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第三章 追う者と追われる者
VR
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近藤が鉄のドアを押し開けて組事務所に入ると、室内にいた五人の男たちが一斉に腰を上げ、深々と頭を下げて挨拶した。
「おざっす!」
彼はそれになにも返さずに奥の階段に向かって歩いていく。その途中、大理石のテーブルを囲むソファセットにいた角刈りの男が言った。
「親分宛ての荷物が届きましたので二階の部屋に置いてあります」
「おう、そうか」
階段で二階に上がっていちばん奥の部屋に入った。入り口で靴を脱いで上がる畳敷きの六畳間。その中央に小さな段ボール箱が置かれていた。ガムテープを破って開けると、中に入っていたのは彼の注文した黒のVRスーツである。興奮で胸を高鳴らせながら頭からVRスーツを被った。目元だけが露出し、そこにヘッドマウントディスプレイを装着した。
ゲームショップで体験版をプレイしたデートゲームはすでにダウンロードしてあった。デート相手の女の子の名前や容姿、性格などは自由にカスタマイズできるのだが、それも済ませていた。高校時代にずっと片思いしていた遠田鈴子に限りなく似せた女の子を作り上げていた。
ゲームが始まると、視界が暗闇に包まれる。じわじわと温度が上がっていき、真夏のように暑くなる。どこか遠くのほうで油蝉の鳴き声が聞こえた。暗闇の中にふいに光が差し、その眩しさに目を細めた。光に目を慣らしながらゆっくりと目を開けていくと、どこかの地方都市の街中の景色が目の前にあった。
四車線の道路の両側に商業ビルが建ち並び、頭上では街路樹の青々とした緑が風に吹かれてさわさわと揺れている。空高くにある太陽の日差しは強く、アスファルトの道路には黒のペンキで塗り潰したかのような街路樹の濃い影が刻印されている。
石畳の歩道を歩いていくと、しばらくしてふいに視界が閉ざされた。目元を覆う柔らかな感触。背後で女の声がした。
「だーれだ?」
「誰だろう。ぜんぜんわかんないよ」
近藤はわざと惚けてみせた。
「ヒントは学校でいちばんかわいい女の子だよ」
「鈴子ちゃんかな」
「正解!」
目元から彼女の指先が離される。振り返ると、カラフルな花柄のワンピースを着た鈴子がそこに立っていた。
「お、おお……」
近藤は感動に打ち震えた。ふっくらとした唇や左頬の小さなほくろなど高校生当時の彼女の容姿がリアルに再現されている。そしてその彼女が今目の前で太陽にも負けないくらいの眩しい笑顔を彼に向けている。
「拓ちゃんとこんなところで会うなんてすごい奇遇だね。どこ行くの?」
「あ、えっと、ちょっとデパートに買い物を……」
「私もだよ。帽子を買いに行くの」
「じゃ、いっしょに行く?」
「うん!」
拍子抜けするほどあまりにも簡単に話が決まった。ゴキブリを見るかのような冷たい視線しか近藤に向けることのなかった現実の鈴子とはまったくの大違いである。
しかし、浩人のように生まれつき容姿の整った人間はこのVRゲームのように向こうから勝手に女が寄ってくる現実の中を生きてきたのだろう。イケメンとブサイクの残酷なまでの生きる世界の違い。しかし、その浩人はもう……。
「ククッ」
思わず笑みがこぼれた。それを見て鈴子が訊いた。
「なんで笑ってるの?」
「いや、鈴子ちゃんと会えたのが嬉しくて」
肩を並べて歩道を歩いた。近藤は鈴子と手を繋ごうとするが、彼女はさっと手を引っ込めて険しい表情で言う。
「あのね、勘違いしないでよね。いっしょにデパートに買い物に行くだけなんだからね」
「あ、ごめん……」
体験版ではすぐに手を繋ぐことができた。が、この製品版ではそこまでいくのにある程度仲良し度を上げなくてはならないのだろう。
彼女の胸にちらと目を向けた。現実の鈴子のバストはさほど大きくなかったが、このゲーム内の鈴子のバストは九十センチに設定していた。一歩歩くごとに彼女の豊満な乳房がぷるるんとゼリーのように揺れた。
その谷間に顔を埋めたかった。そのような行為をするためには仲良し度をどのくらい上げる必要があるのか……。
――いや、待てよ……。
近藤はそこで気が付いた。このVR世界はとてつもなくリアルに作られてはいるが、所詮ゲームである。ゲームの中ならばなにをしても許される。己の欲望のまま、本能のままに動いてもなんら罪に問われることはないのだ。
「鈴子―――ッ!」
彼女に抱きつこうとした。
「きゃッ!」
しかし、彼女の体に触れる直前、顔面に稲妻が直撃したかのような衝撃が走った。一瞬意識が飛び、地面にストンと尻餅をついた。
「なにするの! そういうことするなら私もう帰るよ!」
近藤の着ているVRスーツは触覚や温度をリアルに体感できるようになっている。女の子に平手打ちされた痛みまでリアルに味わえるということなのだろうか。いや、しかし、これはそんなレベルの痛みではなかった。まるでプロボクサーから渾身のストレートを食らったかのような強烈な痛みだった。
口内に血の味が広がっていく。舌の上には小さくて硬いものが転がっていた。自分の折れた奥歯だった。
――なんだ、これは? いったいどうなっているんだ……?
