魔法使いの夏休み

きもとまさひこ

文字の大きさ
上 下
2 / 4

2.

しおりを挟む
ぐえ。

僕はいきなり背後から首を締められた。

「だーれだ?」

「ユッカ姉!ユッカ姉!それ普通、目を隠すんだって。首は首はぐええ」

僕が床をドンドン叩くと、頚動脈を圧迫していた指が外れた。後ろから顔を出したのは、舌を出したユッカ姉だった。

「なーんか暇ねえ」

「暇なら働けよ。何しに来たんだよ」

「コウ君は何しに来たの」

「僕は……じいちゃんばあちゃん孝行をしに」

「してないじゃん」

確かに今の僕は縁側に腰掛けてぼーっとしていた。昨日電球を買いにいって交換した以外は、何の労働もしていない。させて貰えないのだ。「ゆっくりしてな」の一点張りだ。

「子供扱いも困ったものよね」

「もう子供でも若者でもないんだけどなあ」

「あ、ひどーい。私はまだまだ若いわよ?」

「ユッカ姉が若いんだったら、僕もまだ若いことになるね」

「そうよ、私たちはまだまだ若いの!青春なのよ」

人妻が何を言うのかね。しかも勝手に家でした放蕩人妻が。

「そうだ」

ユッカ姉がパンと手を打った。これは何か良いことを思いついた時のユッカ姉の癖で、その良いことってのは大抵周囲の人間にとっては迷惑なことだ。

「山に行きましょう」

「いってらっしゃい」

「コウ君も一緒よ」

「いやあそれほどでもないよ」

「意味の分からない誤魔化しかたはやめなさい。行くのよ」

はあ、そうですか。

こうなってしまったユッカ姉に逆らえるはずもなく、僕は着替えて山に行くことになった。半袖半ズボンに虫よけスプレーをたっぷりと振りかけて。



「じーちゃーん、コウ君と山に行って来るからねー」

「おう。気をつけてな」

僕たちは家を出た。真夏の日差しの真下にあって、流れる空気は肌に心地よい。

ユッカ姉は昨日と同じ水色のワンピースに、白の帽子の組み合わせだった。やっぱり綺麗だよなと思う。僕の視線に気がついたユッカ姉が言った。

「何?昨日と同じ服だと思ってんの?大丈夫よ。下着は換えているから。見る?ほれほれ」

「なっ。やめてよ、まったく」

「コウ君ったら純情ねー。昔はそんなことなかったのに」

「なんだよ、それ」

「覚えてないの?小学生の頃、みんなで雑魚寝したときに、私の胸を触って来たじゃない」

……覚えてる。僕の恥ずかしい過去の一つだ。膨らみ途中のユッカ姉の胸は柔らかくもあり、まだ堅さも残りって、うわ何思いだしてんだろう僕は。

黙っている僕に対して、ユッカ姉は面白そうに続けた。

「赤くなってるねー。やっぱ覚えているんだ。いやあ、小さい頃のコウ君はエッチだったねー。あの調子じゃ、相当遊んだんだろうねー。女泣かせだねー」

放っておいてよ。どうせ僕は魔法使いだよ。

ユッカ姉はにやにやしながら歩いていった。僕はこれ以上からかわれるのは堪らなかったので、話を変えようと思った。

「あ、ねえ、飲む物買っていこうよ。この暑さだと水分補給しなきゃ」

丁度通りがかった雑貨屋に、無理矢理ひきずりこんだ。

冷えたラムネにも惹かれたけれど、持ち歩きできないので、ペットボトルを選ぶことにした。僕はミネラルウォーターを探したけれど、見つからなかったので、

「おばちゃん、水ある?」

と聞いたら、おばちゃんは「水が欲しいのかい。ほれ」と水道の水をコップに注いで渡してくれた。まあ考えてみれば、ここでは水道から出てくるのが湧水だから、ミネラルウォーターであるとも言える。僕はとりあえずそれを有り難く飲み干して、緑茶のペットボトルを買った。ユッカ姉はウーロン茶。

「新婚さんかい?」

僕は驚いたけれど、ユッカ姉は「若く見える」と言われたものと理解したのか、ニコニコしていた。否定も肯定もしなかった。だから僕も何も言わず、ただへらへらと笑っていた。

店を出て、山の方に向かって歩く。舗装されていない土がむき出しの道を、一歩一歩踏みしめていく。ユッカ姉はサンダルのくせに、平気な顔をして歩いている。途中、落ちていた木の枝を拾って、ひゅんと振り回しながら進んでいった。

細いケモノ道を数メートル抜けると、視界が開け、川原に出た。大きな石がごろごろした川原だ。この石が何キロも川を流れていくうちに、砂粒になって海岸を埋めるのだろう。川の幅は五メートルくらい。それも海に近付けば数十メートルになるのかもしれない。

