよぉぉぉ」
このまま立っていると縋り付かれそうなので、奥の指定席に逃げることにした。すぐ後ろをてっさが付いてくる。
荷物を置いて席に着くと、てっさも隣の席に飛び乗ってお座りした。これもまた見慣れた光景。
「今日はどうしよっかなぁ」
メニューを取って開いたとき、嵐は突如としてやってきた。
ばぁぁん!
ドアベルを壁で挟んで壊すがごとく、力強くドアが開け放たれた。
ヒールの音を鳴らして小柄なスーツ姿の女性が店の中に入ってくる。スーツの色が紅いのがとても目を引く。
入店早々、席にも着かず、ドアも閉めずに、
「桂。茶」
彼女は短く言い放った。
「もー、妃さんったら乱暴なんだから。ドア壊れちゃったらどうするんですか」
「このくらいで壊れるドアなんか始めから付けるな」
「じゃあ、カップも鋼鉄製にしないといけませんねぇ」
「桂ぁ。その帽子の台を刎ねられたいか」
綺麗な女性だが口が悪い。
物騒な人が来た、と思っていると、目が合ってしまった。
――あ。ど、どうしよ。
絡まれたら誰か助けてくれるだろうか。メニューを掴んで構えていると、女性は首を傾げて、
「ん? 客が居るじゃないか」
そう言った。
「お客さんくらい来ますよ、ちゃんと。彼女が噂のアリスちゃん」
「へぇ。あの子がアリスか」
凄く見られている。観察されている。
どうやら知らないところで噂の対象になっているようだが、取り敢えずこの視線攻撃から逃れたい。かといって、こちらから視線を外すことも出来ずにいると、
「で、お茶は今日のオススメでいいですか?」
「嫌だ」
知ってか知らずか桂が彼女との会話を再開してくれた。同時に刺さってきていた視線が桂へと向く。
――助かった……。
「もー。我が儘なんだから。いい紅茶あるんだから紅茶を――」
「それじゃあ、おまえのオススメは?」
桂を無視し、女性は宇佐木を見る。
「俺が勧めると全部コーヒーになっちゃうけど」
「じゃあコーヒー」
「ちょっとぉぉぉ。紅茶飲んでよぉぉ」
「桂は煩いなぁ。じゃあ、あの子が飲んでるのと同じ物」
人差し指の指先を連れて視線が戻ってきた。
テーブルの上にあるのはまだ手つかずの氷入りの水だけ。
「え。これ、お水ですけど」
「じゃあ水」
「えええええ。紅茶にしてよぉ」
桂が向こうでくねくねと変な動きをしているが、それはいつものこと。
気になったのは、テーブルの上の水だ。
グラスに付いた水滴をなぞる。纏まった水滴が、つるりと滑ってコースターに落ちて吸われていった。
「お水……いつの間に」
「いつも出してるじゃん、水」
宇佐木だ。しかも、てっさが居た席に座って頬杖まで付いている。てっさはというと、隣の席に退かされていた。
「えー、嘘ぉ。それに、これだっていつ持ってきてくれたの?」
「アリスはいつも水飲む前に紅茶飲み始めちゃうから気付いてなかったんだろ」
ということは、いつの間にかやってくるあの時に、いつの間にか水をサーブしていたのだろうか。
今日は席で宇佐木と話すのはこれが初めての筈だが、この水は一体いつ。
――考えるのやめよ。
宇佐木がいつやってきているのかがわからないのと同じくらい、これも知ることの出来ない謎なのだ。
「ところで、あの人だあれ?」
「オーナーの妃」
「あ、だから桂さんが中途半端な敬語なんだ」
入り口方向を眺めていると、一人増えた。まだ子どものような見た目の男の子だ。茶色い癖毛で、目も薄めの茶色をしている。一見すると外国人かハーフのように見える。
「で、あれがエース」
