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第弐話
2-2・帰り道
しおりを挟むカランカラン。ドアベルを鳴らして扉を開けた。
今ではもう、聞こえていなかったことの方が不思議なほどに、いつもこの音は鳴っている。
「じゃ、お疲れさまでした」
まだ店内にいるマスターに軽く頭を下げて路地へと出る。
いつも戸締りはマスターがしていて、俺は一足早く帰路につくのがお決まりだった。
「うん、お疲れさま。また明日よろしくね」
「はい、また明日!」
返ってきた言葉に元気よく頷いて、にっこり笑い、カランカラン、またドアベルを鳴らしてドアを閉めた。
扉にしっかりとcloseの札がかかっていることを確認してから路地へと向き直る。
右に行くと俺の住むアパート。左はいつもキョウさんに連れて行かれているおでかけに向かう時に進む方向だ。
左を見た。見慣れた住宅街の景色が、何処までも続いている。
マンションと、家と、たまに商店。何の変哲もない街の風景。
道はまっすぐで、かなり先まで見渡せた。
じっと、そちらを見て、見て。だが、どうしても一歩もその先へ進もうとは思えなかった。
どうしてかなどわからない。
だけどどうしても、左へ行こうとは思えないのだ。
わけのわからない忌避感があった。
俺はそれが振り切れず、結局は左側の路地から視線を引き剝がし、右側。アパートの方へと足を向けた。
帰らなければ。
早く、帰らなければ。
辺りは夕暮れに染まり始め、徐々に赤くなっていく。
まるでキョウさんと初めて会った時のような光景。
早く、早くと気が急くままに足を進めた。
喫茶店と俺のアパートのちょうど中間ぐらいの所に1件のスーパーがある。
俺は夕食用の食材の買い出しなどを基本そこで済ませていて、コンビニは近くになかった。
家にある小さな冷蔵庫の中身を想像して、今日の買い出しの必要性を考えてみる。
そう言えば卵も切らしているのだったか。
必要だと思ったが、何故か。それよりも早く家に帰らなければならない気がして仕方がなく、結局寄らずにスーパーの前を素通りした。
街は赤い。
いつもと同じ夕暮れの街。
なのにどうして、今日はこんなに焦りが止まないのだろうか。
まさか路地の左側をじっと、立ち止まって見てしまったから?
それこそまさかだろう。俺はあちらに足を向けてなどいないのだから。
早く、早く。
夕暮れに急かされるように足を速めて、速めて、速めて。
どうしてだろうか。
もうとっくにアパートについていてもおかしくはないぐらい歩いたはずなのに、ちっとも俺の済むアパートが見えてこなかった。
スーパーを過ぎたのだから、帰り道の半分は過ぎているはずなのにどうして。
辺り一面、赤くて、赤くて。
見慣れた路地、住宅街、電信柱に走る電線。人気はなく、鳥の一羽もいなく、俺の済むアパートの辺りは、これほどまでに閑散としていただろうか。
ああ、早く帰らなければ。早く。早く。早く!
「レンゲ」
はと、後ろから呼ばれて我に返った。振り返る。キョウさんがこちらに向かって手を振っている。
辺りを見渡すと、俺の住むアパートはすぐそこに見えていた。
「キョウ、さん」
口から零れ落ちら俺の声は、ひどく掠れている。
それに全く気付かなかったかのようにキョウさんは笑った。にしゃといつものように性質の悪そうな笑み。
俺は心の底から安堵した。
よかった。助かった。
「今、帰り?」
「はい、そうです」
キョウさんはこちらへは近づいてこず、その場に止まったまま、俺へと話しかけてきた。
俺は素直に頷く。
キョウさんも頷き返してくれた。
「そっか。気を付けて帰れよ」
それはいつも通りの声だった。
別に気づかわしげだったりもしない、本当にいつも通りのキョウさんの声。俺は笑って礼を言った。
「ありがとうございます、キョウさんも」
「おう! じゃあね!」
キョウさんは軽く手を振って踵を返す。本当に通りかかって声をかけてくれただけだったのだろう。見かけたから。ただそれだけ。きっと用事などなかった。それが分かるだけのそっけないやり取り。だけど。
辺りは夕暮れに赤く染まった見慣れた街並み。
アパートはすぐそこだ。
もう一度歩き始めた俺にはもう、先程までの焦燥など、どこにもなくなっていたのだった。
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