絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第三章 追う者と追われる者

モンスター

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 暗闇の中でいくつもの光の玉が横一列に並び、ブンブンと煽るようなバイクのマフラー音がいくつも重なるようにして響いていた。浩人と秋則の二人は敵対する暴走族のチームに完全包囲されていた。ざっと見たところ、相手は五十人以上いるようだ。

「どうする?」

 浩人と背中合わせに立っている秋則が訊いた。

「やるしかないだろ」
「そうだな」

 相手集団が四方から一斉に襲いかかってきた。二人は拳を構えた。

「行くぞ!」
「ああ!」

 そこで浩人は夢から覚めた。一瞬目を開きかけるが、すぐに閉じた。なにも物音は聞こえてこないが、ストレッチャーに乗せられてどこかに運ばれているような感覚があった。

 近藤がビールに睡眠薬を盛ってくるであろうことは予想していた。だから焼肉屋のトイレに入ったときに眠気覚ましの薬を大量に飲んでおいた。それが睡眠薬の効果をどこまで打ち消してくれるのかはわからなかったが、とりあえず自分の体になにかおかしなことをされる前に効果を発揮してくれたようである。

 ピピッという電子音のあとにウィンと扉の開く音が聞こえた。通路から部屋に入れられたようで、そこで移動が止まる。二人の男の会話が聞こえてきた。

「こいつ、左手の小指が欠けているぞ」
「ということは、近藤のところにいたヤクザかな」
「おそらく」
「自分の部下だった人間を売っちまうとはあいつもやることがえげつないな」
「まあ、俺たちには関係のないことだがな」

 少しの沈黙。カチャカチャと金具の触れ合うような音。

「麻酔を打とう」

 浩人はそこで目を開けた。すぐ目の前に男の顔があった。その目がぎょっと丸くなる。白衣を着ており、手には注射器を握っていた。

「こいつ起きて……」

 言い終わる前にその顔面に浩人の拳が叩き込まれた。顔面中央がべこりと陥没し、壁まで吹き飛ぶ。ドスンと尻餅をつき、頭が前にガクリと倒れた。顔からポタポタと零れる血で白衣が赤く染まっていった。

「わ、わ……」

 もうひとりの男は浩人に背を向けて一目散に逃げていく。

 浩人の足元に注射器が落ちていた。それを拾ってダーツのようにヒュッと投げた。男の尻にプスリと突き刺さる。

「ぎゃッ!」

 男は小さく悲鳴を上げて飛び上がる。

 その隙に一気に距離を詰めた。男の背後まで迫ったところで跳躍する。男の顔が振り向いた。そこへ拳を振り下ろした。

 男の頭部がグシャリと床に叩きつけられた。そこから血が光沢を放つグレイの床の上にじわりと広がっていく。

「ふう……」

 浩人はその頭に片足を乗せて室内を見渡した。天井の半分ほどを占めて取り付けられた照明が体育館のように広い室内を昼間の屋外のように明るく照らしている。その左右両側に半筒状のガラスに覆われたカプセル型のマシンが何台も並んでいた。

 そのうちのひとつに近づいた。天井の照明を映し込むガラスの内側で全裸の男が横たわっていた。アスリートのように全身の筋肉がほどよく引き締められており、鼻の穴や両腕など体のいくつかの場所をチューブで繋がれている。肌ツヤなどから察するに年齢はおそらく二十代前半くらい。ここに並ぶすべてのカプセルに男がひとりずつ収容されているようだった。