VR世界で歯が折れたのではない。現実の自分の歯が折れているのだ。目の前の鈴子が得体の知れない魔物のように恐ろしい存在に思えてきた。
「ごめん。ちょっと強く叩きすぎたかな」
彼女はそう言って手を差し出す。が、近藤は尻餅をついたまま後ずさった。
「く、来るな! あっち行け!」
「拓ちゃん、どうしたの? ちょっとおかしいよ」
鈴子が近づいてくる。
「来るな―――ッ!」
腹部をズシン! と踏みつけられた。
「ふおお……」
苦しい。息ができない。横隔膜がビリビリと痙攣する。腹部の筋肉が収縮し、全身の血の気が引くような地獄の苦しみがじわじわと広がっていく。
「もうこっちの世界に戻ってこいよ」
頭上から声がした。しかし、それは鈴子の声ではなかった。男の声である。しかも聞き覚えのある……。
頭から被っていたヘッドマウントディスプレイが弾かれるようにして外された。白いスニーカーを履いた足元が見えた。そこからゆっくりと視線を上げていった。その顔を確認し、恐怖で全身がわなわなと震えた。
「よう」
浩人だった。冷たい目で近藤を見下ろしていた。
「な、なんでてめえがここに……」
「鈴子ちゃんじゃなくて悪かったな」
「黙れ! ぶっ殺すぞ!」
近藤は立ち上がって浩人に殴りかかる。が、いとも容易くかわされて顔面にカウンターのパンチをもらう。
近藤はVRスーツを頭部だけ脱ぎ、階下にいるはずの子分の名前を大声で叫んだ。
「大島―――ッ!」
「無駄だよ。あんたの子分たちはしばらくは起き上がってこれないだろうよ」
「くッ……」
浩人は化け物のように喧嘩が強い。なにも道具を持たず素手の殴り合いで勝てるわけがなかった。説き伏せるしかなかった。
「ちょっと待て。おまえはなにか誤解してるぞ」
「なにをどう誤解してるっていうの? 僕はあの施設の中ですべて見てきたんだよ。おまえに売り飛ばされて醜い化け物にされた秋則の姿もね」
「だから違うんだ! あれは警察に脅されて仕方なく……」
そこで浩人の表情が凍りついた。
「……やっぱりそうか」
「え?」
「やっぱりおまえは秋則を警察に売り飛ばしていたのか」
――しまった……!
浩人はあの施設で秋則を見つけてなどいない。カマをかけられたのだ。
「いや、違う! だから……」
「ヤクザはこういうときどうやって詫びを入れるんだっけ?」
「……は?」
「指を詰めるんだよね」
「てめえ、親に向かってなに言ってやがんだ」
「この期に及んでまだ親気取りかよ、この豚野郎」
浩人はジーンズの後ろのポケットからサバイバルナイフを取り出し、黒い革の鞘から刀身を抜き取って近藤の前に投げた。
「ほら、やれよ。僕にやらせたように。道具は貸してやるから」
近藤はそれを拾い、その尖った切っ先をじっと眺めた。そして思った。
――こいつはバカなのか……?
相手にナイフを与え、そして自分は素手で、それでもまだ喧嘩に勝てるつもりなのか。それとも、なにか策でもあるのか……。いや、おそらくただのバカなのだろう。所詮は高卒の暴走族上がり。ただ感情に任せて動いているだけでそこまで頭がまわっていないのだ。
「早くやれよ」
「死ねや、竜崎!」
浩人に向かってナイフを振りかざした。
ズダン!
