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三十三杯目『あべこべ・ぶどうケーキ』
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十二月に入ったばかりだというのに、今日は二月並みの寒さだという。
今季最大の寒波が来ているとかで、有紗は急いで引っ張り出したマフラーを巻いて小走りで歩いていた。
夕方。陽も陰って後は冷えていく一方。口を開けば「寒い」しか出てこないこの気候。早く暖かいところに入って、温かい飲み物で胃を満たしたい。
それを叶えてくれる場所へ、いざ飛び込んだ。
「おー、アリス。いらっしゃい」
「いらっしゃ~い」
「ぶなー」
二人と一匹がいつも通りに迎えてくれた。
「もー、外寒い!」
「早く中入れよ」
「今日は奥の席にするね。もうホント寒い!」
コートももっと厚手のを引っ張り出してこないと駄目だろうか。
そんなことを考えながら上着とマフラーを脱いでいる間に、弥生が水とお手ふきを持ってきた。
「そういや、キングのとこのバイト、やるんだって?」
「弥生くん、耳早いね。なんで知ってるの?」
「いや、キングって休み時間に偶にうちに来てコーヒー飲んで寝ていくんだけどさ、その時に散々嬉しそうに自慢して帰ってったから」
「……そんなに嬉しかったんだ」
確かに、真と妃と会食をした翌日には連絡を入れて承諾を申し込んだのは事実だ。軽い気持ちで返答したのに対して、それ程までに喜ばれているとは知らなかった。
当日三日間は頑張ろう。
決意を新たに、席に着く。
「今日は何か面白いものある?」
「面白いかはわかんないけど」
と、弥生は得意そうな顔をした。
「イギリス菓子を色々作ってみようと思って、手始めに初級編。ロック・ケーキを作ってみたんだ」
「ロック・ケーキ?」
「ショーケースの上に置いてあるんだけど」
誘われて席を離れてショーケースのうえにあるガラスの蓋を載せられた大皿を覗き込むと、ドライフルーツの姿が見え隠れする大きなクッキーのようなお菓子が中に入っていた。大きさは握り拳くらいだ。
「干しイチジクとレーズンのロック・ケーキ」
「ケーキって言うから、普通のケーキを想像しちゃった。焼き菓子なんだね」
「見た目がごつごつしてるからロック・ケーキっていうんだってさ。天板にスプーンですくって置いていくだけだから、簡単なんだ」
「で、どんどん難易度が上がっていくんだね?」
「プレッシャー掛けてくれるじゃん」
弥生がいろいろなものを作れるようになれば、その分、有紗がいろいろなものを食べられるというわけだ。期待は自然と膨らんでいく。
「僕はねー、干しぶどうのケーキを作ってって言ったのになぁ」
カウンターの中でゆらゆらしていた桂が、拗ねたような口調で言った。
「だからそれってどういうケーキだよ。作って欲しかったらまずレシピを寄越せって、レシピを」
「あー、でも、ロック・ケーキなら取り分けに困らないからおかしな事にならないねー」
「はあ? どんなケーキだってちゃんと切り分ければ取り分けに困る事なんて無いだろうが」
「ケーキっていうのはね、まず配ってから切り分けるんだから」
「また訳の分からないこと言い出すし……」
配ってから切り分けては順番があべこべだ。言わんとしていることがわからず、有紗も宇佐木と同様、それ以上話を聞くのをやめた。
「じゃあ弥生くん。このロック・ケーキとこれに合いそうな紅茶をお願い」
「ありがとな。ほら、桂。紅茶の注文入ったぞ」
「わーい、ありがとうアリスちゃん」
まともな返答をしてきた桂に対して笑みを返すと、有紗は自席へと戻った。
流石に店の一番奥の席は寒くない。コートもマフラーも脇に置いて、注文の到着を待った。
カウンター席のほうから、たっ、と音がした。
何かと思えば、てっさがソファ席にやってきた。有紗の横にぴったりとくっついて、香箱を組んで座り、目を細めている。
「てっさも寒いよねー」
「ぶーなー」
撫でてやるとぐるぐると喉を鳴らしている。
太ももにてっさの温もりが伝わってきて、そこだけほかほかしている。
