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虚空の猟鳥
報奨金
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空が、ようやく静かになり始めた。
戦闘空域から離脱した編隊が、順次バラード空軍基地へと戻ってくる。
黒煙はまだ風に引き延ばされていたが
爆音は遠ざかり、代わりに規則正しいエンジン音が空を満たしていた。
「クラウ隊、帰投進入を許可する。滑走路一使用」
管制塔の声は、先ほどまでの張り詰めた調子とは違い、わずかに柔らいでいる。
それでも油断はない。
被弾機が混じっている可能性は高い。
フーシェンは編隊を整えながら、各機の状態を確認した。
「クラウ1、異常なし」
「クラウ2、右主翼に軽微な被弾、飛行に支障なし」
「クラウ3、問題ありません」
「クラウ4、同じく異常なし」
「クラウ5……」
一瞬の間。
それは、確認というよりも、ためらいだった。
「……異常ありません」
リカの声は落ち着いている。
だが、フーシェンは聞き逃さなかった。
ほんの僅かな呼吸の揺れ。
「了解。全機、帰投する」
滑走路が近づく。
基地の輪郭が、はっきりと見えてきた。
最初に着陸したのは、被弾していたバンカー隊の機体だった。
タイヤが接地した瞬間、整備員と救護班が一斉に走り出す。
「止血準備!」
「キャノピー開くぞ!」
だが、次の瞬間、操縦席から手が上がった。
「大丈夫だ、自分で降りられる」
その声に、周囲から安堵の息が漏れる。
続いて、クラウ隊。
フーシェンのF-15Cが、滑走路に降り立つ。
次々と、僚機が続く。
最後に、リカ。
F-15Cが、静かに地面を捉えた。
逆噴射。
減速。
停止。
エンジンが止まった瞬間、世界は急に現実味を帯びた。
キャノピーが開き、外気が流れ込む。
油と焼けた金属の匂い。
そして、人の気配。
整備員が梯子をかける。
「おかえり、少尉」
その一言に、リカは一瞬、言葉を失った。
「……ただいま戻りました」
地面に足をつけた瞬間、膝がわずかに笑った。
だが、倒れるほどではない。
周囲を見ると、同じような顔が並んでいる。
笑っている者。
黙り込んでいる者。
ただ空を見上げている者。
誰もが、生きて戻ってきた。
それだけで、十分だった。
報奨 ――バラード基地司令部前広場
帰投から一時間後。
基地司令部前の広場に、即席の集会が設けられた。
簡素な演台。
その前に並ぶ、防空戦に参加した搭乗員たち。
私服ではない。
フライトスーツのまま。
煤と油の跡が残っている者もいる。
司令官が、一歩前に出た。
年齢は四十代半ば。
そして、彼が誰の息子かを、この基地にいる者で知らぬ者はいない。
だが、今この場では、それは関係なかった。
「諸君」
一言で、場が静まる。
「本日、バラード空軍基地は、ハーギア連邦空軍の大規模空襲を受けた」
誰も目を逸らさない。
「結果は、諸君らの働きによって、防空成功だ」
一拍。
「よくやった」
その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
「私は、君たちが英雄だとは言わない」
ざわめきが走る。
「だが、今日ここで戦った全員が
この基地、この国、この連合を救った。それは事実だ」
司令官は、手元の書類を置いた。
「約束した通りだ。敵機一機撃墜につき、千セネアドル」
その瞬間、空気が変わった。
「クラウ隊、リカ少尉」
突然名前を呼ばれ、リカは背筋を伸ばす。
「MiG-29、三機。Tu-22M、二機。計五機撃墜」
ざわめきが、はっきりとした声になる。
「五千セネアドルを支給する」
封筒が手渡される。
重みが、現実を突きつける。
次々と名前が呼ばれる。
スウィンダラー。
ブリュンヒルデ。
スナイパー。
フーシェン。
笑い声が上がる者もいれば、無言で受け取る者もいる。
スウィンダラーが、封筒を軽く振った。
「いやあ、今日は奢らせてもらおうかな」
「黙れ」
フーシェンが即座に切り捨てる。
だが、その口元は、わずかに緩んでいた。
士気は、確実に上がっていた。
それが良いことかどうかは、誰にも分からない。
