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本編
第21話:モフモフと赤竜の逆鱗
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ルカスの中心部、第一エリアには最古参の家々が並ぶ。
小さな村だったルカスは、入植者が増えるに連れて増築されていき、現在の巨大な都市にまで成長を遂げたという歴史を持つ。その第一歩を踏み出した者たちが住まう名誉ある土地が、ここ第一エリアなのである。
すべてがここから始まった、という意味を込めて『始まりの村』とも呼ばれる由緒ある区画なのだ。
ただし、名誉があることと裕福であることは必ずしも一致しない。木製の家がほとんどで、老朽化が進み色褪せているものも多い。
歴史を感じさせる風情のある街並み――といえば聞こえはいいが、実際には建て替える費用が捻出できず、修繕もままならないのが実情だ。
そんな中、景観を無視する形で建てられた石造りの砦がある。協調性の欠片|《かけら》もない建造物。堅牢だけが自慢のその砦は、まだルカス草原が危険だった頃、村人の避難所として使われていた歴史がある。
開拓が進み、安全が確保されるに連れて使われなくなった砦。今では完全に役目を終えた建物は、冒険者ギルド・ルカス支部の本拠地として再利用されている。
第一の鐘も鳴らぬ早朝。
まだ出勤しているギルド職員はいない。
そんな無人であるはずの冒険者ギルドの前に、二つの人影があった。
その内の一人、頑強な扉を背にロッカは気だるげに言った。
「で、なんでおまえがいるんだよ」
「仕方ないでしょ。これも仕事の内よ」
「ハッ、どうだか」
ロッカは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
その人を見下したような印象を与えかねない態度を前に、しかし、美しい白金の髪を持つ美女は気にする素振りも見せない。
少し派手めのローブは、魔導師である彼女の正装である。目深に被っていたフードを後ろにずらし、友人とも仲間とも少しだけ違う関係の人物――ミスティはため息混じりに言った。
「家庭の事情ってやつよ」
「まったく、面倒な家庭だな」
吐き捨てるように言って、そのまま沈黙する。
アヴァンとミスティには複雑な事情があるらしい。それは随分と前から知っていたことだが、ロッカは踏み込んだ質問を投げかけたりはしない。必要なら向こうから話すだろう、というのが理由だ。
ただ、アヴァンの甘い性格を考えると、どこかの裕福な坊ちゃんなのではないか、と思う。その後ろを付いて回るミスティは、護衛役か監視役か、そんなところだろう。
それらの事情はロッカにとってどうでもいいことだったが、今この状況において無視できない問題が一つだけあった。
「余計な諍いは起こすなよ。アヴァンのためにもな」
「わかってるわよ。あんたの二の舞はごめんだしね」
「ハッ、言うじゃねえか」
顔面を覆うように巻いた包帯を横目に言ったミスティに、ロッカは欠けた前歯を覗かせて苦笑した。
鈍感なのでアヴァンは気づいていないが、確実にミスティはアヴァンに好意を寄せている。それは傍目から見ていれば一目瞭然だった。
それがここにきて、アヴァンが初めて異性に好意を抱いてしまったようなのだ。なにせ今回の件について、頑なに『ナナミには何も知らせないでくれ』と念押しされたぐらいだ。
しかも、命の次に大事な冒険者の証を貸し出すなんて、普通では考えられない暴挙である。ロッカの知る限り、アヴァンは甘い男ではあるが、そのような後先を考えない真似をするやつではない。
「それだけあいつも本気なんだろうな」
ミスティが眉をひそめてこちらを見る。
「……なにが?」
「なんでもねーよ。そんなことより、やっぱ邪魔だわ。おまえは帰れよ」
「あんたね、あたしの話聞いてた?」
「あ? おまえらの事情なんて知らねーよ」
「なによ、知りたかったの? 別に話してもいいわよ」
