絶望ダンデリオン

小林ていじ

文字の大きさ
17 / 69
第一章 闇に蠢くものたち

スロット

しおりを挟む
 黒のベストと蝶ネクタイを着用した男のディーラーが赤いボタンを押すと、丸いガラスケースの中で三個のサイコロがクルクルと素早くシャッフルされる。出た目は二、三、五。リリスの賭けていたチップは二倍になって戻ってきた。

 緑色のラシャに白の枠線が引かれ、その中に数字やサイコロの目が書かれている。それをリリスを含めて六人の客が取り囲んでいる。

「次はシングルストレートナンバーに賭けてみよう」

 彼女の隣に座る中国人の男が言った。

「それは?」
「一から六までのどれかに賭ける。三個のサイコロのうち一個でも数字が当たれば勝ち。複数増えれば配当が増える」

 リリスはさっき二倍になって十枚以上になったチップをすべて「四」の数字の上に置いた。

「いいね。素晴らしい賭け方だ」

 男は無精ひげの生えた口元を少し歪めて言った。名前は金雷。その日リリスが中華街のレストランで声をかけて口説いた男である。中国マフィアの経営するこの裏カジノに紹介を受けて潜入するためだった。

 他の客も各々チップを賭けていった。

「ノーモアベット」

 ディーラーはそう言ってから赤いボタンを押す。ガラスケースの中のサイコロがシャッフルされる。出た目は四、四、六。リリスの賭けていたチップは三倍になって戻ってきた。彼女はそれを透明のケースにしまってから席を立った。

 カジノ内をゆっくりと巡回し、間取りやゲームテーブルの配置など店内の構造を頭に叩き込んでいった。天井に吊るされたシャンデリアから放たれる黄金色の光の中に控えめな中国語の話し声と笑い声が溶け込んでいる。客は中国系が約七割、南米系などその他が約三割といったところだろうか。

 一列に並んだスロット台のいちばん左端の席に座った。そこから事務室のドアを見ることができた。張暁明もここに出入りしているはずである。

「スロットはやったことあるの?」

 金雷が隣に座って訊いた。リリスは心の中で舌打ちをした。彼にはこのカジノの紹介をもらいたかっただけなのでもう用済みだった。

「ううん、はじめて」

 それでもまだ可憐な女を演じて猫なで声で答えた。

「スロットはチップじゃなくて専用のメダルを使うんだ。両替してきてあげるよ」

 金雷はチップを何枚か受け取ってその場を離れた。リリスは事務室のドアに集中した。鼓膜からは周囲のざわめきが遠のいていく。

 ガチャリ。

 しばらくしてドアが開いた。黒のベストを着用したディーラーの男が姿を現した。その後に白のワイシャツに紺のネクタイを締めた長髪の男が続いた。

 ――あいつだ!

 張暁明を実際に目にするのははじめてだったが、すぐにわかった。周囲の空間が歪んで見えるほどの異様なオーラがあった。

 ディーラーとなにか話していた。リリスは想像の中で彼の背後からナイフで襲いかかる。その瞬間、彼はクルリと顔を振り向かせる。彼女はさっと顔を背けた。

「お待たせ」

 金雷がメダルの山積みになった透明のケースをもって戻ってきた。彼女の隣に座って遊び方を説明する。

「ここにメダルを投入してからこのレバーを叩くんだ」

 レバーを叩くと、スイカやチェリーなどの絵柄が描かれたリールがクルクルと回転する。リリスは三つのストップボタンをポン、ポン、ポンと適当に押していく。ケースの中のメダルは増えたり減ったりを繰り返しながらも着実に枚数を減らしていった。

