絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第ニ章 俺たちの夢

結果発表

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 薄暗い部屋の白い壁に一枚のポスターが貼られている。写されているのはアメリカの四人組のロックバンド、ブルートである。いちばん手前にいる黒いTシャツの筋肉質の男は赤いエレキギターを構え、睨むような視線を前に向けている。

 ドアの開く音とともにそこにスッと縦に細長い光が差した。健吾がその日の清掃員のバイトを終えて帰ってきたのである。

 ベッドだけで部屋のほぼ半分を占めてしまう狭いワンルーム。冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、木製の机の上に置かれたノートパソコンを開いた。そしてバンドコンテストのサイトにアクセスする。エントリーしているすべてのバンドの曲を動画で視聴し、一人一票好きなバンドに投票できるようになっている。

 缶ビールのプルタブを引いて一口飲んだ。それから指先でモニターに触れ、投票の途中経過のページを開く。毎日更新されるので毎日欠かさずチェックしているのだが、この瞬間はいつも緊張する。

 投票獲得ランキング一位は健吾たちのバンド、ダンデリオンだった。健吾は小さくガッツポーズをとり、ビールをもう一口飲んだ。投票獲得数は千二百六十三票。二位のバンドのゴリラロアと約二百票の差をつけていた。前日まではゴリラロアと僅差で競っていたのだが、ここで少し差をつける形になった。

 ゴリラロアは男四人組のハードロックバンドである。プロフィールによるとヴォーカルはニューヨーク生まれのニューヨーク育ちらしく、歌詞はすべて英語。その獣の雄叫びのような直線的で野性味のある歌声は健吾と洋平の憧れのバンドであるブルートのヴォーカル、コリン・フォスターを彷彿とさせた。

 もし健吾が投票をする立場だったら、ダンデリオンとゴリラロアのどちらに票を入れるか迷うところだろう。二組の音楽のレベルはほぼ互角といってよかった。ここで投票獲得数に差が出てきたのは沙耶のルックスに依るところが大きいのだろうか。

 しかし、まだまだ油断はできない。投票の締め切りまでまだ十日もある。それまでにまたどんな逆転があるかわからない。

 缶ビールを飲み干し、ノートパソコンを閉じてからベッドに横になった。胸の奥からじわりと込み上げてくる思いがあった。

 ――勝ちたい……。

 誰かが言っていた。音楽に勝ち負けはない、と。世間的にはまったく評価されなくても、たとえひとりでも誰かの胸に響かせることができたならその音楽は存在する価値がある。たしかにそのとおりだと思う。しかし、大好きな音楽でメシを食べ、より多くの人々に自分たちの音楽を聴いてもらえるようになるにはここで勝たなくてはならないのだ。

 床に転がっていた二本のドラムスティックを拾い、ベッドに横になったまま両手に構えた。白い天井をスクリーンにしてダンデリオンの演奏に熱狂する何万もの観客を思い描く。興奮で体の芯からブルブルと身震いする。

 ドラムスティックを下ろした。それと同時に観客もスッと煙のように消える。その後ろから現れたのはなんの変哲もない安アパートの天井。一匹の羽虫がコツコツと何度も蛍光灯に体当たりを繰り返していた。

 その後、日を追うごとにダンデリオンとゴリラロアの獲得投票数は差が開いていった。そして、コンテストの結果は投票の締め切りを待たずして健吾に知らされることになった。

 その日も健吾は清掃員のバイトが入っていた。

 地下鉄の駅の男子トイレの個室。健吾は青のつなぎの作業服を着てタイルの床に腰を下ろし、柄付きブラシで便器をゴシゴシと磨いていた。そこに差す人影で個室の入り口に誰か立っているのに気付いた。バイトの先輩の山下だった。

 個室の仕切り板に片腕をもたせかけ、なにも言わずに健吾をじっと見下ろしている。

「……なんですか?」
「ゴミ箱の袋の交換は?」
「なにもゴミが入ってなかったのでやってませんけど」

 健吾がそう言うと、山下はタバコの空き箱をポイと投げて寄越す。

「これが入ってた。ちゃんと見ろよ」

 彼はそう言ってその場をあとにする。

 どうせまたすぐに別のゴミが入れられるのにタバコの空き箱をひとつ見落とすくらいいったいなんの問題があるのか……。健吾は軽い苛立ちを覚えたが、ふうっとため息をついて気を取り直し、便器に向きなおった。

 しばらくして左手首に巻いていた携帯電話が振動して着信を知らせた。東京〇三から始まる知らない固定電話の番号。トイレ内に山下の姿がないことを確認してから個室のドアを閉めて着信に応答した。

「坂下健吾さんの携帯電話でよろしいですか?」

 聞こえてきたのは男の声。

「え? あ、はい」
「私、オズ・エンタテイメントの宮崎と申します」
「オズ……?」

 バンドのコンテストを主催しているレコード会社の名前である。

「今、少しお時間よろしいですか?」
「はい」
「弊社のコンテストにエントリーしていただいていますが、その件について銀座の本社で一度お話しできればと思うのですが」
「……え、どういうことですか? まだ結果は出てませんよね?」
「二位以下との差があそこまでついていればもうダンデリオンの優勝で間違いありませんよ。弊社でもすでにその方向で動いています」
「ま、まじスか……」

 銀座の本社を訪問する日時については他のメンバー二人と相談してから健吾のほうから改めて連絡するということで通話を終えた。

 健吾は放心状態でその場に力なく座り込んだ。

「嘘だろ……」

 思わず独り言がこぼれる。まるで白昼夢のようにさっきの電話でのやり取りに現実味が感じられなかった。が、それが現実のこととして徐々に心に浸透していくにつれて目頭が熱くなっていく。涙が零れそうになる寸前で自分がまだバイト中であることに気付いた。

 ――ダメだ。泣くな……。

 流れる感情を堰き止めて淡々と仕事をこなすことにした。洗わなければならない便器はまだひとつ残されている。清掃用具の入ったバケツをもって隣の個室に移った。そして便器に洗剤をかけて柄付きブラシでゴシゴシと擦る。

 男子トイレを出て入り口に立てかけていた清掃中の黄色い看板を回収した。目の前に広がるのは駅構内の雑踏。その隙間から覗く壁の大型スクリーンでは人気女優を起用したシャンプーのコマーシャルが流されている。

 いつもの見慣れた光景。そこへふいに洋平が姿を現した。彼もまた青いつなぎの作業服を着ている。床を磨くポリッシャーのハンドルを握ったまま言った。

「おう、健吾」
「洋平……」

 泣くつもりなんてなかった。が、洋平の顔を見た瞬間にフッと気が緩み、目から涙が零れ落ちていた。そこからは歯止めがきかなかった。洋平の肩に手を置き、周囲の人目も憚らずにむせび泣いていた。
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