「エース……くん?」
「そ。アレで一応酒飲めるから」
「えええ。じゃあ、私より年上じゃない!」
「あ。そうなるのか」
どう見てもせいぜい中学生なのに。
複雑な気持ちでいると、妃や桂と話していたエースがくるりとこちらを向いて、
「アリスー! わーい、アリスだー!」
手を広げてすっ飛んできた。
「初めまして、アリス。ボクね、エースっていうの」
「えっと、初めまして。有紗です」
「わー、アリスだー」
ちゃんと名乗ったのに、認識されていないのが哀しい。
そして、観察されている。さながら、かごの中の動物か昆虫のようだ。
落ち着かない。
「あ、あの。エース……さんは――」
「さん付けとかやめてよ。呼び捨てでいいよ。かゆくなっちゃう」
「じゃ、じゃあ、くん、はダメかな」
「いいよ。……わぁ。ねえねえ、なんでこのお店入れたの? 結構来てるの? メニュー何が好き? ボクが来るとき、来てくれる?」
矢継ぎ早の質問はくらくらしてしまう。
何を聞かれたか飲み込む暇もない。
「えっと、えっと……」
「紅茶とコーヒーはどっちが好き? イトーくんにはもう会った? そういえばアリスっていくつ?」
「こら、エース。いい加減にしろ。アリスちゃんが困ってるだろう」
救いの神が来た。長身の黒スーツ。ジャックが開いたままだったドアを閉めながら入ってきた。
マシンガンのように質問を放っていた口を尖らせ、エースは振り返る。
「ちぇー。ジャックは口うるさいんだ」
「迷惑かけに来たわけじゃないだろ」
「はぁい。じゃあまたね、アリス」
残念そうに手を振って、エースはとぼとぼと去っていく。
「うん。またお話ししようね。エースくん」
手を振って返すとぱっと笑顔が戻り、来たときと同じようにすっ飛んでいった。
狭い店の中に、自分を含めて六人と一匹。しかも、誰も彼も個性が強すぎて、今日は大変賑やか且つ落ち着かない。
カウンターでは、出されたお茶を飲んでいる妃を囲んで何か話をしている。
「ごめんな、うっさくって」
珍しい。宇佐木がまだ横にいる。エースが居た間はずっと静かだったので、いつものように気が付かないうちに向こうへ戻ってしまっているとばかり思っていた。
「俺、きゃんきゃんうるさいときのエースは犬みたいで苦手」
「確かに、ちょっとテンション高かったね」
宇佐木の機嫌が、すこし斜めだ。初めてこの店に入ったときの無愛想に、マイナスの感情が足されているように見える。彼については、それほど無愛想でもないことや、気さくで昔なじみのように接することが出来る人なのだと通ううちに知った。
――こんなとこまで始めて来たときと同じじゃなくていいんだけどな。
「宇佐木くん」
「うん?」
「いま、凄くぶさいくだよ」
「ぶさ……えっ?」
やっとこっちを向いた。
「理由はわかんないけど、ほら、笑顔笑顔。私、お客さんだよ? そんな顔で接客していいのかなぁ」
「こ、こんなときだけ客ぶって!」
「こんな時だけじゃないもん。ねえ、それより、今日は何がいいかな」
「……言うようになったじゃん、アリス」
宇佐木は悔しそうにして鼻の頭を掻いている。
「今日はな、アンブロシアの……あ、例の強面パティシエの店な。そこのショートケーキあるから、それと、そのケーキあっさりしてるからキャンディとかどうかな」
「キャンディって、紅茶の名前?」
「そう。飴玉じゃねぇぞ」
「それはわかるもん!」
「渋みが少なくって飲みやすいんだ。アイスティーにも向いてるけど、今日はどうする?」
