夏雪の花に最後の恋をして。

美也

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2.冬はハルに恋をする

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 地元の大学を卒業し上京したのは22歳の時。郊外の駅前にあるテナントビルの一室の小さなオフィスが私の勤務先だった。女性従業員15人が働く美容研究家の柏木かしきあずさ代表が設立したオーガニックの化粧品会社だ。

 新入社員は私一人だったけれど、先輩方は優しく指導してくれるから、寂しさや不満などなく充実した社会人生活をスタートできたと思う。
 けれど慣れない東京に戸惑うことは多々あって、一人暮らしを始めた事もあり、暫くの間は何事にも緊張しながら行動していた気がする。

 その日も初任給を受け取った後で、定期預金の口座開設と実家への仕送りを自動送金するため銀行を訪れた。
 会社の近くにあって利便性が良いので昼休憩を利用して足を運び、少し肩を強張らせながらカウンターの椅子に座った。

 窓口で担当してくれたのは私と同じ新入社員の男性。ダークグレーのスーツに白いYシャツ、ストライプのネクタイ。短めの黒髪で若く初々しいという第一印象を感じた。

 よくよく自分の身なりを確かめてみれば、私も就活時のグレーのスーツに白色のブラウス。髪はまだカラーを入れたことのないボブカットで……
 私も彼と同じく新人らしい雰囲気を周りに与えているだろうかと、勝手に親近感を覚え仲間のような気持ちを抱いた。

「研修中で不手際がございましたら申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします」
「……あ、はいっ。こちらこそ、お願いします」

 彼の丁寧な挨拶とお辞儀を受けて、私もかしこまり礼を返した。ちょっぴりたどたどしくも優しい語り口に聞き入って手続きを進めること約30分。
 最終確認のため離席した彼が慌てて戻ってきたので、休ませていた背筋を急いで伸ばした。

「申し訳ありませんお客様! 記入用紙を間違えてしまいましたっ」
「はっ、すみません! すぐ書き直します」

 私がいっぺんに二つも手続きをしているから混乱させたのだろう、と申し訳ない気持ちが先に立つ。
 でも私が謝ると余計彼に自責の念を与えてしまうようだった。否を責めずに大丈夫と私が受け流しても、困ったように彼の目尻が下がっていく。

 新人で手一杯なのは痛いほど理解できるから、例え何度も詫びる事が研修の教えだったとしても不憫に思えて、珍しく自分から私的な会話を試みた。
 たぶん彼に感じている仲間意識が、私の中の消極さをかしてくれたのだと思う。

「……私も新卒で秋田から上京してきたんです。毎日、大変、ですよね、」
「そうなんだ!? あ、失礼。生年月日で僕と同じ新卒だと思ってました。僕は奈良から上京して……」

 彼が目を見開いて驚いたあと、初めの挨拶と同じ柔らかな表情に戻ったので、私もつられて頬を緩ませる。
 すると、とんでもないことに私のお腹も一緒に緩んでしまった。

 ぐぅぎゅるるる……

「――っ!? すみませっ、お昼休憩に、出て、きて、」
「ああっ、申し訳ありません! 僕の不手際で時間を取らせてしまって」

 お腹の音を聞かれるなんて恥ずかしすぎて、瞬く間に顔が熱く火照りだす。しかも、彼を気遣ったつもりが返って気を遣わせて。
 私ったらなんて間抜けなことをしているんだろう、と自分に嫌気が差しながら急いで記入を終わらせ俯いたまま手続きを済ませた。

 そして、何度も頭を下げる彼から早く遠ざかるように銀行を後にする。外に出てホッと胸を撫で下ろし、そのまま空っぽのお腹までさすって我慢をほぐしてあげた。
 気を取り直して歩きだし肩の力を抜いたけれど、私の恥晒しは終わっていなかったらしく……

冬咲ふゆさきさん! 待って!」
「……はいっ!?」

 名前を呼ばれて振り返ると、さっきまで相対していた銀行員の彼が外に出てきていた。険しい表情でこちらに駆けてくると、呆然とした私の前に立ち止まりバッグを突き出した。

「これ、忘れ物っ」
「はっ、いけない! 私うっかりさんでっ」

 私が2つ持っていた片方のサブバッグを置き忘れて外へ出てしまい、慌てて彼が走って追いかけてきてくれたのだ。
 羞恥心で逃げるように出てきたから、忘れたことにも気づいていなくて驚いた。

「……ははっ、うっかりさんて。どうぞ」
「すみませんっ」

 今度は私が頭をペコペコと下げてバッグを受け取った。謝罪ごっこはもうしなくていいように立ち去ったはずが、とんだ迷惑をかけてしまった。
 度重なる失態をおかして顔も上げられないし、変な言葉遣いで笑われちゃうし。みるみる赤面して言葉を詰まらせていた私に、彼はさっきと変わらぬ優しい声で問いかけた。

