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第13話【デリートマンの友達④】
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「あんたら飲みすぎ。あんたらにたむろされるとさ、お客さんの入りが悪くなるから、ほどほどのところで帰ってや」
カウンター越しに金城麻里が言う。
「つれないねぇ、まりちゃん。オレらがおらんと、このお店持つこともできへんかったんやし、もうちょっと優しくしてや」
そう言って、男は泡盛のロックを一気に飲み干した。
「そうそう、オレらには足向けて寝られへんやろ。まだまだ飲みまっせー。オレ、残波のロックなー」
隣にいた男も同調する。
「あんたらにはこの半年、格安で飲ませたったやないの。もう十分恩は返してます」
はぁっとため息をついたとき、
「カラン」
入り口のドアが開き、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
麻里が言ったあと、
「ようこそいらっしゃいませー!」
と男たちも続いた。キッ、ときつく男たちを睨んでから麻里がお客を案内する。
金城麻里がこの沖縄バー、「ICHARI場ー」をオープンさせてから半年が経とうとしていた。いつしか自分のお店を持つのが夢となっていて、半年前にやっと念願がかなったのだ。お店はオープンから順調だった。ここ大阪市の大正区は沖縄の人間が多く、沖縄のお店も多かったので、「沖縄バー」という少し変わった感じのお店も、ここではすんなりと受け入れられた。
大阪で「お店を持つ」という夢が最初からあったわけではない。関西の大学に進学して、そのまま大阪の会社に就職し、普通にOL生活を送っていた。沖縄出身の麻里は、お酒が好きだった。オシャレなカフェより、オヤジたちが好きそうな飲み屋の方が落ち着いた。そういう麻里なので、会社の同僚からオシャレなお店へ誘われてもついて行くことが少なくかった。それだったら一人でも、ゆっくり飲みたかった。
そんな麻里のお気に入りの場所が大正だった。自分好みの飲み屋がたくさんあったし、何より、沖縄のお店が多かった。大阪にいながら、本格的な地元の料理とお酒が楽しめるのは嬉しかった。
また、大正区は大阪市でありながら周りが海と川に囲まれているので、どこから入るにしても、必ず橋を渡るか、大阪市が運営する渡船に乗らないといけない。いわば「陸の孤島」である。そういったところも少し沖縄と通じる気がして、麻里は好きだった。
大正の飲み屋で同郷の人がお店を出した話を聞いているうちに、
(自分もお店を持ってみたい)
そう思うようになった。
(沖縄のお店が多いけど、自分にしか出せない沖縄のお店を持ちたい)
そんな思いが日に日に強くなっていき、本気でお店を持つためにはどうすればいいか考え出していた。今年で28歳、30歳までには自分のお店を持ちたい。そう思っていた。
そんなころだ、大正で知り合った飲み仲間に連れられて「しげきち」に初めて行ったのは。
沖縄のお店が多い大正であるが、地元の人がやっているこじんまりとした飲み屋もあって、「しげきち」もそのうちの一つだった。常連客の多い地域密着のお店だ。
カウンターとテーブルが二つあるだけの小さなお店。お店は主人が一人でやっていたが、出てくる料理の一つ一つが丁寧で、お店の雰囲気と併せて、「小料理屋」という表現がぴったりのお店だった。お酒と料理が美味しかったので、麻里もちょくちょく「しげきち」に通うようになった。通っているうちに店の主人とも話すようになった。
「しげきち」は、もともと主人の父親が亡くなったあと、母親と二人で始めたお店とのことだった。
引退後、小料理屋を出したいという夢があった主人の父親だったが、その夢叶わずに亡くなってしまった。だから、母と二人で父の夢を実現したというとこだった。