――猫ちゃん、あったかい。
生き物はいいと思う瞬間だ。
「何だよてっさ。一番暖かい場所独り占めかよ」
「ぶー」
「ちぇ。俺だって寒いよ」
てっさに対して悪態を吐きながら、弥生がロック・ケーキを持ってきた。大きめのそれが皿に二つ載っている。
「はーい、紅茶もお待たせー。今日はウバだよ~」
桂が持ってきたティーポットの中身を、ティーカップに注いでくれた。
待っていたのはこの胃を温めてくれるもの。
まだ熱い紅茶を、ティーカップを手で抱えるようにして一口頂いた。
「はぁ。あったかーい」
思わず声にする。
二人は笑みを浮かべてカウンターへと戻っていった。
そして、初めましてのロック・ケーキ。一口囓ってみると、食感はクッキーとスコーンの中間くらい。ドライフルーツの味以外はシンプルなものだ。
流石イギリス菓子。紅茶によく合う。
交互に食べ進めていると、店の扉が開いた。入ってきたのは忠臣だった。目が合うと彼は小さく会釈をしていつもの入り口近くのカウンター席に着いた。
「弥生。コーヒーをくれ」
「紅茶頼んでよー、紅茶~」
「コーヒーを」
「あいよ」
桂がごねるのを無視して、忠臣はオーダーを変えなかった。
「流石に寒いな。温かい飲み物が恋しい」
「コートとか着ればいいじゃん」
「いや、まだちょっと早いかなと思って着なかったのが失敗だった」
「紅茶だって暖まれるよ~」
どうにか紅茶を飲ませたいのか、桂は二人の会話に強引に割り込もうとする。それを二人揃ってスルーする形だ。
「アリスちゃん。先日のエースとの食事はどうでした?」
急に話題がやってきた。
口に入っている分を飲み込んでから、
「楽しかったですよ。妃さんなんてワイン一本空けちゃって」
「あの人のペースになってやりづらくありませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。賑やかで楽しかったです」
奢られてしまった、ということは飲み込んで。
「そう言えば、お兄さんの龍臣さん、何だか大変みたいですよ?」
「何で急に兄が話題に上るんですか」
「私も又聞きなので正確ではないんですけど、エース会議が開かれてそこで菱くんが、龍臣さんが変だって。会話が支離滅裂で手に負えないんだそうです」
聞いた話をなるべく聞いたままに話すと、忠臣はテーブルの上で手を組んで、あからさまに大きな溜息を吐いた。
「もともと粗野な上におかしな人でしたけど、そこまで極まるとどうしようもないですね」
心配する、という段階ではないらしい。殆ど見放している、に近い。
家族の関係性にも色々あるが、龍臣の立ち位置が大体わかったような気がした。
「あー、龍臣くん、あべこべになっちゃったんだねー。でも、戻ってくれば元に戻るよ」
先ほどまで紅茶紅茶と騒いでいた桂が、ゆらりゆらりと揺れながら少し不思議なことを言い出した。
「あの兄に日本に戻れと?」
「そうじゃなくて、表の世界に、さ」
「桂……、言っている意味がよく……」
わからない。
それは有紗も一緒だった。
謎かけでも隠喩でもない桂の言葉は、謎しかない。表があるのなら裏があり、そこに龍臣はいるというのか。そうだとしたら、どうしてそうなったのか。
誰も桂の言葉の意味を解せないまま、忠臣の前にホットコーヒーが差し出された。一緒に出されたロックケーキを忠臣は指先でつまみ上げると、
「弥生が焼いたのか?」
「そう。イギリス菓子のロック・ケーキ」
何処に引っかかったのか、忠臣が眉根を詰めた。
「美味しいから安心して食えよ。イギリスだからって全部不味いわけじゃないんだぞ」
「……そうか」
イギリス料理に余りいい印象がないようだ。
ロック・ケーキを一口囓って、忠臣は何度か頷いている。どうやらその味に満足しているようだ。
「そういえば」
有紗は気になっていたことを尋ねることにした。
「忠臣さん。あの日の夜の夕飯はどうしたんですか?」
「ラーメンを食べに行きましたけど」
「お一人で?」
「弥生を誘って。あと、笑太も一緒でしたよ」
「わー。瑛さんの言ったとおりだ!」
再び忠臣の眉根が詰まる。