銃声が響いた。
「うう、くッ……」
畳の上にポタポタと血が零れる。近藤はガクリと膝から崩れ落ちた。左の太股を拳銃で撃ち抜かれていた。
浩人は硝煙の立ちのぼる拳銃を近藤に向けたまま言う。
「おまえのようなゲス野郎のやることなんて読めてるんだよ。またおかしな真似をしたらもう一発ぶち込むからな」
近藤は浩人の言うことに従うしかなかった。畳の上に左手の小指を一本だけ伸ばし、そこにナイフの刃を近づけた。
しかし、そこで逡巡が生じた。指を詰めたら浩人は怒りを収めてくれるだろうか。いや、そんなわけがない。ならば、指を詰めるだけ損ではないか……。
「早くやれって」
浩人は近藤が自分の左手の小指にあてがっているナイフの背をスニーカーで踏みつけた。まるでソーセージでも切るかのように小指が第一関節からスパッと鮮やかに切断される。
「ぎゃ―――ッ!」
「うるさいんだよ、たかが小指くらいで。それでもヤクザの親分か」
「こ、これで気が済んだか?」
「済むわけないだろ」
浩人はナイフを拾い、それを近藤の頭の横にもっていく。耳に触れる冷たくて硬い感触。そしてヒリリとしみるような痛み。
近藤は恐怖と絶望に打ちひしがれた。浩人が小指くらいで許してくれるわけがなかった。かと言って、どうやら簡単に殺すつもりもないようである。
「秋則だけじゃないよね。おまえは自分の私利私欲のためにいったい何人の罪のない若者を警察に売り飛ばしてきたんだろうね」
ナイフを握る手が近藤の顔の前に持ってこられた。その親指と人差し指の間に小さな肉片が挟まれていた。近藤の耳だった。
それから約一時間後……。
嵐の過ぎ去ったあとのように静かな室内に近藤の体が横たえられていた。頭髪などからかろうじて人間の頭部とわかる部分にヘッドマウントディスプレイが被せられている。そのヘッドホンから女の声が漏れ聞こえてきた。
「ねえ、拓ちゃん、起きてよ。いつまでこんなところで寝てるのよ」
VR世界の鈴子からの呼びかけ。しかし、ただの血まみれの肉塊と化した近藤がそれに応じることは決してなかった。
「おざっす!」
彼はそれになにも返さずに奥の階段に向かって歩いていく。その途中、大理石のテーブルを囲むソファセットにいた角刈りの男が言った。
「親分宛ての荷物が届きましたので二階の部屋に置いてあります」
「おう、そうか」
階段で二階に上がっていちばん奥の部屋に入った。入り口で靴を脱いで上がる畳敷きの六畳間。その中央に小さな段ボール箱が置かれていた。ガムテープを破って開けると、中に入っていたのは彼の注文した黒のVRスーツである。興奮で胸を高鳴らせながら頭からVRスーツを被った。目元だけが露出し、そこにヘッドマウントディスプレイを装着した。
ゲームショップで体験版をプレイしたデートゲームはすでにダウンロードしてあった。デート相手の女の子の名前や容姿、性格などは自由にカスタマイズできるのだが、それも済ませていた。高校時代にずっと片思いしていた遠田鈴子に限りなく似せた女の子を作り上げていた。
ゲームが始まると、視界が暗闇に包まれる。じわじわと温度が上がっていき、真夏のように暑くなる。どこか遠くのほうで油蝉の鳴き声が聞こえた。暗闇の中にふいに光が差し、その眩しさに目を細めた。光に目を慣らしながらゆっくりと目を開けていくと、どこかの地方都市の街中の景色が目の前にあった。
