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 早朝って一体いつだろうか。
 朝の早い時間というのはわかっているのだが、さて、ギルドの指し示す早朝の定義とは? 昨日受付でたしかに「早朝に新しい依頼が張り出されますので、常設以外をお請けになりたい場合、特に割のいい依頼を受けたいのなら早めに来ることをお勧めします」と聞いたのだ。
 だが、つまりそれはいつのことだろうか? という前世を持つ現代人的には至極全うな疑問にぶち当たってしまったのはギルドに向かう道すがらだった。おそらく常識で考えるならば、夜明けと共に起床して、そして出かける準備して、終わり次第すぐに出てこい。ということなのだろうが、具体的に何時と教えてほしいと思うのは前世が抜けない俺が悪いのか。はたまた目につく範囲に、一般人には無縁な時計が職業柄普通に存在していた前職が悪かったのか。規定時間ごとに鳴る鐘だけを頼りにする生活に慣れるには、どうやらまだまだ俺には冒険者としての常識が足りないのだろう。

「アルテさん、こんにちは。予想はしていましたが、だいぶ遅いですね。残念ながらいい依頼はほとんど残っていないことをご確認いただけたかと思いますが」

 つまり、断じて、寝坊したわけではないと主張したい。ただ、一人暮らしを長らくしていなかったせいか、時間の把握の仕方がいまいちわからない上に、時計がないからさらに今が一体何時なのかわからなくなるという悪循環にはまっているだけです。と弁護させていただきたい。きっと、たぶん、もう少ししたら慣れて改善される予定なので、焦る必要もないはず、です。……どうしても無理だったら、実家から目覚まし代わりに伝言か伝達の魔法でも送ってもらおう。情けないが背に腹は代えられない。そもそも実家では俺の寝起きの悪さは周知のことだったので、ため息一つとお小言一つで許されると信じよう。

「いえ、最初は常設から受けようかと。新参者がいい依頼を持っていくのはよろしくないでしょうから」
「冒険者にそんな繊細な考え方をする人はいませんので安心してください。まぁ、いきなり変な依頼に飛びつくくらいなら、常設からコツコツやってもらったほうがギルドとしては評価が上がるのは事実ですけど」

 やる気満々だったのに、いつのまにか昼を過ぎていたことに気がついた瞬間、真っ先に「時間が飛んだ?」と思いこみ、全力で魔法を駆使して原因を特定しようとしたバカはいなかった。もし仮にいたとしても近日中に実家に泣きついて、嫌な事件だったと黒歴史として埋もれさせていくため何も問題はないだろう。俺は決めたのだ。たとえどれだけ情けなくても、格好悪くても、年下のお嬢さんに「寝坊したんですね」オーラを出されるくらいなら実家に泣きつくと。

「寝坊はしていませんからね。えっと」
「はい。寝坊したんですね。それと名札を思いっきり確認するくらいなら面と向かって名前を尋ねてもらえませんか? 胸をこれでもかと見つめているのがアルテさんでなければ物理行使ですよ?」
「あっはい。失礼いたしました。本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい。許してください。それで、はい、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「アンナです。では、お話を戻して。こちらの依頼を受けるということで、よろしいですね?」

 下手をすれば、俺には受付のアンナさんより二、三才くらい年下の子供がいても不思議はないのか。と考えたが最後だった。自分が悪いのだがそれは心に効く。俺の心は毛が生えているといわれることがあったとしても、もの自体はガラス製なのだ。
 ついでに、うっかり名前を聞いていなかったものだからと、名札を髪の間からガン見した結果「セクハラなので訴えずに勝つ」と言われた件について。さすがギルドの受付嬢は強い。殺気とかも実はあんまりよく理解できない、典型的な引きこもり系研究職員魔法使いでしたが、今のだけはとってもよくわかりました。

「はい、お願いします」
「ではカードをお借りします。ありがとうございます。では、処理が終了しましたので、いってらっしゃいませ」
「行ってまいります。帰りは――失礼いたしました。つい、癖で」

 全力で謝り倒して許してもらえたと思い込み、話を進める。アンナさんの胸は正直に感想を述べるのならば見るほどのことは――はい、なんでもありません。つい考えてしまう余計な思考をそらすべく、今回の依頼を確認することに意識を割こうと思う。どうやらこれ以上その話題は触れてはいけないらしいので。

