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本編

第22話:モフモフと赤竜の逆鱗2

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 ロッカには歳の離れた妹が一人いた。

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、とどこへ行くにも後についてくる可愛いやつだった。家庭は、というより村全体が貧しい生活を送っており、なんとか食い繋ぐのがやっとというのが現状だった。

 そんな可愛い妹に、少しでも贅沢をさせてやりたくて、まだ少年だったロッカは身を粉にして働いた。その頃は、冒険者になろうだなんて考えたことはなかった。ただひたすらに働いて、目の前の仕事をやっつけるのに精一杯だったからだ。

 妹はセロの実が大好きだった。それを知ったロッカは、給料が手渡されると大量のセロの実を買い込んで帰宅するようになった。手作りのセロジュースを振舞えば、あどけない笑顔を向けてお礼を言われる。
 その笑顔をもっと見たくて、セロの実を使った料理のレシピを調べ、自分でも作れるように練習した。妹のためなら、なんだってできる。そう思っていた。

 しかし、その幸せの日々を、ロッカのすべてを赤竜に奪われた。

 隣町への荷運びの仕事を終えて、温まった懐を撫でながら今度は外食なんていいかもしれない。そんなことを考えながら村に帰った――はずなのだが、そこに村は無かった。村が在るべき場所に在ったのは、焦土と化した大地と、元がなんなのか判別できない消し炭だけだった。

 どす黒く焦げ付いた地面には草木の一本すら生えていない。生命が存在する可能性は皆無で、動くものは何も無い。人間の焼けた嫌な臭いさえしない。すべてが一瞬で焼却され、塵と化したとしか思えない状況だった。

 それでもロッカは、家族を、妹を必死に探した。仲の良かった友人を探した。物知りな村長を探した。けれど、誰一人見つけることはできなかった。

 そしてロッカは見た。遠方に霞む山の天辺。その上空で飛翔し、咆哮を放つ赤竜の影を。そしてすべてを理解した。"天空に舞う災厄"とも呼ばれる最強の魔物が故郷を襲ったのだということを。

 残されたのは深い絶望と、憎悪に膨らむ醜い心だけだった。

 懺悔するように跪き、どす黒い地面を力の限り握り締める。妹を返せ、両親を返せ、故郷を返せ。悔し涙を流し、復讐を果たしたいと思った。けれど、それが絶対に不可能であることをロッカは認めてしまっていた。

 一息で村を焼き払うと言われる地獄の吐息ブレス。それは焼き払うなんて生易しいものではなく、村一つを消滅させるほどの威力があった。その爪痕を見ただけで、人間では絶対に勝てないことを思い知らされたのだ。

 自分の無力が憎かった。
 行き場のない怒りをぶつける相手が欲しかった。
 だからロッカは、魔物を討伐することで日銭を稼げる冒険者になった。

 赤竜へぶつけることのできなかった憎しみを他の魔物へぶつけて自らを慰める、そんな日々を過ごした。晴らすことのできない鬱憤を、憎き赤竜と同じ魔物を討伐することで代替としたのだ。

 魔物と戦える戦場を探し求め、がむしゃらに戦った。そして気がつけばA級の称号を得ていた。しかし、ロッカの本当の望みである赤竜に挑めるだけの力には程遠かった。少なくとも、最強の冒険者と呼ばれるまでに成長を遂げなければ、赤竜に一矢報いることはできないだろう。

 ゆえに、S級の冒険者でさえロッカにとっては通過点に過ぎない。最終目標はあくまで赤竜に一矢でいいから報いること。人間の意地を、底力を、その傲慢な体に一筋でもいいから刻み付けてやることなのだ。

 だというのに、目の前の少女は事も無げに赤竜を倒したと言っている。まるで鶏の羽を毟ったぐらいの軽い調子で、竜族の弱点である逆鱗を毟り取ったと宣言したのだ。

 信じられるはずがなかった。
 しかし、この女ならもしかしたら……という思いもあった。

 半分は疑念、そしてもう半分は期待。
 絶対に勝つことのできない赤竜に人間が勝利できるという証明。それは夢にまで見た、決して叶うことのない儚い幻想。それが本当に可能だったなら、どれだけ心の鬱憤も晴らされることだろう。