 また事務室のほうへちらと目をやった。暁明とディーラーの姿はもう消えていた。金雷はなにか知っているだろうか。さりげなく訊いてみることにした。

「さっきすごく顔の怖い人がいたんだけど。ここは怖い人たちもよく来るの?」
「実はね、このカジノは中国マフィアの経営なんだ」
「そうなの?」
「でも、大丈夫。彼らは裏でいろいろ悪いこともやっているようだけど、僕ら堅気の人間に手を出すことはないから。イカサマとかをしない限りはね」
「ディーラーもみんなマフィアなの?」
「そう、末端の構成員だよ」
「幹部がここに来ることは?」
「もちろんあるよ。あそこの事務室に常にひとりは幹部が控えている。いちばん上のボスも最近はよく来るかな」
「いちばん上のボスってもしかしてさっき私が見た人かな。長髪で顔が怖い」
「そう、それだ。金曜の夜にいつも来てるよ」
「そうなんだ……」

 リリスは笑いがこぼれそうになる口元を手で覆い隠した。

「ちょっとトイレに行ってくるね」

 そう言って席を立った。

 トイレはカジノルームから伸びる短い通路に男子トイレ、女子トイレの順で並んでいた。女子トイレには個室が三つ並んでいた。誰も入っていない。奥の壁には曇りガラスの引違い窓が設けられている。

 洗面台の鏡に彼女の姿が映った。いつものロリータファッションではなく、水色のブラウス、青のカーディガン、スキニージーンズという少しおとなしめの服装。カジノに潜入するときは目立たない服装をするようにとラットからきつく言われていた。

 奥の窓を開くと、冷房の効いた室内に暖かな夜気が流れ込んでくる。すぐ目の前に、隣に建つ雑居ビルのレンガの壁が目の前にあった。窓から顔を出して見上げると、二棟のビルに挟まれた狭い空間に真っ暗な夜が覗いている。

 個室に入ってジーンズを履いたまま便座に腰かけた。カジノの全体図を頭に思い浮かべながら作戦を練った。女子トイレが短い通路の奥に位置しているというのが好都合だった。目の前の個室のドアにそっと触れた。

 ――ここに小型スピーカーを仕掛ければ……。

 リリスはククッと小さく笑った。なにも用を足していないが、レバーをまわして水を流してから個室を出た。

 トイレを出るとまっすぐにカジノの出口に向って歩いた。そのあとを金雷が追いかけてきた。

「待って。どこへ行くの?」
「帰る」
「チップとメダルがまだ残ってるよ」
「使っていいよ。プレゼント」

 彼はまだなにか言ってくるが、リリスはもうそれ以上構わずにカジノを出てエレベーターで一階に下りた。

 ビルの近くに停めてあるセダンの中でラットが待っていた。開いた窓からタバコの煙が吐き出される。そこに向って歩いていると、また後ろから金雷の声がした。

「待ってよ!」

 いいかげんそのしつこさにうんざりしてきた。

「連絡先くらい教えてよ」
「私、日本に来たばかりで携帯もなにももってないの」
「まだ名前すら教えてもらってない」
「ハナコ」
「ハナコ? それが本当に君の名前? 今度はいつ会える?」
「わからない。私のことは忘れて」
「そんな……」
「じゃ、彼氏が待ってるから」

 リリスはクルマの助手席に乗り込んで運転席に座るラットに言った。

「早く出して」

 ラットは車内の灰皿でタバコを消してからクルマを発進させた。

「えらくもてているようだな」
「別に……」
「で、どうだった?」
「いたよ、あの男」
「ほう」
「最近は金曜の夜にいつも来ているらしい。あの間抜けな中国人が教えてくれた」
「じゃあ、早速、次の金曜にでも実行するか?」
「そうだな。作戦はもうできている。うまくいけば、張暁明だけでなくその手下どももまとめて始末することができる」
「カジノごと爆破でもするつもりか?」
「そんなことはしない。ただ、ラット、あんたにも手伝ってもらいたいことがある」
「俺にできることなら」
「あのビルの配電盤を押さえて私の合図で停電させることはできるか?」
「配電盤を……?」

 車窓を外灯の光が素早く通り過ぎていく。赤信号で止まると、その光もラットの顔の上で停止した。しばらくの沈黙の後、オレンジ色に染まる彼の口が開いた。

「できるかどうか考えていたって仕方ないな。とにかくやってみるよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】 3巻からは戦争編になります。 戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。 ※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

処理中です...