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第一章 闇に蠢くものたち
もつカレー
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そのカトリック教会の内部はさまざまな言語の話し声であふれ返っていた。悦子がかろうじて聞き取ることができたのは中国語のみで、それ以外はどこの国の言語なのかさえもわからない。
中央の通路を挟んで左右に並んだ木製の長椅子に二十人くらいの男たちが座っている。その人種や肌の色はさまざまだったが、ひとつ共通していたのは、誰もが浮浪者風の薄汚れた服装で疲れきった表情をしているということだった。
真っ白な壁の中に埋め込まれた木の柱はドーム型の天井ではその形に沿って弧を描いている。聖母マリアなどが描かれたステンドグラスには青が多く用いられており、教会内部を少し青みを帯びた神秘的な光で満たしている。
カン、カン、カン!
金属の打ち鳴らされる音が響いた。男たちは一斉にその方向に顔を向けた。浩人がアルミの鍋をお玉で叩いていた。
「炊き出しが用意できたよー。今日はカレーだよー」
男たちは椅子から腰を上げてゾロゾロとそのあとについて教会を出ていく。
広がる静寂の中にブツブツと念仏でも唱えるかのような小さな声が聞こえた。ひとりの老婆が祭壇の白い壁に掲げられた十字架のキリスト像に向って両手を合わせて祈っていた。どうやらこの教会を訪れるすべての人が炊き出しを目当てにしているわけではなく、熱心なカトリック信者も交じってはいるようである。
悦子も教会の外に出ると、食欲をそそるカレーの匂いが鼻腔をついた。炊き出しの白い屋根のテントから長蛇の列が伸びている。ジャージ姿の白髪で細身の老人が皿にご飯をよそり、浩人がそれにカレーをかけている。浩人と話がしたかったのだが、この炊き出しが終わるまで待つしかなさそうだった。
教会の中に戻って長椅子に横になった。教会の中にカレーを持ち込んで食べる人も多いせいで、その匂いは室内にまで充満する。腹の虫がぐうっと鳴った。
空腹が頂点に達した頃に浩人のほうから悦子のところにやってきた。カレーの皿を長椅子の上に置いて言った。
「食べなよ。お腹空いてるんでしょ?」
悦子は自分が炊き出し目当ての浮浪者たちと同じレベルに堕ちてしまったかのような屈辱を覚えたが、食欲には抗えなかった。スプーンを掴んでカレーを口に運んだ。もつが入っており、その旨味がカレーのコクにさらなる深みを与えている。
「本当に教会で働いていたのね」
「嘘だと思ってた?」
「暴走族やヤクザをやっていたことのほうがもっと信じられないけど」
「別に好きでやってたわけじゃない。仲間を助けるために喧嘩ばかりしていたらいつのまにか総長に祭り上げられてた」
「そうだったわね」
浩人は悦子の前の長椅子に座り、背もたれに頬杖を突いて顔を半分だけ振り向かせる。悦子はカレーを食べながら訊いた。
「今日は神父は休み?」
「いるよ。おばさんもさっき見ただろ」
「どこで?」
「炊き出しで僕の隣でご飯をよそってた」
「ジャージのおじいちゃん?」
「そう」
「あの人が? ぜんぜん神父っぽくないわね。神父というよりむしろ……」
彼女はそこまで言いかけて浩人の睨むような視線に気付いて口を噤んだ。神父は浩人の親友である秋則に深い感銘を与えた人物である。その人を侮辱するような言葉は絶対に許さないとでも言いたげな視線だった。
「本当に素朴な感じのおじいちゃんよね」
悦子はそう言って誤魔化した。浩人は彼女から視線を外して自分の左手をじっと見つめた。その小指にはまだ包帯が巻かれていた。
「ごちそうさま」
彼女はカレーをきれいに完食してスプーンを置いた。
「で、話を聞かせてもらいたいんだけど」
「なんだっけ?」
「行方不明者はいないかという話」
この教会に炊き出しを目当てに多くの外国人浮浪者がやってくることは聞いていた。その中に行方不明になっている者がいないか調べてほしいと彼に頼んでいたのである。
「一応、神父にも訊いてみたけどよくわからないよ。ここには入れ代わり立ち代わりいろんな人がやってくる。来なくなった人は国に帰ったか、ここに来る必要がなくなったかだろうし、教会ではそこまで関知していない」
中央の通路を挟んで左右に並んだ木製の長椅子に二十人くらいの男たちが座っている。その人種や肌の色はさまざまだったが、ひとつ共通していたのは、誰もが浮浪者風の薄汚れた服装で疲れきった表情をしているということだった。
真っ白な壁の中に埋め込まれた木の柱はドーム型の天井ではその形に沿って弧を描いている。聖母マリアなどが描かれたステンドグラスには青が多く用いられており、教会内部を少し青みを帯びた神秘的な光で満たしている。
カン、カン、カン!