「なんだかそれ、癪ですね」
「癪なんだ……」
「あの男の思ったとおりに行動しているというのが嫌ですね」
――仲悪そうには見えないのになぁ。そういうものなのかなぁ。
男の世界はわからない。
「あのラーメン屋、旨かったから別にいいじゃん」
たしなめるように弥生が言う。
「どんなラーメン屋さんなの?」
「豚骨ラーメンの店でさ。ジャック、替え玉三つも頼んでて、見てた笑太がげんなりした顔してたぜ」
「笑太くん、小食そうだもんね。だって、細いし、羨ましい」
「ぶなぁ」
横でてっさが鳴いたので、よしよしと撫でてやる。一方でこの猫は太いな、とこっそりと思いながら、しつこく撫でる。
「アリスも行けよ。旨いから」
「一人で行くのはなぁ。牛丼屋さんなら一人で行けるんだけど」
「牛丼屋一人で行けるなら、ラーメン屋も一緒じゃね?」
「チェーン店ならまだしも、個人のお店みたいなのだったりすると、あの玄人しかいませんみたいな雰囲気、一人じゃ無理」
「友達とは行かねぇの?」
「友達と一緒だとラーメン屋行こうっていう事にならないんだよねー」
「そっかぁ」
「ねえ、弥生くん。一緒に行こう?」
*
「ぅえ? 俺? いや、だって、店あるし」
急な誘いに、変な声が出た。
アリスが何処かへ誘ってくるのは二度目。二度目は無いと笑太に言われていただけに、すぐさま店を言い訳にしてしまったことを少し後悔した。
しかし、アリスは今回は引き下がらない。
「お店閉まるまで待ってる。今日は分厚い本持ってるんだ。時間潰しなら任せて」
「えっと、うー、ジャック、ジャックは?」
「一緒に行ってもいいぞ。店が閉まる頃にまた戻ってくるから」
「しょ、笑太は行く、かな?」
「ぶーなー」
ちら、と太い猫に目をやれば、ご満悦の様子で猫が鳴いた。
「行く、な。きっと」
そういう返事だった。
「みんなで楽しそうだなぁ」
不意に桂が絡んできた。先日出かけたときでさえ笑顔で見送るだけだった彼が、羨ましそうにするのは珍しい。
「桂も行くか?」
「僕、行けるかなぁ」
「行けるって。すぐ近くだし」
「付き合いも業務の一環、って事なら行けるかなぁ」
「なんだそれ。取り敢えず、行くんだな?」
「うん。行くー」
途中、何を言っているのかわからない部分があったが、行くという言質だけはとった。
合計五人。
「大所帯になっちゃったね」
アリスが言うように、大所帯だ。それ程大きくない店に、五人一気に入れるだろうかと思案していると、
「余り大きな店ではないので、もしかしたら別れることになるかもしれませんが、それでも大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。弥生くんについて行くから」
今日は随分とご指名が強い。ジャックについて行くとばかり思っていたのに、意表を突かれてばかりだ。
長居を決めたアリスが、鞄から恐ろしいほど分厚い本を取り出した。これなら数時間の時間潰しなど余裕だろう。それだけあっても読み終わらないかもしれない。
「二人で行けばいいものを」
アリスが本の世界に入り込んだのを見計らって、ジャックが小声で言った。
「だって間が持たねぇよ」
弥生もジャックのそばに行って小声で返す。
「店だと平気なのに」
「店は店。外は外」
「外でも慣れろ。デート、したいんだろ?」
「みんなでそう言う……別に俺はそんなのどうだっていいって言ってんのに」
「一々挙動不審になるのは本音の表れだ。自覚したらどうだ」
「んなコト言われても……」
自覚も何も、アリスに対する自分の気持ちは正直わからない。好きには違いないが、その好きが、何処に分類されるのかが問題だ。
人としてなのか、〝アリス〟としてなのか、恋愛感情としてなのか。
――わかったら苦労しねぇよ。
「それに、初めて一緒に行くのがラーメン屋ってどうよ?」
「なんだ。フレンチでもご馳走してあげるつもりだったか?」
「そんなつもりもねぇよ。大体、金ないし」
いつもの「金がない」は常套句になりつつある。実際は、そんな似合わないことは出来ない、と思っているからしないだけだ。
