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39・森の中③
しおりを挟むどうして。
驚きは言葉にはならない。
ぴちゃん。
吹かれないまま、濡れた腕から滴った水滴が川の水に微かな音を立てて紛れた。
否、そんな音は聞こえなかったかもしれない。
だって川はさぁさぁと微かな音を立てて流れている。
そしてシズはそこにいた。
「デュニナ」
動きを止めた僕に焦れたのか、シズは小さく息を吐いて、僕が受け取ったままだった布を手に取ると、代わりに僕の手と顔を拭ってくれた。
「濡れたままだと冷える。拭く物があるのだから拭いた方がいい」
小さく呟かれた声は当然と言えば当然の小言だ。
「え? あ、そう、です……ね? ぁ、ありがとぅ、ござぃます……」
僕は半ば反射的にぼんやりと礼を述べたが、しかし現状を受け止めきれていないことに変わりはない。
シズは一通り僕を拭い終わると気が済んだのか小さく頷いて、きょろと辺りを見回した。
次いで上を見る。
「もうじき陽が落ちる。今日はここで休むといいだろう」
そう僕に伝えたかと思うと、てきぱきと何かをし始めた。
おそらくは野営の準備なのだろう、近くにあった、少しばかり開けた所の地面にある目立った石などを、除けている。
見るとシズはやはり黒い、大きな袋のようなものを背負っていて、そこから色々なものを取り出していた。
野営道具だろうか。
それを担いでここへ?
だが、そもそも何処かもわからない此処へ、いったいどうやって。
ホセは僕を支えたまま、僕から離れようとしなかった。
ただ、てきぱきと動くシズを、何の感慨もなさそうな顔で眺めている。
僕も何か手伝った方がいいのでは、なんて思い至ったのは、いったいどれぐらいそうしてぼうっとシズを見つめ続けた頃だっただろうか。
いつの間にかシズは、人ひとりぐらいなら横になれそうな簡易的な寝床のようなものと、その上に覆いを作ってしまっていた。
近くには火まで起こしてあり、続けて周辺を整えている。
ずっと見ていたはずなのに、いったい何がどうなってそんな状態となっているのか、僕にはさっぱりわからなかった。
「あ、の、シズさん、その、僕も!」
何か、お手伝いを。
今更、そんなこと自分でもわかっていながらも、慌てて申し出てみたのだけれど、シズはふると首を横に振った。
「いや。もう終わる。あとは食事の用意ぐらいだ。疲れているだろう、デュニナは休んでいるといい。……寝心地はあまり良くないだろうが、その獣をクッション代わりにでもすれば少しはましなはず」
どうやら寝床のようなものは、僕の為に作ってくれていたらしい。そちらを指して促され、だけど僕は躊躇った。だって僕は何もしていない。
「え、でも、あの……」
シズに全てを任せて休むなんて。
否、思えばあの砂漠を進んだ数日間も、僕は何もしていなかったに等しかった。
正しくは何もさせてもらえなかったのだ。
それに、皆、歩いている中、ラクダに乗っていただけのはずの僕は、それでも疲労していたのは間違いなくて、体が重く、ろくに動けなかったのも確か。
シズやホセをはじめ、あまりに皆の手際が良すぎて、僕には魔法か何かにしか思えず、自然手伝えることなど何もなく。どう手伝えばいいのかさえ分からないまま。ただ僕は皆が勧めるのに任せて休んでいるばかりだった。
今もまた同じでいいと、シズは言っているのだろう、だけど。
今、ここにいるのは僕とシズとホセだけだ。
それで何もせずにいるだなんて。
「デュニナ。君は体を休めていてくれ。界渡りは、おそらく、君が思っている以上に君に負担をかけているはずだ。君に続いたその男が、いまだに人型を取れていないぐらいだからな。今は休んでおいた方がいい。その為にも俺はここにいる。早めに見つけられてよかった」
戸惑う僕に、諭すようそういったシズの言葉の意味は、半分以上、よくわからないものばかりだった。
界渡りだとか、見つけるだとか、負担だとか。
僕にはそんな自覚はなかったし、だけど。
ちらと傍らの、金色の毛並みをした獣を見る。
緑がかった紺色の瞳を。
この獣はホセだ。
どうしてか僕はそれを疑っていない。
人型が取れていないと言っているということは、つまりホセの本性はこの獣だということなのかもしれない。
僕は、あの時、落ちた。
そう感じた。
ホセはきっと僕を追って、一緒に落ちてきたのだろう。この森へと。
そしてそれは負担がかかることだった。
よくわからない。
よくわからないが、しかし、シズがそういうのならそうなのだろうとは思う。
僕もきっと、自覚はしていないが疲れているのだろう、ここでおとなしく休まないことの方が、もしかしたらホセやシズに余計な手間をかけることになるのかもしれない。
そうも思い至り、小さく溜め息を吐いて、無理に手伝おうとすることは諦める。
何よりそもそも出来ることそのものも思い至らない。
お腹が大きいのも手伝って、どうも僕の動きが全体的に、他の人と比べて鈍いようなのも本当だった。
上手く動けない僕では、逆に邪魔になるのかもしれない。
「えっと、じゃあ、あの……お言葉に、甘えて……」
口の中でもごと小さく呟き、微かに頷いたような傍らのホセに半ば押されるようにして、シズの用意した簡易的な寝床のような所へと移動する。
地面に布を敷いただけにも見えるそれ。
しかし、何がどうなっているのか、実際にその上へと乗り上げると、薄い布一枚にしか見えない床部分の感触は、そこまで地面が近いようにも思えなかった。
何より、下敷きになっているはずの砂利や小石などの感触が感じられない。
勿論、フォルの屋敷の寝台のように、体が沈み込むような柔らかさだったりなどしないのだけれど。
少なくとも此処に横になっていて、体を痛めるなどということがなさそうなのは確かだった。
ホセに促されるまま、身を横たえた。
途端、ホセが傍らに寝そべって、尻尾がふわと僕を包み込む。
柔らかで心地いい感触と、変わらず漂う、安心できる番の匂いに、きっとシズが言うように僕は疲れてしまっていたのだろう、すぐにもゆらりと意識が揺蕩っていった。
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