「今日はホットで貰おうかな」
「じゃあ、そのセットな」
「ねー、宇佐木くーん。ジャックが持ち帰り用のコーヒーだってー」
「あーい」
いつもの調子に戻ったところで、桂に呼ばれてしまった。
宇佐木は面倒臭そうに立ち上がり、長身を更に伸ばして伸びをした。
「じゃ、ゆっくりして行けよ、アリス」
「うん」
一瞬目線を落とした隙に、宇佐木はもう居なくなっていた。
「ねー、ボク、持ち帰りのオレンジジュース!」
「そんなもん出してねえよ!」
「えー。じゃあ、アイスのロイヤルミルクティー」
「紅茶は桂に頼めよ」
「お砂糖いっぱい入れてね!」
「おまえは砂糖水でも飲んでろ」
「じゃあ、そうしよっかな。いくら?」
「え? え、えーと……」
エースとの会話を聞くに、飲み物は大体持ち帰ることが出来るようだ。専用のカップを宇佐木が出しているのが見える。
――持ち帰りもいいな。買って帰ろ。
今後、大学の行きがけにもちょっと寄る、ということ選択肢が増えそうだ。
「ぶー……」
他人の温もりが嫌なのか、前足を乗せるだけでなかなか席に戻ってこないてっさを見ながらケーキの到着を待った。
今更だが、本当に変な店だ。
最後に訪れたときは和風喫茶だった。そこから一週間ほど間を空けて訪れたところ、本来の英国風喫茶に戻っていた。初めて訪れたときとそっくり同じ外観だ。
煉瓦と漆喰の壁に、三角屋根。
有紗は、暫く呆然と眺めていた。
「戻ってる……」
あの和喫茶は夢幻だったのか。そんな風にさえ思う激変ぶりだ。
しかし、どんなに変わっても一つだけ変わらないのが、看板に書かれた屋号。
木の板に書かれた五文字を改めて眺めた。
妙な縁で知ることになった場所。人。
その最初の姿にそこはかとない満足感を感じ、
「うん」
ひとつ頷いて、有紗はアイアンのノブを押した。
りん。りりん。
いつものドアベルの音。もとい、初代のドアベルは太いネコが壊してしまったので、二代目の物と同じ音だ。
中に入ると、外観と同じく初めて来たときと同じ内装がそこにあった。
客が一人も居ないのはいつものこと。
「ぶなー!」
「おー、アリス。いらっしゃい」
「アリスちゃん、いらっしゃーい」
二人と一匹が揃って迎えてくれるのは久しぶりだ。
「元に戻したんだね」
「桂が飽きたって言ってさ」
「まさか、また突然?」
「そ。突然」
元に戻すだけとはいえ、メニューの内容が和風と英国風ではまるで違う。内外装は桂が勝手にどうにかしているのだろうが、商品は宇佐木の担当。それを相談なしにころっと変えられる苦労は前回の騒動を見て知っている。
「もー、桂さん。勝手なことしてると、宇佐木くん、辞めちゃうよ?」
「辞められちゃ困るねぇ。でも、そうなるとアリスちゃんも困っちゃうね」
「う」
そうだった。前述の通り、有栖川茶房での商品担当は宇佐木。紅茶は桂の管轄のようだが、この喫茶店に何をしに来てるかといえば、甘い物を食べに来ていると言っていい。
「宇佐木くんのケーキ、美味しいもんねー」
「別の所で食べさせて貰うからいいもん。それに私、元々コーヒー派だし」
「アリスちゃんが冷たいよぉぉぉ」
このまま立っていると縋り付かれそうなので、奥の指定席に逃げることにした。すぐ後ろをてっさが付いてくる。
荷物を置いて席に着くと、てっさも隣の席に飛び乗ってお座りした。これもまた見慣れた光景。
「今日はどうしよっかなぁ」
メニューを取って開いたとき、嵐は突如としてやってきた。
ばぁぁん!