四車線の道路の両側に商業ビルが建ち並び、頭上では街路樹の青々とした緑が風に吹かれてさわさわと揺れている。空高くにある太陽の日差しは強く、アスファルトの道路には黒のペンキで塗り潰したかのような街路樹の濃い影が刻印されている。
石畳の歩道を歩いていくと、しばらくしてふいに視界が閉ざされた。目元を覆う柔らかな感触。背後で女の声がした。
「だーれだ?」
「誰だろう。ぜんぜんわかんないよ」
近藤はわざと惚けてみせた。
「ヒントは学校でいちばんかわいい女の子だよ」
「鈴子ちゃんかな」
「正解!」
目元から彼女の指先が離される。振り返ると、カラフルな花柄のワンピースを着た鈴子がそこに立っていた。
「お、おお……」
近藤は感動に打ち震えた。ふっくらとした唇や左頬の小さなほくろなど高校生当時の彼女の容姿がリアルに再現されている。そしてその彼女が今目の前で太陽にも負けないくらいの眩しい笑顔を彼に向けている。
「拓ちゃんとこんなところで会うなんてすごい奇遇だね。どこ行くの?」
「あ、えっと、ちょっとデパートに買い物を……」
「私もだよ。帽子を買いに行くの」
「じゃ、いっしょに行く?」
「うん!」
拍子抜けするほどあまりにも簡単に話が決まった。ゴキブリを見るかのような冷たい視線しか近藤に向けることのなかった現実の鈴子とはまったくの大違いである。
しかし、浩人のように生まれつき容姿の整った人間はこのVRゲームのように向こうから勝手に女が寄ってくる現実の中を生きてきたのだろう。イケメンとブサイクの残酷なまでの生きる世界の違い。しかし、その浩人はもう……。
「ククッ」
思わず笑みがこぼれた。それを見て鈴子が訊いた。
「なんで笑ってるの?」
「いや、鈴子ちゃんと会えたのが嬉しくて」
肩を並べて歩道を歩いた。近藤は鈴子と手を繋ごうとするが、彼女はさっと手を引っ込めて険しい表情で言う。
「あのね、勘違いしないでよね。いっしょにデパートに買い物に行くだけなんだからね」
「あ、ごめん……」
体験版ではすぐに手を繋ぐことができた。が、この製品版ではそこまでいくのにある程度仲良し度を上げなくてはならないのだろう。
彼女の胸にちらと目を向けた。現実の鈴子のバストはさほど大きくなかったが、このゲーム内の鈴子のバストは九十センチに設定していた。一歩歩くごとに彼女の豊満な乳房がぷるるんとゼリーのように揺れた。
その谷間に顔を埋めたかった。そのような行為をするためには仲良し度をどのくらい上げる必要があるのか……。
――いや、待てよ……。
近藤はそこで気が付いた。このVR世界はとてつもなくリアルに作られてはいるが、所詮ゲームである。ゲームの中ならばなにをしても許される。己の欲望のまま、本能のままに動いてもなんら罪に問われることはないのだ。
「鈴子―――ッ!」
彼女に抱きつこうとした。
「きゃッ!」
しかし、彼女の体に触れる直前、顔面に稲妻が直撃したかのような衝撃が走った。一瞬意識が飛び、地面にストンと尻餅をついた。
「なにするの! そういうことするなら私もう帰るよ!」
近藤の着ているVRスーツは触覚や温度をリアルに体感できるようになっている。女の子に平手打ちされた痛みまでリアルに味わえるということなのだろうか。いや、しかし、これはそんなレベルの痛みではなかった。まるでプロボクサーから渾身のストレートを食らったかのような強烈な痛みだった。
口内に血の味が広がっていく。舌の上には小さくて硬いものが転がっていた。自分の折れた奥歯だった。
――なんだ、これは? いったいどうなっているんだ……?