 浩人は自分のトランクスの中に手を突っ込んだ。そこに携帯電話を隠していた。ビデオ通話で悦子にかけた。

「もしもし」

 悦子が応答し、ホログラムの画面にすっぴんの彼女の顔が表示される。右上の小さなサブ画面には浩人の顔が表示された。

「おばさん、今からこのビデオ通話を録画して」
「え、どうして?」
「いいから早く」
「わかった。……いいわよ」
「これを見て」

 浩人はカメラの向きを変えてカプセルを映す。

「……なによ、これ? 浩人君、あなた今どこにいるの?」
「よくわかんないけど……、たぶん警察の施設のどこかだと思うよ」
「どうしてそんなところに?」
「近藤に盛られた睡眠薬をわざと飲んだ。事前に大量の眠気覚ましの薬を飲んでからね。で、目が覚めたらこの施設にいた」
「なにやってるの! なんで私になんの相談もなくそんな無茶なことしてるのよ!」
「相談しなかったのは悪かったよ。僕は頭が悪いからあいつらのやっていることの決定的な証拠を掴むにはこれしか方法が思いつかなかったんだ」
「だからって……」
「おばさんの推理どおり、近藤は若者を次々と拉致して警察に売り飛ばしていた。警察は彼らに洗脳と肉体改造を施して特殊治安部隊にする。そしてマフィアを襲撃させ、手に入った使えそうな人間の体に洗脳と肉体改造を施すということを繰り返していた」

 浩人は並んでいるカプセルをひとつずつカメラで捉えながら奥へ進んでいく。収容されている男たちは肌の色に多少の違いはあれど年齢は総じて若い。高校生くらいに見える者もいた。

「なぜ自分たち警察の人間に改造を施さなかったのか。改造を施された人間は長く生きられないから。なぜ若者ばかりターゲットにされたのか。若い体でなければ改造に耐えられないから。これもおそらくおばさんの推理どおりだろうね」
「浩人君、あなたは無事なの?」
「僕は大丈夫。それよりちゃんと録画はしてる?」
「ええ、もちろん」
「ちゃんと録画してくれてないと僕のやっていることが無駄になってしまうから」
「……うん」
「それともうひとつ」
「なに?」
「ここからはもう録画しなくていいよ。あのさ、僕、最初はおばさんのことが嫌いだった。他人を貶すような記事ばかりを書く最低のライターだと思ったから。でも、いっしょに行動をするうちにそれだけの人じゃないということがわかった。意外と勇気あるし、それにおばさんの協力がなければここまで辿りつけなかった。僕、おばさんに会えてよかったよ」
「浩人君……」
「あとは頼んだよ」

 我ながらいったいなにを話しているのだろうかと思った。まるで自分に間もなく死が訪れることを悟って遺言を残しているかのようである。しかし、こんなところで死ぬつもりなんてさらさらなかった。まだやるべきことは残されている。秋則を見つけ出していっしょにここから脱出しなければならないのだ。

「それじゃ……」

 そう言って通話を終了しようとしたときだった。

 ズダン!

 一発の銃弾に手にしていた携帯電話を弾き飛ばされた。少し離れたところに額のM字に禿げた警官が浩人に銃口を向けて立っていた。

「まったくどういうことだ。あの使えぬ豚め……」

 苛立たしげにぶつくさと文句を言いながら浩人に近づいてくる。

 浩人は床に落ちた携帯電話を拾おうとする。が、そこにまた銃弾が撃ち込まれ、携帯電話は床の上を回転しながら遠くへ飛んでいった。回収することを諦め、カプセルの陰に隠れるようにしながら逃げた。

 やがて部屋のいちばん奥に突き当たった。そこにスライドドアがあるが、手動では開かない。ドンと強く体当たりをしたがビクともしなかった。

 カツ、カツ、カツ……。

 足音が背後まで近づいてきた。振り向いた。警官がいた。しかし、彼は浩人に向けていた拳銃を下ろして言う。

「安心しろ。おまえを殺すつもりはない」
「……え?」

 警官の後ろからひとりの男がゆっくりと近づいてきた。上下ともに黒のジャージを着ており、中東系の彫りの深い顔立ちをしている。警官はその男の肩をポンと叩き、

「いいか。くれぐれも殺すなよ」

 そう言って立ち去っていった。浩人とジャージの男の二人がそこに残された。

「おまえが僕の相手になるというわけ?」

 浩人は拳を構えた。が、男は両手をだらんと垂らしてただ突っ立っているだけで、顔はまるで寝起きのようにぼんやりとしている。カプセルで寝ている男たちと同じように彼にもすでに洗脳と肉体改造が施されているのだろうか。

「来ないのならこっちから行くぜ」

 浩人は一歩前に踏み出してパンチを放った。男の顔面が弾ける。鼻血がすうっと垂れた。

 彼はそれを手で拭ってその赤い色をじっと見つめる。それを見てようやく戦闘モードに入ったのか、男は拳を前に構えた。しかし、今まで一度も喧嘩や格闘技の経験などないであろうことの一目でわかる素人丸出しの構え方だった。

