絶望ダンデリオン

小林ていじ

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第四章 最後の戦い

上海

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 深夜二時をまわり、クルマの往来の少なくなった道路を浩宇の運転するセダンが港に向かってひた走っていた。助手席には暁明、後部座席には洋平と沙耶が座っている。その日、暁明はアラブ服ではなく、スーツの上にカーキ色のトレンチコートを着ていた。

 暁明はルームミラーで後部座席の二人の様子をうかがう。車外を通りすぎていく外灯の光に沙耶の沈んだ顔が照らされた。

「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です」
「不安か?」

 彼女はうなずく。

「港からの高速漁船を運転するのは俺の中国人の仲間だが、漁船は日本のものだから怪しまれることはない。心配するな」
「中国に着いてからのことも不安です。一度も行ったことないし」
「俺の仲間が世話する」
「それに言葉もぜんぜん話せない」
「とりあえずニーハオだけ話せれば大丈夫だ」
「本当にそれだけで大丈夫ですか?」

 彼女は小さくクスッと笑った。長い地下生活で日を追うごとに憔悴していった。その彼女の笑い声を久しぶりに聞いたような気がした。

「張さんもいっしょに来ればいいのに」
「俺はまだこの有島でやらなきゃいけないことがある。健吾のこともあるしな」
「そっか……」
「すべて終わったら上海まで迎えに行くよ」
「ええ、必ず来てください。健吾といっしょに」

 海岸沿いの道路に出た。左側には夜空との区別のない真っ黒な海が広がり、穏やかな波の音が運ばれてくる。遠くのほうで一隻の船が小さな光を放ち、それを海面に反射させていた。

「もうすぐ港に到着します」

 ハンドルを握る浩宇が言った。

「張さんと王さんとは港でお別れですね」
「ああ、元気でな」

 フロントガラスの向こう側に港に停泊する漁船が見えてきた。そこから少し離れたところに倉庫が並んでいる。

「おい、ちょっと待て。浩宇……」
「どうしました?」

 倉庫の陰の暗闇でなにかが動いたような気がした。じっと目を凝らした。動いた。

 ――いる……!

「引き返せ! Uターンだ!」
「え?」
「早くしろ!」

 浩宇はハンドルを切ってクルマをUターンさせる。甲高い音を立ててタイヤがコンクリートの地面に擦られ、遠心力で暁明の体がドアに叩きつけられる。

 後方からバイクのエンジン音が響いた。ルームミラーにはそのヘッドライトがいくつも映される。はっきりとした人数はわからないが、少なくとも五人以上の特殊治安部隊がバイクで追いかけてきているようだった。

「クソッ! 待ち伏せしてやがった!」
「なぜあいつら……」
「わからん!」

 いったいどこから情報が漏れたのか。おそらく港湾関係者の密告だろうが、今は原因を追究している場合ではなかった。

 暁明はトレンチコートの内側から電気弾の装填された拳銃を取り出した。そして窓から少しだけ体を出してバイクで追ってくる特殊治安部隊に向けて発砲する。

 ズダン! ズダン!

 先陣を切って走っていた隊員に命中し、派手に転倒した。後続車がそれにぶつかり、転倒の連鎖が起こる。が、その後ろからさらに何台ものバイクが現れる。転倒したバイクの横を颯爽と通り過ぎて追ってくる。

「張さん……!」
「大丈夫だ。心配するな」

 海岸沿いの道路を折れて市街地に入った。浩宇は絶妙なハンドル捌きで先行車の隙間を縫うようにしてクルマを走らせる。交差点の赤信号は無視して直進した。追ってくる特殊治安部隊も同じく赤信号を無視する。

 おそらく彼らの狙いは暁明ただひとり。沙耶の存在はバレていないだろう。

 ――ならば……。

 ドアを少し開いて浩宇に言う。

「二人を頼んだぞ」

 そしてタイミングを見計らって勢いよく車外に飛び出した。石畳の歩道の上をゴロゴロと転がり、すぐに体勢を立て直して特殊治安部隊に向けて拳銃を乱射した。不意を突かれた彼らは為す術もなく被弾して次々と転倒していく。

 一台のバイクを取り逃がした。が、それを運転する隊員は急ブレーキをかけて暁明のほうに顔を向ける。やはり狙いは暁明だけのようである。腰のホルスターから拳銃を抜き取って銃口を暁明に向けた。

 それが発砲される前に暁明は雑居ビルの間の路地へと飛び込んだ。室外機やバイク、ポリバケツのゴミ箱などが狭い路地をさらに狭くしていた。それらの物陰に隠れるようにしながら奥へと突き進んでいった。

 後ろから銃声が響いた。暁明は振り向きざまに拳銃を撃つ。ビルの陰から少しだけ体を出していた隊員に命中する。しかし、その倒れた隊員の後ろからまた別の隊員が姿を現して銃を向けてくる。

 暁明はビルの隙間に飛んで身を隠した。数発の銃声。それが止んだところで体を出して何発か撃ち返した。カチ、カチ……。弾が切れた。トレンチコートのポケットから新しい弾倉を取り出して素早くリロードした。

 真夜中の仄暗い路地に何発もの銃声が響いた。それがふいに止んだ。

 はあ、はあ……。静寂の中に暁明の荒い呼吸音だけが聞こえた。路地には五人の隊員が倒れていた。電気弾の電気ショックで麻痺させているだけだが、まるで死んだかのようにピクリとも動かない。

 ――これで終わりか……?

 しかし、緊張は解かず、両側をビルに挟まれた路地の入り口に銃口を向けたままにした。何台かのクルマがそこを通り過ぎていく。もう特殊治安部隊がやってくる気配はなさそうだった。

「ふう……」

 拳銃を下ろしてアスファルトの地面に座った。そしてワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出して口にくわえた。そのときだった。

 カツッ……。

 足音。殺気。そこへ顔を向けた。暁明の入ってきた路地の入り口とは反対側に特殊治安部隊の隊員がひとり立っていた。

 回り込まれていたのである。暁明は慌てて拳銃を構える。が、間に合わない。隊員はすでに彼に銃口を向けていた。その引き金に指がかけられた。

 ズダン!

 銃声が響いた。しかし、悲鳴をあげて地面に倒れたのは隊員のほうだった。

「……張さん、大丈夫か?」

 そして背後から聞こえてくる声。振り返ると、洋平が路地の入り口のほうから歩いてきていた。手には拳銃が握られていた。暁明の口元からタバコがポトリと落ちた。

「バカ野郎―――ッ! なにしに来やがった!」
「だって……」

 せっかくうまく逃がしたのにそれをふいにしたことに怒りを感じた。が、怒鳴ったことをすぐに後悔した。洋平が助けに来なかったら確実に殺られていた。

「……いや、すまない。ありがとう。助かったよ」
「逃げよう」
「どこへ?」
「安全なところへ。こっちだ」

 洋平は踵を返し、地面に倒れている隊員の横を通り過ぎて路地の入り口に向かう。暁明はおとなしくそれについていった。
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