ただ、この戦争では、それが必要だった。
敵側 ――ハーギア連邦空軍 前線司令部
怒号が、壁を震わせていた。
「なぜだ!」
机が叩かれる。
「なぜ基地が残っている!」
前線司令部。
簡素な地下施設。
だが、そこに集められた将校たちの顔は、険しい。
「MiG-29、三二機中、帰還は一六機。Tu-22Mは、八機中、生還なし」
報告官の声が、乾いている。
「損害が大きすぎる……」
「迎撃が、想定よりも早かった」
「DTS射程外とはいえ、あれほどの防空戦力が……」
誰もが口々に言い訳を並べる。
司令官は、黙っていた。
「フェンリル師団の介入が確認されています」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「キルギアが……」
「なぜあのタイミングで……」
司令官は、ゆっくりと立ち上がった。
「黙れ」
一言で、全員が口を閉じる。
「失敗は失敗だ。原因分析は後でやる」
彼は、地図を睨んだ。
「だが、一つだけはっきりした」
視線が、バラード基地の位置に刺さる。
「FCFの空軍は、まだ死んでいない」
誰も否定できない。
「次は、もっと確実に潰す」
そう言って、司令官は別の書類を手に取った。
「第18臨戦飛行隊……レギンレイヴ隊を前線に回す準備をしろ」
その名前に、数人が顔を上げた。
「教導飛行隊を?」
「今は、教える余裕などない」
司令官の声は、冷たい。
「エースが必要だ。象徴が必要だ」
その場にいた誰もが、理解した。
次の空には、より危険な影が現れる。
そして、それは、ただの数字ではなくなる。
夜 ――バラード基地
夜になっても、基地は眠らなかった。
整備灯の下で、被弾箇所を確認する整備員。
簡易ベッドで仮眠を取る搭乗員。
リカは、滑走路の端に座り、夜空を見上げていた。
星は、よく見えた。
隕石の夜を思い出す。
空を見上げることが、怖くもあり、好きでもあった、あの頃。
ポケットの中の封筒が、わずかに重い。
だが、それよりも重いものが、胸の奥にあった。
今日落とした敵機。
その向こうにあった、人の命。
「……次も、飛ぶ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
空は、何も答えない。
だが、明日も、きっとそこにある。
戦闘空域から離脱した編隊が、順次バラード空軍基地へと戻ってくる。
黒煙はまだ風に引き延ばされていたが
爆音は遠ざかり、代わりに規則正しいエンジン音が空を満たしていた。
「クラウ隊、帰投進入を許可する。滑走路一使用」
管制塔の声は、先ほどまでの張り詰めた調子とは違い、わずかに柔らいでいる。
それでも油断はない。
被弾機が混じっている可能性は高い。
フーシェンは編隊を整えながら、各機の状態を確認した。
「クラウ1、異常なし」
「クラウ2、右主翼に軽微な被弾、飛行に支障なし」
「クラウ3、問題ありません」
「クラウ4、同じく異常なし」
「クラウ5……」
一瞬の間。
それは、確認というよりも、ためらいだった。
「……異常ありません」
リカの声は落ち着いている。
だが、フーシェンは聞き逃さなかった。
ほんの僅かな呼吸の揺れ。
「了解。全機、帰投する」
滑走路が近づく。
基地の輪郭が、はっきりと見えてきた。
最初に着陸したのは、被弾していたバンカー隊の機体だった。
タイヤが接地した瞬間、整備員と救護班が一斉に走り出す。
「止血準備!」
「キャノピー開くぞ!」
だが、次の瞬間、操縦席から手が上がった。
「大丈夫だ、自分で降りられる」
その声に、周囲から安堵の息が漏れる。
続いて、クラウ隊。
フーシェンのF-15Cが、滑走路に降り立つ。
次々と、僚機が続く。
最後に、リカ。
F-15Cが、静かに地面を捉えた。
逆噴射。
減速。
停止。
エンジンが止まった瞬間、世界は急に現実味を帯びた。
キャノピーが開き、外気が流れ込む。
油と焼けた金属の匂い。
そして、人の気配。
整備員が梯子をかける。
「おかえり、少尉」
その一言に、リカは一瞬、言葉を失った。
「……ただいま戻りました」
地面に足をつけた瞬間、膝がわずかに笑った。
だが、倒れるほどではない。
周囲を見ると、同じような顔が並んでいる。
