戦艦大和航空科 大艦巨砲のその裏に

みにみ

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開戦

初発艦と着水

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就役から四日後、戦艦大和は呉軍港を離れ
瀬戸内海の最重要泊地である柱島沖に静かに投錨した。
島々に囲まれた海域とはいえ、外洋に通じるこの場所の潮の流れは
呉とは比べ物にならない。波は穏やかではなかった。

艦内の「鋼鉄の迷宮」を、まだ半分も把握できていない竹内馨二等兵曹だが
この日は彼にとって、艦内探検の苦闘を忘れさせる、待ち望んだ日であった。

そう 初の搭載機発艦・着水訓練。

この訓練は、弾着観測のための実弾射撃を伴わない
純粋な機体運用能力の確認と、搭乗員が巨艦からの発艦と回収に慣れるためのものだった。

午前九時。航空科の格納庫は、活気に満ちていた。
零式水上観測機(E16A)のフロートが磨き上げられ、燃料が注入される。
竹内が乗り込む観測機は、熟練操縦員である黒田兵曹長が操縦を担当する機体だ。

「竹内、顔が青いぞ。初めてのカタパルトが怖いか?」

黒田兵曹長が、豪快に笑いながら尋ねた。

「滅相もございません、兵曹長。ただ、武者震いです!」

そう答えるのが精一杯だった。予科練時代
彼は水上機での訓練は積んでいたが、それは霞ヶ浦の静かな水面から
自力で滑走し離水するものだ。戦艦のカタパルトからの発艦は、まるで違う。

カタパルトは、強力な火薬または蒸気圧を用いて
機体を瞬時に加速させ、短い距離で飛び立たせる装置だ。
これは、航空甲板を持たない戦艦にとって、航空機を運用するための唯一の手段である。

竹内は、格納庫で機体の最終点検を行う同期の小泉昭一等兵に声をかけた。
小泉は、竹内が心配しているであろう
「バッター」の痕跡を一切見せない、無骨な表情をしていた。

「小泉。フロートの金具、頼むぞ。柱島の波はきつい」

「言われなくてもわかってる。
 てめえみてぇな観測員を乗せて、機体を傷つけるわけにはいかねえからな」

小泉は悪態をついたが、その手つきは真剣そのものだった。
彼は、竹内が帰投した機体を、万全の態勢で迎え入れる責任を感じていた。


発艦は、艦尾の巨大なカタパルトで行われる。

黒田機は、揚収クレーンによって
海面から約十数メートルの高さにあるカタパルト台へと持ち上げられ、固定された。
竹内は観測席に乗り込み、シートベルトをきつく締めた。

眼下には、瀬戸内海の波が、大和の分厚い舷側に打ちつけられている。
波は、霞ヶ浦の穏やかな水面とは比べ物にならない、生きた海の色をしていた。

「発艦用意!」
黒田兵曹長の怒鳴り声が、通信機を通して竹内のヘッドセットに響く。

機体を射出台に固定する拘束具が外され、機体はカタパルトのレールに乗る。
操縦席の黒田兵曹長は、最終的な計器のチェックを終え、発射担当官に合図を送った。

竹内は、両手で観測席の手すりを強く握りしめた。緊張で喉が渇く。

一瞬の静寂。

「ドオオオオォォン!!」

次の瞬間、凄まじい轟音と共に、竹内の体は
まるで巨大な鉄槌で背中を叩かれたかのような猛烈な衝撃に襲われた。
火薬が爆発するような振動が機体全体を貫き、加速度が彼の内臓をシートに押し付ける。

その加速度は、霞ヶ浦での自力離水では絶対に味わえない、暴力的な速さだった。

視界は一瞬、歪んだ。機体は、レールの上を滑り
わずか二十数メートルの距離を、あっという間に時速百キロメートル以上まで加速させられた。

ドンッ!