「興味ねーな」
「あっそ」
いつも通りの軽口を叩き合う。これが微妙な距離を保つ二人の日常、腐れ縁というやつだった。
しばらくの間そうしていると、朝靄の中に足音を響かせて人影が現れた。小柄な体に不釣合いな大きなリュックサックを背負い、その胸には大事そうに白毛の球体が抱えられている。
黒髪黒目という珍しい風貌を持つ少女。可愛らしい見た目に反して、その内に絶大な力を秘めていることを今のロッカは知っている。不幸にもチンピラ風情が絡んでいけば、悲惨な一途を辿ることだろう。A級の証を付けている状態は、図らずとも、無謀な戦いを挑ませない抑止力になっているはずだ。
少女の接近を確認し、ロッカは扉から身を起こした。
「よぉ、討伐の証は持ってきたか?」
ミスティにちらりと視線を向けてから、七海は力強く頷いた。隣でミスティが息を呑み、僅かに怯むのが伝わってくる。
確かに、敵に回せば恐ろしい相手ではある。しかし、話の通じない魔族や魔物と違い、敵対行動さえ取らなければ彼女から仕掛けてくることはないだろう。今のロッカにはその確信がある。
獰猛な野獣とは違う人間らしい感情を彼女は持っている。隠していた実力を証明する気になったのも、アヴァンを助けるために他ならない。
魔物と親しくしているのは未だに不愉快だったが、そこさえ目を瞑れば何ら恐れる相手ではない、というのが結論だ。
二の足を踏むミスティの背中を強めに叩いて活を入れ、ロッカは二人に向けて言った。
「ついてこい」
重量のある扉を押し開けて、中へと入る。
砦の内部は、訪れた者に圧迫感を与えないように全面板張りが施されている。
入ってすぐの位置。広々とした空間に併設された受付カウンター。普段は受付嬢が笑顔で出迎えてくれるのだが、今は早朝ということもありそこは空席だった。
立ち止まることなく受付を素通りし、冒険者同士の交流に使われている円卓を縫うように進んでいく。
階段を上り、二階へ。
二階部分は、板張りが施されておらず、灰色の石がむき出しのままだ。赤い絨毯が敷かれた廊下の先、数ある扉を通り過ぎた最奥に目的の執務室はある。
扉に向かって、ノックを二回。
コンコン。
「…………」
返事は返らなかった。
怪訝に思い、ロッカは「失礼します」と一言添えて扉を開けた。
重厚な質量を伴う執務用の机が、壁際に置かれている。それと対となるのは、革張りの大きな黒椅子だ。主が席を立ってそのまま放置されたのか、回転式の椅子は斜めを向いていた。
また、執務机とは別に、部屋の中央には長方形の大きなテーブルと、複数の椅子が等間隔に置かれている。テーブルの上には、大きな地図が広げられていて、まだ小さかった頃のルカスを含む周辺の様子が描かれていた。
室内に人の気配はなかった。待ち合わせの人物がいないことにロッカは眉をひそめ、首を捻った。リュックサックを床に下ろし、石壁に飾られた多肢に渡る武器を眺めながら七海が言った。
「随分と物々しい部屋だね」
間を持たせるためにロッカが応じる。
「ああ、作戦司令室だったものを改装して使ってんだよ」
「ちょっと、ロッカ。支部長に話通してあったんじゃないの」
腕を組み、室内を見渡しながらそう口にしたのはミスティだ。痛いところを突かれ、ロッカの顔が渋くなる。
「そのはずなんだが……おかしいな」
大概の場合、力を抜いて適当に物事をこなすのがロッカの流儀だが、それでも請け負った仕事は完遂するのがモットーだ。話を通しておくと宣言したにも拘わらず、肝心要の待ち人がいないのでは流石のロッカも強くは出られない。
しばらく待っても待ち人は現れず、仕方なくロッカは口を開いた。
「悪い、不手際があったみたいだ。日を改めてもいいか?」
しかし、七海は首を傾げて言った。
「その支部長って人を待ってるんだよね?」
「ああ、そうだ」
「その人って、もしかして黒装束に身を包んだ白髪のお爺さんのこと?」
「ああ――」
そうだ、と言い掛けて言葉を呑む。
(なんでこの女が支部長の特徴を知ってるんだ。まさか……!?)