 今回、俺が選んだのは常設依頼である。

 いつでもどこでもギルドでさえあれば常にあるような依頼をあえて選んだのだ。より正確に言えばそれしか残っていなかったのだが、何度も言うように俺は常設依頼から受けると、ついさっき決めた以上は誰がなんと言おうとも予定通りなのである。

 ひとまず種族柄、植物系は碌に学んでもいないのになぜだか理解が出来るので、ありふれた薬草採取を選んでみた。初心者ランク向けの魔物討伐とものすごく悩んだのだが、サーチの魔法で一生懸命魔物を探し森の中を練り歩くのは面倒くさいのでやめた。なにせ引きこもり研究職員な魔術師なのでフィジカル方面は弱いからだ。その点、薬草は森に入りさえすれば探すまでもなく見つかるだろう。ハーフだし先祖返りなのに、なぜだか無駄に植物チートだけは他の何よりもあるからだ。

 あとは実際行って、気が向いたら魔物も探して討伐すればいいと気楽に考えたこともある。
 常設依頼は事前にギルドで依頼を請け負わずとも事後報告が許されている点を利用しない手はないだろう。ただし、これは討伐依頼に限る。「薬草があったのでついでにとってきました!」は受け付けられないと明確にギルド規約に記されている。理由は実に単純に「それはいつの薬草ですか?」に集約される。討伐は魔石ないし部位なのでどれだけ放置しても、それこそ年単位で放置しない限りそこまで問題はないのだが、薬草でそれをやられた日にはという実にわかりやすい理由が背景にあるのだ。規約に赤字で大きく絶対に目に入るように書かれているあたり、過去にどれだけの人間がやらかしたのかは考えてはいけないのだろう。

「それにしても」

 アルテさんに見送られて、ついつい癖で返事をしかけて思いとどまったが、遅すぎた感が否めないことに、今更ため息をこぼす。
 森でエルフチートなのか、入って数歩で見つかった薬草を雑草のごとくむしりながら心頭滅却を試みる程度にはやらかしてしまった気がしてならない。
 “行ってきます”までは微笑ましくというか生暖かく放置してくれたのだが、そのあと何も考えずに癖で帰宅時間まで伝えようとしたときはかなり驚かせた自覚しかない。
 そもそも思い返してみれば、癖になるほど帰宅時間を家人に伝えることは子供でもやらないのでは? と思わなくもないのだが、俺のいた職場は稀に三日くらい缶詰になりつつこなさなければならない残業がよくあったブラックさ加減なので仕方のないことだった。さすがに仕事に出てから三日間音信不通は、過去やらかしてものすごく面倒くさかったので、以降徹底して帰宅時間を伝えていれば癖にもなるだろう。

「恥ずかしいで――」
「何が恥ずかしいんだ?」
「いえ、つい癖で……あの、どちら様で――え?」

 こんもりと山になりつつある薬草を眺めてから木々の間から空を見上げ明るさを確認する。採取目標は達成したのだが、このままギルドに戻るにはまだ俺の心が復活していないし、採集にかかった時間も、やはり短すぎるだろう。かと言って魔物を探して歩きまわるのも面倒くさい。どうしたものかと思っても、まだまだ消えない羞恥心からつい独り言をこぼしてみれば、なんということでしょう、返答があるではないですか。

 人が近くにいるということ自体は把握していたのだが、まさかこちらに来るとは思っていなかった。それこそ声をかけられるとは想像さえもしていなかった。一応サーチを癖で展開したうえで、念のために自分を起点にした結界の構築をしていたから、最悪何があって一撃目はどうにでもできるのだが、サーチがなければそもそも相手の存在を認識できなかっただろうし、サーチをもってしてもまるで瞬間移動か何かのように対象がいっきに近づいてきたと感じた時点で、もしかしなくとも俺は冒険者失格、どころかその資質からしてないのではなかろうか。
 薬草を採取すべく座ったままだった姿勢をゆっくりと戻しつつ、いくら魔法チートがギリギリアウトくらいにはあるとはいえ、我がことながら呆れを一つ。
 さすがに平和ボケしすぎたかもしれ――

