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まったり地球での生活編

モフモフ観察日記3

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 扉を押しのけるようにしてムー太が部屋へと入って来た。
 真上から見下ろすと、細長い茎のような触角がボンボンの影に隠れて死角となっている。視界に映るのはまんまるの体とふわふわしたボンボンだけ。この位置からでは、ムー太の体とボンボンまでとの距離感が掴めないため、両者はくっ付いているようにも見え、それはまるで耳のようだった。
 例えるなら、耳の白いパンダだろうか。もっとも、首から下は無いのだけれど。

 部屋の中央にまで歩を進めたムー太は、キョロキョロと辺りを見回している。早速、私の姿を探しているのだろう。

 さてさて、果たして見つけられるだろうか?
 私はそっとほくそ笑んだ。

 今日こんにちまでに行われたかくれんぼ勝負は、すべてムー太に軍配が上がっている。
 しかし、今度ばかりは私の勝利に終わることだろう。
 くっくっく、困ったムー太の姿が目に浮かぶわ。それにしても腕が少し痛い。

 ムー太はまず、定番であるこたつの中を探し始めた。こたつ布団を押し分けて中へと入る際、もじもじと白毛がいじらしく動いていて思わず抱きつきたい衝動に駆られる。これが巧みな罠だとすれば、ムー太は相当な策士である。
 こたつの内部はオレンジの電灯が点いているので、そこに私がいないことはすぐに理解できるはずだ。もぞもぞと内部で動く気配。次いで、小洞窟の探索を終えたと思われるムー太が、ヤドカリみたいにこたつからひょこっと顔を出した。ボンボンが敵影を探すソナーみたいに揺れている。

「むきゅう?」

 どこか楽しげに体を傾げて見せるムー太。
 久しぶりの休日。今日はうんと遊んであげられる。そのことを承知しているからか、ムー太はとってもご機嫌だ。私が以前適当に作った鼻歌を真似ながら「むっきゅむきゅー」なんて歌っている。
 音程に合わせて体を伸縮させ、ぴょこぴょこと向かう先にはベッドが置いてある。次の捜索場所はあそこというわけだ。しかし残念、私はそこにはいない。

 そういえば、ムー太の一人歩きを後ろから眺めるのは随分と久しぶりだ。先日、ムー太は私を訪ねて学校までやって来た。あの時も一人で歩いて来たのだろうか。
 もちろん、私は突然の来訪に驚いた。学校までの経路を知らないはずのムー太が、どうやってという疑問もあった。しかし、もっと私を驚かせたのはクラスメイト全員がマフマフを知っていたことだった。

 半年前にも、今回と同じようにムー太が学校にやって来たことがある。それは異世界から帰還した数日後のことだった。魔法体系の異なる地球では、異世界で学んだ魔法式はほぼ使い物にならず、そのため私はムー太を迎えに行くための転移魔法の研究に着手できずにいた。そんな不甲斐ない私の元に、あろうことかムー太の方から飛び込んで来てくれたのだ。
 その唐突な再会に、私は心の芯から打ち震えた。感動から流れる涙を周囲に気取られないように、私はムー太を隠すようにして教室を飛び出した。しかし、多くのクラスメイトたちに一部始終を目撃されてしまったことは言うまでもない。

 しかしだからといって、異世界の単語であるマフマフをどうして京子たちが知っているのだろうか。そこがどうにも解せない。
 京子は一般常識レベルでマフマフのことを認識していた。それは他のクラスメイトたちも同じだった。その因果関係は依然としてわからないままだけれど、一つだけ解消された疑問がある。それは半年前、突如教室へ乱入してきた珍妙な生物を前にして、なぜクラスメイトたちが騒ぎ立てなかったのかという疑問だ。

 そしてその後、ムー太の一件が噂になることもなかった。

 それらの事実を妙だとは思いながらも、そちらの方が私にとって都合が良かったので、あえて触れることなく放置してきた。
 けれど、あの頃からクラスメイトたちがマフマフのことを認識していたと仮定すれば、難なくこの疑問は解消される。つまりクラスメイトたちはムー太を見て「珍妙な生物」ではなく「犬みたいなもの」と認識していたからこそ、それ程驚くことも噂になることも無かったのだ。

 いや、話はそれだけでは終わらない。
 前回も今回も、ムー太を学校に持ち込んでいることを教師は咎めたりしなかった。もしも学校に犬を連れ込んだりしたら、厳重注意を言い渡されるのが普通だろう。そこを黙認されたということは、マフマフは犬よりも人間に近しい存在であり、一緒にいることが当たり前だと認識されているのかもしれない。
 この仮説を検証するためには、外へ出る必要が出てくる。後で、ムー太を連れてペットお断りのお店に入れるかどうか試してみるのも面白いかもしれない。

