有栖川茶房

タカツキユウト

文字の大きさ
15 / 59

十四杯目『不養生につき』

しおりを挟む
 完全に気を抜いていた。
 そうとしか思えない。
 学校帰りになんとなく怠いと思ったその夜、有紗は突如高熱に見舞われた。
 いくら布団を掛けても寒く、喉も腫れて、咳も出る。
 幸い、家の最寄り駅近くに総合病院があったので、翌日朝、フラフラになりながら駆け込んだ。
 梅雨の蒸し暑い時期だというのに、長袖にマスク。人目を気にして冷却ジェルを額に貼るのだけはやめたが、そのことを少し後悔しながら待合室で一人熱に震えていた。
 ――病院なんて久しぶり……。
 一人暮らしを始めてから病院にかかったのは初めてだ。
 目の前を通り過ぎる人。血圧を測っている人。体温三十八度越えの視界には、何もかもが揺らいで見える。
 問診票に症状を書いたが、それもちゃんと書けているか怪しいほどだ。
 後は呼ばれるのを待つだけ。
 最も長い時間が始まった。
 混み合った待合室は存外騒がしい。走り回る子供こそ居ないが、多くの人で熱気が上がっているように思えた。
 あつい。でも、さむい。対極の感覚が交互に襲ってくる。
 ――なにか食べてくれば良かったな……。でも、作るほど元気ないし、食欲ないし……。帰ったらどうしよう……。ご飯、誰か作ってくれないかな……。
 ひもじいというよりも、寂しい。一人暮らし最大の難点が病気になったときだと、今まさに思い知っている。
 ――コンビニでご飯買って……。スーパーの方がいいかな……。でも、ちょっと遠いな。何処かでスポーツドリンク買って……風邪用ドリンクも買っとこうかな……。
 朦朧とする頭で、買い物メモを作っていく。病院を出るまで覚えていられる自信が無いが、生憎、紙とペンを持っていない。
 食べ物。スポーツドリンク。できたら風邪用ドリンクも。
 その三つを反芻しながら、寒気のする腕をさする。
 一人呼ばれ、また一人呼ばれしているのに、待合室の人数は減る様子がない。
 この期限の見えない待ち時間が、弱った身体には拷問のようだ。
 ――息、あつい……。
 目を閉じてみれば、自分の心音がいやに大きく聞こえてくる。
七園ななぞのさん。七園有紗さーん」
「はぁい」
 きちんと名前を呼ばれることにちょっとした新鮮さを感じながら、よろよろと立ち上がる。
「中にどうぞー」
「はぁい」
 中待合に案内され、一番端の仕切りの中に通された。

 病院長 近衛

 入り口の名札に、そう書かれていた。
 ――院長先生なんだぁ……。
 楽になるように薬を処方してくれるのならば、実のところ誰でもいい。
「七園さん。どうぞ」
 呼ばれ、中に入った。
 初対面の筈の、やや目つきの悪い初老の医者に、何故か既視感を覚えた。
 ――変な感じ。ついこの間会ったみたい。
 妙な感覚に囚われながら、簡単な問診、診察と流れるように進んでいく。
 咳も酷いから念のため、と、レントゲンを撮ることになり、今度はレントゲン室の前でぼうっとしていた。
 こちらは余り待たずに呼ばれ、撮影が終わると写真を持たされてまた内科に戻った。
 ――ごはん。のみもの。ごはん。のみもの。
 頭の中が単純化され、買い物メモがいつの間にか二つになっていた。
「肺は綺麗なので、まあ、風邪ですね」
 聞く前から殆ど解っていた答えを改めて告げられ、有紗はただただ頷いていた。返事以外、何か言うほどの元気も残っていない。
「二、三日はゆっくり静養してくださいね」
「……はい」
「お大事に」
「……はい」
 ぺこりと頭を下げて外に出たが、最後まで既視感が拭えなかった。
 元気があったのならこう訊いていたかも知れない。
「何処かでお会いしたことありましたっけ?」

   *

 近くの薬局で散々待たされ、コンビニになんとか寄って帰宅した。
 買ってきたのはゼリー飲料とスポーツドリンク、それと、風邪用ドリンクだ。
 一時、省略されてしまった買いたいものをよく覚えていたと、自分を褒めたい気持ちになった。特に、ドリンク剤を買った辺りを、だ。
 栄養をつけなければ治るものも治らない。
 きゅっ、と蓋をひねって口を開ける。
 生薬の妙な匂いがするが、ままよと、一息に飲み干した。
 ――あれ……。美味しい。
 以前飲んだときは壊滅的に美味しくなかった記憶がある。
 この不味そうな匂いが美味しいとは余り良くない気がして、急いで簡単におなかを満たし、貰った薬を飲むと布団に潜り込んで上掛けを抱えた。
 寒気は大分遠くに行った。けれど熱はまだ高い。
 うとうととしながら、診察してくれた先生のことを思い出していた。
 誰かに似ているような気がしてならない。特に目元が、知っている誰かに似ている。
 ――ああ、そうだ。
 思い当たる人が一人居た。
 ――そうだ。ジャックさんに似てるんだ。
 早く元気になって大学や有栖川茶房に行きたい。
 その後、有紗は夕方まで昏々と眠っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...