オープンしてからお店の方は順調で、ほどなくしてすっかり地元の人に愛されるお店になった。その後もお店は順調だったが、3ヵ月前、一緒にお店をやっていた母親が倒れた。末期の胃癌だったようで、今も入院しているそうだが、もって1年と言われたようだ。
母親が倒れてからは、何とか主人が一人でお店をやっていたが、主人は独身だったので、よく、
「手伝ってくれる奥さんでもいればいいんですけどね」
と言っていた。しばらくは、一人で頑張っていた主人だったが、やはり、一人はしんどかったようで、
「店をたたもうかな」
と言うようになった。元々、心臓に持病があったようで最近不整脈も増えてきていたらしい。お店を出して5年、40歳のときにお店を始めたので、主人は45歳とまだ若かった。
だから、店をたたんでどこか別の働き口を探すつもりだったのかもしれない。
「そうなんですか」
残念そうな顔をしながら、麻里は、
(よし、そろそろか)
と内心ほくそ笑んでいた。実は、麻里がこの店に通うのには他にも理由があった。
確かに、初めは料理やお酒が美味しかったからだ。しかし、通っていくうちにお店の事情もわかってくる。主人の性格もだ。そして、いつしか思うようになった。
(この店を、自分のものにしてしまおう)
と。
話してる感じでわかっていた。主人は自分に気があると。そして、自分もそうなるようにしっかり演じてきたのだ。主人が好きなおしとやかな女性を。
「僕は、料理は素材の味を大切にしたいから、丁寧に仕事はするけど、余分な手や調味料は加えないようにしてる。女性も同じやと思う。そのままが一番美しい、だから、化粧で飾らないそのままの顔が、僕は一番美しい顔やと思う」
あるとき、主人がそう言っているのを聞いてからは、「しげきち」にくるときは化粧もほとんどしなくなった。
確かに、しげきちの家庭料理は主人の言うようにシンプルで美味しかった。しかし、メニューが少なく、バリエーションがないので単調で飽きがきていた。
(メニューを増やさないとダメなんじゃないかな)
そんなことを考えたりしたが、いつしか、
(いや、そうじゃない。自分の色に変えるんだ。雰囲気も、メニューも全部。このお店を自分の色に変えて、自分の城にするんだ)
そう思うようになっていた。この店を改装してどういった雰囲気にするか、そして、どういったお酒を並べて、どういう料理を出すか。そればかりを考えるようになっていた。そして麻里はそれを実現するため、ずっと家庭料理が大好きな女性を演じてきたのだ。
いつだったか、
「しげきちさんのように、素材の味を大切にした料理だけを出す店は少なりましたね。今は料理のメニューが増えて、素材の味を殺している料理を出す店も少なくない。お酒を楽しむ料理は、シンプルでいい。だから、メニューなんて多くなくてええんです。こういったシンプルな昔ながらの家庭料理が、一番ですね。いつまでも飽きません」
と言っていた常連がいたが、麻里はそんな意見にとても賛同できなかった。確かに美味しいが、同じ家庭料理ばかりだと飽きてくるではないか。見たところ30歳過ぎに見えたが、やけにジジくさいことを言う奴だなと思った。
(私のお店は違う。もっと派手で、南国っぽくて、沖縄のお店が多いこの大正でも、一番の沖縄のお店になる。そうしてみせる)
そして今、その準備が整ったのだ。
おそらく、このタイミングで結婚をちらつかせれば、主人は食いついてくるだろう。元々結婚願望は強い人だ。
麻里には結婚願望のかけらもなかった。今まで付き合ってきた男性とも、一度も結婚を考えたことなどない。今は、女性が一人でも十分に生きていける時代だ。好きなことをして、自由に生きて行くんだ。自分の自由が奪われる結婚に、微塵も興味がわかなかった。
子供が可愛い?