金属の打ち鳴らされる音が響いた。男たちは一斉にその方向に顔を向けた。浩人がアルミの鍋をお玉で叩いていた。
「炊き出しが用意できたよー。今日はカレーだよー」
男たちは椅子から腰を上げてゾロゾロとそのあとについて教会を出ていく。
広がる静寂の中にブツブツと念仏でも唱えるかのような小さな声が聞こえた。ひとりの老婆が祭壇の白い壁に掲げられた十字架のキリスト像に向って両手を合わせて祈っていた。どうやらこの教会を訪れるすべての人が炊き出しを目当てにしているわけではなく、熱心なカトリック信者も交じってはいるようである。
悦子も教会の外に出ると、食欲をそそるカレーの匂いが鼻腔をついた。炊き出しの白い屋根のテントから長蛇の列が伸びている。ジャージ姿の白髪で細身の老人が皿にご飯をよそり、浩人がそれにカレーをかけている。浩人と話がしたかったのだが、この炊き出しが終わるまで待つしかなさそうだった。
教会の中に戻って長椅子に横になった。教会の中にカレーを持ち込んで食べる人も多いせいで、その匂いは室内にまで充満する。腹の虫がぐうっと鳴った。
空腹が頂点に達した頃に浩人のほうから悦子のところにやってきた。カレーの皿を長椅子の上に置いて言った。
「食べなよ。お腹空いてるんでしょ?」
悦子は自分が炊き出し目当ての浮浪者たちと同じレベルに堕ちてしまったかのような屈辱を覚えたが、食欲には抗えなかった。スプーンを掴んでカレーを口に運んだ。もつが入っており、その旨味がカレーのコクにさらなる深みを与えている。
「本当に教会で働いていたのね」
「嘘だと思ってた?」
「暴走族やヤクザをやっていたことのほうがもっと信じられないけど」
「別に好きでやってたわけじゃない。仲間を助けるために喧嘩ばかりしていたらいつのまにか総長に祭り上げられてた」
「そうだったわね」
浩人は悦子の前の長椅子に座り、背もたれに頬杖を突いて顔を半分だけ振り向かせる。悦子はカレーを食べながら訊いた。
「今日は神父は休み?」
「いるよ。おばさんもさっき見ただろ」
「どこで?」
「炊き出しで僕の隣でご飯をよそってた」
「ジャージのおじいちゃん?」
「そう」
「あの人が? ぜんぜん神父っぽくないわね。神父というよりむしろ……」
彼女はそこまで言いかけて浩人の睨むような視線に気付いて口を噤んだ。神父は浩人の親友である秋則に深い感銘を与えた人物である。その人を侮辱するような言葉は絶対に許さないとでも言いたげな視線だった。
「本当に素朴な感じのおじいちゃんよね」
悦子はそう言って誤魔化した。浩人は彼女から視線を外して自分の左手をじっと見つめた。その小指にはまだ包帯が巻かれていた。
「ごちそうさま」
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「で、話を聞かせてもらいたいんだけど」
「なんだっけ?」
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