後悔の一球

周良メイ

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追憶『~高校生チャンピオン、山形瑞樹~』

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 全中が終わってから、三ヶ月宇近く経った11月のこと。
『かははっ、あー負けた、負けたー』
 全中ベスト4という華々しい結果を中体連の大会で最後に残した山形瑞樹は、それはもう潔いほどに清々しい声を上げながら、自分が負けたという事実を実感しそれを口に出していた。
 ――負けるはずがない。
 そんな自惚れがなかったことに、たった今試合をしたばかりだった紘無にもより伝わっていた。
 ただ強い相手と試合がしたくて仕方ない。
 自分の前に立ちはだかって来た相手は、誰であろうと情け容赦なく叩き潰す。
 そんな気概があるのと同時に、負けた後に対する悔しさがあまりにもないことに、紘無は少しだけ不思議に思っていた。
 なので、試合が終わったばかりでたった今自分が負かしたばかりの、ネットを挟んですぐ斜向かいにいる人物にこう質問したのも、必然だったのかもしれない。
『負けて、悔しくはないんですか?』
 と。
 問われて一瞬、キョトンとする山形だったが、ただ純粋に疑問に思ったから口にした、というだけで特に悪気がないことが伝わり、ニシッと笑みを浮かべながら答えた。
『悔しくないなんてことは、もちろんないぞ? 勝てば嬉しいし負ければ悔しい。でもなあ、悔しいと思う以上に、まだ見たことのない強者が俺の前に現れてくれたんだ。それも自分の武器とするものを完全に封じられたときては、これ以上に面白いことなんて――無いとは思わないか?』
『……』
 その言葉の意味を理解できず、結局はそのまま一言も話すことはなかった。
 それからはお互いに合間見えることはなかったけど、2人はともに全国屈指の強者として知られることとなった。
 翌年の全中で紘無は転校して来た花柳とペアーを組み、全中初出場にして初優勝を飾り。
また、山形瑞樹もインハイ初出場にして、初優勝の栄光を手にした。
 お互いに全日本アンダーに入っていたこともあって、練習会の時に顔を合わせることはあっても再戦することなく時間は過ぎていった。

 最後の全中が終わり、人気の少ない影が出来ている、建物の壁にもたれかかっている紘無の元を訪れる者がいた。
 首にかけたタオルで顔を拭いていた所為か、その人物に紘無は最初気づかなかったが、拭き終わってようやく気がついた。
 顔を横に、その人物が立つ方へと視線を向ける。
『よう、久しぶりだな』
 紘無が視線を向けたそのタイミングで現れた山形瑞樹は、軽く手を挙げて挨拶をしてきた。
 ユニフォームを着た選手が行き交うテニスコートでは異質の、高校生らしいおしゃれをした私服姿で。
『……2ヶ月ぶりだと思いますけど』
『ん? そうだったか?』
『はい』
 中体連の夏季大会が始まる前、全日本アンダーの合宿があったから覚えている。もちろん山形瑞樹も出席していた。でも、何故か彼は忘れているようだった……。
 それから山形は、そんなことはどうでもいいと、初めて試合をした時と同じように声を上げながら笑い飛ばした。
『まあ、気にするな』
『……』
 紘無とて別に気にしている訳ではない。むしろそのかなり適当な性格をしていることが、気がかりではあるが。
 しばらく笑った後、突然、山形は笑みを消し去った。
 出会ってから初めて見るとても真面目な表情に、紘無は少し不思議に思いながらも、恐らくその真意は自分でわかっていたのだろう。試合が終わったばかりで声を掛けに来たということは、試合のことについて何かを言いに来たのだと。
 だから自分から真っ先に言葉にした。どこかその事実を、他人に突きつけられるのは癪だったから。
『まさか、自分が負けるとは思いもしませんでした』
『……』
 しかし無言で返される。紘無は言葉を続けた。
『別に去年優勝したからといって、また優勝するとも思っていませんでした。それでも客観的に見ても、最初の試合運びはどうしてもこちらに分があった』
 どこから崩れたのかはわからない。けれど気づいた時にはファイナルゲームまで行っていて、そしてデュース合戦の末――――負けた。
 頭の中でも口に出しても、どちらでも負けたということを言葉にする度、それはより心の中に響いて、より実感させられる。
 自分は負けたのだと。
 自身の胸に鋭利な刃物となって突き刺さり、痛いほど響いてくる。
 それでも涙が出てこないのは、負けたという事実を本当の意味で受け止められていないからか、既にどこか割り切れているからか。
 どちらかはわからないが、それとはまた別のことを、高校生チャンピオンである山形瑞樹は言った。
『……技術面では確かに成長しているし、あの時、俺と試合した時よりも確かにお前は強くなっている。もちろん自惚れていなかったということもわかっている』
 だが、と山形は言って、言葉を続けた。
『俺の見解からすると、あの結果となるのは必然だったとしか言いようがない』
『⁉』
 紘無の刹那の驚きにも一切表情を変えることなく、山形は真っ直ぐと紘無を見据えていた。
『最初から見させてもらっていたが、心のあり方だけは、昔から一切変わっていない。「悔しくないのか?」とお前が俺に訊ねた、あの時から』
『……』
 今度は紘無に驚きはなかった。
 確かにそうなのかもしれないと、自分でも思い当たるところがあったから。
 けれどそれだけで引き下がれるほど、紘無は自分が弱いとは思っていない。むしろ冷静な判断で物事を捉え、試合に生かす。それができる人間だと自分自身を評している。
『だったら、』
『ん?』
 壁から背中を離す。首に掛けていたタオルを取り払い、言い放った。鋭い眼差しでも、声音は落ち着いた様子で。