弾かれたように体を回転させて、室内を素早く見回した。が、やはり人影はおろか気配すら感じられない。ミスティも同じ考えに至ったらしく、ロッカに習って室内に目を凝らし始める。
そんな二人を見ながら七海は苦笑して、
「あそこ」
示されたのは執務机だった。しかし、やはり支部長の姿はない。ただ、ロッカはなぜか違和感を覚えた。その時、ミスティが上擦った声で、
「椅子の角度が変わってる……」
言われ、ようやく気づいた。執務室に入った正面、斜めに傾いていた黒椅子がいつの間にか後ろを向いているのだ。執務机には誰も近寄っていないし、椅子の向きを変えられるはずがない。
ぞくっと鳥肌が立つのがわかった。
支部長は元暗殺者だという噂が脳裏を過ぎり、ロッカの背を冷たい汗が伝い落ちる。支部長がその気になれば、いつでも自分の命を奪えるに違いない。喉元に剣先を突き付けられたような緊張感が全身を支配していく。
と、ふいにキィキィという金属音を鳴らしながら、黒椅子がゆっくりと回転を始めた。次第に腰掛ける人影が明らかになっていき、そしてとうとう見知った顔が姿を現した。
顎に伸ばした白髭をゆっくりと撫でながら、愉快そうに微笑を浮かべる老人。年齢を感じさせない鍛え抜かれた体躯に黒装束をまとい、白髪をオールバックに整えたその人物は、冒険者ギルド・ルカス支部長のギールに間違いなかった。
ロッカが抗議の声を上げるより早く、ギールが愉快そうに言った。
「ふむ、なるほどのう。冒険者にとって最も重要なことの一つ……観察力はA級の冒険者二人より上のようじゃな。只者でないことはよくわかった」
ミスティが悔しそうに顔を歪めた。そして納得いかないとばかりに唸る。
「この娘より、私たちが劣るって言うんですか!?」
「事実、見破ったのはお嬢さんだけじゃろう?」
ああ、やっぱり対抗心を燃やしてやがる――とロッカは内心でため息をつく。
しかし、抜き打ちで行われたギールの試験をクリアできたのは大きい。S級冒険者の素質があるという自分の主張が、ギールの中で真実味を帯びたことだろう。
気落ちしたミスティに憐憫の視線を向けた後、七海が確認するように訊いた。
「あの、私が実力を証明できたら、今回の件が不問になるって本当ですか?」
「むきゅう?」
少女が首を傾けると、その胸の中にいる白毛も一緒に体を傾ける。魔物でなければ、ロッカも可愛らしいと思ったかもしれない。そんな二つの視線に問われ、ギールは「ふむ」と頷いて、
「A級の冒険者にA級の証を貸し出すことは何の問題もない。しかし、わしの特別権限を使ってA級に昇格させるには、将来S級になれる素質を見せてもらわなければならない。それは簡単なことではないぞ」
老人の目に光が灯る。目元に深く刻まれた皺の奥、温和な瞳のさらに奥、その深淵に宿った鋭い光が七海を射抜く。が、彼女は物怖じすることなく頷き、
「S級の魔物を討伐した証を持ってきました。少し待ってください」
そう言って、大事に抱えていたマフマフをテーブルの上にポンッと置くと、持参したリュックサックを漁り始めた。
しかし、
「あれ、おっかしいな。引っかかってるのかな」
なにか大きなものを無理矢理引っ張り出そうとしているようだ。その試みが失敗に終わり、次に七海はリュックサックの中身をポイポイと机の上に置き始めた。
それらは牙であったり、角であったり、魔物の核を成す結晶であったりと様々だった。その何れも、A級の魔物から得た戦利品であり、高値で売れるものもいくつか混じっている。
その中に、S級の魔物から得たであろう戦利品を見つけ、ロッカは思わずガッツポーズを取った。
「それはマンティコアの牙じゃねーか! そいつなら――」
「取れたー!!」
「むきゅう!」
ロッカが言い終わらぬうちに、ガラガラと他の戦利品の間からサルページされたソレは、血のように真っ赤な光沢を備えた大きな鱗だった。
