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XX-10・力不足
しおりを挟むすやすやと寝入るイーフェを見下ろし、きゅっと唇をかみしめる。
目尻に光る涙が、しかし悲しみなどを理由としたものではないことは知っていた。
おそらくはただ、快楽ゆえに。流させてしまったのだろうと。
イーフェの気持ちがどうやら自分に向いているようだということもわかっていて、だけどと、一度強くまぶたを伏せる。
思い出すのはあどけない面影。
初めて会った頃のイーフェ。
すでに成人も迎え、もうすっかり大きくなって、だけど今のよう、眠る無防備な姿には、あどけない幼気さが残っているように感じられた。
『陛下』
おずおずとこちらへと呼びかけてきたのは数年前、いくらか大きくなってからの記憶で、その時でさえ、残ったままの無垢な幼さに眩暈がするかと思ったものである。
そこから、今も。あまり大きく変わっていないように思えるのは、あるいは俺自身が、そう願っているからなのだろうか。
自分の願いが、目を眩ませてでもいるのか。
小さく溜め息を吐いて寝台を離れた。
もうすぐ昼になる。
その頃にはきっとイーフェも目を覚ますことだろう。そうしたら昼食を共に摂れるだろうか。否、ここしばらく無理をさせている。そもそも目覚めるのはいつになることか。
「イーフェが起きたら俺に知らせを」
昼食を共に摂ることとして、それまでは軽食で済ませることとしようと決め、短く指示を出すと、頷いた侍女は、しかし何かを伝えたそうな様子を見せた。
イーフェ付きの侍女だ。どうやら一番親しく接していると聞いている。
そんな彼女が、俺に伝えたいこと。
心当たりはあった。
「ケーシャか。何か報告が?」
「ええ、何度かお伝えしております、女官のことで」
少し前、視察を終え、子を成してすぐぐらいからだろうか。
気になる動きをする女官が1人、出てきたのだという。
曰く、イーフェの側から人払いをし、その上、何事か囁いているようだと。
ぐっと顔を顰めてしまう。
何を口にしているのかまではわからないということだったが、イーフェの様子を見るに、いい内容とは思えないと報告を上げてきたのは距離はありつつもその場に居合わせた護衛役を担っていた兵士で、同じ内容は今、目の前にいる侍女、ケーシャからも聞いていた。
「…………長く王宮に勤めている、真面目な働きぶりの者だと思っていたんだがな……」
「私も同じように判断いたしておりました」
だが、それらは間違っていたということなのだろう。
イーフェを王妃とする時、周囲にいさせる人員には可能な限り気を使ったつもりだった。
だが、何分急であったし、多くはそのまま、俺付きだった者達の中で、特に勤勉だった者を移動させていて、件の女官もその中の一人だったのだ。
少しばかり愛想のない者だが、それは彼女の育ってきた家庭環境があまり良くなかった所為であり、そういった関係もあって、信用に足ると思っていた。
いったいいつから食い違ってしまっていたのか。
「とは言え、仕事に手を抜いている様子もないんだろう?」
「ええ。妃殿下に何事か告げているようだという以外には、それまでと特に変わった様子はなく」
目に見えて何かしているという風でもなければ、誰かと会っている様子もないのだという。
「接しているのはこれまで同様、侍女や侍従、女官仲間に数人の兵士。それに下働きのものぐらいだそうだな」
「はい。休憩時間や休日も、出かけたりする様子はなく、それまで通りのようだとのことです」
元より闊達に活動するタイプの女性ではない。
少なくともイーフェが王妃となって以降、彼女の寝起きする居住棟から、出るようなこともないのだという。
ならば誰かの指示というわけではないのかもしれないが、しかし、だとすると、わざわざ今のタイミングでというのが腑に落ちない。
あるいは初めから機会をうかがっていて、婚姻式が近づき、人手が足りなくなってきたから実行に移せただけだという可能性もありはするけれど。それとも、ここ2ヶ月余りのイーフェの様子を見て、思う所が出てきたとでも言うのだろうか。