「えっ? あ、えっ? あ、なたは、S級の!!」
「あぁ、俺はS級のラルド……って、なんだ?」

 ない。ないわ。これ、俺は悪くないわ。絶対悪くない。むしろ被害者確定。
 だって、S級冒険者だよ? あのラルドだよ? 剣神と呼ばれている、文字通りの神だよ? あの英雄、ラルド・ロンズデールその人だよ? 俺の推しの一人だよ?
 精悍な顔に男くさい笑みを浮かべて、それが最高に似合っているだけじゃなくてどこか渋くてエロくて格好いいとかすごくない? 絵姿よりも実際はたれ目な青い目に、絵姿よりも長めのブルネットが雑な感じのオールバックにされて、首やら顔やらにかかるその髪の毛がものすごくイイというか、本物がものすごくエッチに見える件について! あれか! 絵姿ではきっちりした服を着こんでとっても凛々しい感じだったのに、現実では胸元がけしからん感じにはだけている上に何かを確認するような感じで上から見られているせいか! というか、筋肉すごい。背高い。本物、すごい。

「ふぁ、ファンです! 握手、握手だけでも!!」
「……いや、とりあえず落ち着け。ある、程度落ち着こうか」

 うっかり今朝も寝坊したせいですだれのごとく垂れている髪を、推しを目に焼き付けるのに邪魔だとばかりに横に分け、耳にかけてからラルドを見つめる。ハーフらしく中途半端に長い耳は髪をかけるときだけは役に立つ。これでうっかりラルドには俺の種族が少なくともハーフエルフであるとバレるだろうが、推しを脳内保存するのに忙しいのでどうでもいいし、むしろ彼にならバレてもいい。

 鏡で見るまでもなく、キラキラと瞳が輝いていることあり、いつもより少しは美形度が上だろう自信しか今の俺にはないのだが、ハーフと先祖返りのおかげで美形とはいえそれは一応であり、つまりいい年したおじさんの期待顔はラルドには見るに堪えなかったらしい。推しに何かを呟かれながら顔をそらされたんですが、泣いてもいいですか? 差し出した手が握り返されることももちろんなく、それ以前に視線が合うこともなく、気まずさに涙をこらえながら、そっと行き場をなくした手を戻そうとした。

「ほら。これでいいのか?」
「あり、がとうございます!」

 瞬間、大きくてあったかいものに包まれ目が点になる。目の前にはなにやら苦笑と呆れと驚愕と、それからなんだか照れている感じのラルドがいた。
 先ほどとは違い、まっすぐに向けられた瞳は、憧憬のような、そんな光が浮かんで見える。
 何もしらないだろうラルドからすれば、気まぐれで声をかけた駆け出し冒険者の少年が急にハイテンションを通り越して一人で混乱状態に陥ったあげく、いきなり握手を求めてきたわけで、もしかすると彼にも同じような過去があるのかもしれない。
 どちらにせよ、向こうからすればとりあえず落ち着けとばかりに苦笑くらいするだろうし、まっさきにそれかと呆れもするだろうし、そうでなければ驚くだろうし、何かしら思うところがあるのだろう。

 しかし、そんな中で出てきた最後の感情が照れとか、すごい、推しが可愛すぎて同好の士に叫びたい。たしかに、ラルドは俺よりも片手か下手をすれば両手の指以上は年下なわけで、いや、これ以上考えるのはよそう。俺は一応エルフだ。ハーフだし先祖返りだしほぼ人間と“誤差の範囲”でしか寿命が違わないことは棚の上にあげて鍵をかけたうえでしまってしまおう。そもそも人間でも魔物と戦い続けてレベル的なものを上げれば余裕で長生きできる以上ささいなことだと処理しよう。俺の心の安定のために。大丈夫、真正面から好意を受けたラルドが照れて可愛いだけわかっていれば問題なんてない。ないといったらない。

 もちろん。できることならば、どうしても聞きたいことなり、言いたいことなりがあったのだが、会えるわけがない人間に偶然出会えた奇跡を思えば贅沢にすぎるのだろう。その姿を一目見れただけで俺は満足すべきなのだ。
 いや、できればサインとか欲しいけど。あと冒険の話とか詳しく聞きたいけど。
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