机の上に置かれた鱗は、鎧の胸当てにそのまま使えそうなぐらい大きい。それがとても貴重な品だということをロッカは知っていた。しかし、
「残念だが、それは討伐証明部位として使えねーんだ」
七海の顔が不安に染まる。
「そうなの……?」
しかし、S級の魔物の討伐証明部位をすでに発見済みのロッカは余裕を崩さない。七海の当てが外れたのだとしても、そちらを提示すれば問題ないからだ。
「それは【赤竜の鱗】だろ。鱗は生え変わるから、赤竜を倒さなくても手に入れることができんだよ。だから討伐証明部位としては無効だ」
そもそも、いくら魔将級の実力があるとはいえ、赤竜を倒せるはずがない。
なぜなら、赤竜は最強の魔物であり、国でさえ討伐を諦めた規格外の化け物だからである。
気性は荒く、そして気位も桁違いに高い。手懐けようとした魔王に反旗を翻し、魔将を食い殺したなんて逸話まで残っている。その真偽はさて置いて、赤竜の実力は魔将以上であると考えられている。
地獄の吐息は一息で村を焼き尽くし、跡には何も残らない。幾千の屍を築き上げ、火炎の息吹で蹂躙される。人間に許された唯一の抵抗は、赤竜の活動領域から撤退することぐらいだった。
そして無力なのはロッカも同様だった。
赤竜に故郷の村を襲われたことがある。大切な家族、友人、そして生まれ育った思い出の地、そのすべてを焼き払われた。八つ裂きにしても足らないほどの恨みを持ちながら、しかし、ロッカは復讐しようなどと考えたことは一度もない。
それほどに絶望的な力の差が、赤竜と人間の間にあったからだ。
その脅威を身を以って知るからこそ、ロッカは七海の発言を真剣に受け止めなかった。何か勘違いしたのだろう、と安易に考えた。しかし、そんな彼の思いとは裏腹に、なぜか七海は安堵の表情を浮かべて、
「ううん、これは【赤竜の鱗】じゃなくて【赤竜の逆鱗】だよ。竜族の弱点である逆鱗を毟り取ったんだけど、ダメだったかな?」
そんなとんでもないことを、さらっと言ってのけたのだった。
小さな村だったルカスは、入植者が増えるに連れて増築されていき、現在の巨大な都市にまで成長を遂げたという歴史を持つ。その第一歩を踏み出した者たちが住まう名誉ある土地が、ここ第一エリアなのである。
すべてがここから始まった、という意味を込めて『始まりの村』とも呼ばれる由緒ある区画なのだ。
ただし、名誉があることと裕福であることは必ずしも一致しない。木製の家がほとんどで、老朽化が進み色褪せているものも多い。
歴史を感じさせる風情のある街並み――といえば聞こえはいいが、実際には建て替える費用が捻出できず、修繕もままならないのが実情だ。
そんな中、景観を無視する形で建てられた石造りの砦がある。協調性の欠片|《かけら》もない建造物。堅牢だけが自慢のその砦は、まだルカス草原が危険だった頃、村人の避難所として使われていた歴史がある。
開拓が進み、安全が確保されるに連れて使われなくなった砦。今では完全に役目を終えた建物は、冒険者ギルド・ルカス支部の本拠地として再利用されている。
第一の鐘も鳴らぬ早朝。
まだ出勤しているギルド職員はいない。
そんな無人であるはずの冒険者ギルドの前に、二つの人影があった。
その内の一人、頑強な扉を背にロッカは気だるげに言った。
「で、なんでおまえがいるんだよ」
「仕方ないでしょ。これも仕事の内よ」
「ハッ、どうだか」
ロッカは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
その人を見下したような印象を与えかねない態度を前に、しかし、美しい白金の髪を持つ美女は気にする素振りも見せない。
少し派手めのローブは、魔導師である彼女の正装である。目深に被っていたフードを後ろにずらし、友人とも仲間とも少しだけ違う関係の人物――ミスティはため息混じりに言った。
「家庭の事情ってやつよ」
「まったく、面倒な家庭だな」
吐き捨てるように言って、そのまま沈黙する。
