有栖川茶房

タカツキユウト

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幕間『アンブロシア』

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 春休み、有紗は大学近くの商店街に足を踏み入れていた。
 有栖川茶房にケーキを提供しているというお店、アンブロシアがこの商店街にあると先日桂に聞いて、ずっと来たいと思っていた。
 商店街には学生御用達というお総菜屋さんやパン屋さんがあると話には聞いたことがあった。しかし、それらに無縁だった有紗は、入学してから丸一年、この商店街に近づきもしたことがなかった。
 ――そんな素敵なお店が在るなんて知ってたら、もっと早く来てたのに!
 アンブロシアの場所はわかっていないので、商店街を端から端まで歩く覚悟で今、その入り口に立っている。
 まず初めに本屋さん。そして、チェーンのコーヒーショップが目に入った。衣類のお店、整骨院。この通りには何でもあるように思うほど、様々な店が並んでいた。
 平日だが、それなりに人が多い。
 更に奥へと進んでいくと、一軒の教会があった。
「こんな所に教会……」
 縁の無い場所だが、その建物には魅力を感じる。信仰心も無いのに見入ってしまう。そんな不思議な力をその場所は持っているように思う。
 暫く建物を見上げていた後、また歩き始めると突然白いメルヘンチックな建物が現れた。おとぎ話の中にでも出てきそうな佇まいは、完全に周りから浮いている。両隣の建物が視界から消えれば、ここはたちまち別世界。まさかと思い看板を見ると、『ambrosia』とあった。
 ――ここだ。
 勇気を出してガラスの扉を押し開けると、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃいませ」
 ショーケースの向こう側にいた背の高い男性が、低い声で迎えてくれた。
 ――わっ、強面……っていうか、美人さん……。
 彼が恐らく弥生の言う強面の店主なのだろう。確かに一見すると強面だが、よく見れば端整な顔立ちをしているし、睫毛も長い。何処か日本人離れしたその造りは、美人と言っていい。
 ――でも、小さい子だったら泣いちゃうかも。
 店内はこぢんまりとしていて、ショーケースの中にはケーキとチョコレートが並んでいた。奥の方には焼き菓子、入り口近くには一組の椅子とテーブルが置かれている。そして先客が一人。見るからに間違いのない美人の男性で、これまた背が高い。その彼がこちらを見て、
「見ない顔だね。ここら辺の学生さん?」
 声をかけてきた。
 有紗はどぎまぎしながら、
「あの、有栖川茶房にこちらのケーキが使われてるって聞いて、それで今日はやってきました」
「有栖川茶房……? もしかして、君が〝アリス〟?」
「はいっ。七園有紗といいます」
「有紗ちゃんか。俺はル――」
 先客の男性が名乗りかけたところ、
「黙れ魔王。灰にするぞ」
 店主が驚くほど低い声で遮ってきた。
「いいじゃんか、明(あきら)。名乗るくらいさぁ」
「買わないなら帰ってくれないか」
「買う買う。いーっぱい買う!」
「じゃあさっさと買え」
 低い声に驚いて背筋をつい伸ばしてしまっていた有紗は、
「あの……王様、なんですか? もしかして、ダイヤのキングさん……?」
 気になったので訊いてしまった。
 すると彼は手と首を振って、
「あのトランプ達とは違う王様。ダイヤのキングは玲(あきら)って言って、コイツとは字が違うけど、まあ良くある名前だから。そんで我こそは魔界を統べる――」
「燃されたいか貴様」
「だーかーらー。自己紹介くらいさせてよ」
「許可しない」
「なんでだよー。俺の魅力をもっと伝えたっていいだろー? 名乗ったって害は無いって」
「許可しないと言ったらしない」
「なんでそう頑固なんだよ、明は」
 店主――明はどうしても彼に自己紹介をさせたくないようだ。理由はともかく、踏み込んでは行けない場所のような気がして、有紗はそれについて触れることはしなかった。
 向こう側でノンストップでやりとりをしているのを無視してショーケースを覗き込もうとしたところ、今度は、奥の方から駆けてくる足音が聞こえてきた。
「なんかアリスって聞こえたんだけど、アリスが来たの?」
 黒髪の青年が勢いよく奥の厨房から店内へと入ってきた。
 驚いて顔を上げた有紗と目が合うなり、
「君がアリス?」
「はい。有紗です」
「この間、デビルズフードケーキ食べてくれたって聞いてさ、美味しかった?」
「あ、はいっ! チョコレートがとっても濃厚ですっごく美味しかったです。もしかして、ショコラティエさん?」
「そうそうそう。俺は御影(みかげ)。で、コイツは店主でパティシエで明。そこの変なのはほっといて」
 名乗らせて貰えない美人は終ぞ変なの扱いされてしまった。それについて今度は御影と王様とが実りのないやりとりを始めてしまった。
 その間に、有紗はショーケースの中を眺める。
 ショートケーキは形こそ違うが有栖川茶房で出しているものと同じものだろうから悩む。他にチョコレートケーキ、フルーツタルト、ミルフィーユ、シュークリームにエクレアと惑わせてくる。その横に並んでいる粒のチョコレートもそれなりの値段がするが、捨てがたい。
 ――よしっ。
 意を決して、
「あの。注文いいですか?」
「どうぞ」
 明がこちらに向き直って薄く笑みを見せた。
「ショートケーキとミルフィーユください」
「はい。持ち歩き時間はどのくらいですか?」
「えっと、三十分くらいです」
「では、保冷剤付けておきますね」
 当然のことだが、王様への態度とはまるで違う様相で明は淡々と仕事をこなしていく。会計を済ませると、
「では、こちらで」
 あっという間にケーキを箱に詰めて有紗に見せてきた。大丈夫ですと頷くと、手早く蓋を閉めてビニールの手提げに入れてこちらに差し出した。
 ――なんか、凄く仕事できる人感半端ない。
 ケーキを受け取って後は帰るだけなのだが、なんとなく名残惜しく、用も無いのにショーケースをちらちらと見てしまう。
「何か」
 明に声を掛けられ、挙動不審になりながら、
「あっ、いえ。桂さんが暴走して偶に大変ですけど、弥生くんの力になってくれてありがとうございます。あの、これからも宜しくお願いします」
 口をついて出てきた言葉がこれだった。
 ――何言ってるんだろ……。
 保護者じゃあるまいし。
 落ち込んだ有紗の前で、明はやはり薄く笑って、
「そんなことお客さんが心配することじゃないですよ。でも、承知しました。それと、この店もご贔屓に」
「はいっ! また遊びに来ます!」
「またねー!」
 御影の声を背に受けて、有紗はガラスの扉を押して外へ出た。
 変だけど、楽しいお店だ。そして、ここも有栖川茶房と似た香りを感じる。
 浮かれてケーキを持った手をつい振り回しそうになるのをすんでの所で抑えて、家路につく。春休みの良い収穫になった。
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