ドアベルを壁で挟んで壊すがごとく、力強くドアが開け放たれた。
ヒールの音を鳴らして小柄なスーツ姿の女性が店の中に入ってくる。スーツの色が紅いのがとても目を引く。
入店早々、席にも着かず、ドアも閉めずに、
「桂。茶」
彼女は短く言い放った。
「もー、妃さんったら乱暴なんだから。ドア壊れちゃったらどうするんですか」
「このくらいで壊れるドアなんか始めから付けるな」
「じゃあ、カップも鋼鉄製にしないといけませんねぇ」
「桂ぁ。その帽子の台を刎ねられたいか」
綺麗な女性だが口が悪い。
物騒な人が来た、と思っていると、目が合ってしまった。
――あ。ど、どうしよ。
絡まれたら誰か助けてくれるだろうか。メニューを掴んで構えていると、女性は首を傾げて、
「ん? 客が居るじゃないか」
そう言った。
「お客さんくらい来ますよ、ちゃんと。彼女が噂のアリスちゃん」
「へぇ。あの子がアリスか」
凄く見られている。観察されている。
どうやら知らないところで噂の対象になっているようだが、取り敢えずこの視線攻撃から逃れたい。かといって、こちらから視線を外すことも出来ずにいると、
「で、お茶は今日のオススメでいいですか?」
「嫌だ」
知ってか知らずか桂が彼女との会話を再開してくれた。同時に刺さってきていた視線が桂へと向く。
――助かった……。
「もー。我が儘なんだから。いい紅茶あるんだから紅茶を――」
「それじゃあ、おまえのオススメは?」
桂を無視し、女性は宇佐木を見る。
「俺が勧めると全部コーヒーになっちゃうけど」
「じゃあコーヒー」
「ちょっとぉぉぉ。紅茶飲んでよぉぉ」
「桂は煩いなぁ。じゃあ、あの子が飲んでるのと同じ物」
人差し指の指先を連れて視線が戻ってきた。
テーブルの上にあるのはまだ手つかずの氷入りの水だけ。
「え。これ、お水ですけど」
「じゃあ水」
「えええええ。紅茶にしてよぉ」
桂が向こうでくねくねと変な動きをしているが、それはいつものこと。
気になったのは、テーブルの上の水だ。
グラスに付いた水滴をなぞる。纏まった水滴が、つるりと滑ってコースターに落ちて吸われていった。
「お水……いつの間に」
「いつも出してるじゃん、水」
宇佐木だ。しかも、てっさが居た席に座って頬杖まで付いている。てっさはというと、隣の席に退かされていた。
「えー、嘘ぉ。それに、これだっていつ持ってきてくれたの?」
「アリスはいつも水飲む前に紅茶飲み始めちゃうから気付いてなかったんだろ」
ということは、いつの間にかやってくるあの時に、いつの間にか水をサーブしていたのだろうか。
今日は席で宇佐木と話すのはこれが初めての筈だが、この水は一体いつ。
――考えるのやめよ。
宇佐木がいつやってきているのかがわからないのと同じくらい、これも知ることの出来ない謎なのだ。
「ところで、あの人だあれ?」
「オーナーの妃」
「あ、だから桂さんが中途半端な敬語なんだ」
入り口方向を眺めていると、一人増えた。まだ子どものような見た目の男の子だ。茶色い癖毛で、目も薄めの茶色をしている。一見すると外国人かハーフのように見える。
「で、あれがエース」
「エース……くん?」
「そ。アレで一応酒飲めるから」
「えええ。じゃあ、私より年上じゃない!」
「あ。そうなるのか」
どう見てもせいぜい中学生なのに。
複雑な気持ちでいると、妃や桂と話していたエースがくるりとこちらを向いて、
「アリスー! わーい、アリスだー!」
手を広げてすっ飛んできた。
「初めまして、アリス。ボクね、エースっていうの」
「えっと、初めまして。有紗です」
「わー、アリスだー」
ちゃんと名乗ったのに、認識されていないのが哀しい。
そして、観察されている。さながら、かごの中の動物か昆虫のようだ。
落ち着かない。
「あ、あの。エース……さんは――」
「さん付けとかやめてよ。呼び捨てでいいよ。かゆくなっちゃう」
「じゃ、じゃあ、くん、はダメかな」
