【本編完結】政略結婚から逃げたいのに旦那様から逃げられません

七夜かなた

文字の大きさ
178 / 266
第十二章

19★

しおりを挟む
「な、何をおっしゃっているのですか、ルイスレーン様……こんな人私知りません……言いがかりは……」
「私は気が立っている。無用な駆け引きは時間の無駄だ。さっさと認めた方が身のためだ」

凍てついた声が馬車の中に響く。

多くの猛者たちと対峙してきたナタリーさえそうなのだから、深窓の令嬢で本気の殺意に晒されたことのないヴァネッサは更に打ち震えていることだろう。

しかし、ナタリーが感じている目の前の侯爵から発せられる狂気を、彼女は感じていないのか敢えて気づかない振りをしているのか、すっと顎を突き出し流し目を彼に送ってしなだれかかった。

気づいていないなら鈍感にもほどがある。気づいてそういう行動に出るなら、その豪胆さは尊敬に値する。

「いやだわ、こんな人、私が知るわけないではありませんか。それに、あなたの奥様を拐わせた?そんなこと出来るわけありませんでしょ」

すがり付く彼女の手を、まるで毒虫でも叩くように彼は振り払った。

「筆頭侯爵家のご令嬢だからと甘い顔をすると思ったら大間違いだ。自白の機会は与えた。それを袖に振ったのはお前だ」

向かいに座るナタリーにも、侯爵の目に本気の怒りが点ったのがわかった。複雑な色をした彼の瞳の橙の部分が色濃く広がり、焔が舞い上がったように見えた。
その時になってようやくヴァネッサもただ事ではないと気づいた。

「わ、私はルクレンティオ侯爵家の娘ですよ。私に何かすれば………」
「私とあなたが一緒に出ていくのを見た者はおりません。この馬車も家紋が入っていないどこにでもある代物。このままあなた一人消えても簡単には見つけられないでしょう」

悪魔のような微笑みを浮かべ、彼は令嬢の複雑に結い上げた髪を引っ張った。髪に付けられていた櫛が外れナタリーの足元に転がる。

「ひいいっ!」  

上品さの欠片もない悲鳴が上がる。生まれて初めて命の危険に晒された恐怖がヴァネッサの顔に浮かんだ。

「言え!誰に金を払って私の妻を拐わせた?もし彼女の身に何かあったら、お前も同じ目に合わせてやる!覚悟しろ」

ナタリーは理知的で妻思いの立派な貴公子だと思っていた侯爵の裏の顔を見て、自分がまだ五体満足でいることの幸運を神に祈った。

「ハ……ハミル……ハミルが……」

ヴァネッサはようやくそれだけ口にする。

彼が第二皇子の指揮する軍の副官に収まっているのは、身分や縁故といったものだけでない。そして鉄面皮と称される気取った仮面の下に潜む悪魔の一面を引き出したのが、彼の大事なものに手を出した愚かな小娘の浅はかな嫉妬心だった。

「着きました」

馬車が止まり、ギオーヴが扉を開ける。

「ナタリー、ハミルを呼んでこい。ヴァネッサお嬢様がお待ちだと言ってな」

「わかりました」

ナタリーが出ていきギオーヴが再び扉を閉じて狭い馬車の中で二人きりになると、髪を掴まれたままでヴァネッサはチャンスとばかりに胸元をぐいっと下げた。

「ル……ルイスレーン……あなた…何か誤解しているわ……」
「誤解?」
「は、放して……痛いのはいやよ」

彼の視線がすっと彼女の胸元に移るのを見て彼女はほくそ笑む。乳首が見えそうになるギリギリまで下げてご馳走を見せるように前へつき出す。

「いやか……確かに」

一瞬髪を引っ張る彼の腕が緩んだので、解放されたと思いかけたが、彼は根本から髪を掴んで一気に引き上げた。

「痛い……や、やめてぇぇ」

「お前が私の妻に与えた苦痛はこれ以上だ。自分がされてどうだ?」

髪を後ろにぐいと引っ張り顔を仰向ける。

「他人に苦痛を与えておきながら、自分は痛がるのか、勝手だな。なんだそれは……苦しいのか?」

「ええ、そうよ……苦しいの……あなたへの思いが……」

舌で唇をなぞり、髪の毛を掴んでいない彼の右手を取って胸元へ誘うと、彼の目がすうっと細められ、口から失笑が漏れた。

「なら協力してやろう」

そう言うとくるりと彼女を後ろ向かせ、背中から前へ手を伸ばして一気にドレスを引き下ろした。

「本当にお嬢様がここに?」

ちょうどその時扉が開き、男がその場に立った。

「え!」
「き………」

扉の前に立った男は目の前に胸をさらけ出したヴァネッサを見て一瞬及び腰になり、悲鳴を上げようとした彼女の口をルイスレーンが手で塞いだ。

「お、わぁ!」

男が背後から突き飛ばされ、同時に中からルイスレーンがヴァネッサの口を塞ぎながら男の胸ぐらを掴んで力強く引っ張る。男は勢い余ってつんのめるように中へ入ってきて、そのままヴァネッサにぶつかった。








しおりを挟む
感想 139

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...