アヴァンとミスティには複雑な事情があるらしい。それは随分と前から知っていたことだが、ロッカは踏み込んだ質問を投げかけたりはしない。必要なら向こうから話すだろう、というのが理由だ。
ただ、アヴァンの甘い性格を考えると、どこかの裕福な坊ちゃんなのではないか、と思う。その後ろを付いて回るミスティは、護衛役か監視役か、そんなところだろう。
それらの事情はロッカにとってどうでもいいことだったが、今この状況において無視できない問題が一つだけあった。
「余計な諍いは起こすなよ。アヴァンのためにもな」
「わかってるわよ。あんたの二の舞はごめんだしね」
「ハッ、言うじゃねえか」
顔面を覆うように巻いた包帯を横目に言ったミスティに、ロッカは欠けた前歯を覗かせて苦笑した。
鈍感なのでアヴァンは気づいていないが、確実にミスティはアヴァンに好意を寄せている。それは傍目から見ていれば一目瞭然だった。
それがここにきて、アヴァンが初めて異性に好意を抱いてしまったようなのだ。なにせ今回の件について、頑なに『ナナミには何も知らせないでくれ』と念押しされたぐらいだ。
しかも、命の次に大事な冒険者の証を貸し出すなんて、普通では考えられない暴挙である。ロッカの知る限り、アヴァンは甘い男ではあるが、そのような後先を考えない真似をするやつではない。
「それだけあいつも本気なんだろうな」
ミスティが眉をひそめてこちらを見る。
「……なにが?」
「なんでもねーよ。そんなことより、やっぱ邪魔だわ。おまえは帰れよ」
「あんたね、あたしの話聞いてた?」
「あ? おまえらの事情なんて知らねーよ」
「なによ、知りたかったの? 別に話してもいいわよ」
「興味ねーな」
「あっそ」
いつも通りの軽口を叩き合う。これが微妙な距離を保つ二人の日常、腐れ縁というやつだった。
しばらくの間そうしていると、朝靄の中に足音を響かせて人影が現れた。小柄な体に不釣合いな大きなリュックサックを背負い、その胸には大事そうに白毛の球体が抱えられている。
黒髪黒目という珍しい風貌を持つ少女。可愛らしい見た目に反して、その内に絶大な力を秘めていることを今のロッカは知っている。不幸にもチンピラ風情が絡んでいけば、悲惨な一途を辿ることだろう。A級の証を付けている状態は、図らずとも、無謀な戦いを挑ませない抑止力になっているはずだ。
少女の接近を確認し、ロッカは扉から身を起こした。
「よぉ、討伐の証は持ってきたか?」
ミスティにちらりと視線を向けてから、七海は力強く頷いた。隣でミスティが息を呑み、僅かに怯むのが伝わってくる。
確かに、敵に回せば恐ろしい相手ではある。しかし、話の通じない魔族や魔物と違い、敵対行動さえ取らなければ彼女から仕掛けてくることはないだろう。今のロッカにはその確信がある。
獰猛な野獣とは違う人間らしい感情を彼女は持っている。隠していた実力を証明する気になったのも、アヴァンを助けるために他ならない。
魔物と親しくしているのは未だに不愉快だったが、そこさえ目を瞑れば何ら恐れる相手ではない、というのが結論だ。
二の足を踏むミスティの背中を強めに叩いて活を入れ、ロッカは二人に向けて言った。
「ついてこい」
重量のある扉を押し開けて、中へと入る。
砦の内部は、訪れた者に圧迫感を与えないように全面板張りが施されている。
入ってすぐの位置。広々とした空間に併設された受付カウンター。普段は受付嬢が笑顔で出迎えてくれるのだが、今は早朝ということもありそこは空席だった。
立ち止まることなく受付を素通りし、冒険者同士の交流に使われている円卓を縫うように進んでいく。
階段を上り、二階へ。
二階部分は、板張りが施されておらず、灰色の石がむき出しのままだ。赤い絨毯が敷かれた廊下の先、数ある扉を通り過ぎた最奥に目的の執務室はある。
扉に向かって、ノックを二回。
コンコン。
「…………」
返事は返らなかった。
