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第一章・リーファ視点
1-41・初めての悪意
しおりを挟む僕は警戒心は解かないようにしようと内心でだけ心掛けながら、彼女に対峙する。
「ごきげんよう、グノルフィラ第二公女殿下」
にこと微笑み返しながら挨拶したのだけれど、どうしてか彼女の眼差しに険が滲んだように感じられた。
え、にこやかに挨拶し返しただけなのになんで。
わからないながらとりあえず、戸惑いを顔に出さないように注意する。
「あら。王弟殿下はお名前をお呼び下さるのですね。立場をわきまえておられるからかしら?」
しかも、公女様から放たれたのがこんなセリフで、これはいったいどういう意味なのかと、しばし、どう返答すればいいのか迷った。
だから結局そのまま返すことにして僅かに首を傾げる。
「僕の立場、ですか?」
「ええ。私てっきり、王弟殿下はご自身を顧みられない方なのだとばかり思っておりましたわ。だってそうでしょう? いくら弟だからって、あんなにも陛下にべったりくっついていらっしゃるんですもの。子供とは言え、分別がおありにならないのかと……」
相変わらず、わけのわからないことを言う人だなと思いながら、同時にどうやらこの公女様は僕の年齢を勘違いしているようだと知る。確かこの公女様は20になるかならないかぐらいの年齢だったはず。少なくとも僕はそれよりは年上なのだけれど。それとも、子供と称したのは彼女なりの嫌味か何かなのだろうか。
それにしても、分別がないだとか、自分を顧みないだとか随分な言い草である。
要は義兄上にくっつきすぎだとでも言いたいのだとは思うのだけれど。それをどうしてこの公女様に指摘されなければならないのだろうか。
「何のことを指していらっしゃるのか見当もつきませんが、それらが何か、公女様とご関係が?」
結構はっきりと、貴方とは関係ないだろうと言ってみる。
公女様は笑っていない眼差しのまま、にこやかに笑みを深めた。
「あら? 本当にお分かりになりませんの? 聞く所によれば、今、身ごもっていらっしゃるお子様のお父上はお分かりになられないのだとか。そのような幼さでなんてはしたない。私には到底真似できませんわ。その上、本来なら関係のない陛下が今後面倒を見ていく予定だともお聞きしましたわ。そのような行動のどこに、立場を弁えたところがおありになるのかしら」
そしてそんなことを告げてくる。
僕はどうしても浮かべた笑みが固まるのを、止めることが出来なかった。
公女様が言っていることに、間違っている所はなかった。いったいこの公女様は、それらをどこで知ったのだろうか。特に子供の父親の件に関しては、大公閣下にさえわざわざ伝えてなどおらず、むしろ義兄上の子供と思ってよいのかと確認されたぐらいなのに。ただ、実際に今、僕のお腹の中にいる子供の父親がわからないのは本当だし、義兄上が面倒を見て下さる予定なのも確かなことではあった。でも。
立場って何? はしたないってどういうこと? どうして僕はこの人に、こんなことを言われているの?
「それと、私にも勿論、関係ございますわ。だって将来の夫のことですもの。夫がそのような軽率な方に寄生されているなんて、堪えられるはずございませんわ。そもそも、ご兄弟とはいえ、血は繋がっていらっしゃらないのでしょう? それで今後も面倒を見てもらうつもりだなんて、なんて浅ましい。ご自分の責任ぐらい、ご自身で取られるべきですわ。私、結婚したら真っ先に不要な方とは縁を切るよう勧めるつもりですのよ? 貴方も理性がおありになるのでしたら、ご自分からお隠れになるぐらいのことはなさった方がよろしいかと思いますけれども」
公女様の僕を見る眼差しは、嫌悪と侮蔑と嘲笑に満ちていた。
僕は公女様が何を言っているのか本当にわからなくて、なんと返せばいいのかわからない。
固まった笑顔を保つだけで精一杯だ。
夫? 誰が誰の? 結婚? 誰と誰の? 少なくとも義兄上とこの公女様の婚約やら婚姻やらなどと言う話は一切出ていないと僕は把握している。まさかそれも僕が知らなかっただけだとでもいうのだろうか。それこそ、まさかだろう。
そして寄生? 責任? 不要?
同じ言語を話しているはず、言っている言葉の意味はわかるんだ、なのにどうしてこんなにもわからないの。
「ねぇ? 何かおっしゃったらいかがです? まさか、図星を指されて言葉が出ないだとか? うふふ。まさか。まさかねぇ?」
うふふ、ふふふ。公女様はとてもとても楽しそうに笑っていらした。何も返せない僕を、嗤って。
ぐらり、地面が揺れている気がする。僕は今、ちゃんと立てているのかな? わからない。
どうして? なにが。なに、を。
義兄上は結婚なんてしない。しない、はず。
だって、義兄上は僕の。僕の――……何?
ぐらんぐらん、ぐるぐると、視界さえ回り始める。
「僕は」
僕は、何を言えば。
「……――リーファ!」
その時。何もわからなくなりかけていた僕の耳に、義兄上の声だけがやけにはっきりと届いた。
義兄上。
だから僕は安堵して。くらり、遠ざかる意識をそのまま、義兄上の腕へと委ねたのだった。
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