コーヒーを飲み終えたジャックが、
「また後で」
と去って行った。
閉店までまだ数時間。
店の奥で物語に埋没しているアリスを眺め、整理の付かない自分の気持ちに、弥生は溜息を吐いた。
今季最大の寒波が来ているとかで、有紗は急いで引っ張り出したマフラーを巻いて小走りで歩いていた。
夕方。陽も陰って後は冷えていく一方。口を開けば「寒い」しか出てこないこの気候。早く暖かいところに入って、温かい飲み物で胃を満たしたい。
それを叶えてくれる場所へ、いざ飛び込んだ。
「おー、アリス。いらっしゃい」
「いらっしゃ~い」
「ぶなー」
二人と一匹がいつも通りに迎えてくれた。
「もー、外寒い!」
「早く中入れよ」
「今日は奥の席にするね。もうホント寒い!」
コートももっと厚手のを引っ張り出してこないと駄目だろうか。
そんなことを考えながら上着とマフラーを脱いでいる間に、弥生が水とお手ふきを持ってきた。
「そういや、キングのとこのバイト、やるんだって?」
「弥生くん、耳早いね。なんで知ってるの?」
「いや、キングって休み時間に偶にうちに来てコーヒー飲んで寝ていくんだけどさ、その時に散々嬉しそうに自慢して帰ってったから」
「……そんなに嬉しかったんだ」
確かに、真と妃と会食をした翌日には連絡を入れて承諾を申し込んだのは事実だ。軽い気持ちで返答したのに対して、それ程までに喜ばれているとは知らなかった。
当日三日間は頑張ろう。
決意を新たに、席に着く。
「今日は何か面白いものある?」
「面白いかはわかんないけど」
と、弥生は得意そうな顔をした。
「イギリス菓子を色々作ってみようと思って、手始めに初級編。ロック・ケーキを作ってみたんだ」
「ロック・ケーキ?」
「ショーケースの上に置いてあるんだけど」
誘われて席を離れてショーケースのうえにあるガラスの蓋を載せられた大皿を覗き込むと、ドライフルーツの姿が見え隠れする大きなクッキーのようなお菓子が中に入っていた。大きさは握り拳くらいだ。
「干しイチジクとレーズンのロック・ケーキ」
「ケーキって言うから、普通のケーキを想像しちゃった。焼き菓子なんだね」
「見た目がごつごつしてるからロック・ケーキっていうんだってさ。天板にスプーンですくって置いていくだけだから、簡単なんだ」
「で、どんどん難易度が上がっていくんだね?」
「プレッシャー掛けてくれるじゃん」
弥生がいろいろなものを作れるようになれば、その分、有紗がいろいろなものを食べられるというわけだ。期待は自然と膨らんでいく。
「僕はねー、干しぶどうのケーキを作ってって言ったのになぁ」
カウンターの中でゆらゆらしていた桂が、拗ねたような口調で言った。
「だからそれってどういうケーキだよ。作って欲しかったらまずレシピを寄越せって、レシピを」
「あー、でも、ロック・ケーキなら取り分けに困らないからおかしな事にならないねー」
「はあ? どんなケーキだってちゃんと切り分ければ取り分けに困る事なんて無いだろうが」
「ケーキっていうのはね、まず配ってから切り分けるんだから」
「また訳の分からないこと言い出すし……」
配ってから切り分けては順番があべこべだ。言わんとしていることがわからず、有紗も宇佐木と同様、それ以上話を聞くのをやめた。
「じゃあ弥生くん。このロック・ケーキとこれに合いそうな紅茶をお願い」
「ありがとな。ほら、桂。紅茶の注文入ったぞ」
「わーい、ありがとうアリスちゃん」
まともな返答をしてきた桂に対して笑みを返すと、有紗は自席へと戻った。
流石に店の一番奥の席は寒くない。コートもマフラーも脇に置いて、注文の到着を待った。
カウンター席のほうから、たっ、と音がした。
何かと思えば、てっさがソファ席にやってきた。有紗の横にぴったりとくっついて、香箱を組んで座り、目を細めている。
「てっさも寒いよねー」
「ぶーなー」
撫でてやるとぐるぐると喉を鳴らしている。
太ももにてっさの温もりが伝わってきて、そこだけほかほかしている。
――猫ちゃん、あったかい。
生き物はいいと思う瞬間だ。
「何だよてっさ。一番暖かい場所独り占めかよ」
「ぶー」
