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プロローグ
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――空は、すでに一度、落ちていた。
2009年、ヒリシア天文台の片隅で、ひとつの光点が見つかった。
小惑星FG95。
当初は取るに足らない観測対象だったそれは
数週間後、静かな恐怖へと姿を変える。軌道計算の再検証により
その進路がこの星――人類の住む世界へと
確実に向いていることが判明したのだ。
衝突予測地点は、ファシア大陸中央部からハーグ大陸西縁にかけて。
FCF(中央ファシア連合)と、ハーギアの支配圏。
もし直撃すれば、数億人規模の死者と
文明そのものの断絶が起きると算出された。
国家は、久しく忘れていた言葉を思い出した。
――国際協調。
国連主導の緊急会合は昼夜を問わず続き
政治的対立や利権の衝突は、ひととき棚上げにされた。
「この空は、誰のものでもない」
そう語られた声明は、後に皮肉として語られることになる。
FCFのソラリスでは、前例のない迎撃兵器の建造が始まった。
70口径180センチ、磁気と火薬を併用した対地対空両用固定砲。
――DTS(Destroyer of the Sky)。
地下に原子炉と超高速演算装置を抱え
12基の砲塔が円環状に空を睨むその姿は、祈りにも、冒涜にも見えた。
一方ヒリシアでは、航宙機にレーザー砲を搭載する計画が進められ
ハーギアは巨大な多連装砲・ミサイル複合迎撃機構を建造した。
迎撃の日。
空は、昼であることを忘れた。
FG95は砕かれた。
だが、消えはしなかった。
無数の破片が大気圏へ突入し、夜空を焼き、都市を、海を、大地を穿った。
最初の一週間だけで、FCFでは二十万の死者と三千万の難民が生まれ
ハーギアではそれを上回る犠牲が記録された。
ヒリシアの迎撃網は、すべてを守るにはあまりに遠く、あまりに限られていた。
人々は空を見上げ、そして、誰かを探した。
「なぜ、あちらは守られなかったのか」
「なぜ、こちらばかりが犠牲になるのか」
その問いは、やがて言葉を変える。
――誰の責任だ。
復興の名の下に再編される軍。
難民と資源を巡る摩擦。
DTSという、世界を救い、同時に世界を歪めた兵器。
協調は、疑念に変わり、疑念は不信へと沈殿していった。
そして2028年4月7日。
ハーギア連邦は、何の前触れもなく宣戦を布告する。
電撃戦。
内部破壊工作。
通信網の麻痺。
そして――無傷で奪取されたヒリシアのDTS。
空は、再び支配された。
DTSの砲撃は、かつて人類を救った軌道で、今度は人類を撃った。
FCF空軍は制空権を失い、地上部隊は分断され、国連は機能を停止する。
わずか二週間で、FCFのほぼ全土は占領下に置かれた。
残されたのは、DTSの射程外にあるいくつかの地。
港と艦隊を抱えるセネアトバトス。
そして、空の果てにしがみつく者たち。
空は、まだ落ち続けている。
今度は、隕石ではなく――
人の手によって。
その夜、空はいつもより澄んでいた。
雲一つなく、街の灯りが届かない高い場所では
星が数え切れないほど瞬いていた。
ヨツセ・リカは、屋上の縁に腰を下ろし、膝を抱えて空を見上げていた。
十八歳。進学の書類は机の上で封も切られず
進路という言葉はまだ、現実味を持っていなかった。
ただ、空を見るのが好きだった。
理由を問われたことはある。
なぜそんなに夜空ばかり眺めるのかと。
リカ自身にも答えはなかった。広いから
静かだから、あるいは――何も言ってこないから。
その静けさが、破られた。
最初は、流れ星だと思った。
一本の光が、夜空を横切った。いや、横切ったのではない。
落ちてきたのだ。異様な速さで、まっすぐに。
次の瞬間、空が裂けた。
無音だった。
爆発音も、衝撃も、その時点では届かなかった。ただ、光だけがあった。
白く、青く、そして赤く。幾筋もの光が、空から降り注ぐ。
「……隕石……?」
誰かの声が、階下から聞こえた。
その言葉が届くより早く、二本目、三本目の光が落ちてくる。
夜空はもはや夜ではなく、燃える天井だった。
リカは立ち上がることも、逃げることもできず、ただ見ていた。
怖い、と思う前に、息をのんだ。
美しい、と感じてしまった。
それは罪だったのかもしれない。
だが、あの瞬間、確かに心は震えていた。
星が、空が、世界が、崩れていく。その圧倒的な現象を前に
人の感情など取るに足らないものだった。
遅れて、音が来た。
遠くで雷が落ちるような低い衝撃。建物が震え、ガラスが鳴った。
空気が重くなり、焦げた匂いが漂ってきた。
人々が叫び始めた。
サイレンが鳴り、街の灯りが消え、闇が落ちる。
それでも、空だけは燃えていた。
リカはその夜、眠らなかった。
眠れなかったのではない。眠ろうとしなかった。