とんでもない。子供など、自分の自由を奪う疫病神でしかない。そういうふうにしか思えないから、麻里が結婚したいなどと考えることはなかった。
しかし、である。
もし、結婚によって自分のほしいものが手に入り、さらに自分の自由が奪われないとなれば話は別だ。この「結婚」というシステムを利用して、夢に近づくまでの時間を短縮するのも一つの手段だ。伏線は張ってある。
「しげきち」に通っている間、自分の結婚観については伝え続けてきた。
もちろん、お客として世間話をする体で話しいるが、それは振りで、完全にしげきちの主人を意識した自己アピールだ。
・お互いに干渉しない
・子供はいらない
・自分のことは自分でやる
・家族同士の付き合いはしない
など、何気ない会話の中にしっかりとちりばめた。そして最後に
「お互い本気で愛し合っていないと、そういう関係はなりたたない」
という主人が好きそうな言葉を付け足すのを忘れなかった。
45歳の冴えない中年が20代の嫁をもらうなど、夢のような話だろう。さらに、主人は元々結婚願望が強い。つけいる隙なんて、十分すぎるほどにある。大事なのは、結婚してから、どれだけ自分の思い通りになるか。麻里はすべてを思い通りにしたかった。そして、完全に主人は自分の手に落とした自信はあった。
結婚後、主人は自分のいいなりになるとして、心配なのは主人の母だった。お店を変えていくとき、いろいろと反対されそうな気がしたからだ。しかし、幸いなことにもうすぐ亡くなるというではないか。これで邪魔者はいなくなる。
(機は熟した)
そう確信した。
交際を申し込んだのは麻里からだった。主人が申し出を断るはずもなく、二人の交際がスタートした。付き合い始めてお店を手伝うようになり、常連客の勧めもあって、わずか半年で籍を入れた。主人の母も喜んでくれていた。病床から
「こんな息子と結婚してくれて本当にありがとう」
と言われたが、礼には及ばない。利用させてもらっただけだ。
「こんな自分ですが、よろしくお願いします」
そう言うと、病床で母親は涙を流していた。
(めでたい母親だ)
結果的に麻里と母親との対面はこれが最初で最後になった。
結婚後は、まさに自分の思い描いたとおりになった。休みは自分の好きなように遊んだし、夜だってお店が終わってから、飲みたいときは好きなように出ていった。そして、お店を自分好みに変えることについても、主人から若干の反対はあったが、自分の意見を押し通した。
「好きなようにやればいい」
最後はそう言ってくれていた。
予定通りだった。また、主人は思った以上にお金を持っていた。お店を改装するとき、お金を借りなければいけないかなと思っていたが、借金なしでいけそうだった。
もう、お店の改装へ向け本格的な準備を進めるだけ。そんなときだった。あのジジくさい常連客がきたのは。
「料理はシンプルでメニューも少なくていい」
そう言っていた常連客は「田坂」という男で主人と仲がよかった。
その田坂が東京出張になったらしく、その話を主人にしにきていたのだ。
「東京に行くことになりまして、たぶんしばらく帰ってこれません。東京にもこんな地元に愛されているお店があるとええんですけど、なかなか、自分の『家』というか、そんな感じで落ち着ける良いお店ってないんですよね。大正でも、いや、僕が知る限り、大阪でもここくらいやないかな。他の常連のみんなもきっとそう思ってますよ。大阪に帰ってきたときは、絶対にここに帰ってきますね」
そう言って笑っていた。そして、その言葉を聞いてから主人の態度がかわった。
