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誘われた刺客
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誘われた刺客
ロンドンから車を三時間ほど走らせると、黄緑色の丘の向こうに一見すると納屋の様にも見える小さな家がいくつか見えてきた。
走りながら車の窓を開け、甘い草の香りがするコッツウォルズの空気を肺いっぱいに吸い込むと、少しだけ疲れが取れた様な気がしてくる。私はもう長時間のドライブを楽しめるほど若くは無い。
しばらく窓を開けたまま車を走らせていると黒い鉄格子の門とその先にある石造りの屋敷が見えてきた。ようやく目的地に着いたのだ。
門の前に車を止めると屋敷の庭から執事がこちらに歩いて来た。浅黒い肌にパーマがかかった黒髪の青年で、トムフォードのベストに爪先の長い革靴を履いている。
「エンフィールド探偵社から来ました。エリオットです。」
私はそう挨拶をして右手を差し出すと彼もそれに答えた。彼の右手には純金で出来た指輪が二つ付いていた。
「お待ちしてました。私はペドロ・ガザレス、この家の召使いです。旦那様が部屋でお待ちです。ご案内いたします。」
彼の案内で屋敷の中に入る、屋敷の中は手入れが行き届いており埃一つ見当たらなかった。
階段を登り一番奥の部屋に入ると、赤いカーテンが付いたセミダブルのベッドの上に老人が寝ながらこちらを見ている。私はペドロにしたのと同じようにこの老人にも挨拶をした。握手をするのは止めておいた。この老人の手を握ったらそのまま骨を折ってしまう様な気がする程彼は年老いていた。
「よく来てくれたミスター・エリオット。私はここの家主のハリー・スタントンだ。実の所、君を呼んだのは私では無く、私の息子でね、今は少し出かけてるがそのうち戻ってくるだろう。」
そういうと彼は召使の手を借りて車椅子に座った。
「寝室で話す事もあるまい、中庭へ案内しよう。」
中庭は屋敷の中同様、手入れが行き届いた美しい庭だった。緑に囲まれ、テーブルと椅子が置いてあり、小さな池まである。
「さて、君は息子のヘンリーからどんな話を聞かされてここへ来たのか、私に聞かせてくれないか?」
老人はなるべく穏便に話す様努めていたが、私がここに来た事を快く思っていないのは明らかだった。
「数日前の真夜中ミスターヘンリーの奥様であるミセステレサが寝ている所、何者かが彼女の腹部に三八口径で穴を開けたと。警察の捜査だけでは心許ないので私に事件の調査と屋敷の警備を依頼したわけです。」
私が話し終えると老人はしばらく私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「成る程、大体そんな事だろうとは思った。しかし私はそんなに今回の事を深刻に考えてはいないよ。」
「というと?」私は言った
「私は長い間この地で暮らし、多くの富を築いた。今ではここ一帯の土地は全て私の物だ。オリの中に入った事は無いが全くの善人というわけでは無い、今回の事件は恐らくは私を狙って入った賊が間違えて息子の嫁を撃ったと言うところだろう。」
「あるいはそうかも知れません。しかし、息子さんはそうは思っていないようですな。」
老人の表情は石のように硬く変わらなかった。そうこうしてるうちに玄関先に九四年式のジャガーXJが止まった。私の雇主であるヘンリー・スタントンがようやく帰ってきたのだ。
「息子が帰ってきたようだな、私は部屋に戻るとしよう。」老人はそう言うと召使いと共に屋敷の中に戻っていった。
ヘンリー・スタントンは車から降りるとサングラスをポロシャツの胸ポケットにしまい、私のいる中庭へと真っ直ぐ歩いてきた。
「お待たせしてしまったようで申し訳ありません。妻の見舞いに行っていたもので。私がヘンリー・スタントンです。」
彼はそう言って私に右手を差し出してきた。彼の手には結婚指輪が付いている以外には装飾品は付いていなかった。
「初めまして、ミスタヘンリー、エンフィールド探偵社のエリオットです。奥様のご容態はどうです?」
「幸い命に別状は無い様です。今は病室に警官も居てくれますし、ひとまず安心しました。」
彼の顔は疲れ切っており、コカインを十年使ったみたいに顔がやつれていた。彼はそのまま中庭の椅子にすわり、煙草を口に加えると私にも一本差し出した。「一本いかがです?」
「大変ありがたいですが遠慮しておきます。医者にきつく言われてましてね。これ以上酒と煙草を続ける様なら還暦前にイエス様に直接お会いする事になるようです。」それを聞くと彼は少しだけ笑い、直ぐに真剣な表情に変わった。
「それでは仕事の話しに入りましょうか。」
「事件が会った日の事を改めてお聞かせください。」私は言った。
「ええ、以前電話でお話しした通りです。事件が会ったのは深夜の二時頃です。屋敷に居たのは私と妻のテレサ、父のハリーと使用人のペドロだけです。私は銃声を聞いて目を覚ましました。テレサの部屋に駆け込むとベッドは血で赤く染まっていまして、私は何が何やら…情けない話で、すっかりパニックになってしまいまして。その直ぐ後ペドロが部屋に来て、警察と病院に電話をかけました。妻は助かりましたが脇腹を銃で撃たれたようです。事件が会った日は当然戸締りもしていたのですが…。」
