【完結】婚約破棄から始まるにわか王妃(♂)の王宮生活

愛早さくら

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31・強襲②

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 ティネ殿下が、少し前から謹慎している自室からよく脱走するようになったという話は聞いていた。
 だけどまさか僕の所へ来るだなんて思わない。
 それも、魔術を行使してまで強引に、だなんて。
 しかし、現に今、僕の目の前にはティネ殿下がいる。
 あの、他でもないティネ殿下から、婚約破棄を言い渡された夜会から、数か月ぶりに見る元婚約者の姿だった。
 見るとティネ殿下は少しやつれただろうか、げっそりと頬をこけさせていて、けれどその状態でさえ、身なりなどはいつも通り整えられているようだったし、ご自慢の美貌は陰るどころか、より凄みを増している。
 爛々とつり上がった眼は、僕を見つけたからなのだろうか、喜悦に歪んでいて。

「は、ははっ! やっと見つけたぞ、イーフェっ!」

 言いながら大股で歩み寄ってくるのに、傍にいた侍従が警戒するように、僕とティネ殿下の間に移動した。
 部屋の隅に控えていた兵士たちも、同じように走り寄ってくる。だけど、

「動くなっ!」

 言いながらティネ殿下は乱雑に魔術を放ち、兵士たちの足元辺り、敷き詰められた絨毯を躊躇なく焼き焦がして見せた。
 あまつさえ兵士たち、あるいは僕を庇うよう立ちはだかってくれている侍従にもともすればすぐにも攻撃を加えそうな様子に僕はぎゅっと唇を噛みしめる。
 兵士はもとより今、目の前にいてくれている侍従も王宮に勤めているだけあって、魔法や魔術、あるいは体術などを含め、弱いだなんて思わない。
 ただ、どうしても王族であるティネ殿下の方が魔力量が多く、そして今、ティネ殿下が彼らに手加減をして攻撃の手を緩めるとは全く思うことが出来なかった。
 ティネ殿下の眼差しは敵意に染まって、じっと僕を睨みつけている。
 僕はちらと一瞬、先程のティネ殿下からの攻撃ゆえに近づきかねている兵士の一人に視線をやった。
 頷いた兵士が、近づくのではなく、遠ざかるように廊下へと出ていくのに、近づいてさえ来なければいいとでもいうようにティネ殿下は咎める様子がない。
 僕は少しだけ安堵する。
 なぜならこれで兵士は、誰かを呼んできてくれるはずだからだ。
 おそらく、今この部屋の中にいる少ない人数では、ティネ殿下を退けきれないだろうと判断した故のことだった。

「おい、そこのお前、どけ!」

 ティネ殿下は僕を守るように背に庇った侍従に魔術を放とうとした。
 びくっと、体を揺らす侍従に、僕がそっと、

「いいから」

 言ってティネ殿下の望む通り動くよう指示する。

「ですがっ、」
「大丈夫だよ、だから」

 当然退けないと首を振る、だけど体を強張らせた侍従に、ちらと兵士たちの方を視線で示した。
 彼らは注意深く、ティネ殿下の様子を窺っていて、それに侍従も、先程兵士の一人が部屋を出たことの意味は理解していたからなのだろう、渋々と一歩だけ脇に避けるよう身を引いてくれる。
 それに、僕は少しだけ安堵して、立ち上がり、睨み返すようにして改めてティネ殿下と対峙した。
 一度ぎゅっと唾を飲みこんで、覚悟を決める。
 ティネ殿下がいったい今更なんの用があって、僕へと近づいてきたのかはわからない。
 そもそも僕の話を聞いてくれるのかさえ。
 元よりこれまでの長い婚約期間中、僕とティネ殿下は碌な会話さえできずに来たのだから。
 いっそ僕を避けてさえいたティネ殿下が、だけど今は僕に何かを言おうとしているようだった。
 僕はぎゅっと唾を飲みこんで覚悟を決め、ティネ殿下より先にと口を開いた。
 声も、言葉も。揺らいだりなどしないようにだけ気を付ける。