 と、そこまで思考した時、一通りの探索を終えたと見られるムー太が、困ったように体を傾げて鳴いた。私の意識は現実へと引き戻され、疑問符を浮かべる白い頭へと絞られる。
 地下室でも探しているのか、ムー太はカーペットを捲ってその裏を覗いては落胆を繰り返している。USB冷蔵庫の扉を開けて体を傾げているのは、まさかあの中に私が隠れていると思ってのことだろうか。

 万策尽きたのか、そこでムー太の動きがピタリと止まる。
 おろおろとその場で左右を見回し、

「むきゅう? むきゅう?」

 そして何を思ったのか窓際の方へと歩み寄り、ムー太は窓ガラスをぽふぽふと叩き始めた。当然、部屋の外に隠れるのは協定違反である。全国かくれんぼ協定に則り、正々堂々と戦うことを誓った私は、そんなズルをしたりはしない。
 それでもムー太は、窓ガラスを入念にぽふぽふ調べ上げ、鍵がしっかりと掛かっていることを確認すると、ようやく納得したようだった。

 そして再び、困ったように体を傾げる。

 ふふふ、悩んでる悩んでる。
 ムー太には申し訳ないけれど、私はムー太の困った顔を見るのが好きだ。一喜一憂。ムー太の仕草はどれを取っても魅力的であり、喜んでいる姿も、一生懸命に頑張っている姿も、そして困惑している姿もすべてが愛おしいのだ。

 モコモコと困惑にうごめく白毛。疑問の形に曲がったボンボン。
 これはもう、胸きゅんするしかない。
 この感動を共有できる友が欲しい。と、私は常々思っている。

 そんな私の感想を知ってか知らずか、ムー太が閃いたという風にボンボンをピコンと立たせた。

「むきゅう!」

 何をするのかと思って見ていると、ムー太のボンボンが淡く光り出したではないか。以前にも見た光景だった。私が怪我を負ったと勘違いしたムー太が【ヒーリング】を使用した時と同じで、ボンボンに魔力を集中させているのだ。
 しかし、今は【ヒーリング】を使うような場面ではない。
 一体何を――と首を捻った次の瞬間、ボンボンに集まりつつあった魔力が無限の広がりを見せた。それは例えるなら、小学生の自由研究に使う太陽光パネルから生み出されていた微量の電力が、突如として原子力発電所から生み出される莫大な電力に切り替わったようなものだった。

 扱う魔力量が多ければ多いほど、圧縮には時間が掛かる。それをほぼノータイムで、しかも顔色ひとつ変えることなくムー太がやってのけたことに、私は違和感を覚えずにはいられなかった。そしてこの莫大な魔力には心当たりがある。

「てことは、何。この間の大規模魔力の発生はムー太の仕業だったってこと?」

 思わず、声に出していた。

「むきゅう?」

 私の声に反応したムー太が視線を上げる。しかし、そこに私はいない。

「むきゅう???」

 更にムー太が視線を上げた。目が合った。

「むきゅう!」

 見つけたーとでも言いたげに、満面の笑みを咲かせたムー太がボンボンをフリフリしている。
 ドアから入ってすぐの部屋の角。身体能力に物を言わせて、直角に交差した壁を足場によじ登った天井付近。傍から見れば不審者にしか映らない格好で、壁と壁の間に張り付いていた私は、潔く敗北を受け入れることにした。

 飛び降りるようにして床へ着地。
 ムー太のボンボンに集まっていた魔力は、いつの間にか四散している。
 足元に駆け寄ってきたまんまるの体を抱き上げて、

「私の負けだよ。ムー太はかくれんぼの名人だね」

「むきゅう!」

 誇らしげに胸を張ったムー太の頭を撫でながら、私は質問を投げかける。

「今、魔法を使おうとしてたよね。どんな魔法なのかな?」

「むきゅう」

 おっと、いけない。イエス・ノーで答えられる形式にしなければ、流石の私でも理解することはできない。おそらく今のは、「魔法を使おうとしたのか」という問いに対する肯定だろう。私は質問の仕方を変えることにした。