「ちぇ。俺だって寒いよ」
てっさに対して悪態を吐きながら、弥生がロック・ケーキを持ってきた。大きめのそれが皿に二つ載っている。
「はーい、紅茶もお待たせー。今日はウバだよ~」
桂が持ってきたティーポットの中身を、ティーカップに注いでくれた。
待っていたのはこの胃を温めてくれるもの。
まだ熱い紅茶を、ティーカップを手で抱えるようにして一口頂いた。
「はぁ。あったかーい」
思わず声にする。
二人は笑みを浮かべてカウンターへと戻っていった。
そして、初めましてのロック・ケーキ。一口囓ってみると、食感はクッキーとスコーンの中間くらい。ドライフルーツの味以外はシンプルなものだ。
流石イギリス菓子。紅茶によく合う。
交互に食べ進めていると、店の扉が開いた。入ってきたのは忠臣だった。目が合うと彼は小さく会釈をしていつもの入り口近くのカウンター席に着いた。
「弥生。コーヒーをくれ」
「紅茶頼んでよー、紅茶~」
「コーヒーを」
「あいよ」
桂がごねるのを無視して、忠臣はオーダーを変えなかった。
「流石に寒いな。温かい飲み物が恋しい」
「コートとか着ればいいじゃん」
「いや、まだちょっと早いかなと思って着なかったのが失敗だった」
「紅茶だって暖まれるよ~」
どうにか紅茶を飲ませたいのか、桂は二人の会話に強引に割り込もうとする。それを二人揃ってスルーする形だ。
「アリスちゃん。先日のエースとの食事はどうでした?」
急に話題がやってきた。
口に入っている分を飲み込んでから、
「楽しかったですよ。妃さんなんてワイン一本空けちゃって」
「あの人のペースになってやりづらくありませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。賑やかで楽しかったです」
奢られてしまった、ということは飲み込んで。
「そう言えば、お兄さんの龍臣さん、何だか大変みたいですよ?」
「何で急に兄が話題に上るんですか」
「私も又聞きなので正確ではないんですけど、エース会議が開かれてそこで菱くんが、龍臣さんが変だって。会話が支離滅裂で手に負えないんだそうです」
聞いた話をなるべく聞いたままに話すと、忠臣はテーブルの上で手を組んで、あからさまに大きな溜息を吐いた。
「もともと粗野な上におかしな人でしたけど、そこまで極まるとどうしようもないですね」
心配する、という段階ではないらしい。殆ど見放している、に近い。
家族の関係性にも色々あるが、龍臣の立ち位置が大体わかったような気がした。
「あー、龍臣くん、あべこべになっちゃったんだねー。でも、戻ってくれば元に戻るよ」
先ほどまで紅茶紅茶と騒いでいた桂が、ゆらりゆらりと揺れながら少し不思議なことを言い出した。
「あの兄に日本に戻れと?」
「そうじゃなくて、表の世界に、さ」
「桂……、言っている意味がよく……」
わからない。
それは有紗も一緒だった。
謎かけでも隠喩でもない桂の言葉は、謎しかない。表があるのなら裏があり、そこに龍臣はいるというのか。そうだとしたら、どうしてそうなったのか。
誰も桂の言葉の意味を解せないまま、忠臣の前にホットコーヒーが差し出された。一緒に出されたロックケーキを忠臣は指先でつまみ上げると、
「弥生が焼いたのか?」
「そう。イギリス菓子のロック・ケーキ」
何処に引っかかったのか、忠臣が眉根を詰めた。
「美味しいから安心して食えよ。イギリスだからって全部不味いわけじゃないんだぞ」
「……そうか」
イギリス料理に余りいい印象がないようだ。
ロック・ケーキを一口囓って、忠臣は何度か頷いている。どうやらその味に満足しているようだ。
「そういえば」
有紗は気になっていたことを尋ねることにした。
「忠臣さん。あの日の夜の夕飯はどうしたんですか?」
「ラーメンを食べに行きましたけど」
「お一人で?」
「弥生を誘って。あと、笑太も一緒でしたよ」
「わー。瑛さんの言ったとおりだ!」
再び忠臣の眉根が詰まる。
「なんだかそれ、癪ですね」
「癪なんだ……」
「あの男の思ったとおりに行動しているというのが嫌ですね」