「やっぱり、店はこのまま残す。オヤジの夢をオレとオカンで実現させて、形にした。いわば、この店はおれたち家族で作った夢なんや。ほんで、その夢は、たくさんの人に愛されてる。それを、やっぱり壊されへん。麻里、お前は自由気ままやけど、その夢を支えてくれるもんやと信じてた。いや、心のどっかではわかっとったんや。お前好みの店ではないと、でも、信じてた。それだけは、信じようとしたんや。オレへの愛情はないかもしれん。でも、この店への愛情は持ってくれてると信じてたんや」
その日の夜、主人はそう言って涙を流した。
(親子揃ってほんとにめでたい)
「もちろん、愛情持ってるよ。お店、なくならないよ。お義父さんとお義母さん、そしてあたなが作った夢に、私の夢も乗せてほしいだけ。私もお店を持つのが夢だったから。だから、私の夢も加えてほしい。家族三人の夢から、家族四人の夢になるのよ。形が変わるだけ。形が変わっても、みんなの思いはそのまま残るのよ」
こんな感じで言っておけば大丈夫だ。主人は私に惚れている。最終的にはいいなりになるはずだ。
「いや、そうは思われへん。麻里、お前の言葉には心がないんや。これまでもやけど、上辺でとりつくろうのはほんまにうまい。でもな、心がないから、響かへんねん。最初は、若くてキレイな嫁をもらえるってだけで舞い上がってたけど、今はそれがよーわかるようになってきたんや」
一旦言葉を切って、主人はじっとこちらを見て来た。
「お前がおれと結婚した理由な、はっきりとわかってきた。おれもあほや。最初から冷静になれてれば、もっと早くに気づけてた。いや、気づいとったかんかもしれんな。ほんまの理由を考えようとせーへんかった。『もしかしたら、おれのことがほんまに好きなんかも』って心のどっかで思って、目を背けてたんやな」
(くそ。田坂とかいう常連客のせいで…もうちょっとだったんだ。でも、ここまで来て引き下がれるか!)
「違う!私はあなたのことを愛してる。だから結婚したの。それだけだよ。私達、本気で愛し合ってるんじゃないの?いつもお店で一緒だけど、あなたのことを嫌と思ったことなど一度もない。休みの日は確かに別で行動することが多いけど、いつもあなたを思ってる。あなたはそうじゃないの?お互いが本気で愛しあってるから、あなたがいなくても、あなたを感じれる。あなたは違うの?」
そして、うっすらと涙を浮かべる。
(どうだ、あんたの最愛の嫁が目の前で泣きながらあんたのことを好きって言ってるんだ。素直に信じとけばいいんだ。疲れるから、もうこれ以上泣かすんじゃねーぞ)
「そんな目で見られると、また信じてまいそうになるな。けど、あかん。やっぱり店は譲られへん。麻里、おれのことが好きやったら、店はそのままでもええはずや。どうしても、店を自分好みに変えるっていうなら、麻里、おれは、お前と離婚する」
(くそ!)
「なんでよ!愛し合ってるのに離婚っておかしいじゃない!」
「おかしない!お前は、オレのことなんか…」
そう言ったところで主人が胸をおさえて苦しがり始めた。心臓が悪い主人は最近不整脈が多く、たまに苦しくなるみたいだ。今回は興奮したのが悪かったのだろう。
「大丈夫?薬、持ってくる」
ぜえぜえ苦しそうな息をする主人。薬を飲んである程度落ち着いた後、
「さっきの気持ちは変わらへん。店を変えるんやったら離婚や」
もう一度、麻里に向かってそう言った。
「・・・せん、え~っと、すみません。すみませ~ん」
女性客の声で我にかえる麻里。
「あ、すみません!少し考えごとをしていて」
「何か、オススメの沖縄のお酒ってありますか?」
麻里が答えようとすると、男たちが、
「なんでもうまいよー!ねえちゃんたちお酒強い?強かったら泡盛いこうか、泡盛っていうてもいろいろあってな…」
(こいつら…)
麻里は止めようとしたが、女性客が泡盛に興味を持ったようなので、任せることにした。普段からこの店でいろんな泡盛飲みまくってるやつらだ。間違ったことは言わないだろう。
