少女に抱かれて行く異世界の旅 ~モフモフの魔物は甘えん坊!~

火乃玉

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まったり地球での生活編

学校に行こう(後編)

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 実技系の教室が並ぶ特別棟をムー太は彷徨い歩いていた。

 学校という施設はとにかく縦長の通路が多い。左手には窓が等間隔に並び、右手には特別教室の戸がこれもまた等間隔に並んでいる。どこまで行っても同じ景色。これが各階で同じ作りなのだから、ムー太にとっては迷路も同然だった。
 本人は七海を探しているつもりだけれど、実際のところ迷子とそう変わりない。

 先程から、お腹がぐーぐーと鳴っている。サンダースの兄貴からご飯を分けてもらってから、まだそう長い時間は経っていない。だというのに腹ペコなのは、ムー太が食いしん坊だからというわけではなく、フレンズゲートを使って大量の魔力を消費してしまったからである。

 栄養が不足するとお腹が減るように、魔物であるムー太は体内の魔力が少なくなると十分な食事を取っていたとしてもお腹が減ってしまう。
 魔力の補給手段は魔物によって異なるが、ムー太の取る方法は経口による栄養摂取、つまりは食事である。魔素の集合体である魔物にとって、魔力とは己の存在を維持するために必要不可欠なものであり、だからこそ体内の魔力が急激に減ると、その警告として腹ペコになるのだ。

 それは、今のムー太にとって切実な問題だった。
 腹が減っては戦ができぬ。腹ペコでは足取りも重くなろうというもの。

「むきゅう……」

 やっぱり、ご飯をご馳走してもらうべきだったのだろうか。
 未だにむずむずする鼻をひくつかせながら、ムー太は少しだけ後悔した。

 家庭科教室を飛び出してから、もうかれこれ三十分以上は彷徨い歩いている。教室のほとんどは無人のようで人の気配はない。戸には錠が掛けられていて開くことはできなかった。もっとも、仮に錠が開いていたとしても、ムー太の力で開けられるのかというと疑問が残るのだが。

 そんなこんなで、迷路みたいな廊下をぴょこぴょこと進み続けているわけだけれど、七海の捜索は一向に進展しない。その寂しさと疲労、そして腹ペコから、だんだんムー太は弱気になってきていた。
 本当にこの建物に七海はいるのだろうか。もしかしたら、もう帰宅しているのかもしれない。だから見つからないのだ。そんな事ばかり考えてしまう。

 一度捜索を中断してお腹を満たし、元気になってから再開とも思うが、残念なことに人工物であるリノリウムの床には、いくら探してみても木の実等の食べられそうなものは落ちていない。

「むきゅう……」

 しょんぼりと俯いたムー太は、ちょっぴりセンチメンタルモードだ。
 体を圧縮するように縮こまらせ、一人の世界に入る。

 ムー太は目を瞑り、想像を膨らませてご馳走を頭の中に思い浮かべた。
 暗闇の中に出現した骨付の肉は、ほわほわと白い湯気を昇らせ、悩ましげな油を滴らせながら、食べて欲しそうにこちらを見つめている。ぶわっと唾液が口中に広がり、今までで一番大きなお腹の音がぐーと鳴った。
 どうやら腹ペコを加速させた以外に効果はないようだ。しかし、ムー太は妄想を続けた。「はい、あーん」と七海がフォークに刺した肉を持ってきて食べさせてくれる。想像の中のムー太は、幸せそうにお肉を頬張りニコニコ笑顔を絶やさない。いつの間にか、現実のムー太もその幸せそうな映像につられて笑顔になっていた。

 と、瞑想に耽っていたムー太の耳に遠くからピアノのが届いた。
 興味を引かれて耳を澄ましてみれば、春風のように爽やかなピアノの音色に歌声が交じっている。それは、単一ではない複数による歌声だった。
 
 時には力強い男性の声で、またある時には透き通るような女性の声で、明るい調子の歌声が語りかけるようにムー太の耳へ届けられる。さぁ、一緒に踊ろうよ。そう誘われているように聴こえた。音程に合わせて自然とボンボンがピコピコと動きだし、リズムを刻む。ダンスはムー太の十八番なのだ。

「むきゅう!」

 そうだ! 七海は歌を歌うのが得意だった。七海が即席で作り上げた歌詞に合わせてボンボンを動かすと、彼女はとても喜んでくれる。
 例えば、七海が「ボンボンモフモフムー太はね、ボンボンフリフリ~♪」と歌えば、フリフリ~の部分で歌詞の通りにボンボンを左右に動かすのだ。もちろん、音程に合わせて体を上下に動かすことも忘れない。
 あるいは、七海を喜ばせるという観点から見れば、合いの手を入れることも有効だ。彼女が「ムー太はまあるい毛玉だよ。モッフモフーモッフモフー♪」と歌ったところの最後で「むっきゅむきゅー」と合わせて歌うのだ。