寝台に残してきたイーフェを思い浮かべる。
あのイーフェが? すぐにその考えは否定した。
ないとは言い切れないが、考えづらい。
イーフェは大人しく出しゃばらず真面目で、見目も良ければ性格も穏やかだ。
誰かに早々、悪感情を抱かれるような人物ではない。
とは言え、実際にイーフェが何を言われているのかがわからない以上、今ここで考えられるようなことは何もなかった。
「イーフェは何か言っていたか」
「いえ、今の所は何も。ただ、時折何事か迷うそぶりが見受けられますので、妃殿下ご自身も判断しかねておられるのではと」
「そうか……」
イーフェの様子を見る限り、イーフェが何か、いい印象を持たないようなことを囁かれているのは間違いないことだろう。しかしそれは決定的に口撃されているという程のものではないのかもしれないと思い直した。だけど。
今、イーフェは子を宿したばかりで安定しているとは言い難く、ただでさえ負担が大きい時期で、少しの心労だって与えたくはないのである。
それでなくとも、脱走を繰り返すティネやお茶会の開催を辞めた途端、しつこく連絡を取ってこようとし始めたコーデリニス侯爵令嬢だけでも頭が痛いというのに。
女官を遠ざければいいだけの話であるのは分かり切っていた。しかし。
「……狙いが見えてこないな」
このまま遠ざけて、もっと更に大きな問題が起こっても困る。今後の為にも、出来れば理由を明確にした上で対処したいのだ。
そもそもからして、イーフェの様子から、女官の行動を注意深く観察することとなり、その結果、不審だと判断するに至っていて、では具体的に何を言っているのかだとかがわからないままで。
そこが明らかにならない以上、人を変えても同じことが起こるかもしれず、かと言って件の女官を厳しく咎めたてるには理由が弱すぎるとも言えて。せめてもう少しわかりやすい行動に出てくれればとさえ思ってしまう。
否、そうなるとイーフェに今以上の負担がかかるかもしれないのでそれは全く良くはないのだけれど。
王宮内の者全員が信用に足るわけではない。
即位して10年弱。俺なりに邁進してきたつもりだが、王城内だけに絞ってなお、掌握しきれていない所があるのが実情だった。
それが王城の外、他の貴族たちともなると。いくら国中の貴族たちを全部、支配しきることなどそもそもが難しいことだとは言え、己の至らなさを痛感せざるを得ない。
俺が国王であること自体、よく思っていない者たちがいて、特にあの夜会でのティネの失態を理解していてなお、いまだティネを支持している層まで存在している。そう言った者たちに、付け入る隙を与えたくないという思いもあった。
明確な咎が認められない女官を厳罰に処したなどとなると、いったい誰が何を言い始めることか。
「もう少し様子を見るしかない」
だけど、せめて。
俺の苦渋を察したのか、ケーシャが静かに口を開く。
「私どもとしては出来るだけ、彼の女官を遠ざけるようには致します」
今、出来ることはそれぐらいだと言うのに、小さく頷いた。
それも『女官』である以上、どこまで可能かは疑わしい。王宮内において『女官』となると、それなりに上位に位置する立場であるからだ。侍女や侍従、あるいは兵士でさえ、立場としては彼女よりも下となる。
つまり彼女に指示できる者となると、彼女と同じ女官か、あるいは他の官吏、騎士などだけで。
元々イーフェの周囲に配置できている人員自体少なく、余裕がない。
加えて今は婚姻式の準備にも人が取られている有様だ。
「必要なら俺の名を出していい。宰相や……そうだな、デオやヨーヌにも話は通しておく」
彼らならば彼女よりも立場は上なので、彼女を遠ざけるにしても、理由などがつけやすくなるだろう。
「ありがとうございます。ではそのように」
ケーシャがそう感謝を述べるのに頷いて、今、出来るのは此処までかと力なく溜め息を吐く。
このまま何事も起きなければいいと願いながら、同時に己の力不足が、酷く心苦しくてならなかった。
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