怪訝に思い、ロッカは「失礼します」と一言添えて扉を開けた。
重厚な質量を伴う執務用の机が、壁際に置かれている。それと対となるのは、革張りの大きな黒椅子だ。主が席を立ってそのまま放置されたのか、回転式の椅子は斜めを向いていた。
また、執務机とは別に、部屋の中央には長方形の大きなテーブルと、複数の椅子が等間隔に置かれている。テーブルの上には、大きな地図が広げられていて、まだ小さかった頃のルカスを含む周辺の様子が描かれていた。
室内に人の気配はなかった。待ち合わせの人物がいないことにロッカは眉をひそめ、首を捻った。リュックサックを床に下ろし、石壁に飾られた多肢に渡る武器を眺めながら七海が言った。
「随分と物々しい部屋だね」
間を持たせるためにロッカが応じる。
「ああ、作戦司令室だったものを改装して使ってんだよ」
「ちょっと、ロッカ。支部長に話通してあったんじゃないの」
腕を組み、室内を見渡しながらそう口にしたのはミスティだ。痛いところを突かれ、ロッカの顔が渋くなる。
「そのはずなんだが……おかしいな」
大概の場合、力を抜いて適当に物事をこなすのがロッカの流儀だが、それでも請け負った仕事は完遂するのがモットーだ。話を通しておくと宣言したにも拘わらず、肝心要の待ち人がいないのでは流石のロッカも強くは出られない。
しばらく待っても待ち人は現れず、仕方なくロッカは口を開いた。
「悪い、不手際があったみたいだ。日を改めてもいいか?」
しかし、七海は首を傾げて言った。
「その支部長って人を待ってるんだよね?」
「ああ、そうだ」
「その人って、もしかして黒装束に身を包んだ白髪のお爺さんのこと?」
「ああ――」
そうだ、と言い掛けて言葉を呑む。
(なんでこの女が支部長の特徴を知ってるんだ。まさか……!?)
弾かれたように体を回転させて、室内を素早く見回した。が、やはり人影はおろか気配すら感じられない。ミスティも同じ考えに至ったらしく、ロッカに習って室内に目を凝らし始める。
そんな二人を見ながら七海は苦笑して、
「あそこ」
示されたのは執務机だった。しかし、やはり支部長の姿はない。ただ、ロッカはなぜか違和感を覚えた。その時、ミスティが上擦った声で、
「椅子の角度が変わってる……」
言われ、ようやく気づいた。執務室に入った正面、斜めに傾いていた黒椅子がいつの間にか後ろを向いているのだ。執務机には誰も近寄っていないし、椅子の向きを変えられるはずがない。
ぞくっと鳥肌が立つのがわかった。
支部長は元暗殺者だという噂が脳裏を過ぎり、ロッカの背を冷たい汗が伝い落ちる。支部長がその気になれば、いつでも自分の命を奪えるに違いない。喉元に剣先を突き付けられたような緊張感が全身を支配していく。
と、ふいにキィキィという金属音を鳴らしながら、黒椅子がゆっくりと回転を始めた。次第に腰掛ける人影が明らかになっていき、そしてとうとう見知った顔が姿を現した。
顎に伸ばした白髭をゆっくりと撫でながら、愉快そうに微笑を浮かべる老人。年齢を感じさせない鍛え抜かれた体躯に黒装束をまとい、白髪をオールバックに整えたその人物は、冒険者ギルド・ルカス支部長のギールに間違いなかった。
ロッカが抗議の声を上げるより早く、ギールが愉快そうに言った。
「ふむ、なるほどのう。冒険者にとって最も重要なことの一つ……観察力はA級の冒険者二人より上のようじゃな。只者でないことはよくわかった」
ミスティが悔しそうに顔を歪めた。そして納得いかないとばかりに唸る。
「この娘より、私たちが劣るって言うんですか!?」
「事実、見破ったのはお嬢さんだけじゃろう?」
ああ、やっぱり対抗心を燃やしてやがる――とロッカは内心でため息をつく。
しかし、抜き打ちで行われたギールの試験をクリアできたのは大きい。S級冒険者の素質があるという自分の主張が、ギールの中で真実味を帯びたことだろう。
