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一章
07.オリバー様も何か買ったの?
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「オリバー様も何か買ったの?」
「ええ、少し気になったものがありましたので」
「そうなのね。オリバー様もああいう可愛いものが好きなのね!」
目を輝かせて同意を求められて、私は答えに詰まった。
私は砂糖菓子のように甘いデザインはあまり好きではない。というよりも、興味がない。デザインよりも性能が大切だと考えてしまう。
けれど、ずっと蓋をしていた「好き」という気持ちを解放させたばかりのスカーレット嬢に、そんな言葉を聞かせるなんて無粋だ。
「そうですね。スカーレット様を喜ばせてくれるデザインは好きですね」
期待に満ちていた瞳はきょとんと驚いて、ぱちくりと瞬く。
「私が好きだから好きなの?」
「ええ。スカーレット様の嬉しそうな顔を見ることができて、私も嬉しいです」
なんだか考え込み始めてしまった。言い方がまずかっただろうか?
「そうなのね。じゃあ、オリバー様が好きなお店も教えて!」
大丈夫だったみたいだ。笑顔でおねだりしてくるスカーレット嬢に、私は頷く。
正直を言えば、私が好む店を彼女が好むとは思えないのだけど、彼女の願いは叶えてあげたかった。それに、私も行ってみたかったのだ。
「ではお言葉に甘えさせていただきまして」
そうして私が選んだのは、少し黴臭い古びた古書店だった。
「おや? これはムキランジェロの『植物図鑑』カラー版ではありませんか? こちらは謎の詩人スターベルの『ティンクルベルへのソネット』ローズ社版!?」
ムキランジェロの『植物図鑑』は精密で色鮮やかな挿絵が特徴だが、それだけに高い印刷技術を必要とする。流通しているのは一色刷が一般的で、それでも高価である。
カラー版となれば価格は十倍にも跳ね上がると言われ、高位貴族など資産に余裕のある家でなければ持っていない。我がピジュン子爵家は蔵書が多いほうだが、白黒版しか収蔵されていない。
そんな高価な本が無造作に積まれていたのだ。驚いて手に取ってしまうのは無理もないだろう。
保存状態は悪く、所々虫食いが見られた。だが家にある白黒版と並べて読めば充分にカバーできる。
そしてスターベルの『ティンクルベルへのソネット』は、貴族に生まれた者にとっては必読の書ともいえる有名な詩集だ。
スターベルは四百年ほど前に活躍した詩人だが、彼の素性は今もって不明である。内容からティンクルベルは彼の妻か恋人だろうと言われているが、彼女の正体についても資料は残っていない。
時の英雄が聖女に名を秘して贈ったのではないかという説があるも、二人の出会いや人物像と詩の内容が一致せず、可能性は低いとされている。
ローズ社というのは最初に出版した会社の名前で現存していない。初版ほどではないが、マニアには垂涎ものの貴重な書である。
ページが抜けていたり外れかけている部分もあるが、この書籍が生きてきた歳月を考えれば仕方ないだろう。
偶然見つけた掘り出し物に、つい興奮してしまう。しかもどちらも本来の価値を考えると驚くほどの廉価で、私が持ってきたお小遣いでも買える額だ。
「この二冊をお願いします」
包んでもらった二冊の本を抱きしめて、ほくほく笑顔になってしまう。
けれど店の出口に足を向けた私の笑顔は固まってしまう。
「オリバー様が物知りな理由がよく分かったわ」
店の入り口から奥に入ろうとしないスカーレット嬢とヴィクターさんが、しみじみと頷き合っていたのだ。
思わぬ良書と出会えて、二人がいることを忘れてしまっていた。護衛のヴィクターさんはまだしも、婚約者であり格上の家の令嬢であるスカーレット嬢を忘れてしまうなんて、絶対に許されない失態だ。
「申し訳ありません。つい夢中になってしまいました」
謝って済むことではないが、今は謝るしかない。
「ううん、いいの。それに私にも、オリバー様が言っていた意味が分かったわ」
「私が言っていた意味、ですか?」
「うん。オリバー様が嬉しそうに本を選んでいるのを見て、私も嬉しい気持ちになったの」
私を責めるどころか、ふわりと笑って私を喜ばせる言葉を紡ぎ出す。
本当に彼女は、なんて可愛くて優しいのだろう。見た目も内面も天使そのものだ。
「ありがとうございます。焼き菓子を買う前に、どこかでお茶でもしましょうか? よいお店を教えてもらったのですよ」
「オリバー様に任せるわ。きっと素敵なお店なのでしょう?」
照れ隠しに話題を変えると、スカーレット嬢は手を差し出す。
拳ではなく、エスコートを待つ淑女の手を。
「ありがたき幸せ。では姫のエスコートを務めさせていただきます」
芝居かかった動作で恭しく彼女の手を取り、町の中を歩き出した。
向かったのは若い女性に人気だというカフェ。果物をたっぷり使ったケーキと、果物の果肉を丸ごとすり潰したジュースが人気なのだとか。
スカーレット嬢は店の外観も気に入ったようで、入る前から目をきらきらと輝かせる。
店に入るとすぐにケーキが並ぶショーケースがあり、そこから選んだケーキとジュースを席まで運んでくれる仕様となっていた。
真っ白な生クリームの上に、宝石のようにカッティングされた果物がきらきらと輝くケーキたち。
……どれも甘そうである。
「ええ、少し気になったものがありましたので」
「そうなのね。オリバー様もああいう可愛いものが好きなのね!」
目を輝かせて同意を求められて、私は答えに詰まった。
私は砂糖菓子のように甘いデザインはあまり好きではない。というよりも、興味がない。デザインよりも性能が大切だと考えてしまう。
けれど、ずっと蓋をしていた「好き」という気持ちを解放させたばかりのスカーレット嬢に、そんな言葉を聞かせるなんて無粋だ。
「そうですね。スカーレット様を喜ばせてくれるデザインは好きですね」
期待に満ちていた瞳はきょとんと驚いて、ぱちくりと瞬く。
「私が好きだから好きなの?」
「ええ。スカーレット様の嬉しそうな顔を見ることができて、私も嬉しいです」
なんだか考え込み始めてしまった。言い方がまずかっただろうか?