 支部長に推薦した立場である自分が、疑いの声を上げるわけにはいかない。だからロッカは慎重に口を開いた。

「竜族の逆鱗が生え変わることはない。それが本物なら討伐証明部位として有効のはずだが……」

 ちらり、とギールに視線を向ける。歴戦の傷が刻まれたその顔に変化はない。と、そこで呆気に取られていたミスティが悲鳴のような声を上げた。

「赤竜を倒したですって!? ありえないわ。あれには斬撃も魔法も効かないのよ。王国軍だって討伐を断念した化け物……それが赤竜なのよ!」

 ちっ、とロッカは舌打ちする。
 おまえはアヴァンの味方じゃなかったのか、と思う。

 しかし、彼女が信じられないのも無理はない。というより、誰に話しても信じてもらえないばかりか、一笑に付されるのがオチだろう。しかし、

「こいつには、俺たちが手も足も出なかった魔樹に手を引かせるだけの実力がある。ありえない話じゃない」

「そんなこと言ったって、その証拠がないじゃない。あんただって戦っているところを見たわけじゃないんでしょ」

「ちっ、半端に頭が回る分だけめんどくせー」

「だいたい、逆鱗って言ったって、逆さに生えている以外は見た目に違いはないのよ。どうやって本物だって証明するつもり!?」

 七海に対する対抗心が、火に油を注いでいることは間違いない。が、ミスティの言い分はもっともであり、ロッカは反論できずに口を噤んだ。

 事実、目の前に置かれたそれを【赤竜の鱗】と勘違いしたのはロッカ自身なのだ。仮に本物の【赤竜の逆鱗】だったとしても、ミスティの言う通り、見た目に違いはないということになる。

 頼みの綱のロッカが沈黙してしまったのを見て、七海が不安そうに口を開いた。

「本物だって証明する手段はないの?」

 苦々しげにロッカが言う。

「世情に疎いおまえは知らないんだろうが、赤竜の討伐事例は一件もねーんだよ。だから、何を以って本物とするのか……俺にはわからねぇ」

「そんな……」

 七海が肩を落としてうな垂れる。いつの間にかその胸に抱き直されていたマフマフも、彼女に同調するように元気なく丸まっている。勝ち誇るようにどや顔を晒すミスティが、今は少しだけ癇に障った。

 その時、ギシっと椅子の軋む音が耳に入った。
 執務机の方に目を向けると、ギールが椅子を軋ませて背もたれに体重を預けたところだった。彼は再び身を起こすと、執務机に両肘をついて指を組んだ。その上に鼻先を乗せて、鋭い眼光を七海へ向けた。

「確かめる方法は、ある」

 その場にいた誰もが息を呑んだ。

 ギールは息を継ぎ、喉を鳴らして言葉を区切った。そして、これ以上ないほどに目を細め、

「ただし、嘘をついていた場合、お嬢さんは代償を支払うことになる」

 そう言うとギールは立ち上がり、石壁に飾られた一本の短剣を手に取った。小さな鞘から引き抜けば、真紅の刃が一同の元へと晒される。老兵が放つ威圧感と合わさって、血の滴る禍々しい刃のような錯覚を受けた。

 それを見た七海が警戒に体を傾ける。

 ロッカは慌てた。
 確かに偽りを申告していた場合、相当に悪質だと言えるだろう。しかし、七海の実力は間違いなくA級を大きく超越している。それはS級冒険者であるギールも同じであり、二人が本気で争ったら冒険者ギルドが吹き飛びかねない。

「ちょっと待ってくれ、ギールさん。あんたたちが本気でぶつかったら、住民に死者が出るかもしれない。この女が、俺とミスティを軽々とあしらったのは事実なんだ。そうだろ、ミスティ!?」

 強く問われ、慌てたミスティが頷く。

「はい、ロッカの言うことは本当です。だからどうか、矛を収めてください」

 しかし、そんな二人の進言をギールは聞き入れなかった。無言のままに七海を睨みつけ、静かな殺気を飛ばしている。老兵の放つ痺れるような殺気を全身に浴びながら、しかし、七海はまったく臆することなくギールを睨み返した。

「納得がいく確認方法なんでしょうね? いい加減な方法で嘘だと決め付けたら、私の方こそギールさんを許さないよ」

 しかも、丁寧に挑発までぶっこんでいる。勘弁してくれ、とロッカは思った。

 と、ふいにギールの放つ殺気が霧散した。
 そして老兵は、顎髭あごひげに手をやりながら、

「ふむ、なるほどのう。わしと戦っても勝てる……お嬢さんにはその自信があるんじゃな。なるほど、なるほど……」

 ようやくギールが本気ではないことを悟り、ロッカは安堵した。

「悪い冗談はやめてくださいよ。寿命が三年は縮まった」

 軽口を叩き横を見れば、先ほどの威勢はどこへやら、ミスティは少し涙目になりながら頷いている。七海も緊張を解き、ボンボンで目を覆ったマフマフに小声で何かを話しかけていた。

 しかし、ギールは首をゆっくりと横に振り、

「殺気を放ったのはほんの茶目っ気じゃが、話自体に嘘はないぞ」

 その一言で、再び場が緊迫しかけたが、その前にギールが続けて言った。

「竜族の逆鱗は、その他の鱗と比べて何十倍もの強度を持っておるんじゃ。こう言えば、聡いお嬢さんなら見分ける方法がわかるのではないか?」

 問いを受け、七海は少考したのち

「つまり、【赤竜の鱗】より強度のある武器で斬り付ければいいんだね。傷が付いたら偽物、付かなければ本物」

 ギールは満足げに頷き、説明を補足する。

「ご名答。例えばこの短剣は、ミスリル金属と【赤竜の鱗】を組み合わせることで、強度が増している。わしが魔力を篭めてこの短剣を振るえば、【赤竜の鱗】は確実に砕け散るじゃろう。しかし、【赤竜の鱗】は高価な品。嘘をついていた場合、お嬢さんは代償を支払うことになる。よろしいか?」

 まったく、人騒がせな老人だ。初めからそう説明してくれればいいのだ。どっと疲れが押し寄せてきて、ロッカはため息をついた。

 七海も同じ感想を抱いたらしく、脱力して言った。

「だったら最初からそう言ってよ……」

 悪びれもせず老人は笑い、そして再び問う。

「して、どうするかね?」

「もちろん、構いません。やってください」

 打てば響くような即答に、ギールは少しだけ目を見開いた。そして、顎髭を弄りながらこちらの方へと歩み寄り、赤紅の鱗を見下ろして「ふむ」と頷くと、手の動きだけで離れていろと促した。

 素早く離れた七海に習って、ロッカとミスティも数歩後ろへ下がる。

 腰の高さほどある長机の上に置かれた鱗を前に、ギールは深呼吸を一つ挟み、握った短剣の魔法式を起動した。

 途端、真紅の輝きを放っていた短剣は、赤黒く変色する。ギールの得意とする闇属性の魔法式。その効果が適用された証として、闇に染まった禍々しい姿へと変化したのだ。

 【赤竜の鱗】を使った武器や防具は非常に強力で、そのため【赤竜の鱗】は高値で売買されている。その最高級素材で作られた短剣を、超一流の冒険者であるギールが使用することの意味。

 そこには想像を絶する相乗効果が生み出され、結果、すべての魔物を葬り去る刃となる。今、ギールが握る短剣は、扱い方を少しでも誤った瞬間、建物を吹き飛ばすだけの攻撃力を備えているのだ。

 ロッカの頬を冷や汗が伝う。

 逆手に持ち替えられた短剣の切っ先が、赤紅の鱗を見下ろすように真上にかざされる。そして次の瞬間、ギールの上体が沈み込み、上半身の回転と供に勢いよく振り下ろされた。

 盾のように緩やかな曲線を描く鱗に向けて、短剣が突き立てられる。双方が接触した刹那、一番初めに耳に届いたのは、金属音にしては鈍すぎる音だった。次いで、キィィンという高い金属音が聴こえ――

「――――!?」

 風切り音を伴って、何かが高速で回転しながらロッカの脇を通過した。背後で弾けた鋭利な金属音が背中に刺さる。

 驚きつつも、反射的に振り返る。背面の石壁に減り込むように突き刺さっていたのは、黒紅の刃だった。

「……まさか、本物だというのか……」

 そう呟いたのはギールだった。わなわなと震える右手に握られた短剣は、根元を残して砕け散っている。とすれば、背面に刺さった刃は、ギールの持つ短剣の一部ということになる。

 逸る気持ちを抑えながら、側面に回りこみ覗き見る。

 そこには無傷の鱗が横たわっていた。

 瞬間、ロッカの全身に歓喜が走った。
 無傷ということは即ち、赤竜が討伐された証明に他ならない。

 赤竜にトドメを刺すのは、自分でなくても良いのだ。"天空を舞う災厄"たる空の王者、八つ裂きにしても足らない憎き赤竜が、無様に地べたを這い、苦悶の咆哮を上げる姿を想像するだけで、胸がすく想いだった。

 妹を、家族を、故郷を奪った赤竜と同じ個体かどうかはわからない。しかし、重要なのは赤竜を討伐したという結果にこそある。
 絶対に無理だと諦めていたことが、同じ人間の手によって成し遂げられたという事実。それが、ロッカの心に大きな衝撃と波紋を広げた。

 斜に構えた姿勢で物事に当たるようになったのはいつからだったか。それは絶対に超えることのできない壁を前に、絶望した時からではなかったか。
 今にして思えば、そんな無力な自分が許せないがために、他の魔物に当り散らしていただけなのかもしれない。もちろん、人間に仇なす魔物は排除しなければならない。しかし、そうではない魔物もいるのではないか。ふと、少女に抱かれたマフマフを見て、そう思った。

 両目に熱を感じる。
 目頭を押さえ、ロッカは足早に執務室を後にした。

 すでに実力の証明は終わった。
 だから、自分がこれ以上ここに留まる理由はない。

 心の中だけで、七海に向けて感謝の言葉を口にする。面と向かって伝えるのはどうにも気恥ずかしい。そもそも、彼女にその認識は無いだろうから、伝えたところで理解は得られまい。
 マフマフに対する謝罪をするべきかとも思うが、これは自分の今までの人生を否定するようなものだから、尚更に口に出すことは難しい。

 だから、その代わりと言ってはなんだが、次に会ったときは、またセロジュースをご馳走してやろうと思う。

 妹の大好きだったセロジュースを、妹と同じぐらいの年頃だったあの娘も一緒に、また。
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