 お互いが楽しいwinwinの演奏会を思い出し、ムー太はだんだん元気が出てきた。

 もしかしたら、歌を歌っているのは七海かもしれない。自分の居場所をムー太に知らせるために、わざわざ歌ってくれている可能性だって考えられる。どうやってムー太の来訪を察知したのかは不明だが、そんな細かいことは気にしない。彼女は何だってできるヒーローなのだ。

 ムー太は合唱のに導かれるようにして廊下を走った。階段に差し掛かり、一時停止。上下の分岐、二者択一を迫られる。いつの間にか歌声は止まっていた。これではどちらに進めば良いのかわからない。手掛かりを求めてボンボンをアンテナの形にピコンと立てて耳を澄ます。

 と、階下から微かなピアノの伴奏が聴こえてきた。
 その音量は、またいつ消えてしまってもおかしくない程に小さいものだった。
 急がなければ演奏が終わってしまう。ムー太は慌てた。
 転げるようにして、というよりも本当に階段を転がりながら駆け下りる。
 加速した丸い体はピンポン玉にも負けないぐらい激しくバウンドを繰り返した。
 踊り場を勢いよく跳ね返り、辛くもターン。
 折り返しの階段をじぐざぐに転がっていくのは、本人の意志による所ではない。

 階段をくだりきってもなお、スピードは緩むことなく車輪の如き回転を続ける。そのまま廊下を横切るようにゴロゴロと直進し、掲示板の張られた白い壁に激突して、ようやく停止することができた。

「むきゅう……?」

 ぐわんぐわんと揺れるムー太の世界はぐるぐるだ。
 それでも何とか起き上がり、音のする方へ足を向ける。

 しばらく進むと、右手に二つの入り口が現れた。
 不思議なことに他の教室と違って戸が付いていないようである。
 入り口は二つあるから鼻の穴みたいだ、とムー太は思った。
 ひょっとすると洞穴というやつなのかもしれない。

 どちらの洞穴も入ってすぐ行き止まりとなっており、L字型に道が折れている。壁には透明のプレートが張り付けられており、片方には青い人間、もう片方には赤い人間が描かれていた。どことなく青い方は男性、赤い方は女性に見える。

 内部がどうなっているのか興味を引かれた。しかし、遠巻きに眺めるムー太からでは、死角となっていて窺い知ることができない。

「むきゅう?」

 調査のために近づこうとすると、ムー太の鼻を刺激臭が突き抜けた。ムー太は臭いのスペシャリストであるサンダースの兄貴ほどに鼻は利かないが、臭いに対して鈍感とも言える人間よりかは鼻が利く。だからそれが悪臭を消すために置かれた芳香剤の匂いだったとしても、ムー太からすれば不自然な刺激臭としか思えない。

 反射的に飛び上がり、謎の洞穴から距離を取る。

「むきゅう?」

 甘い香りで誘い込み、パクッと一飲みにする作戦だろうか?
 巨大な人喰い植物を思い浮かべ、ムー太はぶるっと身震いする。
 だとすれば、あれは洞穴ではなく口なのかもしれない。

 幸いなことに、ピアノの音はこの中から聴こえてくるわけではない。
 好奇心に後ろ髪を引かれながらも、なんとかムー太は先へ進むことを決断した。
 ぴょこんと移動しかけた時、洞穴から一人の少女が出てきた。

「おや? おやおやおやー?」

 体操着を着た少女は、後ろで結んだ尻尾みたいな髪の毛をフリフリしながら駆け寄ってくる。少女と目が合った瞬間、だるまさんが転んだの如くムー太はお地蔵さんの術を使ったのだけれど、時はすでに遅かった。
 お約束のように抱き上げられ、睨めっこする時みたいに至近距離まで持っていかれる。ぱちりと大きな瞳が印象的な少女は、その目を極限まで細めて、

「きみはナナっちのところのマフマフじゃないかい。まんまるくん」

「むきゅう?」

 まんまるくんとは自分のことだろうか?
 ムー太の名前はムー太なので人違いかもしれない。
 それよりも気になるのは彼女の発した「ナナっち」という単語の方だ。なんとなく「ナナミ」と発音が似ている気がする。一縷いちるの望みをかけて、少女の胸元に顔を押し付けるとムー太はくんくんと鼻を動かした。