「この間も、今使おうとした魔法を使った? ほら、ムー太が学校に来た日だよ」

「むきゅう」

 コクコクとムー太から頷きが返る。
 やはりそうだったのか。それにしても、ムー太の手に入れた魔力があれ程のモノだったとは、流石に予想外だった。
 マフマフはコアの力を一つ吸収するごとに力を得ていき、都合五つすべてを吸収することで完全体となる。そんな話をエリンがしていた気がする。コア一つでこれ程の魔力が手に入るのなら、完全体とやらは本当にとんでもない存在のようだ。
 それにエリンはこうも言っていた。

 ――マフマフはコアを一つ吸収するごとに新しい魔法を習得する。

 だとすると、おそらくは今使おうとしていた魔法がそれに当たるのではないか。部屋の中で使おうとしたのだから、まさか攻撃系の魔法ではあるまい。もしかすると……いや、そう考えるのが一番妥当な気がする。

「ねえ、ムー太。良かったらその魔法、私にも見せてくれない?」

「むきゅう!」

 ぴょんと跳ねて転がると、ムー太は戸口の前にいる私から距離を取った。そして後ろを向くと、窓際に向けてボンボンを振りかざした。途端、凄まじい魔力と共に前方の空間に歪みが生じた。

 私の身長の半分ぐらいだろうか。腰ほどの高さがある捻れ曲がった空間が、奥にある窓ガラスを隠すように横たわっている。その空間は鏡のように私の姿を映していた。ただし普通の鏡と異なるのは、真っ直ぐに私の像を映していない所にある。

 つまり、腰ほどまでしかない歪んだ空間に映し出されているのは、私の下半身ではなく上半身だったのだ。何もない空間に手を振ると、歪みの先にいる私も同じように手を振っている。いや、これも鏡とは違う。鏡は左右対称なので右手を振れば左手を振り返してくる。しかし前方の空間は、右手を振ると同じように右手を振り返してくるのだ。
 それはまるで、すぐ目の前に透明なカメラがあって、リアルタイムで中継している映像のように見えた。するとあれは、鏡ではなくテレビと表現するのが近いか。

 もう少し前で観察してみようか。そう思って一歩を踏み出そうとした時、ムー太がぴょんと空間の歪みに向かって跳ねた。「あ……」と息を漏らした次の瞬間、透明のカメラが構えてあったと思しき空中へ、いきなりムー太が出現した。
 取り落とさないようにしっかりと抱き支え、

「ワープして来た!? てことはつまり、私の所へゲートを開いたってことね」

「むきゅう」

 腕の中のムー太が嬉しそうにコクコクと頷く。

 なんということだろう。私はずっと、エリンが情けをかけてムー太を地球へ送ってくれたものだと考えていた。それ以外に異世界間を渡航できる人間が思い付かなかったからだ。
 今にして思い直せば、エリンはそのような人情味に溢れた性格ではない。勝手に上がっていた彼の評価を下方修正しつつ、一方で私は納得もしていた。

「そっか。それで学校まで来れたのね」

「むきゅう!」

 自力で異世界を跨ぎ、追いかけて来てくれたというのか。その一途な想いに、私は感動を覚えた。本来なら、それは私の仕事だったというのに……。

「もう、ムー太ったら。本当にホントーにすごいんだから!」

 チュッと額にキスをすると、ボンボンがふよふよと伸びてきた。
 いつの間にかゲートは消えている。使用したから役目を終えたのだろうか。

 ふと、そのまま視線を上げて窓から外を眺めると、しんしんと雪が降っているのが見えた。ムー太を床へと下ろし、窓際へ歩み寄る。記録的な大雪で都心部でも積雪は二十センチを超えているらしい。
 外へ出て、一緒になって雪遊びに興じるのも悪くない。そう思って振り返ると、ムー太がパソコンの前でうな垂れていた。

「どうしたの、ムー太」

「むきゅう……」

 スクリーンセイバーが解除されたばかりのディスプレイへ視線を向ける。
 ムー太がプレイしているのは、農場を経営するオンラインゲームだ。京子に勧められて始めたのだけれど、私はすぐに飽きてしまい、今ではもっぱらムー太がプレイする姿を楽しむだけとなっている。
 少しずつ少しずつ、コツコツと積み上げてきたムー太の農場は、今では結構な規模にまで成長を遂げていた。

 しかし今、その農場に異変が起きていた。畑が荒れ果て、作物が枯れてしまっているのである。確かこのゲーム【Plant Farm Online】は、一定期間放置すると作物が枯れてしまう仕様だったはずだ。私はしょんぼりするムー太を励ました。