「いいよ。……わぁ。ねえねえ、なんでこのお店入れたの? 結構来てるの? メニュー何が好き? ボクが来るとき、来てくれる?」
矢継ぎ早の質問はくらくらしてしまう。
何を聞かれたか飲み込む暇もない。
「えっと、えっと……」
「紅茶とコーヒーはどっちが好き? イトーくんにはもう会った? そういえばアリスっていくつ?」
「こら、エース。いい加減にしろ。アリスちゃんが困ってるだろう」
救いの神が来た。長身の黒スーツ。ジャックが開いたままだったドアを閉めながら入ってきた。
マシンガンのように質問を放っていた口を尖らせ、エースは振り返る。
「ちぇー。ジャックは口うるさいんだ」
「迷惑かけに来たわけじゃないだろ」
「はぁい。じゃあまたね、アリス」
残念そうに手を振って、エースはとぼとぼと去っていく。
「うん。またお話ししようね。エースくん」
手を振って返すとぱっと笑顔が戻り、来たときと同じようにすっ飛んでいった。
狭い店の中に、自分を含めて六人と一匹。しかも、誰も彼も個性が強すぎて、今日は大変賑やか且つ落ち着かない。
カウンターでは、出されたお茶を飲んでいる妃を囲んで何か話をしている。
「ごめんな、うっさくって」
珍しい。宇佐木がまだ横にいる。エースが居た間はずっと静かだったので、いつものように気が付かないうちに向こうへ戻ってしまっているとばかり思っていた。
「俺、きゃんきゃんうるさいときのエースは犬みたいで苦手」
「確かに、ちょっとテンション高かったね」
宇佐木の機嫌が、すこし斜めだ。初めてこの店に入ったときの無愛想に、マイナスの感情が足されているように見える。彼については、それほど無愛想でもないことや、気さくで昔なじみのように接することが出来る人なのだと通ううちに知った。
――こんなとこまで始めて来たときと同じじゃなくていいんだけどな。
「宇佐木くん」
「うん?」
「いま、凄くぶさいくだよ」
「ぶさ……えっ?」
やっとこっちを向いた。
「理由はわかんないけど、ほら、笑顔笑顔。私、お客さんだよ? そんな顔で接客していいのかなぁ」
「こ、こんなときだけ客ぶって!」
「こんな時だけじゃないもん。ねえ、それより、今日は何がいいかな」
「……言うようになったじゃん、アリス」
宇佐木は悔しそうにして鼻の頭を掻いている。
「今日はな、アンブロシアの……あ、例の強面パティシエの店な。そこのショートケーキあるから、それと、そのケーキあっさりしてるからキャンディとかどうかな」
「キャンディって、紅茶の名前?」
「そう。飴玉じゃねぇぞ」
「それはわかるもん!」
「渋みが少なくって飲みやすいんだ。アイスティーにも向いてるけど、今日はどうする?」
「今日はホットで貰おうかな」
「じゃあ、そのセットな」
「ねー、宇佐木くーん。ジャックが持ち帰り用のコーヒーだってー」
「あーい」
いつもの調子に戻ったところで、桂に呼ばれてしまった。
宇佐木は面倒臭そうに立ち上がり、長身を更に伸ばして伸びをした。
「じゃ、ゆっくりして行けよ、アリス」
「うん」
一瞬目線を落とした隙に、宇佐木はもう居なくなっていた。
「ねー、ボク、持ち帰りのオレンジジュース!」
「そんなもん出してねえよ!」
「えー。じゃあ、アイスのロイヤルミルクティー」
「紅茶は桂に頼めよ」
「お砂糖いっぱい入れてね!」
「おまえは砂糖水でも飲んでろ」
「じゃあ、そうしよっかな。いくら?」
「え? え、えーと……」
エースとの会話を聞くに、飲み物は大体持ち帰ることが出来るようだ。専用のカップを宇佐木が出しているのが見える。
――持ち帰りもいいな。買って帰ろ。
今後、大学の行きがけにもちょっと寄る、ということ選択肢が増えそうだ。
「ぶー……」
他人の温もりが嫌なのか、前足を乗せるだけでなかなか席に戻ってこないてっさを見ながらケーキの到着を待った。
0
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる