有栖川茶房

タカツキユウト

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二十九杯目『帽子屋のティーパーティー』

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「十一月四日ってね、有栖川茶房のオープン記念日なんだ。でね、アフタヌーンティーパーティーしようかと思っててさぁ。あ~、そうだ。この三段ケーキトレイ、そこでデビューって名案だと思わない~? というわけで、会費が二千五百円かかるけど、紅茶飲み放題だし、トレイに食べ物いっぱい載せてサーブするから、絶対来てね! 十一月四日だから。十一月四日の十四時からやるからね!
 来 て ね!」

 不思議な世界の一端を垣間見たあの日、閉店まで皆とお茶を飲んでいた。その帰り際、桂によくよく言い含められたイベントの日。
 十一月四日。
 来てね、と手まで握られたら来ざるを得ない。そもそも、ティーパーティーの計画も、言いながら立てたのではないかと思ったくらいだ。来てみてやっていない可能性も僅かだがある。
 開始時刻より少し遅れた十五時頃、有紗は有栖川茶房のドアを開けた。

 りん。りりん。

 いつものベルの音がしたかと思うと、
「遅ぉぉぉい! もう来ないのかと思っちゃったじゃない!」
 挨拶する間もなく桂が向こうからやってきた。
「これでも授業終わってすぐに飛んできたんだよー! 他の曜日だったら来られなかったんだからぁ」
「そうなの? とにかく、もう始まっちゃってるから混ざって混ざって」
 こちらの都合など意に介さない桂は、有紗の腕を引いて店の中へと連れ込んだ。
 いつもは離して置いてある小さなテーブルが、すべて横一列になるようにくっついている。その上には三段のケーキトレイ。三つ買ったと言っていたように記憶しているが、実際にはカウンターとテーブルにある分を合わせて四つのケーキトレイがある。
 店内には桂と宇佐木の他に、ジャック、環、エース、そして見覚えのあるカフェオレ色の髪の男性がいる。
「おっ、アリスちゃん。帰る前に来てくれて良かった」
 クオーリで一度遠巻きに見かけたことのあるその人が、有紗を見かけてやってきた。
 つ、と彼が差し出したのはオレンジや黄色のガーベラを主に束ねたミニブーケ。
「あ、ありがとうございます」
 戸惑いながらも受け取ると、彼――確か名前は木葉だと朝が言っていた――はニカッと歯を見せて笑んだ。
「お近づきの印に。この間はクオーリで話す暇なかったからね」
「木葉さん、ですよね。朝くんから聞きました」
 ――この人が、スペードのクイーン……。
 何を持ってしてクイーンという立場を与えられているのか全くもって不明だ。〝お話〟の設定は存外適当なものなのかもしれない。
 そもそもこの役割とは一体何だろう。周りからは〝アリス〟ならば知っていて当然という反応をされるが、有紗は何も知らない。不思議なシステムがあると聞いたその後でさえ、何かが解ることも、何かに目覚めることもなかった。ただ、聞いたことを、知っただけ。
 木葉は鼻の頭を掻きながら、
「ここに花持ってくるついでに渡したかったんだ。桂がアリスちゃんは二時に来るって言ってたからさ、来なかったらどうしようかと思ってた」
「そんなこと一言も言ってないのにー」
 木葉の目線を追って辺りを見ると、カウンターの上に二つ、テーブルの上に一つ花瓶に生けられた花束がある。日頃の有栖川茶房にはないものだ。
 ――本当にパーティーみたい。
 少し似つかわしくない花束を眺めた後、木葉に目線を戻し、
「あのお花も木葉さんが?」
「そ。俺、お花屋さんだから」
「お花屋さん!」
 住宅街か商店街にレトロな雰囲気の店構えをして、花を差したバケツを店先に広げている様を勝手に想像した。その中に、エプロンをした木葉の姿を当てはめる。爽やかな二枚目が有紗の脳内でニコリと笑った。
 ――なんだかとっても繁盛してそう。
 店の経営状況まで自由に妄想した後、現実に戻ってきた有紗は、
「素敵ですね~」
 自然と表情が綻んだ。
 花屋、というだけで妙なロマンを感じる。目の前の青年がロマンの塊に見える。
 緩んだ顔の有紗の前で木葉は腕時計を一瞥すると、
「やべ。そろそろ帰らないと。一時間も油売っちゃったし――」
 そして何故か宇佐木の方をちらと見て、
「ウサギが食い殺しそうな顔してるから、俺、そろそろ行くわ」
 彼の言うとおり、宇佐木は殺気立った表情をして木葉を睨んでいる。手にしているティーカップを砕きそうな形相だ。
 一方、桂は眉をハの字にして右手の平を木葉に差し出した。