『俺と試合をしてください』

 たったその一言を口にした、刹那。
 日陰に吹く風はまだ完全に拭いきれていない肌に当たり、若干の肌寒さを覚える。それでも2年連続シングルスで高校生の頂点に立つ男を見据え、彼の言葉を待った。
 しばら見つめ合う両者。
 試合の申し込まれたことに対し山形に驚いた様子はなく、ふっと笑ってから背を向け歩き出した。
『ちょうど一週間後の土曜日だ。京都の洛南商業高校に来い。顧問には話を通しておくから、直接コートに来ればいい』
 それは試合をしてくれるということなのだと、紘無は判断した。

 敗北がいまだ心の中に焼き付いているにも関わらず、既に全中から一週間が過ぎていた。そして迎えた今日は高校生チャンピオンとなった山形瑞樹との再戦の日。
 電車で片道1時間半の道のりを行きたどり着いたのは、京都にある洛南商業高校。
 着いてからすぐコートに向かうと、そこは閑散としており、試合相手である山形瑞樹ただ1人だけが紘無を待っていた。
『おっ? 来たな』
 コートに入るとすぐ、ラケットを持ってベースラインに立っていた山形瑞樹は紘無に近づきながら声をかけて来た。
『はい。他に人は……いないんですね』
『ん? ……ああ、今日はオフだしな。うちは普段の練習がハードだからオフにまで練習するやつはあまりいないんだよ』
 洛南商業高校の練習は全国的に見てもかなり厳しいというのは一般的に知られていることなので、その情報に関して紘無に、驚きはなかった。
 けれど、コートの向こう側に転がるたくさんのボールを見れば、間違いなくさっきまで練習していたということがわかる。
 自分との再戦のために練習をしていた――ということでは無いのだろうと、山形瑞樹が高校に上がってから残した数々の栄光を知るだけでもそれは明らかだった。
 ――この人は、オフでも練習している。
『オフの日ぐらい、休んだほうがいいと思いますよ』
『いやー、授業中はテニスしていないからオフみたいなもんだし、毎日ちゃんと寝てるから大丈夫だろ』
『……』
 それは実際どうなのか。
 丸一日休みの日を作りたくないということなのは紘無にも理解できたが、毎日ボールを打てるという環境にはないので、正直なところ羨ましいという思いも密かに秘めていた。ラケットを握らないということは、テニスを始めてから一日たりともなかったが。
『まあ、とりあえず、…………やるか?』
 突如身に纏う雰囲気を一変させると、高校生チャンピオンは、挑発的な笑みを浮かべてきて、
『ええ、いいですよ』
 と、それに紘無も応え、今、再戦の火蓋が切って落とされた。

 ***

『これで、俺の勝ちだな』
 二人以外は誰も居ない、洛南商業高校のテニスコート。そこに響いた声は、高校生チャンピオンである山形瑞樹のものだった。ネット傍まで歩みより、ベースラインで息を切らした紘無を特に疲れた様子もなく見ている。
 ゲームカウントは「4―3」とファイナルゲームまでいって敗れたが、それ以上に、セットカウント以上に実力差は明らかだった。
 現に紘無は初めてと思えるほど、息切れが酷かったし、汗の量も普段より幾分か多く出ていた。
 次やっても、恐らく勝てるかどうか……と、思ったところで、
『何ならもう一試合やるか? それでも結果は変わらないと思うが』
 普段と何ら変わらない声音なのに、どこか怒気を孕んでいるように感じる声を、山形瑞樹が放つ。
 けれど、そんなやる意味のあるかわからない再戦を申し込まなくとも、既に紘無の意思は決まっていた。
肩の荷が降りたように息を吐くと、紘無は言わなければいけない言葉を告げる。どうしてかわからないけど、この人には言うべきだと、そう思ったから。

『ありがとう、ございました……』

 と。
 紘無はそれだけを言うと、洛南商業高校のテニスコートを後にして、ソフトテニスの最前線で戦う山形瑞樹に別れを告げた。
 それは同時に、紘無がソフトテニスの最前線から離れることを意味していた。

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