気落ちしたミスティに憐憫の視線を向けた後、七海が確認するように訊いた。
「あの、私が実力を証明できたら、今回の件が不問になるって本当ですか?」
「むきゅう?」
少女が首を傾けると、その胸の中にいる白毛も一緒に体を傾ける。魔物でなければ、ロッカも可愛らしいと思ったかもしれない。そんな二つの視線に問われ、ギールは「ふむ」と頷いて、
「A級の冒険者にA級の証を貸し出すことは何の問題もない。しかし、わしの特別権限を使ってA級に昇格させるには、将来S級になれる素質を見せてもらわなければならない。それは簡単なことではないぞ」
老人の目に光が灯る。目元に深く刻まれた皺の奥、温和な瞳のさらに奥、その深淵に宿った鋭い光が七海を射抜く。が、彼女は物怖じすることなく頷き、
「S級の魔物を討伐した証を持ってきました。少し待ってください」
そう言って、大事に抱えていたマフマフをテーブルの上にポンッと置くと、持参したリュックサックを漁り始めた。
しかし、
「あれ、おっかしいな。引っかかってるのかな」
なにか大きなものを無理矢理引っ張り出そうとしているようだ。その試みが失敗に終わり、次に七海はリュックサックの中身をポイポイと机の上に置き始めた。
それらは牙であったり、角であったり、魔物の核を成す結晶であったりと様々だった。その何れも、A級の魔物から得た戦利品であり、高値で売れるものもいくつか混じっている。
その中に、S級の魔物から得たであろう戦利品を見つけ、ロッカは思わずガッツポーズを取った。
「それはマンティコアの牙じゃねーか! そいつなら――」
「取れたー!!」
「むきゅう!」
ロッカが言い終わらぬうちに、ガラガラと他の戦利品の間からサルページされたソレは、血のように真っ赤な光沢を備えた大きな鱗だった。
机の上に置かれた鱗は、鎧の胸当てにそのまま使えそうなぐらい大きい。それがとても貴重な品だということをロッカは知っていた。しかし、
「残念だが、それは討伐証明部位として使えねーんだ」
七海の顔が不安に染まる。
「そうなの……?」
しかし、S級の魔物の討伐証明部位をすでに発見済みのロッカは余裕を崩さない。七海の当てが外れたのだとしても、そちらを提示すれば問題ないからだ。
「それは【赤竜の鱗】だろ。鱗は生え変わるから、赤竜を倒さなくても手に入れることができんだよ。だから討伐証明部位としては無効だ」
そもそも、いくら魔将級の実力があるとはいえ、赤竜を倒せるはずがない。
なぜなら、赤竜は最強の魔物であり、国でさえ討伐を諦めた規格外の化け物だからである。
気性は荒く、そして気位も桁違いに高い。手懐けようとした魔王に反旗を翻し、魔将を食い殺したなんて逸話まで残っている。その真偽はさて置いて、赤竜の実力は魔将以上であると考えられている。
地獄の吐息は一息で村を焼き尽くし、跡には何も残らない。幾千の屍を築き上げ、火炎の息吹で蹂躙される。人間に許された唯一の抵抗は、赤竜の活動領域から撤退することぐらいだった。
そして無力なのはロッカも同様だった。
赤竜に故郷の村を襲われたことがある。大切な家族、友人、そして生まれ育った思い出の地、そのすべてを焼き払われた。八つ裂きにしても足らないほどの恨みを持ちながら、しかし、ロッカは復讐しようなどと考えたことは一度もない。
それほどに絶望的な力の差が、赤竜と人間の間にあったからだ。
その脅威を身を以って知るからこそ、ロッカは七海の発言を真剣に受け止めなかった。何か勘違いしたのだろう、と安易に考えた。しかし、そんな彼の思いとは裏腹に、なぜか七海は安堵の表情を浮かべて、
「ううん、これは【赤竜の鱗】じゃなくて【赤竜の逆鱗】だよ。竜族の弱点である逆鱗を毟り取ったんだけど、ダメだったかな?」
そんなとんでもないことを、さらっと言ってのけたのだった。
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