「ちょっとぉ。君が売ったのはお花で、食べたのはケーキでしょ! 会費払ってよぉ。はい、二千五百円」
「お茶も出てないのに満額取るのかよ。それに食べたって言っても、ちょっとじゃん、ちょっと」
「一時間も食べててちょっとなわけないでしょ~! じゃあ、二千円でいいよぉ」
「しょうがないなぁ。はい、千円」
「どーも……って! 減ってるよ! 木葉くん! 勝手に五割引しないで!」
「じゃ、まいど~」
 千円を桂に押しつけて、木葉は手を振り去って行った。それはもう風のように。
「あーあ、行っちゃった」
 皺のない千円札を両手でつまんで指先で弄りながら、桂はカウンターに入っていく。
 同じくカウンターの中にいる宇佐木は、大きく深呼吸をしていた。沢山吸った息を吐ききった頃には、あの殺気に満ちた表情は形を潜めていた。というより、無理に押さえつけているように見える。というのも、まだ少し、口の端が引きつったままだ。
「宇佐木くん。怖い顔してたけど、どうしたの?」
「なっ、なんでもねぇよ。それよりほら。その鉛の塊みたいな鞄置いて、ケーキ食えよ」
「うん……。そうする」
 腑に落ちないままだが、宇佐木はこの件について会話をする気はないようだ。先ほどまで木葉が使っていた皿をカウンター越しに下げて、何か作業をしだした。
 有紗は店の奥へ進み、テーブル席での指定席に鞄を置くと、テーブルの上が空いていた一番端の席についた。
 少し間を空けて、ジャックとエースが向かい合わせになって座っている。ジャックの前には当然のようにケーキトレイが二つ置かれて、彼が座るテーブルの上はぎゅうぎゅうだ。環はカウンターで紅茶を啜っている。
 トレイの上の内容は何だろうと遠巻きに眺めていると、
「はーい、おまたせ~。アリスちゃんの分のトレイだよ~。ティーポットは今から持ってくるからちょっと待っててね~」
 まさかの五つ目のケーキトレイがやってきた。取り皿とフォーク、トングと共にテーブルの上に鎮座する。
「桂さん。ケーキトレイ、一体いくつ買ったんですか?」
「うふふ。パーティーは形も大事だからね~」
 ちぐはぐな答えを残して、桂は背を向けて去って行く。その足取りはとても軽い。スキップでもし出しそうに歩いている。
 紅茶を待っている間に、有紗はケーキトレイの内容を確かめた。
 一番上の段は赤いジャムを挟んだスポンジ風のケーキと、アイシングがかかった柑橘の香りがするケーキと定番のショートケーキ。
 二段目はスコーンとカヌレとショコラのマドレーヌ。スコーンにはジャムがついている。
 一番下の段には小さい正方形に整えられたサンドイッチと生ハムとオリーブが載った小さなパン。
 どれもケーキトレイに合うように小さめに作られていて、ミニチュアのようで可愛い。
 ――何から食べよう……。
 甘いものからか、パンからか。それだけでも迷う。
「はーい、お待たせ~。ダージリンのセカンドフラッシュだよ~」
 置かれたポットからは嗅ぎ慣れた良い香りがする。有紗にとって紅茶の定番の香りだ。
 桂が一杯目を注いでくれている。香りが更に広がって、思わず息を大きく吸った。
「この赤いジャムが挟んであるのがヴィクトリアケーキ。こっちはレモンドリズルケーキだよ。他は解るかな?」
 紅茶を注ぎ終わると、桂はケーキトレイの一段目にあるケーキを指さして説明してくれた。
「うん。大丈夫。桂さん、ありがとう」
「いいんだよぉ。日頃用意しないものばっかりだから、堪能していってねー」
 うふふ、と笑いながら、桂がゆらゆらしている。揺れているのはいつものことだが、雰囲気がいつもとは少し違うように思えた。
 何というか、
「桂さん、今日、凄く機嫌いいですね」
「そう? そうかなぁ。ああ、でも、そうなのかも。よく解らないけど、僕、とっても機嫌がいいや~」
 上機嫌で暫くゆらゆらした後、桂はカウンターの向こうへと戻っていった。その足取りはやはり軽い。彼がご機嫌なのは割といつものことのようにも思う。それが今日は殊更上向きの様子に感じられた。
 ――パーティーだもんね。
 買ったばかりの食器も使えるし、人も大勢集まる。嬉しいに違いない。
「ねえ、アリス。今月末の土曜日、空いてる?」
 エースが突然隣から身を乗り出してきた。
「空いてるけど、どうして?」
「一緒のご飯食べよって約束したでしょ? お休みの日なら夕食一緒に食べられるかなって」
「大丈夫だよ。何処で食べる?」
「うーん……。クオーリ、とか?」
「それだったら場所わかるから大丈夫」
「じゃあ、七時くらいにクオーリ集合ね!」
 エースはご機嫌でオレンジジュースをストローで啜っている。指切りまでした約束だ。果たさねばなるまい。
 ――七時にクオーリ、と。
 忘れないよう手帳にメモを残しておく。手帳を鞄に仕舞いながら店内を見渡していると、
 ――そういえば……。
 パーティーという名が好きそうな人がこの場に居ない。
「ジャックさん。今日って、妃さんは来ないんですか?」
 瑛が来ないのは店があるからだろう、というのはわかる。運転手二人がここに居て、妃は一体どうしているのだろう。
 返事はすぐには返ってこなかった。
 話しかけた相手は丁度サンドイッチを口に放り込んだ直後で、一生懸命咀嚼している。ジャックが、噛んでいる。珍しい場面を見るような面持ちで、有紗は紅茶を一口飲んで彼が嚥下するのを待った。
「妃さんは忙しいみたいで、来られても遅くなると言ってましたよ」
「でも、運転手さんがここに居たらどうやって来るんですか? まさか、徒歩……」
「まさか。来るなら誰かに送って貰うとは思いますよ」
「それで朝が来たら、ぶん殴る」
 紅茶を啜りながらエースが不穏なことを言った。
「な、なんでぶん殴るの……?」
「だって抜け駆けしてアリスとご飯食べたんだもん。ズルイ」
「でも、エースくんとも行こうねって約束したし、それじゃ駄目かな」
「朝が先だったのが嫌なの!」
 過ぎてしまったことはもう取り返せない。今更順番を入れ替えることも出来ないし、過去を無かったことにも出来ない。
 ――諦めて、エースくん。
 内心で諦念を促しながら、ふと、一つの違和感を感じた。
 ジャックとエースだけ、あだ名のようなもので呼んでいる不思議。由来は桂と宇佐木がそう呼んでいたのを聞いたのが始まりだったから。
「そういえば、エースくんは真くんっていうんだよね?」
「そうだけど……朝から聞いたの?」
 嫌そうな顔をしているのは、朝が絡んでいるからだと思われる。
「そうなんだけど……。それで、ジャックさんは忠臣さん」
「そうですけど?」
「この、あだ名のようなもので呼ぶの、やめてもいいですか?」
 スペードの面々と会ってからなんとなく思っていたことだ。
 この呼び名は、余りにも効率が悪い。
「好きに呼んで頂いて構いませんけど、突然どうしたんですか?」
「だって、同じあだ名の人が四人もいるんですよ? ややこしいじゃないですか」
「ややこしいかなぁ」
 首を傾げたのはエース――真だ。
「ややこしいよ。エースくんが四人も居るんだよ?」
「一人は〝ちゃん〟だよ」
「〝ちゃん〟……!」
 まさかの情報に息を呑んでいると、
「二人じゃないのか?」
 と、ジャック――忠臣が小首を傾げた。
 不意に、カウンターで一人静かにしていた環が振り返り、
「おい、忠臣。あれを〝ちゃん〟扱いできるのか?」
 僅かに眉をひそめて言った。
「一応見た目は女の子してるから……」
「けど、中身も喉仏もしっかり男だぞ」
「……まあ、そうだな。うん。〝ちゃん〟は一人だけだ」
「ジャックさん……忠臣さんがそう言うならきっと女の子は一人なんだと思います」
 一人、ただならぬ者がいるらしいことだけはわかった。
 まだ、物語に関わっている人全員に会ったことはない。ダイヤとクローバーに属する人たちとはまだ一人もだ。
 ――これからここで出会うのかなぁ。
 心が躍るのを感じながら、有紗は散々迷った末に三段目にあったサンドイッチを皿に取った。卵サンドだ。
 小さな正方形の塊を指で摘まんで口に放る。
「……ややこしいといえば、確かにややこしいか」
 カウンターから環の独り言が聞こえてきた。彼は紅茶を一口、そして息をつく。
「うちも、名前で呼んでみるかな」
 どうやら少し前の話を思い返しているようだ。
「えー、じゃあ、俺たちも倣った方がいい?」
 独り言に反応したのは宇佐木だ。その横で、桂がやはりゆらゆらしている。
「僕は今更変えるの面倒だなぁ。それよりもアリスちゃん。宇佐木くんのこと下の名前で呼んであげたら? みんなに倣って」
 言われてみれば、このままだと宇佐木だけ名字で呼ぶことになる。機会があったら呼んでみようと思っていて、それきりになっていた。
「あ、宇佐木くん、弥生くんって呼ばれた方が嬉しい?」
「そ、そのままでいいよ。い、今更だしさ。俺は、別に、どっちでも……」
「弥生くん。嫌じゃなかったら呼ばせて。弥生くん」
 半年以上にわたる慣習を上書きするように宇佐木――弥生の名前を敢えて口に出して繰り返す。
 弥生は気恥ずかしそうにして少し俯き加減になっている。
「良かったねぇ、宇佐木くん」
「うっせぇよ、ばーか」
「わー。口悪いんだぁ」
 桂は自分のルールは保持するスタンスらしい。
 小突き合っている二人を見ながら、有紗はサンドイッチをもう一つ皿に取る。次はハムサンドだ。
 それを口に入れて咀嚼していると、

 ばぁぁぁん! りん! りりん!

 思わず口の中のものを飲み損なってしまいそうな勢いで、店の扉が開いた。
 このけたたましい扉の開き方は知っている。ハートのクイーンがお出ましになる合図だ。
「桂ァ! 仕事を投げて来てやったぞ! さあ、もてなせ!」
「仕事投げちゃったんですか~? まあ、僕は来てくれれば何でもいいんですけどね~」
「みんな! 楽しんでいるか!」
 桂の言葉を無視して妃が中に入ってきた。その後ろを、朝が着いてくる。その姿を見かけ、環は朝の方に向き直った。
「朝。ご苦労だったな」
「え。名前で呼ぶとかキング、大丈夫? 何か悪いものでも紅茶に混じってた?」
「紅茶は至って普通のダージリンだ。いや、こうしてトランプが集まるとややこしいなと思ってな」
「へぇ。じゃあ、俺もキングのこと環って呼んだ方がいい?」
「強制はしない」
「えー、どうしようかなぁ。ジャックもクイーンも名前で呼ぶから、俺もそうしようかなぁ」
 首を左右に傾げながら、朝は環の隣の席に着いた。
 一方、妃はテーブル席の空いた場所、入口側の席に着いて足を組んでいる。
 そこへ、桂がやってきて、
「ねえ、ジャック。このトレイ下げてもいい? 妃さんに出す分、なくって」
 流石に六個目は存在しないらしい。忠臣用に二つ置かれていたケーキトレイの一つを持って、桂は厨房に入った。
 暫くして戻ってきた桂が持っていたのは、有紗の前にあるものと同じ内容のケーキトレイ。それを妃の前に置き、もう一度厨房に戻るとケーキが載ったお皿を朝の前に置いた。
「なんで俺だけお皿なの?」
 朝が不満そうに口を尖らせる。桂も同じように口を尖らせると、
「だってもうトレイがないんだもの」
「じゃあ買えば良いじゃん」
「……そうだね!」
 良い案を得たとばかりにとてもいい笑顔になった桂に対して、目を剥いたのは弥生だ。
「ちょっと待て! 桂、早まるな! これ以上増やしてどうすんだ! 年に一回使うために一ダース買うつもりか!」
「一ダースあれば足りるかなぁ」
「現状で充分だって! ほら、朝。ちょっと待ってろよ」
 そう言って弥生は厨房に飛んでいくと、すぐに戻ってきた。
 手に持っていたのは一つのバスケット。そこに、まだ朝には提供されていなかったサンドイッチとスコーンなど、ケーキトレイの二段目と三段目にある食べ物が詰められていた。
「こういうのもいいだろ? な?」
「……うん。いいかも。ありがと、弥生」
「だから桂の暴走を止めてくれ」
「桂。ケーキトレイ、もう要らないよ」
「えー。要らなくなっちゃったの~? ざんねーん」
 口を突き出しながらも何処か楽しそうに桂は揺れている。
 そこへ、
「桂ァ! お茶がまだ来てないぞ!」
「はぁい、すぐに持って行きまぁす」
 一つ終わると、また一つ。
 今日の有栖川茶房はせわしない。
「あ、そうだ。朝が来たから殴んないと」
「真くん……。殴るのは、やめよ?」
 そう言いながらも真がまだ立ち上がらないのを見て、有紗は一安心したもののいつ再燃するかわからない。
 ティーパーティーはまだ始まったばかり。
 このお茶会に、平穏は居座ってくれないようだ。
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