「むきゅう!」

 かすかにではあるが、七海の匂いが交じっている気がする。

「おおう……大胆だね、まんまるボーイ。ナナっちの匂いがわかるのかな?」

「むきゅう!」

 やっぱり、彼女は七海のことを知っているのだ!
 ムー太の頬が自然と綻ぶ。そして嬉しそうに質問を投げかけた。

「むむきゅ、むきゅう?」

「そうかそうか、ナナっちに会いたいかい。だったら私と一緒に来るといいっしょ。そのうち会えると思うぜよ」

 質問の意図を正確に把握してもらった上、期待通りの返答にムー太は大満足。少女の頬をぽふぽふと叩いて、感謝の意を伝える。
 少女に抱かれたまま、ムー太はその場を後にした。そしてその向かう先は、ピアノの音が聴こえて来た方向とは真逆だった。



 ◇◇◇◇◇

 百坪を超える敷地面積に建つ豪邸。だだっ広い庭先で愛犬と戯れている最中だった京子の姉――六角橋早苗へ向けて、七海は確認するように訊いた。

「では、普段と比べて特に変わったことは無かった、ということですね?」

「そうね。強いていうならサンダースが新しい友達を連れて来たことぐらいかな」

 早苗がそう言って視線を落とすと、足元で行儀良くお座りしていた愛犬のサンダースが「ワンッ!」と元気よく鳴いた。
 人間の言葉がちゃんとわかるのだな、と七海が関心していると、

「京子は一緒じゃないんだね。何かあったのかい?」

 逆に早苗から質問を返されてしまい、七海は内心ドキリとする。
 学校を抜け出してきた身分としては、露見させずに穏便に済ませたいところである。それにまさか、ここへ来た本当の理由を言うわけにもいくまい。

「この辺りで凄まじい魔力反応があったんですよ。それを追って来たんですが、到着する前に反応が消えてしまって。だから何か見ていればと思ったんです」

 などと言ったら最後、今まで何度も京子の家へ足を運び、築きあげてきた――早苗からは大人びた知的な少女と言われている――イメージが一撃の元で粉砕されることだろう。きっと早苗はこう認識を改めるはずだ。痛い子だったんだな、と。
 できることなら当然、その不名誉な評価は避けたいところだ。七海は事実を捻じ曲げて伝えることにした。

「ああ、いえ。この辺りから煙のようなものが見えたので、火事だったらどうしようかと心配になって来てみたんです。でも、いざ到着してみたら煙なんてどこにもなくて……きっと見間違いだったんですね、よかった」

「ずっと庭にいたけど、煙臭くはなかったわね。消防車のサイレンも聴こえなかったし……ああ、煙草は吸ったけどさ」

 思い出したように胸ポケットから煙草の入った箱を取り出すと、早苗は箱を左右に振ってカタカタと音を出してみせた。苦笑する彼女に合わせて七海も愛想笑いを返し、

「さすがに煙草の煙は遠くからじゃ見えませんよ」

「ははっ、一箱全部いっぺんに吸っても無理だわね。まー、誰かが庭先で焚き火でもしてたんでしょう。あたしも火の始末には気をつけないとね」

 快活よく笑う早苗から視線を外し、七海は芝の張られた庭先を眺めた。
 門戸から見て数メートル先、そこには薄っすらとではあるが残留魔力の痕跡が見て取れる。それは体から発散された無秩序なものではなく、魔法式というフィルターを通した後に残された秩序ある魔力のように見えた。つまりこの場所で、何かしらの魔法――それも遠方にまでその余波が伝わるほどの高等魔法が使われたことを意味している。

 早苗が嘘を付いているのかもと一瞬思ったが、七海はその可能性をすぐに否定した。普通は何かやましいことがあれば、挙動や言動に多かれ少なかれ動揺が浮かぶものである。けれど彼女の挙動に不審な点は見られないし、会話そのものも至って自然だ。そもそも魔力は一般人には認識できないものだから、例えすぐ隣で魔王が召喚されたとしても、別のことに気を取られていれば見逃してしまうだろう。

 それにしても、と七海は思う。早苗に気付かれないほど短い間に、果たして高等魔法の使用が可能だろうか。魔法陣を使えば閃光が走るだろうし、魔力を圧縮する時には暴風が起きただろう。それらが無かったということは、

「まさか、あの規模の魔法を無詠唱……そんな高度な真似」

 感情の灯らない冷たい眼差し。一分の隙もない整った顔立ち。照明を反射する眩い銀の髪。いけ好かない美少年の姿を思い出し、七海はうっと顔をしかめた。

「私の知る限り、地球で魔法を使えるのはムー太ぐらいしか……」

 あっ、と声が漏れた。そういえば、ムー太は何か魔法を一つ習得したのではなかったか。浮遊都市の核を手に入れた時に、魔力の絶対値だって上がったのだ。
 しかしすぐに、七海は考えを打ち消すように首を振った。