 男は大振りのパンチを打つ。浩人はそれをかいくぐってアッパーカットを打った。男の顎が跳ね上がる。顔を正面に戻すとまたすぐに打ち返してくるが、それも空を切った。

 その後も流れは変わらなかった。ヒットするのは浩人の攻撃のみ。しかし、男は浩人の強烈なパンチを何発もまともに浴びながらさほど効いている様子がない。耐久力だけは並外れているようである。

 男がストレートパンチを打ってくる。浩人は体を少し後ろに反らせ、クロスカウンターで相手の顎に渾身の一撃を見舞った。

 ようやく効いてきたのか、男は膝を落として顔をうつむけた。浩人はバックステップで距離をとって様子を見た。しばらくして男のあげた顔にゾッと寒気が走った。

 顎の関節が完全に外れて斜め下にずれており、そこから舌がダラリとだらしなく伸びていた。が、そんな状態にも関わらず、彼は少しも痛がる様子もなく、平然と拳を構えて浩人に向かってこようとする。

 彼らはタフに作られているだけではない。戦いにおいて邪魔となる痛覚や恐怖心なども取り除かれているのだろう。彼の動きを止めるためには息の根を完全に止めるしか方法はないのかもしれない。

 ――こんな奴、相手にしてられるか……。

 浩人は室内をグルリと見渡した。天井に近いところに人ひとりがかろうじて通ることのできそうな長方形の通気口が見えた。

 男に背を向けて駆け、壁に取り付けられた計器を踏み台にして跳躍した。そしてそこに向かって手を伸ばした。が、その通気口の網に指がかかった瞬間、足首を掴まれて床に思い切り叩きつけられた。

 クルマに撥ねられたのかのような凄まじい衝撃。かろうじて意識を保ちながら上半身を起こした。男が目の前で仁王立ちして浩人を見下ろしていた。

「……ああ、わかったよ」

 どうやら彼を倒さない限り先に進むことはできないようである。とはいえ、個人的になんの恨みもない相手の命を絶つことは気が引けた。

 男がパンチを打ってくる。浩人は腰を屈めてそれをかいくぐる。繰り返される同じような流れ。しかし、浩人はそこからパンチを打つのではなく、相手の腰にタックルし、そこからグルリと背面にまわった。そして相手の首に両腕をまわし、ナイフで切り裂くように首にかけた腕を横に引きながら締め上げた。

「ぐうう……」

 男は苦しげな声を漏らしながら両膝をガクリと落とした。どんなにタフであろうと関係なく、頚動脈を絞めて脳への血流を止めれば意識は絶たれるはずである。

 男はその状態から高く跳躍した。天井近くまで飛んだところで浩人のしがみついている背中を下にして落下した。

「ぐッ!」

 硬い床と男の体に挟まれた。心臓が破裂したのではないかと思えるほどの圧迫感。しかし、浩人はそれでも男の首から両腕を離さない。

 男は立ち上がると、次に壁に向かって走り、背中からぶつかっていった。浩人の後頭部が壁に強打されて脳が揺れた。

 ――大丈夫か、浩人……。

 遠のいていく意識の片隅で秋則の後ろ姿が見えた。背中に「天上天下唯我独尊」と刺繍された黒の特攻服を着ている。顔をゆっくりと振り向かせた。両目にかかる長い前髪。獲物を狙う狼のような鋭さの中にわずかに哀愁を滲ませた瞳……。

「があああッ!」

 その幻影が男の雄叫びによってかき消された。仰向けになった浩人の体に男が馬乗りになっていた。関節の外れた顎から舌が垂れ、その先から涎が長く伸びている。その姿は昔観たB級ゾンビ映画に登場するゾンビそのものだった。

 ――畜生、畜生……。

 しかし、それを見て浩人に湧いてきた感情は恐怖よりも悔しさだった。秋則もこんな醜い化け物に改造させられてしまったのだろうか。

 男は左手で浩人の胸倉を掴み、右腕を大きく振り上げた。

「畜生―――ッ!」

 そして薄く涙の滲んだ浩人の顔面に男の情け容赦のない一撃が振り下ろされた。
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