空を見続けていた。光が減り、やがて夜が戻っても、視線を下げることができなかった。
翌日、世界は変わっていた。
通信は不安定で、ニュースは断片的だった。迎撃成功という言葉と
被害甚大という言葉が、同じ画面に並んでいた。
誰が助かり、誰が助からなかったのか、数字だけが増えていく。
学校は休校になり、街には見慣れない人が増えた。
荷物を抱え、行き先も分からないまま立ち尽くす人々。
仮設のテント。配給の列。
リカはボランティアに出た。
特別な理由はない。ただ、家にいても空を見てしまうから。
瓦礫の片付け。物資の仕分け。子どもたちの相手。
そこで、彼女は何度も空を見上げる人たちを見た。
誰も、星を探してはいなかった。
皆、落ちてこないかどうかを確かめていた。
その視線に、リカは初めて気づいた。
自分があの夜、空に何を見ていたのかを。
救助活動の合間、軍用機が低空で飛ぶことがあった。
輸送機、戦闘機。機種は分からない。ただ、重低音とともに空を切り裂いていく影。
人々は足を止め、見上げた。
誰かが言った。
「守ってくれてるんだ」
その言葉は、奇妙な重さを持って胸に落ちた。
守る。
空から。
落ちてくるものから。
その日から、リカの視線は変わった。
星ではなく、機影を追うようになった。音を聞き分け、動きを覚え、
どの方向から来て、どこへ向かうのかを考える。
進路希望の紙を、ようやく手に取ったのは、それから数か月後だった。
「空軍……?」
家族は驚いた。
教師も困った顔をした。
体格、性別、成績。理由はいくらでも並べられた。
リカは多くを語らなかった。
言葉にすれば、きっと軽くなると思ったからだ。
ただ一度だけ、夜に家の屋上で、母に言った。
「空が……好きなんだ」
それだけだった。
訓練は厳しかった。
座学、体力、適性検査。
何度も落とされ、何度も書類が戻ってきた。
それでも、空を見る気持ちは変わらなかった。
飛行適性試験で、初めて操縦桿を握った日。
機体が滑走路を離れ、地面が遠ざかる。
その瞬間、リカは思い出した。
あの夜。
星が落ちてきた空。
怖くて、美しくて、どうしようもなかった空。
「……ああ」
声にならない声が、喉から漏れた。
空は、逃げ場ではなかった。
だが、向き合う場所にはなり得る。
落ちてくるものを、ただ見ているだけの存在には、なりたくなかった。
だから、彼女は飛ぶ。
隕石を見上げた少女は、
空を守るために、空へ上がることを選んだ。
それが、ヨツセ・リカの始まりだった。
2009年、ヒリシア天文台の片隅で、ひとつの光点が見つかった。
小惑星FG95。
当初は取るに足らない観測対象だったそれは
数週間後、静かな恐怖へと姿を変える。軌道計算の再検証により
その進路がこの星――人類の住む世界へと
確実に向いていることが判明したのだ。
衝突予測地点は、ファシア大陸中央部からハーグ大陸西縁にかけて。
FCF(中央ファシア連合)と、ハーギアの支配圏。
もし直撃すれば、数億人規模の死者と
文明そのものの断絶が起きると算出された。
国家は、久しく忘れていた言葉を思い出した。
――国際協調。
国連主導の緊急会合は昼夜を問わず続き
政治的対立や利権の衝突は、ひととき棚上げにされた。
「この空は、誰のものでもない」
そう語られた声明は、後に皮肉として語られることになる。
FCFのソラリスでは、前例のない迎撃兵器の建造が始まった。
70口径180センチ、磁気と火薬を併用した対地対空両用固定砲。
――DTS(Destroyer of the Sky)。
地下に原子炉と超高速演算装置を抱え
12基の砲塔が円環状に空を睨むその姿は、祈りにも、冒涜にも見えた。
一方ヒリシアでは、航宙機にレーザー砲を搭載する計画が進められ
ハーギアは巨大な多連装砲・ミサイル複合迎撃機構を建造した。
迎撃の日。
空は、昼であることを忘れた。
FG95は砕かれた。
だが、消えはしなかった。
無数の破片が大気圏へ突入し、夜空を焼き、都市を、海を、大地を穿った。
最初の一週間だけで、FCFでは二十万の死者と三千万の難民が生まれ
ハーギアではそれを上回る犠牲が記録された。
ヒリシアの迎撃網は、すべてを守るにはあまりに遠く、あまりに限られていた。
人々は空を見上げ、そして、誰かを探した。
「なぜ、あちらは守られなかったのか」
「なぜ、こちらばかりが犠牲になるのか」
その問いは、やがて言葉を変える。
――誰の責任だ。
復興の名の下に再編される軍。
難民と資源を巡る摩擦。
DTSという、世界を救い、同時に世界を歪めた兵器。
協調は、疑念に変わり、疑念は不信へと沈殿していった。
そして2028年4月7日。
ハーギア連邦は、何の前触れもなく宣戦を布告する。
電撃戦。
内部破壊工作。
通信網の麻痺。
そして――無傷で奪取されたヒリシアのDTS。
空は、再び支配された。