(それにしても、素直に改装に賛成しておけば、死ぬことはなかったんだ)
主人が亡くなったのは今から1年前。それからほどなくして主人の母親も亡くなったので、お店は完全に麻里のものになっていた。
(結果としては、最高の形になったけどね)
もう一度、麻理は男たちをみた。そして、歪んだ笑みを浮かべた。
カウンター越しに金城麻里が言う。
「つれないねぇ、まりちゃん。オレらがおらんと、このお店持つこともできへんかったんやし、もうちょっと優しくしてや」
そう言って、男は泡盛のロックを一気に飲み干した。
「そうそう、オレらには足向けて寝られへんやろ。まだまだ飲みまっせー。オレ、残波のロックなー」
隣にいた男も同調する。
「あんたらにはこの半年、格安で飲ませたったやないの。もう十分恩は返してます」
はぁっとため息をついたとき、
「カラン」
入り口のドアが開き、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
麻里が言ったあと、
「ようこそいらっしゃいませー!」
と男たちも続いた。キッ、ときつく男たちを睨んでから麻里がお客を案内する。
金城麻里がこの沖縄バー、「ICHARI場ー」をオープンさせてから半年が経とうとしていた。いつしか自分のお店を持つのが夢となっていて、半年前にやっと念願がかなったのだ。お店はオープンから順調だった。ここ大阪市の大正区は沖縄の人間が多く、沖縄のお店も多かったので、「沖縄バー」という少し変わった感じのお店も、ここではすんなりと受け入れられた。
大阪で「お店を持つ」という夢が最初からあったわけではない。関西の大学に進学して、そのまま大阪の会社に就職し、普通にOL生活を送っていた。沖縄出身の麻里は、お酒が好きだった。オシャレなカフェより、オヤジたちが好きそうな飲み屋の方が落ち着いた。そういう麻里なので、会社の同僚からオシャレなお店へ誘われてもついて行くことが少なくかった。それだったら一人でも、ゆっくり飲みたかった。
そんな麻里のお気に入りの場所が大正だった。自分好みの飲み屋がたくさんあったし、何より、沖縄のお店が多かった。大阪にいながら、本格的な地元の料理とお酒が楽しめるのは嬉しかった。
また、大正区は大阪市でありながら周りが海と川に囲まれているので、どこから入るにしても、必ず橋を渡るか、大阪市が運営する渡船に乗らないといけない。いわば「陸の孤島」である。そういったところも少し沖縄と通じる気がして、麻里は好きだった。
大正の飲み屋で同郷の人がお店を出した話を聞いているうちに、
(自分もお店を持ってみたい)
そう思うようになった。
(沖縄のお店が多いけど、自分にしか出せない沖縄のお店を持ちたい)
そんな思いが日に日に強くなっていき、本気でお店を持つためにはどうすればいいか考え出していた。今年で28歳、30歳までには自分のお店を持ちたい。そう思っていた。
そんなころだ、大正で知り合った飲み仲間に連れられて「しげきち」に初めて行ったのは。
沖縄のお店が多い大正であるが、地元の人がやっているこじんまりとした飲み屋もあって、「しげきち」もそのうちの一つだった。常連客の多い地域密着のお店だ。
カウンターとテーブルが二つあるだけの小さなお店。お店は主人が一人でやっていたが、出てくる料理の一つ一つが丁寧で、お店の雰囲気と併せて、「小料理屋」という表現がぴったりのお店だった。お酒と料理が美味しかったので、麻里もちょくちょく「しげきち」に通うようになった。通っているうちに店の主人とも話すようになった。
「しげきち」は、もともと主人の父親が亡くなったあと、母親と二人で始めたお店とのことだった。
引退後、小料理屋を出したいという夢があった主人の父親だったが、その夢叶わずに亡くなってしまった。だから、母と二人で父の夢を実現したというとこだった。