「残念だったね。大変だろうけど、今度は枯れないように気をつけて育て直そう。諦めなければそのうち願いは叶うんだからさ。今までもそうだったじゃない。ムー太はがんばり屋さんだから、きっとすぐだよ」

「むきゅう」

「そこで提案なんだけど、外に遊びに行かない? 気分転換にさ」

 防寒対策にマフラーをぐるぐる巻きに被せ、ボンボンの先には毛糸の手袋を装着させる。ムー太がボンボンを動かすと、中身の入っていない五本指がバラバラに揺れる。まるで、案山子かかしが手を振っているみたいだ。

 雪に足を取られながらも、私は近所の公園へと向かった。
 秋ごろまでは芝が生い茂っていた憩いの広場は、今では雪化粧が施され、一面が真っ白に染まっている。足跡一つない処女雪の上へ、今もなお休むことなく牡丹雪が重なっていく。

「わぁ、すごい。こんなに積もったのは初めてかも」

「むきゅう?」

 一歩を踏み出すと、膝のすぐ下辺りまで雪に埋まってしまった。アスファルトの上よりも、土の上の方が積もりやすいのかもしれない。積雪は二十センチどころか三十センチ以上はありそうだ。

 慣れない足取りで、私は雪の中を進む。
 広場の中央まで辿り着くと、何とはなしに雪の中へ倒れこんでみたくなった。
 万歳する形でムー太を持ち上げて、そのまま倒れこむようにして雪上へトライ!
 うつ伏せに寝転んだ状態から息を継ぐため、反転して仰向けに転がる。
 空には、これもまた真っ白な雲がモコモコと渦巻いている。
 まるでその一部を撒き散らしているかのように、綿菓子のような雪が放射状に落ちてくる。それらが目に入らないよう薄く閉じ、しばらくの間ぼーっと放心。

 身を起こし、びっくりしただろうなと思ってムー太を見ると、

「え……何それ。可愛すぎ」

 雪上に置かれたムー太は、懸命にお尻をもじもじと動かしていた。だんだんとその体は雪の中へと沈んでいき、体の半分以上が埋まる形となった。そこでようやく穴を掘っていたことに気が付く。
 ほぼ体全体が隠れるまで掘り進めると、手袋を付けた二本のボンボンだけを穴から出して、上目遣いにムー太が鳴いた。

「むきゅう」

 雪の中は暖かいと聞いたことがある。
 それはもちろん、雪自体が暖かいという意味ではない。
 ブリザードの吹き荒れる極寒の地では、実際の気温より何倍も寒く感じる。それは強風に晒された時、人の肌が感じる温度――体感温度が急激に下がるからである。一般的に風速が一メートル/秒増すごとに体感温度は一度低くなるというし、氷点下の世界ではそれ以上の影響がありそうだ。
 そのため、雪の中にあって風を防ぐことは防寒対策として非常に有効だ。雪に横穴を掘るだけで大分暖かいというし、雪のブロックで作ったイグルーと呼ばれる、かまくらに似たシェルターなんかは有名だ。

 とすると、ムー太が作り上げたのは即席のシェルターというわけか。
 マフラーと手袋が無ければ、雪上のムー太は保護色となっていて遠目に見つ出すことは難しいだろう。穴に埋まっていれば尚更で、なるほど外敵からも身を守れて一石二鳥というわけだ。

 それにしてもこのモフモフ、可愛すぎである。
 フワフワの雪とモフモフの体が織り成すコントラストは、私の中にある母性を強烈に刺激してくれる。
 寒いせいかその場からじっとして動ず、上目に見上げてくるそのつぶらな瞳は、助けを求めているようでもあり、ただ成り行きを見守っているようでもある。
 白毛に付着して重なっていく雪が、また哀愁を誘いいじらしい。時折、ピコピコと動かされる手袋付きのボンボンがそれに拍車を掛ける。

「あー、もう! 可愛すぎーーー!」

 私は発作を起こした。
 ムー太を抱きしめないと死んでしまう病だ。
 雪に埋まったモフモフを掘り起こし、抱きしめる。

 私はムー太のために、かまくらを作ろうと決めた。かまくらなら雪風を凌げる上に、一緒にくっ付いて入ればもっと暖かいだろう。

 そうと決まれば、早速作業開始である。
 一旦、ムー太を雪の上へ下ろすと、再びもじもじとお尻を動かして穴を掘り始めた。どうやら先程のは、たまたまそうした訳ではなく、元からそういう習性があってのことのようだ。

 かまくらが完成する頃には、ムー太はすっかり積もった雪に埋もれていた。
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