「そうなのね。じゃあ、オリバー様が好きなお店も教えて!」
大丈夫だったみたいだ。笑顔でおねだりしてくるスカーレット嬢に、私は頷く。
正直を言えば、私が好む店を彼女が好むとは思えないのだけど、彼女の願いは叶えてあげたかった。それに、私も行ってみたかったのだ。
「ではお言葉に甘えさせていただきまして」
そうして私が選んだのは、少し黴臭い古びた古書店だった。
「おや? これはムキランジェロの『植物図鑑』カラー版ではありませんか? こちらは謎の詩人スターベルの『ティンクルベルへのソネット』ローズ社版!?」
ムキランジェロの『植物図鑑』は精密で色鮮やかな挿絵が特徴だが、それだけに高い印刷技術を必要とする。流通しているのは一色刷が一般的で、それでも高価である。
カラー版となれば価格は十倍にも跳ね上がると言われ、高位貴族など資産に余裕のある家でなければ持っていない。我がピジュン子爵家は蔵書が多いほうだが、白黒版しか収蔵されていない。
そんな高価な本が無造作に積まれていたのだ。驚いて手に取ってしまうのは無理もないだろう。
保存状態は悪く、所々虫食いが見られた。だが家にある白黒版と並べて読めば充分にカバーできる。
そしてスターベルの『ティンクルベルへのソネット』は、貴族に生まれた者にとっては必読の書ともいえる有名な詩集だ。
スターベルは四百年ほど前に活躍した詩人だが、彼の素性は今もって不明である。内容からティンクルベルは彼の妻か恋人だろうと言われているが、彼女の正体についても資料は残っていない。
時の英雄が聖女に名を秘して贈ったのではないかという説があるも、二人の出会いや人物像と詩の内容が一致せず、可能性は低いとされている。
ローズ社というのは最初に出版した会社の名前で現存していない。初版ほどではないが、マニアには垂涎ものの貴重な書である。
ページが抜けていたり外れかけている部分もあるが、この書籍が生きてきた歳月を考えれば仕方ないだろう。
偶然見つけた掘り出し物に、つい興奮してしまう。しかもどちらも本来の価値を考えると驚くほどの廉価で、私が持ってきたお小遣いでも買える額だ。
「この二冊をお願いします」
包んでもらった二冊の本を抱きしめて、ほくほく笑顔になってしまう。
けれど店の出口に足を向けた私の笑顔は固まってしまう。
「オリバー様が物知りな理由がよく分かったわ」
店の入り口から奥に入ろうとしないスカーレット嬢とヴィクターさんが、しみじみと頷き合っていたのだ。
思わぬ良書と出会えて、二人がいることを忘れてしまっていた。護衛のヴィクターさんはまだしも、婚約者であり格上の家の令嬢であるスカーレット嬢を忘れてしまうなんて、絶対に許されない失態だ。
「申し訳ありません。つい夢中になってしまいました」
謝って済むことではないが、今は謝るしかない。
「ううん、いいの。それに私にも、オリバー様が言っていた意味が分かったわ」
「私が言っていた意味、ですか?」
「うん。オリバー様が嬉しそうに本を選んでいるのを見て、私も嬉しい気持ちになったの」
私を責めるどころか、ふわりと笑って私を喜ばせる言葉を紡ぎ出す。
本当に彼女は、なんて可愛くて優しいのだろう。見た目も内面も天使そのものだ。
「ありがとうございます。焼き菓子を買う前に、どこかでお茶でもしましょうか? よいお店を教えてもらったのですよ」
「オリバー様に任せるわ。きっと素敵なお店なのでしょう?」
照れ隠しに話題を変えると、スカーレット嬢は手を差し出す。
拳ではなく、エスコートを待つ淑女の手を。
「ありがたき幸せ。では姫のエスコートを務めさせていただきます」
芝居かかった動作で恭しく彼女の手を取り、町の中を歩き出した。
向かったのは若い女性に人気だというカフェ。果物をたっぷり使ったケーキと、果物の果肉を丸ごとすり潰したジュースが人気なのだとか。
スカーレット嬢は店の外観も気に入ったようで、入る前から目をきらきらと輝かせる。
店に入るとすぐにケーキが並ぶショーケースがあり、そこから選んだケーキとジュースを席まで運んでくれる仕様となっていた。
真っ白な生クリームの上に、宝石のようにカッティングされた果物がきらきらと輝くケーキたち。
……どれも甘そうである。
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