オープンしてからお店の方は順調で、ほどなくしてすっかり地元の人に愛されるお店になった。その後もお店は順調だったが、3ヵ月前、一緒にお店をやっていた母親が倒れた。末期の胃癌だったようで、今も入院しているそうだが、もって1年と言われたようだ。
母親が倒れてからは、何とか主人が一人でお店をやっていたが、主人は独身だったので、よく、
「手伝ってくれる奥さんでもいればいいんですけどね」
と言っていた。しばらくは、一人で頑張っていた主人だったが、やはり、一人はしんどかったようで、
「店をたたもうかな」
と言うようになった。元々、心臓に持病があったようで最近不整脈も増えてきていたらしい。お店を出して5年、40歳のときにお店を始めたので、主人は45歳とまだ若かった。
だから、店をたたんでどこか別の働き口を探すつもりだったのかもしれない。
「そうなんですか」
残念そうな顔をしながら、麻里は、
(よし、そろそろか)
と内心ほくそ笑んでいた。実は、麻里がこの店に通うのには他にも理由があった。
確かに、初めは料理やお酒が美味しかったからだ。しかし、通っていくうちにお店の事情もわかってくる。主人の性格もだ。そして、いつしか思うようになった。
(この店を、自分のものにしてしまおう)
と。
話してる感じでわかっていた。主人は自分に気があると。そして、自分もそうなるようにしっかり演じてきたのだ。主人が好きなおしとやかな女性を。
「僕は、料理は素材の味を大切にしたいから、丁寧に仕事はするけど、余分な手や調味料は加えないようにしてる。女性も同じやと思う。そのままが一番美しい、だから、化粧で飾らないそのままの顔が、僕は一番美しい顔やと思う」
あるとき、主人がそう言っているのを聞いてからは、「しげきち」にくるときは化粧もほとんどしなくなった。
確かに、しげきちの家庭料理は主人の言うようにシンプルで美味しかった。しかし、メニューが少なく、バリエーションがないので単調で飽きがきていた。
(メニューを増やさないとダメなんじゃないかな)
そんなことを考えたりしたが、いつしか、
(いや、そうじゃない。自分の色に変えるんだ。雰囲気も、メニューも全部。このお店を自分の色に変えて、自分の城にするんだ)
そう思うようになっていた。この店を改装してどういった雰囲気にするか、そして、どういったお酒を並べて、どういう料理を出すか。そればかりを考えるようになっていた。そして麻里はそれを実現するため、ずっと家庭料理が大好きな女性を演じてきたのだ。
いつだったか、
「しげきちさんのように、素材の味を大切にした料理だけを出す店は少なりましたね。今は料理のメニューが増えて、素材の味を殺している料理を出す店も少なくない。お酒を楽しむ料理は、シンプルでいい。だから、メニューなんて多くなくてええんです。こういったシンプルな昔ながらの家庭料理が、一番ですね。いつまでも飽きません」
と言っていた常連がいたが、麻里はそんな意見にとても賛同できなかった。確かに美味しいが、同じ家庭料理ばかりだと飽きてくるではないか。見たところ30歳過ぎに見えたが、やけにジジくさいことを言う奴だなと思った。
(私のお店は違う。もっと派手で、南国っぽくて、沖縄のお店が多いこの大正でも、一番の沖縄のお店になる。そうしてみせる)
そして今、その準備が整ったのだ。
おそらく、このタイミングで結婚をちらつかせれば、主人は食いついてくるだろう。元々結婚願望は強い人だ。
麻里には結婚願望のかけらもなかった。今まで付き合ってきた男性とも、一度も結婚を考えたことなどない。今は、女性が一人でも十分に生きていける時代だ。好きなことをして、自由に生きて行くんだ。自分の自由が奪われる結婚に、微塵も興味がわかなかった。
子供が可愛い?
