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岩魚と河童 一

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 洞窟の入り口付近で眠っていた真夜は、

「ホオー、オキロッ」

 という声で目を覚ました。寝ている間に凝ったらしき首を揉みながら起きあがる。

「ホオー」

 止まった。

 鳴いているのは鶯だろう。春告鳥やら歌詠鳥などと呼ばれる、風雅な鳴き声を披露してくれる小鳥だ。
 そのうちに、よく言われる「ホーホケキョッ」と聞こえるようになるのか、それとも耳によって聞こえ方が違う結果なのかは知らない。真夜には「オキロ」に聞こえたのだ。

 鶯は雀ほどの大きさで、地味な緑黄色をしている。
 エンドウ豆を用いて作られた餡を鶯餡と呼ぶが、あれほど鮮やかな色ではない。あれはたぶん、メジロと間違えられている。

 蛇足になるが、鶯餡とずんだ餡を混同している人がいるが、ずんだ餡は枝豆から作った餡で、全くの別物である。色は似ているが味も食感も全く違う。
 ずんだ餡と書かれている牡丹餅を買ったのに、口に入れたら鶯餡だった時のやるせなさといったらない。

 さて、鶯に話を戻そう。
 その声の美しさゆえに人間に捕まって鳴き合わせをさせられたり、糞を頭皮に落されて喜ぶ人間がいたり、姿も大きさも似ていないホトトギスに托卵されたりと、気の毒な鳥である。
 ちなみにホトトギスは「ホケキョ」とは鳴かない。「テッペンカケタ」と、何が起こったのか問い質したい鳴き声をしている。

 まだ朝の内だというのに、真夜の口からは大きな欠伸がこぼれ出た。夕べは遅くまで起きていたらしい。

「眠気覚ましがてら、川でも行ってみるか」
「お出かけー?」
「ああ」

 夜姫は真夜の言葉を聞き留め、急いで東袋に潜り込む。けれど中々浮遊感がやってこない。
 袋の中から顔だけ出して真夜の様子を窺うと、何やら準備をしているようでごそごそと動いている。
 どうやら炊きあげた飯で酢飯を作り、大きめの竹筒に詰めているようだ。川で食事をするつもりなのだろう。酢や竹には殺菌作用があるので、ご飯も腐りにくくなる。

 準備が整うまで、夜姫は邪魔をしないように千夜丸と大人しく待つ。
 東袋の中にいるのはかくれんぼをしているようで楽しいのか、嫌がるどころかむしろ楽しそうな空気をまとっている。
 荷物を風呂敷に包み準備を終えた真夜が立ちあがった。

「よし、行くか」
「あーい」

 元気な返事をする夜姫を連れて、真夜は洞窟を出る。
 目指すは川の上流だ。ここのところ粗食が続いていたので、魚を食べたい気分なのだ。

 青々とした山を登り、時に岩を飛ぶように駆け上る。
 爽やかな木漏れ日が揺らめき、鳥たちがそこら中で美しい音色を奏でている。時々首を傾げたくなる声も混じっているが。
 温かくなって巣作りを始めた鳥たちが、夫婦揃って雛を育てているのだろう。親鳥と思われる鳥たちが餌を得ようと山中を飛び回っていた。

 川の流れが見える場所まで出ると、渓流に沿って上流へと向かった。
 澄み切った水は美しく、お天道様の光を受けてきらきらと輝く。新緑を映した水が岩の間を勢いよく流れ落ちていく様子は、見ているだけで心の汚れまで洗い流してくれそうだ。

 川を覗くと、魚どころか他の生物の姿さえすぐには見つからない。流れの弱い浅瀬などに、白魚ほどの小さな魚が目につく程度だ。
 岩に打ち付けては流れを変える、滝のように騒々しい水音を聞きながら真夜がまず最初に足を向けたのは、川中ではなく草むらだった。

 適当に草を足で蹴れば、虫が跳ねる。それを見逃さずに捕まえると、ようやく川に向かう。
 水面から顔を出している岩に静かに陣取り姿勢を低くすると、獲ってきた虫に糸を付けて上流側に投げつけた。

「おおう」

 飛んで逃げないように思いっきり投げつけられた虫の悲劇に、どう反応していいのか分からなかったのだろう。夜姫から困惑気味な声が漏れた。
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