DTSの砲撃は、かつて人類を救った軌道で、今度は人類を撃った。
FCF空軍は制空権を失い、地上部隊は分断され、国連は機能を停止する。
わずか二週間で、FCFのほぼ全土は占領下に置かれた。
残されたのは、DTSの射程外にあるいくつかの地。
港と艦隊を抱えるセネアトバトス。
そして、空の果てにしがみつく者たち。
空は、まだ落ち続けている。
今度は、隕石ではなく――
人の手によって。
その夜、空はいつもより澄んでいた。
雲一つなく、街の灯りが届かない高い場所では
星が数え切れないほど瞬いていた。
ヨツセ・リカは、屋上の縁に腰を下ろし、膝を抱えて空を見上げていた。
十八歳。進学の書類は机の上で封も切られず
進路という言葉はまだ、現実味を持っていなかった。
ただ、空を見るのが好きだった。
理由を問われたことはある。
なぜそんなに夜空ばかり眺めるのかと。
リカ自身にも答えはなかった。広いから
静かだから、あるいは――何も言ってこないから。
その静けさが、破られた。
最初は、流れ星だと思った。
一本の光が、夜空を横切った。いや、横切ったのではない。
落ちてきたのだ。異様な速さで、まっすぐに。
次の瞬間、空が裂けた。
無音だった。
爆発音も、衝撃も、その時点では届かなかった。ただ、光だけがあった。
白く、青く、そして赤く。幾筋もの光が、空から降り注ぐ。
「……隕石……?」
誰かの声が、階下から聞こえた。
その言葉が届くより早く、二本目、三本目の光が落ちてくる。
夜空はもはや夜ではなく、燃える天井だった。
リカは立ち上がることも、逃げることもできず、ただ見ていた。
怖い、と思う前に、息をのんだ。
美しい、と感じてしまった。
それは罪だったのかもしれない。
だが、あの瞬間、確かに心は震えていた。
星が、空が、世界が、崩れていく。その圧倒的な現象を前に
人の感情など取るに足らないものだった。
遅れて、音が来た。
遠くで雷が落ちるような低い衝撃。建物が震え、ガラスが鳴った。
空気が重くなり、焦げた匂いが漂ってきた。
人々が叫び始めた。
サイレンが鳴り、街の灯りが消え、闇が落ちる。
それでも、空だけは燃えていた。
リカはその夜、眠らなかった。
眠れなかったのではない。眠ろうとしなかった。
空を見続けていた。光が減り、やがて夜が戻っても、視線を下げることができなかった。
翌日、世界は変わっていた。
通信は不安定で、ニュースは断片的だった。迎撃成功という言葉と
被害甚大という言葉が、同じ画面に並んでいた。
誰が助かり、誰が助からなかったのか、数字だけが増えていく。
学校は休校になり、街には見慣れない人が増えた。
荷物を抱え、行き先も分からないまま立ち尽くす人々。
仮設のテント。配給の列。
リカはボランティアに出た。
特別な理由はない。ただ、家にいても空を見てしまうから。
瓦礫の片付け。物資の仕分け。子どもたちの相手。
そこで、彼女は何度も空を見上げる人たちを見た。
誰も、星を探してはいなかった。
皆、落ちてこないかどうかを確かめていた。
その視線に、リカは初めて気づいた。
自分があの夜、空に何を見ていたのかを。
救助活動の合間、軍用機が低空で飛ぶことがあった。
輸送機、戦闘機。機種は分からない。ただ、重低音とともに空を切り裂いていく影。
人々は足を止め、見上げた。
誰かが言った。
「守ってくれてるんだ」
その言葉は、奇妙な重さを持って胸に落ちた。
守る。
空から。
落ちてくるものから。
その日から、リカの視線は変わった。
星ではなく、機影を追うようになった。音を聞き分け、動きを覚え、
どの方向から来て、どこへ向かうのかを考える。
進路希望の紙を、ようやく手に取ったのは、それから数か月後だった。
「空軍……?」
家族は驚いた。
教師も困った顔をした。
体格、性別、成績。理由はいくらでも並べられた。
リカは多くを語らなかった。
言葉にすれば、きっと軽くなると思ったからだ。
ただ一度だけ、夜に家の屋上で、母に言った。
「空が……好きなんだ」
それだけだった。
訓練は厳しかった。
座学、体力、適性検査。
何度も落とされ、何度も書類が戻ってきた。
それでも、空を見る気持ちは変わらなかった。
飛行適性試験で、初めて操縦桿を握った日。
機体が滑走路を離れ、地面が遠ざかる。
その瞬間、リカは思い出した。
あの夜。
星が落ちてきた空。
怖くて、美しくて、どうしようもなかった空。
「……ああ」
声にならない声が、喉から漏れた。
空は、逃げ場ではなかった。
だが、向き合う場所にはなり得る。
落ちてくるものを、ただ見ているだけの存在には、なりたくなかった。
だから、彼女は飛ぶ。
隕石を見上げた少女は、
空を守るために、空へ上がることを選んだ。
それが、ヨツセ・リカの始まりだった。
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