とんでもない。子供など、自分の自由を奪う疫病神でしかない。そういうふうにしか思えないから、麻里が結婚したいなどと考えることはなかった。
しかし、である。
もし、結婚によって自分のほしいものが手に入り、さらに自分の自由が奪われないとなれば話は別だ。この「結婚」というシステムを利用して、夢に近づくまでの時間を短縮するのも一つの手段だ。伏線は張ってある。
「しげきち」に通っている間、自分の結婚観については伝え続けてきた。
もちろん、お客として世間話をする体で話しいるが、それは振りで、完全にしげきちの主人を意識した自己アピールだ。
・お互いに干渉しない
・子供はいらない
・自分のことは自分でやる
・家族同士の付き合いはしない
など、何気ない会話の中にしっかりとちりばめた。そして最後に
「お互い本気で愛し合っていないと、そういう関係はなりたたない」
という主人が好きそうな言葉を付け足すのを忘れなかった。
45歳の冴えない中年が20代の嫁をもらうなど、夢のような話だろう。さらに、主人は元々結婚願望が強い。つけいる隙なんて、十分すぎるほどにある。大事なのは、結婚してから、どれだけ自分の思い通りになるか。麻里はすべてを思い通りにしたかった。そして、完全に主人は自分の手に落とした自信はあった。
結婚後、主人は自分のいいなりになるとして、心配なのは主人の母だった。お店を変えていくとき、いろいろと反対されそうな気がしたからだ。しかし、幸いなことにもうすぐ亡くなるというではないか。これで邪魔者はいなくなる。
(機は熟した)
そう確信した。
交際を申し込んだのは麻里からだった。主人が申し出を断るはずもなく、二人の交際がスタートした。付き合い始めてお店を手伝うようになり、常連客の勧めもあって、わずか半年で籍を入れた。主人の母も喜んでくれていた。病床から
「こんな息子と結婚してくれて本当にありがとう」
と言われたが、礼には及ばない。利用させてもらっただけだ。
「こんな自分ですが、よろしくお願いします」
そう言うと、病床で母親は涙を流していた。
(めでたい母親だ)
結果的に麻里と母親との対面はこれが最初で最後になった。
結婚後は、まさに自分の思い描いたとおりになった。休みは自分の好きなように遊んだし、夜だってお店が終わってから、飲みたいときは好きなように出ていった。そして、お店を自分好みに変えることについても、主人から若干の反対はあったが、自分の意見を押し通した。
「好きなようにやればいい」
最後はそう言ってくれていた。
予定通りだった。また、主人は思った以上にお金を持っていた。お店を改装するとき、お金を借りなければいけないかなと思っていたが、借金なしでいけそうだった。
もう、お店の改装へ向け本格的な準備を進めるだけ。そんなときだった。あのジジくさい常連客がきたのは。
「料理はシンプルでメニューも少なくていい」
そう言っていた常連客は「田坂」という男で主人と仲がよかった。
その田坂が東京出張になったらしく、その話を主人にしにきていたのだ。
「東京に行くことになりまして、たぶんしばらく帰ってこれません。東京にもこんな地元に愛されているお店があるとええんですけど、なかなか、自分の『家』というか、そんな感じで落ち着ける良いお店ってないんですよね。大正でも、いや、僕が知る限り、大阪でもここくらいやないかな。他の常連のみんなもきっとそう思ってますよ。大阪に帰ってきたときは、絶対にここに帰ってきますね」
そう言って笑っていた。そして、その言葉を聞いてから主人の態度がかわった。
「やっぱり、店はこのまま残す。オヤジの夢をオレとオカンで実現させて、形にした。いわば、この店はおれたち家族で作った夢なんや。ほんで、その夢は、たくさんの人に愛されてる。それを、やっぱり壊されへん。麻里、お前は自由気ままやけど、その夢を支えてくれるもんやと信じてた。いや、心のどっかではわかっとったんや。お前好みの店ではないと、でも、信じてた。それだけは、信じようとしたんや。オレへの愛情はないかもしれん。でも、この店への愛情は持ってくれてると信じてたんや」
その日の夜、主人はそう言って涙を流した。
(親子揃ってほんとにめでたい)