笑っている者。
黙り込んでいる者。
ただ空を見上げている者。
誰もが、生きて戻ってきた。
それだけで、十分だった。
報奨 ――バラード基地司令部前広場
帰投から一時間後。
基地司令部前の広場に、即席の集会が設けられた。
簡素な演台。
その前に並ぶ、防空戦に参加した搭乗員たち。
私服ではない。
フライトスーツのまま。
煤と油の跡が残っている者もいる。
司令官が、一歩前に出た。
年齢は四十代半ば。
そして、彼が誰の息子かを、この基地にいる者で知らぬ者はいない。
だが、今この場では、それは関係なかった。
「諸君」
一言で、場が静まる。
「本日、バラード空軍基地は、ハーギア連邦空軍の大規模空襲を受けた」
誰も目を逸らさない。
「結果は、諸君らの働きによって、防空成功だ」
一拍。
「よくやった」
その言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
「私は、君たちが英雄だとは言わない」
ざわめきが走る。
「だが、今日ここで戦った全員が
この基地、この国、この連合を救った。それは事実だ」
司令官は、手元の書類を置いた。
「約束した通りだ。敵機一機撃墜につき、千セネアドル」
その瞬間、空気が変わった。
「クラウ隊、リカ少尉」
突然名前を呼ばれ、リカは背筋を伸ばす。
「MiG-29、三機。Tu-22M、二機。計五機撃墜」
ざわめきが、はっきりとした声になる。
「五千セネアドルを支給する」
封筒が手渡される。
重みが、現実を突きつける。
次々と名前が呼ばれる。
スウィンダラー。
ブリュンヒルデ。
スナイパー。
フーシェン。
笑い声が上がる者もいれば、無言で受け取る者もいる。
スウィンダラーが、封筒を軽く振った。
「いやあ、今日は奢らせてもらおうかな」
「黙れ」
フーシェンが即座に切り捨てる。
だが、その口元は、わずかに緩んでいた。
士気は、確実に上がっていた。
それが良いことかどうかは、誰にも分からない。
ただ、この戦争では、それが必要だった。
敵側 ――ハーギア連邦空軍 前線司令部
怒号が、壁を震わせていた。
「なぜだ!」
机が叩かれる。
「なぜ基地が残っている!」
前線司令部。
簡素な地下施設。
だが、そこに集められた将校たちの顔は、険しい。
「MiG-29、三二機中、帰還は一六機。Tu-22Mは、八機中、生還なし」
報告官の声が、乾いている。
「損害が大きすぎる……」
「迎撃が、想定よりも早かった」
「DTS射程外とはいえ、あれほどの防空戦力が……」
誰もが口々に言い訳を並べる。
司令官は、黙っていた。
「フェンリル師団の介入が確認されています」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「キルギアが……」
「なぜあのタイミングで……」
司令官は、ゆっくりと立ち上がった。
「黙れ」
一言で、全員が口を閉じる。
「失敗は失敗だ。原因分析は後でやる」
彼は、地図を睨んだ。
「だが、一つだけはっきりした」
視線が、バラード基地の位置に刺さる。
「FCFの空軍は、まだ死んでいない」
誰も否定できない。
「次は、もっと確実に潰す」
そう言って、司令官は別の書類を手に取った。
「第18臨戦飛行隊……レギンレイヴ隊を前線に回す準備をしろ」
その名前に、数人が顔を上げた。
「教導飛行隊を?」
「今は、教える余裕などない」
司令官の声は、冷たい。
「エースが必要だ。象徴が必要だ」
その場にいた誰もが、理解した。
次の空には、より危険な影が現れる。
そして、それは、ただの数字ではなくなる。
夜 ――バラード基地
夜になっても、基地は眠らなかった。
整備灯の下で、被弾箇所を確認する整備員。
簡易ベッドで仮眠を取る搭乗員。
リカは、滑走路の端に座り、夜空を見上げていた。
星は、よく見えた。
隕石の夜を思い出す。
空を見上げることが、怖くもあり、好きでもあった、あの頃。
ポケットの中の封筒が、わずかに重い。
だが、それよりも重いものが、胸の奥にあった。
今日落とした敵機。
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