有栖川茶房

タカツキユウト

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四十八杯目『赤のたべものふたたび』

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 四月。新学期を翌日に控え、有紗は身軽な鞄を提げて有栖川茶房を訪れた。
 扉を開けるといつものドアベルの音。その向こう側に、少しだけ背を丸めて座っている忠臣が居た。カウンターの中には弥生と桂が居る。
「忠臣さん、お久しぶりです。弥生くんも久しぶり」
 いつもの有栖川茶房の様相だが、僅かにいつもと違う空気が流れているような気がした。
「ああ、お久しぶりです、アリスちゃん」
 そう言って返す忠臣に元気が無い。窶れた表情で、目の下には隈が残っている。こんな酷い顔の忠臣は初めて見た。しかも、手元にはミックスベリーのタルトがあるのだが、それをフォークで刮ぐようにしてちびちびと食べている。いつもの忠臣ならば豪快にザクザクと食べているのに、これもおかしい。
「だ、大丈夫ですか? 先月そんなにお忙しかったんですか?」
「年度末だったので……。毎年のことなので、大丈夫ですよ」
「毎年そんなになるまで……。お疲れ様です」
 笑みを浮かべている忠臣のその表情が何処か乾いて見えるのは気の所為か。
「アリスちゃーん。ジャックはもう一ホール食べ終わるところだから、そう見えて元気だよぉ」
 桂のフォローに、有紗は思わず目を剥いた。
「い、一ホール! そんなに食べてお腹大丈夫ですか?」
「まだ行けます」
「強い……」
 思わぬ状況に言葉を失いつつ、有紗はいつものカウンター席に腰を下ろした。
「弥生くん。あのタルト、まだある?」
「あるよ。今日二ホール仕入れといて良かったぜ」
「じゃあ、そのタルトと、ミルクティーがいいな」
 茶葉は任せることにして、有紗は注文の品が出てくるのを待った。その間も、忠臣はタルトを小さく刻んで食べている。仕事で疲労しているとはいえ、少し可哀想に見えてきた。
 何か話しかけたいが、肩を落としている忠臣にはどうにも言葉を掛けづらい。どうしたものかと思っていると、
「今日鞄軽そうだけど、休み? 平日だけど」
 弥生が話しかけてきた。
「うん。今、春休みだから」
「大学って休み多いんだなぁ」
「そんなことないよ。夏休みが長いくらいで、他は普通だと思うけど」
「そっか。なんか多いような感じしたけど、……そっか」
 ――私ってそんなに休んでるように見えるのかなぁ。
 暇さえあれば有栖川茶房に通っている状態を考えれば、無理もない気もする。しかし、今年一年一つも単位を落とすことなく無事に切り抜けた。遊んでばかり、とは言わせない。
 雑談がてら、春休みの収穫を一つ。
「そうそう。この間、アンブロシアに行ったんだ!」
「お、じゃあ明に会ったんだ」
「あと御影さんもいたよ。明さんって弥生くんが言うほど強面じゃなかったし。どっちかっていうと美人さんだね」
「アリスから見るとあれは美人になるのか」
 どうやら男性から見ると感想は違うようだ。メルヘンチックな店の中に居るパティシエの明と、ショコラティエの御影。そしてショーケースに並ぶケーキとチョコレートの列。思い出すだけで異世界に行けそうなそんな素敵な空間だった。
 ――チョコレート……!
 記憶に浸っている中で現れた映像に、有紗ははたと気付いた。三月初めに受け取ったチョコレートについて、お礼を言えていない人が居る。
「あっ、そうだ。弥生くんに忠臣さん。ホワイトデーのチョコ、ありがとうございました! 美味しく頂きました!」
「気に入って頂けたなら何よりです」
 そう返す忠臣の向かいで、弥生は照れくさそうに笑っていた。
「あんまりああいうの選び慣れないからさ。気に入ってくれたなら、うん、よかった」
「美味しかったよー。ありがとね」
「お。おう」
 弥生の動きがぎくしゃくしている。そんなに照れることもないのにと思いながら有紗は弥生を見ていた。
 その隣で桂はやはりゆらゆらしながら、
「僕のチョコも美味しかったでしょ~?」
「うん。色んな紅茶の味のチョコですっごく美味しかったよ」
「でしょ~。美味しそうだったから、僕、自分の分も買っちゃったんだ~。美味しかったなぁ~」
 そう言いながら桂は満面の笑みだ。
「でも、あれだけ沢山貰ったら、食べるの大変だったでしょ~?」
「うん。一週間かかっちゃった」
「え。あの量、一週間で食べちゃったの?」
 急にきょとんとして、桂は手を止めた。真顔になられるよりはマシだが、目を丸くしている桂も中々見ない。
「速い……かなぁ」
「ううん。アリスちゃんの身体が大丈夫ならいいんだけど」
 桂にしては真剣に心配してくれているようだ。味わって食べていないと思われていなかったのは幸いだった。
 それよりも心配なのは、
「弥生、おかわり。コーヒーも」
「ほーい」
 と、一ホールを完食しても尚おかわりを求める忠臣の方だろう。流石に血糖値が心配だ。本人がまだ行けるというのでそれ以上の制止はしないが、胃袋が異次元に繋がっていない限り食べ過ぎは身体に悪いような気がするのは間違いではない筈だ。
「はい、アリス、お待たせ。ミックスベリーのタルト」
「わーい!」
 差し出された皿には苺、ブルーベリー、ラズベリーが載ったカスタードベースのタルトだ。やや遅れて、桂が紅茶を持ってきてくれた。
「ルフナのミルクティーだよ。丁度シーズンだし、ちょっと渋みがあるからミルクティーに丁度いいね~」
「ありがとう。頂きます!」
 今日はまず紅茶から。ほんの少しスモーキーな香りがして、味もほんのり渋みがあるが美味しい。ストレートで飲んでも美味しいことだろう。
 そして本命のタルト。フォークで切り取っている間に転げ落ちたブルーベリーを載せ直し、いざ一口目。カスタードの甘さとベリーの酸味が口の中で合わさってたまらない。フォークでつつくと載っているベリーが落ちてしまいがちなのが難点だが、春にぴったりのタルトだ。
「なあ、俺がいない間、どう、だった?」
 恐る恐る、といった風に弥生が尋ねてきた。そういうのは桂に聞けばいいのでは無いだろうかと思いながらも、有紗は口に入っているものをまず飲み込んでから、
「寂しかったけど、笑太くんとか真白くんがお手伝いしててちゃんとお店回ってたよ?」
「そっか。よかった」
「あとね、真白くんにアンブロシアの桜シフォンケーキ、ご馳走になったんだ」
「え。あの予約でしか焼いてくれない奴? 粋なことするなぁ、あいつも」
 褒めながらも何処か悔しさが滲む口調に、彼なりの見栄を感じた。
「特別なコトするのがいいことって訳じゃないから、気にすることないよ、弥生くん」
「あ……うん」
 弥生が諭されて頷く子供のように見えて、少しだけお姉さんの気分だ。
 そうこうしている間に皿を空にした大食らいが、ずい、と皿を差し出すのを見た。
「弥生、おかわり」
「そろそろ食べ過ぎじゃねぇの? 腹、大丈夫か?」
「今日は気が済むまで食う」
「そう……」
 弥生は言われるままにおかわりのタルトを皿に盛っている。彼のみならず有紗も忠臣の身を案じたが、今日はどうにも止まりそうにない。それで元気が出るのなら、と、有紗は何も言わずに自分のタルトを食べた。
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