「もちろん、愛情持ってるよ。お店、なくならないよ。お義父さんとお義母さん、そしてあたなが作った夢に、私の夢も乗せてほしいだけ。私もお店を持つのが夢だったから。だから、私の夢も加えてほしい。家族三人の夢から、家族四人の夢になるのよ。形が変わるだけ。形が変わっても、みんなの思いはそのまま残るのよ」
こんな感じで言っておけば大丈夫だ。主人は私に惚れている。最終的にはいいなりになるはずだ。
「いや、そうは思われへん。麻里、お前の言葉には心がないんや。これまでもやけど、上辺でとりつくろうのはほんまにうまい。でもな、心がないから、響かへんねん。最初は、若くてキレイな嫁をもらえるってだけで舞い上がってたけど、今はそれがよーわかるようになってきたんや」
一旦言葉を切って、主人はじっとこちらを見て来た。
「お前がおれと結婚した理由な、はっきりとわかってきた。おれもあほや。最初から冷静になれてれば、もっと早くに気づけてた。いや、気づいとったかんかもしれんな。ほんまの理由を考えようとせーへんかった。『もしかしたら、おれのことがほんまに好きなんかも』って心のどっかで思って、目を背けてたんやな」
(くそ。田坂とかいう常連客のせいで…もうちょっとだったんだ。でも、ここまで来て引き下がれるか!)
「違う!私はあなたのことを愛してる。だから結婚したの。それだけだよ。私達、本気で愛し合ってるんじゃないの?いつもお店で一緒だけど、あなたのことを嫌と思ったことなど一度もない。休みの日は確かに別で行動することが多いけど、いつもあなたを思ってる。あなたはそうじゃないの?お互いが本気で愛しあってるから、あなたがいなくても、あなたを感じれる。あなたは違うの?」
そして、うっすらと涙を浮かべる。
(どうだ、あんたの最愛の嫁が目の前で泣きながらあんたのことを好きって言ってるんだ。素直に信じとけばいいんだ。疲れるから、もうこれ以上泣かすんじゃねーぞ)
「そんな目で見られると、また信じてまいそうになるな。けど、あかん。やっぱり店は譲られへん。麻里、おれのことが好きやったら、店はそのままでもええはずや。どうしても、店を自分好みに変えるっていうなら、麻里、おれは、お前と離婚する」
(くそ!)
「なんでよ!愛し合ってるのに離婚っておかしいじゃない!」
「おかしない!お前は、オレのことなんか…」
そう言ったところで主人が胸をおさえて苦しがり始めた。心臓が悪い主人は最近不整脈が多く、たまに苦しくなるみたいだ。今回は興奮したのが悪かったのだろう。
「大丈夫?薬、持ってくる」
ぜえぜえ苦しそうな息をする主人。薬を飲んである程度落ち着いた後、
「さっきの気持ちは変わらへん。店を変えるんやったら離婚や」
もう一度、麻里に向かってそう言った。
「・・・せん、え~っと、すみません。すみませ~ん」
女性客の声で我にかえる麻里。
「あ、すみません!少し考えごとをしていて」
「何か、オススメの沖縄のお酒ってありますか?」
麻里が答えようとすると、男たちが、
「なんでもうまいよー!ねえちゃんたちお酒強い?強かったら泡盛いこうか、泡盛っていうてもいろいろあってな…」
(こいつら…)
麻里は止めようとしたが、女性客が泡盛に興味を持ったようなので、任せることにした。普段からこの店でいろんな泡盛飲みまくってるやつらだ。間違ったことは言わないだろう。
(それにしても、素直に改装に賛成しておけば、死ぬことはなかったんだ)
主人が亡くなったのは今から1年前。それからほどなくして主人の母親も亡くなったので、お店は完全に麻里のものになっていた。
(結果としては、最高の形になったけどね)
もう一度、麻理は男たちをみた。そして、歪んだ笑みを浮かべた。
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真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
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「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
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