「いやいや、ムー太が京子の家にいるわけないでしょ」

 なににせよ、これ以上の追跡は難しい。悪意ある術者ではないようだから、無理に追う必要もない。京子の家族の安否が確認できたのだから、目的は達せられたと言えるだろう。

 気が付くと、ブツブツと一人で呟く七海の顔を、早苗が訝しげに見つめていた。さすが姉妹、怪訝そうな顔はよく似ている。そんなことを思いながら、七海は丁重に礼を言い、そそくさとその場を辞した。
 帰り際、塀の上を見ると黒猫が一匹とぐろを巻いているのが見えた。興味がなさそうな風を装ってはいるが、その黄色の瞳はしっかりとこちらを観察しているようである。どことなく、普通の猫とは違う雰囲気を感じる。どちらかというと、動物ではなく魔物に近いような気配だ。

「にゃーん」

 七海が近寄ろうとすると、黒猫は塀から飛び降りて路地裏へ逃げてしまった。
 魔力を解放すれば高速移動が可能だ。その気になれば音速を突破することだってできる。逃げた黒猫を追うことは容易いが、七海は学校へ戻ることを優先した。
 仮にあの猫が魔物なのだとしても、高等魔法を使った術者とは別口だろうし、実害がないのなら討伐する必要もない。
 何より、魔物をいじめたらきっとムー太が悲しむだろう。



 ◇◇◇◇◇

 校門を潜ったのは六時間目もそろそろ終わろうかという頃だった。
 体操着を着たままだから、そのまましれっと授業に混ざってやろう。そう考えて、のんびりと体育館へ足を向ける。
 体育館前に設けられた水飲み場へ到着すると、蛇口に口をつけてがぶがぶと水を飲んでいた生徒が顔を上げた。

「あー! ナナっち、今までどこ行ってたのさー」

 京子は口を手の甲で拭うと、こちらの方へと駆けてきた。

「ごめんごめん。ちょっと野暮用がね」

「そんな事言って、どうせサボリっしょー。いーけないんだいけないんだー」

「あーはいはい。それより、またそんなに水飲んだらトイレ行きたくなるよ」

「ノープログレム! もう行って来たっしょー」

「手遅れだったって訳ね……」

 平常運転である京子のボケを聞き流し、さっさと体育館へ入ろうとしたところ、

「そうそう、まんまるくんが訪ねてきたっしょ」

「まんまるくん? あんた、また勝手に名前を付けたわね。そういえばバスケの授業だったっけ。察するに、京子の愛するバスケットボールというわけだ」

「ぶっぶー! 違いまーす」

「じゃあ、何よ。バレーボール?」

「ぶっぶー! 正解はナナっちのところのマフマフでしたー!」

 一瞬、空白が生じた。
 今、京子は何と言ったのだろうか。真っ先に七海は自分の耳を疑った。

「え、何? モフモフがなんだって?」

「モフモフじゃないっしょ。マフマフだよ、マフマフ!」

 体温が急激に上昇していく。頭が熱い。
 十年来の付き合いである京子が、まるで別人のように見えた。
 いつも通りのすっとぼけた口調すらも、どこか空々しく他人行儀に感じる。

 マフマフとは異世界における、魔物の種族名。あるいは、生物兵器のコードネームだったはずだ。ムー太の生みの親である大魔導師の息子――エリン・ラザフォードが言うには後者が正しいらしい。
 しかし、このことを知っているのは、七海とムー太の二人だけのはずだ。そしてもちろん、このことは誰にも話していない。
 では一体、京子はどこでこの単語を知ったというのか。

 動揺を悟られないようにゆっくりと息を吸い込み、声が裏返らないように気をつけながら七海は訊いた。

「なんで京子がマフマフのこと知ってるの?」

「なんでって常識っしょー?」

 予想していたどの答えとも違う返答に、七海は今度こそ動揺を表へ出してしまった。この日本で十五年間生きてきたが、マフマフという単語を聞いたことは一度としてない。だというのに、それが常識とはどういうことなのか。