「昼休憩って、職場近いの?」
「あの、すぐそこで……」

「昼ごはん大丈夫?」
「はい。私……え、えっと……」

「あー、あの、もし良ければ……」
「……?」

 隠したい顔を低音の柔らかな声に向けると、やや上目にした先に優しそうな目元から視線が送られてくる。細身の体つきに爽やかな顔立ち、純朴そうな穏やかさがにじみ出ている気がした。

「ちょっと待って。あ~これは仕事用。
 え~と、これ……僕の連絡先……」

 彼はスーツのポケットを探ってスマホを取り出すもすぐにしまい、次に胸ポケットからメモ帳とボールペンを出してササッと書くと捲った紙を私に差し出した。
 なぜ私に?
 と半信半疑で受け取って彼の顔を伺う。

「東京に全然慣れてなくて仲間が欲しいなぁって……」
「あ、私も、同じ……」

 彼は照れくさそうに視線を逃がして頬を指でかいた仕草をする。私の感情も彼と一致していたからか、すっかり照れが伝染して私も視線を泳がせた。
 いっとき彷徨わせた瞳通しは再び合わさって、俯き気味の赤ら顔をその瞳に映す。

「よかったら連絡して……」
「はい……嬉しい、です」

 恥じらいながらつぶやいたお互いの言葉は、街の声に掻き消されそうだった。賑やかな東京の景色の中で、目の前だけは不思議と安心するような落ち着きに包まれている。

 このとき、東京に来て一番心地よい春風が、私達の間を擽っていった――――
 ついでに惚けた私の手元からメモをさらってゆく。

「あっ――――飛んでっ……待って……」
「あぁ――――ふっははは、おかしっ」

 二人して風に飛ばされた小さい紙を追いかけた。忘れもしないハル君と初めて会った日の思い出だ。


 ――――その出逢いの日を何度も思い返して、私達は2年の時間ときを一緒に過ごした。

「ほんと雪ちゃんおかしかったよねぇ」
「もう、また私のことからかって……」

 ハル君の家のソファでまったりと過ごす就寝前のひととき。私の恥ずかしい過去を面白がって話すので、アイスカフェオレのグラスを口にしながらムスッとしてみる。
 すると、隣に座るハル君は私を覗き込んでグラスをテーブルに置くと、自分の膝の間に私を座らせた。

 私の背中にぴったりとくっついてお腹に手を回し抱きしめる。機嫌を損ねた私を宥めようとしているのだろう。
 ハル君の手の上に自分の手を重ね優しさに応えた。ふんわりと彼の匂いを吸い込んで体温を感じとり、私の肩に顎を乗せて話すハル君の変わらぬ柔らかな声に耳を傾ける。

「初めて会ったときから雪ちゃんのそうゆう所が可愛くて好きなんだよ?」
「ふふ、それも何回も聞いてる」

 私もあのときから親切で正直なハル君が一番の大切なひとだから。こうして昔を茶化したり拗ねてみながらも、私達が両想いであることを再確認して幸せな気持ちになる。
 あれが運命の出逢いで、お互いが特別な存在であると、魔法をかけられたみたいに……
 ときめいた心が蘇って春風のような温もりが私を包みこむ。

「来月は盆休だろう? 雪ちゃんの実家に挨拶に行こうか?」
「ハル君のご実家は?」

「僕ん家は後でいいよ。雪ちゃんのご両親にまず許可を得ないと。結婚を前提に同棲を始めるんだから」
「うん、ありがとう」

 あの日仲間になった私達は次第に恋心を抱き、ハル君の研修が終わり配属先が他支店になったことを機に告白し恋人同士になった。 
 付き合い始めてから自然と結婚についても話し合うようになり、交際2年を経て夫婦になる準備を実行に移しだした具合だ。

「雪ちゃん体調はもういいの?」
「え? あ……うん」

「じゃあ、これから、シてもいい?」
「……う、うん」

 ハル君の声がいつもより低音で、耳に籠もるよう響かせたときは私を求めている合図。膝を抱え上げられソファに体を倒されるとハル君の顔を真上に映した。
 昔より長くなったセンターパートのミディアムヘアから見下ろすハル君の視線はもう熱が籠もっている。私の胸にかかったロングの毛先を指でなぞり、背中に手が回ると私達の息は交ざりあった。