VR世界で歯が折れたのではない。現実の自分の歯が折れているのだ。目の前の鈴子が得体の知れない魔物のように恐ろしい存在に思えてきた。
「ごめん。ちょっと強く叩きすぎたかな」
彼女はそう言って手を差し出す。が、近藤は尻餅をついたまま後ずさった。
「く、来るな! あっち行け!」
「拓ちゃん、どうしたの? ちょっとおかしいよ」
鈴子が近づいてくる。
「来るな―――ッ!」
腹部をズシン! と踏みつけられた。
「ふおお……」
苦しい。息ができない。横隔膜がビリビリと痙攣する。腹部の筋肉が収縮し、全身の血の気が引くような地獄の苦しみがじわじわと広がっていく。
「もうこっちの世界に戻ってこいよ」
頭上から声がした。しかし、それは鈴子の声ではなかった。男の声である。しかも聞き覚えのある……。
頭から被っていたヘッドマウントディスプレイが弾かれるようにして外された。白いスニーカーを履いた足元が見えた。そこからゆっくりと視線を上げていった。その顔を確認し、恐怖で全身がわなわなと震えた。
「よう」
浩人だった。冷たい目で近藤を見下ろしていた。
「な、なんでてめえがここに……」
「鈴子ちゃんじゃなくて悪かったな」
「黙れ! ぶっ殺すぞ!」
近藤は立ち上がって浩人に殴りかかる。が、いとも容易くかわされて顔面にカウンターのパンチをもらう。
近藤はVRスーツを頭部だけ脱ぎ、階下にいるはずの子分の名前を大声で叫んだ。
「大島―――ッ!」
「無駄だよ。あんたの子分たちはしばらくは起き上がってこれないだろうよ」
「くッ……」
浩人は化け物のように喧嘩が強い。なにも道具を持たず素手の殴り合いで勝てるわけがなかった。説き伏せるしかなかった。
「ちょっと待て。おまえはなにか誤解してるぞ」
「なにをどう誤解してるっていうの? 僕はあの施設の中ですべて見てきたんだよ。おまえに売り飛ばされて醜い化け物にされた秋則の姿もね」
「だから違うんだ! あれは警察に脅されて仕方なく……」
そこで浩人の表情が凍りついた。
「……やっぱりそうか」
「え?」
「やっぱりおまえは秋則を警察に売り飛ばしていたのか」
――しまった……!
浩人はあの施設で秋則を見つけてなどいない。カマをかけられたのだ。
「いや、違う! だから……」
「ヤクザはこういうときどうやって詫びを入れるんだっけ?」
「……は?」
「指を詰めるんだよね」
「てめえ、親に向かってなに言ってやがんだ」
「この期に及んでまだ親気取りかよ、この豚野郎」
浩人はジーンズの後ろのポケットからサバイバルナイフを取り出し、黒い革の鞘から刀身を抜き取って近藤の前に投げた。
「ほら、やれよ。僕にやらせたように。道具は貸してやるから」
近藤はそれを拾い、その尖った切っ先をじっと眺めた。そして思った。
――こいつはバカなのか……?
相手にナイフを与え、そして自分は素手で、それでもまだ喧嘩に勝てるつもりなのか。それとも、なにか策でもあるのか……。いや、おそらくただのバカなのだろう。所詮は高卒の暴走族上がり。ただ感情に任せて動いているだけでそこまで頭がまわっていないのだ。
「早くやれよ」
「死ねや、竜崎!」
浩人に向かってナイフを振りかざした。
ズダン!
銃声が響いた。
「うう、くッ……」
畳の上にポタポタと血が零れる。近藤はガクリと膝から崩れ落ちた。左の太股を拳銃で撃ち抜かれていた。
浩人は硝煙の立ちのぼる拳銃を近藤に向けたまま言う。
「おまえのようなゲス野郎のやることなんて読めてるんだよ。またおかしな真似をしたらもう一発ぶち込むからな」
近藤は浩人の言うことに従うしかなかった。畳の上に左手の小指を一本だけ伸ばし、そこにナイフの刃を近づけた。
しかし、そこで逡巡が生じた。指を詰めたら浩人は怒りを収めてくれるだろうか。いや、そんなわけがない。ならば、指を詰めるだけ損ではないか……。
「早くやれって」
浩人は近藤が自分の左手の小指にあてがっているナイフの背をスニーカーで踏みつけた。まるでソーセージでも切るかのように小指が第一関節からスパッと鮮やかに切断される。
「ぎゃ―――ッ!」
「うるさいんだよ、たかが小指くらいで。それでもヤクザの親分か」
「こ、これで気が済んだか?」
「済むわけないだろ」
浩人はナイフを拾い、それを近藤の頭の横にもっていく。耳に触れる冷たくて硬い感触。そしてヒリリとしみるような痛み。
近藤は恐怖と絶望に打ちひしがれた。浩人が小指くらいで許してくれるわけがなかった。かと言って、どうやら簡単に殺すつもりもないようである。
「秋則だけじゃないよね。おまえは自分の私利私欲のためにいったい何人の罪のない若者を警察に売り飛ばしてきたんだろうね」
ナイフを握る手が近藤の顔の前に持ってこられた。その親指と人差し指の間に小さな肉片が挟まれていた。近藤の耳だった。
それから約一時間後……。
嵐の過ぎ去ったあとのように静かな室内に近藤の体が横たえられていた。頭髪などからかろうじて人間の頭部とわかる部分にヘッドマウントディスプレイが被せられている。そのヘッドホンから女の声が漏れ聞こえてきた。
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