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序章
空の片割れ
秋の陽射しが、カフェの窓から差し込んでいた。
李明明は一週間前と同じ席に座り、佐世野榛名を待っていた。
時刻は午後2時。約束の時間ちょうどに、佐世野がカフェに入ってきた。
「お待たせ」
「いえ、私も今来たところです」
二人は席に着いた。佐世野はいつものようにマスターに
「いつもの」と告げ、李はカフェラテを注文した。
「前回の話、考えてたわ」
佐世野は窓の外を見ながら言った。
「何を話そうかって。彼の戦いは長かった。半年間。
その中で何百という戦闘があった。全部話すことはできない。
でも…印象に残っている戦いがいくつかある」
「11月の台湾海峡航空戦ですよね」
「ええ。でもその前に、一つ話しておきたいことがある」
佐世野はコーヒーを一口飲んだ。
「彼がなぜ『空の片割れ』と呼ばれるようになったのか。その理由よ」
李はメモ帳を開いた。
「前回、彼は10月で10機撃墜、ダブルエース達成と聞きました」
「そう。でも、それだけじゃ『空の片割れ』なんて
通り名はつかない。もっと…特別な理由があった」
佐世野は少し躊躇した。まるで、話すべきかどうか迷っているように。
「話してもいいですか?」
李の問いに、佐世野は頷いた。
「ええ。もう10年も経ったし…そろそろ話してもいいでしょう」
10月20日 志航基地 格納庫
「あの日は、よく覚えてる」
佐世野は語り始めた。
「10月20日。景都が初陣から約二週間経った日。
彼は既にダブルエースで、基地では有名人になっていた。
でも、本人はそれを全く気にしていなかった」
夕暮れ時、格納庫は静かだった。整備作業を終えた榛名は
213番機の前で一息ついていた。
機体の修理は完了し、明日から再び景都が乗ることになる。
「よし、これで完璧」
榛名は満足げに機体を見上げた。
その時、格納庫の入口から景都が入ってきた。
「榛名、まだ作業してたのか」
「ええ、仕上げをね。明日から飛べるわよ」
「助かる」
景都は機体に近づき、手を触れた。まるで愛馬に挨拶するように。
「景都」
「ん?」
「あなた、最近夜あまり眠れてないでしょ」
榛名の指摘に、景都は少し驚いた顔をした。
「…わかるか」
「ベッドで何度も寝返り打ってる音、聞こえるもの」
相部屋だから、お互いの気配は嫌でもわかる。
景都は苦笑した。
「悪夢を見るんだ。撃墜した敵機の…パイロットの顔が浮かぶ」
「会ったこともないのに?」
「ああ。でも、想像できる。コックピットの中で、炎に包まれて…そういう夢」
榛名は何も言えなかった。
「俺は10機落とした。ということは、少なくとも10人は殺した。
もっといるかもしれない。爆撃機なら乗員が複数いるから」
景都は機体から手を離した。
「それが正しいことなのか
間違っていることなのか、俺にはわからない。ただ…重いんだ」
「景都…」
「でもな」
景都は榛名を見た。
「空にいる時だけは、その重さを忘れられる。
空は自由だ。何も考えずに飛べる。だから、俺は飛び続ける」
榛名は小さく頷いた。
「私も、同じことを考えてた」
「え?」
「私は整備士。あなたの機体を整備して、あなたを空に送り出す。
でも、それは同時に、あなたを戦場に送り出すってことでもある」
榛名は213番機を見上げた。
「この機体で、あなたは人を殺す。
それを可能にしているのは、私の整備。だから、私も…重いのよ」
二人は黙り込んだ。
格納庫の外から、夕暮れの風が吹き込んでくる。
「でもね、景都」
榛名が口を開いた。
「あなたが生きて帰ってくるなら、それでいい。
私はあなたを生かすために整備してる。あなたを殺すためじゃない」