「んっ……ハル、君っ……ここでするの?」
「ん~ここ明るいからよく見えて、いいね」

「あっ、んふっ、そんな……恥ずかしっ」
「雪ちゃんは、どこも白くて綺麗だよ……」

 部屋の灯りのもとでソファの上の私はTシャツを捲し上げられ胸を露わにして。ハル君のほかほかした舌が私の肌を彷徨っては濡らしてゆく。

「あんっ……」
「チュクッ……ほらすぐ痕がつく……可愛い」

 谷間に、おへそに、強く吸いついてハル君の印を刻みながら熱い吐息は下りていった。履いていたウェアを脱がされショーツの隙間から指が体の中に入ってくる。ゆっくり掻き回されると体が腑抜けて自由に動けなくなり、ハル君にされるがまま……

「凄い濡れてる……恥ずかしくて感じちゃったの?」
「やぁっ、ハル君っ」

「もう僕も限界っ。あ、ゴムがベッドに……! 今日、そのまま挿れてもいい?」
「えっ?」

「生理前って言ってたから避妊しなくても……それに雪ちゃんの中を直接感じてみたい。イイ?」
「…………(コクッ)」

 結婚するのだから。
 脳裏に迷わず最もな理由が浮かぶと頷いて返事をしていた。私を感じたいと言うハル君の気持ちにも応じたいし、私も大切な人と深い絆で繋がっていたい願望がある。
 ハル君がするりとショーツを脱がせ、余裕もたずに私の中へ――――。


 体を繋げてから絶え間なく揺すぶられ、こすられる熱さに押し込められる刺激で私は喘ぎを我慢できずに……
 ハル君の背中にしがみつく指を硬直させ声を漏らす。

「あんっ、ハルっ……」
「はあっ、雪ちゃん……凄く、気持ちいいっ……」

「ハルくっ……ぃ……いっ」
「はあっ、くっ……雪ちゃんも気持ちいいの?」

 ハル君の甘く高まった声が耳元でしっとりと響いた。キュッキュッと床が鳴き出すくらい、ソファに私の体をハル君が沈みこませる。
 いつもより、強く激しく。だから、

「ああ――っ……」
「雪ちゃんっ、一緒に……ああ、出そう」

「んんっ――――」
「ふっ――――」

 ハル君が私の奥に入り込むほどに、
 一番男らしく興奮しているからこそ、
 我慢を超えて漏れ出てしまいそうな声を私は胸の奥で押さえつける。

『 痛い 』

 その切なさと苦しさの喘ぎを、私の大好きな人に、決して聞かせないように。


 初めての性行為が痛かったのは私だけじゃないはず。女の子ならきっとそれが普通で合ってると思う。ハル君が優しく抱いてくれたから、痛みよりもたくさん愛情を受けた気がして嬉しかった。
 休日はデートをしてどちらかの家に泊まり愛しあう。
 体を重ねる度に恋人として親密に結ばれている、それは確かなのに。交際期間を経るにつれ違和感が明確になっていった。

 私……
 オーガズムを感じられない――――。

 キスも愛撫も私を悦ばせて濡らすのに、
 指で触られるのも挿入も痛くないのに、
 激しく突かれると鈍痛がお腹の中で起きる。
 この性交痛が慣れて消えるものではなくて、次第に痛みを増し、快感を奪っていってしまうから……

 麻痺するほどの悦楽を感じたことはなく、恋人と一緒に気持ちよくなる、その感覚をコントロールできずにいた。

「ああっ、雪ちゃん……中に出すよ……」
「んんっ」

 ハル君が絶頂に達しようとしているのを私は痛みで感じ取っていて。熱せられた固い突起が強くお腹の奥で打ち付けられ、ズキンズキンと響いてくる。
 まるで逃さないと押さえつけるみたいに頭を抱えられて、舌を絡め食べられそうな深いキスで声も出せない。
 激しい情交の終わりはもうすぐだ。

「くっ! はあ、はぁっ」
「あんっ……」

 ズシンッと最後に重く体を叩き付け、ハル君が私の中で精を放ち震わせている。素肌の汗に唾液と体液と、二人の全てが体温を超えた熱々しさで溶けあう。
 何もかも交わりきった私達は本物の恋人になれたのかもしれなかった。

 深く愛しあう経験ができたはずなのに……
 本当に愛しあえた、と言えるのだろうか?

 共にオーガズムを迎えることができないまま、私だけ、痛みを身体に残して。

 頭の中に悶々とした疑問をまとわりつかせながら、脱力した体は足りない息をやたらに求めて、どうにか落ち着かせようとしていた。
 もしかしたらと淡い期待をしていたけれど、私の悩みは避妊具のせいでもないらしい。

 このまま、我慢してるだけでいいのかな?
 結婚して赤ちゃんを授かって……大丈夫なのかな?

 愛されるほどにめぐる不安が深く、体に、心に、刻まれてゆくような気がした。
 ハル君に打ち明けてみようか、今更どうしてと困らせないか。せめて近いうちにブライダルチェックをしてみよう……
 そんなふうに私は考えながら熱と痛みを冷ましていった。

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