川にせり出した石の一つを見つけて、ユッカ姉は座り込んだ。僕もその隣に場所を見つけて腰を下ろす。

ユッカ姉はぼんやりと川の水が流れるのを眺めていた。綺麗な横顔だと、僕はやっぱり思った。でもどこか寂しげだとも思った。

「なあ、ユッカ姉」

「なあに?」

「本当は何か理由があるんだろ?旦那さんと喧嘩した理由が」

「別に」

「嘘つけよ。そういう顔しておいて、別にはないだろ」

「……コウ君さ、私が結婚した時の話って、知ってる?」

「あんまり。大変だったってのは聞いているけれど」

「彼ね、婚約者がいたのよ。結納も済ましていて、……そんでまあ色々あって、簡単に言うと私が奪っちゃったのよね。そんな訳で、当時は相手が告訴するとかしないとか、示談金を支払ったりとか、そんな騒ぎがあったの。だからうちの家族もあんまり賛成していなかったのよね」

「それでも一緒になったんだろ?それだけ相手のこと好きだったんだろ?だったら何故喧嘩なんか」

「浮気よ、浮気。彼のね。考えてみれば、私の時だって浮気相手だったのが本気になっちゃったわけで、今度は自分が浮気されたってこと。要するに、簡単に浮気するような奴だったってことなのよ」

「で、旦那は謝ってきたの?」

「知らないわよ。何も話聞かないで出てきちゃったから。本当は私には、怒るような資格ないのにね」

「うーん。僕にも何か言える資格はないけれど、話聞かずに出てきたってのはちょっと、かなあ」

「でもしょうがないじゃない。あの人の声聞くのも嫌になっちゃったんだから」

ユッカ姉はうーんと背伸びをした。諦めているようでいて諦めきれないような、そんな不思議な顔だった。

その時ふわんと風が吹いて、僕らの頬を撫でた。ユッカ姉は慌ててスカートを押さえたけれど、そのはずみに帽子が風に舞った。帽子は二、三度空中を上下に踊り、川面に落ちた。そのまま下流に流されていく。

「取ってくるから。そこにいて」

僕は下流に向かって走り出した。

帽子はどんどん流れていく。山の川の流れはむらがあり、急に進んだかと思うとその場でくるりと回転したりする。

仕方がないから、僕は魔法を使うことにした。指をくるりと一回転。

------帽子がこっちに流れてきますように。

帽子は見る見る僕のほうに近付いてきた。川縁から三十センチくらいに近付いてから、しゃがんで手を伸ばして帽子を回収した。

「取ったよ」と振り向こうとした時だった。バシャンという大きな音がして、それと同時に悲鳴が響く。

音と声のした背後を見ると、ユッカ姉が川の真ん中に座り込んでいた。川原にはサンダルが揃えてあり、どうやら帽子を取ろうとして川の中に入っていって、足を滑らせたらしい。

呆然とした顔で僕の方を見ていた、と思ったら、けたたましく笑い出した。

「アハハハハハハハハハハハ!私、バッカみたーい!」

そうして座ったままでいつまでも笑い続けている。仕方がないから、僕も靴を脱いで川に入り、ユッカ姉に手を差し出した。

「ほら、いいから起きなよ」

「さんきゅー」

僕は腕に力をこめてユッカ姉を引っ張ろうとした。するとユッカ姉は思いがけず強い力で僕を引っ張って、僕はそのままバランスを崩して、前のめりに、バシャンと水の弾ける音が、

──気がつくと僕はユッカ姉に覆い被さっていた。ユッカ姉のワンピースは、川の水に濡れて透けていて、下着の線がくっきりと浮き出ていた。しかもその胸が丁度目の前にある。甘くて良い匂いがして、僕は慌てて顔を上げた。

ユッカ姉は何故か切なそうな顔をしていた。両手を合わせて、僕の目の前に持ってくる。手が徐々に僕の顔に近付いて来て、

ピシャッ

手の平で作った水鉄砲から勢い良く水が飛び出し、僕の顔に命中した。

「アハハハハハハハハハ」

ユッカ姉は僕を指さして笑っていた。

「ひどいよ。ユッカ姉!」

僕は起きあがりざまに手で水をすくい、ユッカ姉に投げつけた。水の塊は円弧を描いて飛んで行き、ユッカ姉の顔にぶつかった。

「やったわねっ!」

ユッカ姉が反撃を開始した。もちろん僕も応戦する。水のかけ合いの応酬は、それからしばらく終わらなかった。



二人してびしょ濡れになって帰宅したら、じいちゃんとばあちゃんに呆れられた。

僕らはいたずらが見つかった小さい子供のように、舌を出して笑い合った。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ねこのおうさま

絵本 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

小説、学生のための発明と特許のすすめ

経済・企業 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

あなたに会いに来ちゃいました。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:12

ちょっと奇妙な小部屋 ホラー短編集

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:7

先生になろう。

青春 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

『完結』人見知りするけど 異世界で 何 しようかな?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:773

カカオバスターズ~バレンタイン破壊計画~

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

図書室の秘め事

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

処理中です...