「…ありがとう」
景都は小さく笑った。
「お前がいてくれて、本当に助かってる」
「当たり前でしょ。私たち、相棒なんだから」
「相棒、か」
景都はその言葉を反芻した。
「そうだな。お前は俺の相棒だ。
空を飛ぶ俺と、地上で支えるお前。俺たちは…」
景都は空を見上げた。
「空の片割れ、みたいなもんだな」
その言葉を聞いた瞬間、榛名は何かがストンと腑に落ちた気がした。
「空の片割れ…いい響きね」
「だろ?」
二人は笑った。
それが、「空の片割れ」という通り名の始まりだった。
2036年 カフェ
「それが由来よ」
佐世野はコーヒーカップを置いた。
「彼が『空の片割れ』と呼ばれるようになったのは、私との会話から。
空を飛ぶパイロットと、地上で支える整備士。二人で一つ。片割れ」
「素敵な話ですね」
李は感動した様子でメモを取っていた。
「でもね」
佐世野の表情が少し曇った。
「それには続きがあるの」
「続き?」
「ええ。その言葉が、後に別の意味を持つようになった」
佐世野は窓の外を見た。
「それを話すには、11月の台湾海峡航空戦のことを話さないといけない。
あの戦いで、彼は本当の意味で『空の片割れ』になったから」
李は身を乗り出した。
「どういう意味ですか?」
佐世野は深く息を吐いた。
「長くなるわよ。覚悟はいい?」
「もちろんです」
「じゃあ、話すわ。2026年11月12日。台湾海峡航空戦。
史上最大規模の空中戦。その日、景都は…」
佐世野は一瞬、言葉を切った。
「42機を撃墜した」
李は思わず声を上げそうになった。
「42機!? 一日で!?」
「ええ。信じられないでしょ。私も最初は信じられなかった。
でも、事実よ。彼は一日で42機を撃墜し、累計撃墜数を52機にした」
「どうやって…」
「それを、これから話すわ」
佐世野は再びコーヒーを飲んだ。
「2026年11月12日。その日は、忘れられない日になった」
李明明は一週間前と同じ席に座り、佐世野榛名を待っていた。
時刻は午後2時。約束の時間ちょうどに、佐世野がカフェに入ってきた。
「お待たせ」
「いえ、私も今来たところです」
二人は席に着いた。佐世野はいつものようにマスターに
「いつもの」と告げ、李はカフェラテを注文した。
「前回の話、考えてたわ」
佐世野は窓の外を見ながら言った。
「何を話そうかって。彼の戦いは長かった。半年間。
その中で何百という戦闘があった。全部話すことはできない。
でも…印象に残っている戦いがいくつかある」
「11月の台湾海峡航空戦ですよね」
「ええ。でもその前に、一つ話しておきたいことがある」
佐世野はコーヒーを一口飲んだ。
「彼がなぜ『空の片割れ』と呼ばれるようになったのか。その理由よ」
李はメモ帳を開いた。
「前回、彼は10月で10機撃墜、ダブルエース達成と聞きました」
「そう。でも、それだけじゃ『空の片割れ』なんて
通り名はつかない。もっと…特別な理由があった」
佐世野は少し躊躇した。まるで、話すべきかどうか迷っているように。
「話してもいいですか?」
李の問いに、佐世野は頷いた。
「ええ。もう10年も経ったし…そろそろ話してもいいでしょう」
10月20日 志航基地 格納庫
「あの日は、よく覚えてる」
佐世野は語り始めた。
「10月20日。景都が初陣から約二週間経った日。
彼は既にダブルエースで、基地では有名人になっていた。
でも、本人はそれを全く気にしていなかった」
夕暮れ時、格納庫は静かだった。整備作業を終えた榛名は
213番機の前で一息ついていた。
機体の修理は完了し、明日から再び景都が乗ることになる。
「よし、これで完璧」
榛名は満足げに機体を見上げた。
その時、格納庫の入口から景都が入ってきた。