――仲悪そうには見えないのになぁ。そういうものなのかなぁ。
男の世界はわからない。
「あのラーメン屋、旨かったから別にいいじゃん」
たしなめるように弥生が言う。
「どんなラーメン屋さんなの?」
「豚骨ラーメンの店でさ。ジャック、替え玉三つも頼んでて、見てた笑太がげんなりした顔してたぜ」
「笑太くん、小食そうだもんね。だって、細いし、羨ましい」
「ぶなぁ」
横でてっさが鳴いたので、よしよしと撫でてやる。一方でこの猫は太いな、とこっそりと思いながら、しつこく撫でる。
「アリスも行けよ。旨いから」
「一人で行くのはなぁ。牛丼屋さんなら一人で行けるんだけど」
「牛丼屋一人で行けるなら、ラーメン屋も一緒じゃね?」
「チェーン店ならまだしも、個人のお店みたいなのだったりすると、あの玄人しかいませんみたいな雰囲気、一人じゃ無理」
「友達とは行かねぇの?」
「友達と一緒だとラーメン屋行こうっていう事にならないんだよねー」
「そっかぁ」
「ねえ、弥生くん。一緒に行こう?」
*
「ぅえ? 俺? いや、だって、店あるし」
急な誘いに、変な声が出た。
アリスが何処かへ誘ってくるのは二度目。二度目は無いと笑太に言われていただけに、すぐさま店を言い訳にしてしまったことを少し後悔した。
しかし、アリスは今回は引き下がらない。
「お店閉まるまで待ってる。今日は分厚い本持ってるんだ。時間潰しなら任せて」
「えっと、うー、ジャック、ジャックは?」
「一緒に行ってもいいぞ。店が閉まる頃にまた戻ってくるから」
「しょ、笑太は行く、かな?」
「ぶーなー」
ちら、と太い猫に目をやれば、ご満悦の様子で猫が鳴いた。
「行く、な。きっと」
そういう返事だった。
「みんなで楽しそうだなぁ」
不意に桂が絡んできた。先日出かけたときでさえ笑顔で見送るだけだった彼が、羨ましそうにするのは珍しい。
「桂も行くか?」
「僕、行けるかなぁ」
「行けるって。すぐ近くだし」
「付き合いも業務の一環、って事なら行けるかなぁ」
「なんだそれ。取り敢えず、行くんだな?」
「うん。行くー」
途中、何を言っているのかわからない部分があったが、行くという言質だけはとった。
合計五人。
「大所帯になっちゃったね」
アリスが言うように、大所帯だ。それ程大きくない店に、五人一気に入れるだろうかと思案していると、
「余り大きな店ではないので、もしかしたら別れることになるかもしれませんが、それでも大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。弥生くんについて行くから」
今日は随分とご指名が強い。ジャックについて行くとばかり思っていたのに、意表を突かれてばかりだ。
長居を決めたアリスが、鞄から恐ろしいほど分厚い本を取り出した。これなら数時間の時間潰しなど余裕だろう。それだけあっても読み終わらないかもしれない。
「二人で行けばいいものを」
アリスが本の世界に入り込んだのを見計らって、ジャックが小声で言った。
「だって間が持たねぇよ」
弥生もジャックのそばに行って小声で返す。
「店だと平気なのに」
「店は店。外は外」
「外でも慣れろ。デート、したいんだろ?」
「みんなでそう言う……別に俺はそんなのどうだっていいって言ってんのに」
「一々挙動不審になるのは本音の表れだ。自覚したらどうだ」
「んなコト言われても……」
自覚も何も、アリスに対する自分の気持ちは正直わからない。好きには違いないが、その好きが、何処に分類されるのかが問題だ。
人としてなのか、〝アリス〟としてなのか、恋愛感情としてなのか。
――わかったら苦労しねぇよ。
「それに、初めて一緒に行くのがラーメン屋ってどうよ?」
「なんだ。フレンチでもご馳走してあげるつもりだったか?」
「そんなつもりもねぇよ。大体、金ないし」
いつもの「金がない」は常套句になりつつある。実際は、そんな似合わないことは出来ない、と思っているからしないだけだ。
コーヒーを飲み終えたジャックが、
「また後で」
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