 本当に目の前にいるのは京子なのだろうか。何者かが彼女のフリをして成りすましているのではないか。ふと、そんな疑念が脳裏を過ぎる。

「じゃあ、聞くけど。マフマフって何?」

「それは人間とは何か? 的な哲学の問題かね、プラトンくん」

 もはや不信感を隠そうともせずに、七海は眉をひそめて硬直した。元々、妙であることに変わりはないのだが、そこに輪をかけて妙であると感じたからだ。
 京子は話題に上った単語を頭の中で変換し、別の単語に置き換えて話す癖がある。置換される単語は元の単語から連想されるものがほとんどで、まったく見当外れということはない。だとすると、なぜ京子は「マフマフとは何か」との問いを「人間とは何か」との問いに置き換えたのか。

 突拍子もない仮説が思い浮かんだ。
 仮に何かしらの理由――例えば記憶操作により、マフマフは魔物、もしくは動物に近しい存在である、と京子が認識していたとする。魔物だとわかりづらいので、ここでは一時的に、マフマフは【動物】に近しい意味合いだと仮定しておこう。
 例えばもしも誰かから突然「動物マフマフって何?」と聞かれたら、スムーズに返答ができるものだろうか。いやその時はむしろ「何を当たり前のことを」と呆れるのが普通で、問いに対して真面目に答える者は少ないだろう。
 同じように京子も、その当たり前すぎる質問を揶揄して【哲学】と称したのかもしれない。そして意味合いの近い【マフマフ≒動物】から【人間】を連想し、哲学と結びつけて「人間とは何か」と発言した。これならば、話の筋は通る。
 そして一本筋が通るのならば、京子は何かしらの理由によって、七海とは違う形でマフマフのことを認識しているという仮定が、真実味を帯びてくる。彼女は【人間】【動物】【植物】の大別と平行して【マフマフ】を認識しているのである。

 と、そこまで思案して、七海はある重要な事実を見落としていたことに気が付いた。それは世界を揺るがすほどに重大で、かつ、最優先で解決しなければならないデリケートな問題だ。

「ちょっと、京子! あんたさっき、まんまるくんが訪ねてきたとか言ってなかった!? それも私のところのマフマフだって言ったよね!!?」

「だから最初から、そう言ってるっしょー。体育館できみの帰りを待ってるぜよ」

 迂闊だった。
 ムー太は丸い。そこから京子が連想したのは当然、まんまるだ。

 考えるよりも先に、足が動いた。今なら魔力抜きで百メートル走の世界新記録を叩き出せそうだ。そう誰しもが思うほどに、七海は早かった。
 体育館入り口の重たい鉄扉を開け放ち、叫ぶ。

「ムー太!?」

「むきゅう!」

 コートの中で行われていたバスケットボールの試合を真似たのか、その場でポンポンと跳ねながら観戦していたムー太が、七海の声に反応して振り返った。女子生徒の合間を縫って、ぴょこぴょこと駆け寄ってくるムー太はとっても嬉しそうだ。
 どうして学校に来たのか。怒る気にはなれなかった。きっとムー太は、一人でお留守番をするのが寂しかったに違いない。その証拠に、最近では付けることなく大切に飾っているだけだった髪飾りまで、頭に挿してきているではないか。あれは恐らく、お守りの代わりに持ってきたのだろう。
 半ば、自分の都合で寂しい思いをさせてしまっているというのに、どうして怒るなんて酷い真似ができるのだろうか。

 フカフカの体を抱き上げて、頬ずりする。

「大丈夫だよ。私はここにいるからね」

「むきゅう」

 ぽふぽふ、と頬を叩かれる。
 いつもと変わらぬ愛情表現だ。変わらないということは何と素晴らしいことなのだろうか。このままずっとこうして居たい。七海がそう思っていると、

「むきゅう?」

 突然、ムー太が体を傾げた。

「どうしたの?」

 顔を近づけて問うと――

 ペロッ。

 頬に生暖かい感触が走った。
 それは以前、知略を巡らせた挙句に叶わなかった儚い夢。
 じーんと脳髄に感動が染み渡る。七海は感無量で動けない。
 前言撤回。変わるということは、何と素晴らしいことなのだろうか。

 その反応をどう捉えたのか、ムー太が不安そうに黒目をぱちくりとさせている。まるで、悪さをした子供が叱られることを恐れているみたいな仕草だ。その勘違いだけは断じてまずい。今後の関係に差し障る。

「私が望んでいたことを叶えてくれるなんて、ムー太は賢い上に優しいねー」

「むきゅう!」

 褒め殺し作戦に打って出ると、不安そうなムー太の表情が一変、満足げな笑顔になった。慈しみを最大限に込めてじゃれ合っていると、その様子を後ろで眺めていた京子がにんまりとして言った。

「ほらね、愛情表現の最上級はやっぱ舐めることっしょー」

 七海は反論できずに、苦笑いするしかなかった。
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