「榛名、まだ作業してたのか」
「ええ、仕上げをね。明日から飛べるわよ」
「助かる」
景都は機体に近づき、手を触れた。まるで愛馬に挨拶するように。
「景都」
「ん?」
「あなた、最近夜あまり眠れてないでしょ」
榛名の指摘に、景都は少し驚いた顔をした。
「…わかるか」
「ベッドで何度も寝返り打ってる音、聞こえるもの」
相部屋だから、お互いの気配は嫌でもわかる。
景都は苦笑した。
「悪夢を見るんだ。撃墜した敵機の…パイロットの顔が浮かぶ」
「会ったこともないのに?」
「ああ。でも、想像できる。コックピットの中で、炎に包まれて…そういう夢」
榛名は何も言えなかった。
「俺は10機落とした。ということは、少なくとも10人は殺した。
もっといるかもしれない。爆撃機なら乗員が複数いるから」
景都は機体から手を離した。
「それが正しいことなのか
間違っていることなのか、俺にはわからない。ただ…重いんだ」
「景都…」
「でもな」
景都は榛名を見た。
「空にいる時だけは、その重さを忘れられる。
空は自由だ。何も考えずに飛べる。だから、俺は飛び続ける」
榛名は小さく頷いた。
「私も、同じことを考えてた」
「え?」
「私は整備士。あなたの機体を整備して、あなたを空に送り出す。
でも、それは同時に、あなたを戦場に送り出すってことでもある」
榛名は213番機を見上げた。
「この機体で、あなたは人を殺す。
それを可能にしているのは、私の整備。だから、私も…重いのよ」
二人は黙り込んだ。
格納庫の外から、夕暮れの風が吹き込んでくる。
「でもね、景都」
榛名が口を開いた。
「あなたが生きて帰ってくるなら、それでいい。
私はあなたを生かすために整備してる。あなたを殺すためじゃない」
「…ありがとう」
景都は小さく笑った。
「お前がいてくれて、本当に助かってる」
「当たり前でしょ。私たち、相棒なんだから」
「相棒、か」
景都はその言葉を反芻した。
「そうだな。お前は俺の相棒だ。
空を飛ぶ俺と、地上で支えるお前。俺たちは…」
景都は空を見上げた。
「空の片割れ、みたいなもんだな」
その言葉を聞いた瞬間、榛名は何かがストンと腑に落ちた気がした。
「空の片割れ…いい響きね」
「だろ?」
二人は笑った。
それが、「空の片割れ」という通り名の始まりだった。
2036年 カフェ
「それが由来よ」
佐世野はコーヒーカップを置いた。
「彼が『空の片割れ』と呼ばれるようになったのは、私との会話から。
空を飛ぶパイロットと、地上で支える整備士。二人で一つ。片割れ」
「素敵な話ですね」
李は感動した様子でメモを取っていた。
「でもね」
佐世野の表情が少し曇った。
「それには続きがあるの」
「続き?」
「ええ。その言葉が、後に別の意味を持つようになった」
佐世野は窓の外を見た。
「それを話すには、11月の台湾海峡航空戦のことを話さないといけない。
あの戦いで、彼は本当の意味で『空の片割れ』になったから」
李は身を乗り出した。
「どういう意味ですか?」
佐世野は深く息を吐いた。
「長くなるわよ。覚悟はいい?」
「もちろんです」
「じゃあ、話すわ。2026年11月12日。台湾海峡航空戦。
史上最大規模の空中戦。その日、景都は…」
佐世野は一瞬、言葉を切った。
「42機を撃墜した」
李は思わず声を上げそうになった。
「42機!? 一日で!?」
「ええ。信じられないでしょ。私も最初は信じられなかった。
でも、事実よ。彼は一日で42機を撃墜し、累計撃墜数を52機にした」
「どうやって…」
「それを、これから話すわ」
佐世野は再びコーヒーを飲んだ。
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