レールが終わり、機体が空中に放り出される際の、最後の衝撃。

零水は、そのままの勢いで、柱島沖の上空へと舞い上がった。

「くそっ、脳髄が揺さぶられた!」

竹内は、激しい吐き気を覚えたが
観測席の窓から、眼下に広がる大和の威容を確認した。
巨大な主砲塔、そしてその艦橋。
この巨艦から、自分は文字通り「撃ち出された」のだ。

黒田兵曹長の、余裕綽々の声が届く。

「どうだ、竹内!これが、我が大和の力だ!これが、戦艦の観測員だ!」

竹内は、深く息を吸い込み、乱れた呼吸を整えた。

「はい、兵曹長!観測準備、完了しました!」

機体は旋回し、大和の上空を大きく周回する。

この日の訓練は、弾着観測ではなく、単に「発艦」と「着水」の動作確認だ。
黒田兵曹長は、竹内を乗せた機体を
規定の飛行高度まで上げ、その後、ゆっくりと降下を始めた。



着水は、発艦以上の緊張を竹内に強いた。

霞ヶ浦の訓練では、鏡のような水面にフロートを滑らせ
ほとんど衝撃なく着水することができた。
しかし、柱島沖の海面は、うねりを伴い、白い泡を立てている。

「よく見ろ、竹内。これが海だ。霞ヶ浦とは違う」黒田兵曹長が言った。

機体が降下するにつれ、海面が近づく。
波の凹凸がはっきりと見え始める。風の影響で、機体はわずかに揺れる。

「着水は、波のうねりの頂点で行うのが基本だ。
 だが、完璧なタイミングは存在せん。当てるしかない」

黒田兵曹長は、慎重に機体を操作するが、着水直前の波の動きは、予測が難しい。

ザバァン!

零水のフロートが、海面に激しく叩きつけられた。

「ガツン!」

強烈な衝撃が、今度は下から突き上げられた。
竹内は、シートベルトがなければ、機内の天井に頭を打ち付けていたであろう。
機体全体が大きく揺さぶられ、水しぶきが観測席の窓を叩きつける。

「う、ぐっ……」
竹内は、思わず呻いた。

着水した零水は、波に揺られながら、水面を滑走する。
波のうねりが、機体を激しく揺さぶり、竹内は三半規管をやられそうになった。

「よし、着水成功だ!」黒田兵曹長の声が、疲労を滲ませながらも聞こえた。
「波間では、着水以上に、この揺れに耐えるのが観測員の仕事だ。
 揺れの中で、正確な修正値を打てなければ、話にならん」

竹内は、吐き気を抑えながら、無線機のキーを握った。
訓練を続けるため、このまま大和の揚収クレーンが来るのを待たなければならない。

波間に漂う観測機は、まるで波に翻弄される木の葉のようだ。


数分の後、大和から揚収用のクレーンが近づいてきた。
竹内たちの零水は、巨大な揚収クレーンのフックに引っ掛けられ
ゆっくりと海面から吊り上げられていく。

再び大和の甲板に戻ると、同期の観測員や整備兵たちが、彼らを迎えた。
竹内は、緊張から解放され、安堵の息を吐いた。

「おい、竹内!無事に戻ったぞ!」

竹内は、一番近くにいた小泉に、ハイテンションで声をかけた。

「ああ、発艦も着水も、予想以上の衝撃だったが、観測員は無事だ!」

竹内は、自分の役割を無事果たしたことを誇示するように言った。

すると小泉は、竹内の顔を睨みつけるように見て、汚れたタオルを投げつけた。

「てめえは無事かもしれねぇが、機体はどうかわからんだろ!」

小泉は悪態をついた。

「フロートの接合部を見ろ!着水の衝撃で、金具が少し緩んでる。
 お前が吐き気と戦っている間にも、機体は必死に波の衝撃に耐えているんだ!
 観測員が無事でも、機体が壊れりゃ、二度と飛べねぇ!」

小泉の目には、機体を愛する整備兵としての怒りと、竹内への安堵が入り混じっていた。

竹内は、一瞬にして冷静さを取り戻した。

(そうだ。俺の命は、小泉たちが整備した機体に支えられている。
 俺は、生身の体で観測をやり遂げたが、機体は、その何十倍もの衝撃を受けているのだ)

「…悪かった、小泉。すぐに報告する。機体の損傷がないか、確認してくれ」

竹内は、真剣な表情で小泉に謝罪した。

小泉は、鼻を鳴らし、再び愛機のフロートの点検に取り掛かった。

「馬鹿野郎。観測機は、てめぇの命の次に大事な
 大和の心臓だ。大事にしろ、このド素人が」

その悪態には、竹内の無事を喜ぶ、同期の隠された友情が滲んでいた。

柱島沖の荒々しい波は、観測員として、また一人の海軍軍人としての
竹内の甘い認識を打ち砕き
巨大な戦艦の観測員としての、厳しい現実と責任を叩き込んだのだった。
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