「どう、なさったというのです、ティネ殿下。自室にて謹慎を、なさっておられると聞いておりましたが」

 部屋から出ることを禁じられていたのではないのか。なのになぜ此処に。
 静かな僕からの問いかけに、ティネ殿下は顔を歪めて笑った。

「は、はは。なんだその態度は? ええ? 生意気だな」
「訊ねているのは僕です」

 質問に先に答えて欲しい。
 繰り返した僕に、だけどティネ殿下は答える気などさらさらないのだろう、返事など返さず、ざっと僕に一歩近づいてくるばかり。

「ああ、イーフェ、イーフェ、イーフェ! 地味で取るに足らない、鬱陶しいばかりのお前が、なぜこの部屋にいる! ここは王妃の間だぞ? なのになぜっ……! お前が王妃なぞっ……あり得ないだろう? なぁ、イーフェ」
「ティネ殿下」

 よくわからないことを怒鳴るように吐き捨てながら、近づいてくるティネ殿下の様子は、どう控えめに見ても常軌を逸しているようにしか思えなかった。

「即位する条件がお前を王妃に据えることだとっ?! そんなもの知るかっ! だが、そうだな、本当にそんなものが条件となるというのなら、いいさ、今からでも俺がお前を……」
「ティネ殿下っ!」

 次いでティネ殿下の眼差しに欲に染まっていくのがわかった。
 途端、恐怖が僕の背筋を駆け巡る。
 ティネ殿下が僕へと手を伸ばす。その手になど決して触れられたくない。
 僕は気付けば悲鳴のよう、ティネ殿下の名を呼んでいた。そして。

「ぃや、いやぁぁああぁぁぁぁっ……!」
「妃殿下っ!」

 ティネ殿下の意識が、僕だけに向いていたからなのだろう、それで隙が出来ていたのか、兵士たちが、手早くティネ殿下を取り押さえる。
 廊下へと兵士の一人が呼びに行ってくれた助けが、来るまでもない一瞬の出来事だった。

「くそっ、放せ、放せぇっ……!」

 元より兵士たちは、色々な訓練を受けている。魔力が多いだけで、魔法や魔術はもとより、体術、剣術など別に特に得意でも何でもない、鍛錬などもおそらくはしていないだろうティネ殿下1人など、隙さえつければ取り押さえることは容易かったということなのだろう。
 ほっと息を吐く僕を、近くにいたままだった侍従が慰めるように支えてくれる。
 侍従も安堵した様子を見せていた。

「大丈夫ですか? 妃殿下。おそらく陛下もすぐに参られますよ」

 兵士が呼びに行っていたようだから間違いないだろうと言ってくれるのに小さく頷き、どうにかかろうじて笑みを浮かべて見せた。

「そう、だね……うん、大丈夫。ごめんね、みっともないところを見せて……」

 出来るだけ屹然とした態度を、と思っていたけれど。
 伸ばされた手が触れそうになった瞬間には恐怖を感じて、情けなく悲鳴を上げてしまった。
 ティネ殿下を捕らえた兵士たちが、このまま助けが来るまでティネ殿下をこの部屋に残しておくのも良くないだろうと判断したのか、廊下へと引きずっていくのを見て、侍従が扉を閉めに行く。
 元より多くなかった、控えていた兵士たちは、全員、ティネ殿下を拘束するだけで手いっぱいのように見えたからなのだろう。
 僕から離れることに一瞬躊躇していたけれど、ここから扉までの距離などそこまでもない。
 構わないと頷いたのは僕だった。
 その一瞬、僕の側には誰もいなくなって、だからか、中庭に面したベランダから、戻ってきていた例の女官が侍従の代わりに控えようとしたのか、僕に近づいてきていて、僕はそれに何も思わず、彼女の接近を許して、そして。

「妃殿下」

 囁くような女官の声が耳に届いた。
 と、ほとんど同時に。すっと、僕の意識は闇に塗りつぶされていたのだった。
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