「警察の言い分はどうです?」
「恐らくは屋敷に侵入した物盗りの仕業だろうと、妻に見つかり証拠隠滅の為に撃ったのだろうと言っています。その場合、犯人が再び現れる事は無いだろうと言っていましたが、私は不安でなりません。」彼は煙草を消すと、震える手で新しい煙草に火をつけた。
「先程あなたのお父上のミスタハリーとお話ししましたが、どうやら彼は自分を狙ってきた人間の仕業だと考えているようですな。」私は言った
「あるいはそうかも知れませんね、考えたくは無いですが、父には敵が多いのも事実です。あまり感じが良いとは言えない友人も多いようです。」
「成る程、明日奥様にお会いして少し話を聞きたいのですが構いませんかね?」
「ええ、勿論です。明日の昼頃車で送りますよ。今日は屋敷に泊まって行って下さい。」
「助かります、私は少し屋敷の周りを見てきます。」私はそう告げると中庭を出て屋敷の周辺をぐるりと歩いて回った。
屋敷の周りには誰も住んで無い家が二、三件ある以外は何もない平坦な田舎といった具合だった。確かに人を撃ったり何かを盗んだりするには絶好の場所であるのは事実であった。
その後私は召使いのペドロに案内されて部屋を一つ借りた。来客用の小さな部屋で、ベッドとテーブル、クローゼットと姿見のある小綺麗な部屋だった。
私は夕食をご馳走になった後部屋に戻り、ブローニングの手入れをし眠った。
翌日の昼過ぎ、私はヘンリーのジャガーに乗り、彼の妻が入院しているというチェルトナム総合病院に向かった。
駐車場は広く、院内は静かで清潔だった。彼の案内でテレサの病室の前まで来ると彼は言った。
「妻と少し話をしてくるのでココで待っていてください。あなたを雇った事は伝えてありますが、思い出したく無い事も沢山ありますから。」彼の疲れてやつれた顔は、私に怯えているようでもあった。私に失礼の無い用に、慎重に、一つ一つ言葉を選んで話している様な印象を受けた。
「勿論かまいませんよ。」私は言った。
それから二、三分待った後、私は病室の前にいる警官に私立探偵の許可証を見せ、ブローニングを預けた後、ヘンリーと入れ替わる様にテレサの病室に入った。
病室は壁も床もカーテンもベッドカバーも全て真っ白で無機質だった。私ならこんな部屋に一日でも居たくなかった。ココには酒もタバコも無い上にテレビもレコードも無かった。刑務所とそう変わらないだろう、床がフローリングかコンクリートか、ベッドの横にカーテンがあるか鉄格子があるか、という点が違うだけだ。
そんな病室の中、ミセステレサ・スタントンはベッドの上に居た。パーマがかかったブロンドの長い髪に整形手実でつくったであろう厚い唇、眠そうな眼。典型的なアメリカ人女性という外見で年齢は三十代後半だろうか。
「初めまして、ミセス・スタントン。私はエリオット、エンフィールド探偵社からご主人に呼ばれてきました。」私は言った。
「ええ、初めまして。テレサ・スタントンです。私、探偵の方とお会いしたのは初めてですわ。」私はだんだん彼女がローラ・ダーンに見えてきた。美人と言って差し支えないが私の好みでは無い。私はもうブロンドというだけで飛びつくほど若くは無かった。
「早速ですが、事件のことをいくつかお聞きしたいのです。話しづらい事もあると思いますが、事件解決の為にお話して下さい。」彼女はゆっくりと力なく頷いた。
「まず犯人の動機を知りたいのです、貴方や貴方の夫に恨みのある人間に心当たりはありますか?」私は言った。
「それは無いと思いますわ。夫のヘンリーは普通の会社員ですし、私の出身はイギリスではありませんからこの辺に知り合いはあまりいませんの。」
「ご主人とはどこで知り合ったんです?」私がそう言うと彼女は少しうつむいてバツの悪そうな顔をした。
「それは、私の故郷です。つまり…アメリカのアリゾナです。ヘンリーが友人と旅行に来てる時に知り合いましたわ。」彼女は言った。
「わかりました。警察の方は物盗りの犯行だと、ミスタ・ハリーは自分を狙った人間の犯行だと言っていますが、コレについて貴方はどう思います?」
「わかりませんわ、ウチにはそれ程高価な物はありませんし、お父さまの仕事に関しては詳しく存じませんから。」
「それでは犯人の外見についていくつかお聞かせ下さい。服装、身長、肌の色、髪型。些細な事でも思い出して話してみて下さい。」
「何しろ深夜の事ですから、あまりはっきりとは見えなくて。身長はそんなに高く無いと思います。服装は、黒くて分厚いダウンジャケットをきてました。顔や髪型はわかりませんわ、丁度映画に出てくるような目の所に穴の開いた黒い覆面を被って手袋をしていたんです。その人が銃を持ってることに気づいた時に、自分が撃たれたことに気づきました。その後は気を失って…気がついたらこの病室でした。」話しながら彼女はとても疲れている様子だった。あまり長居は出来そうもないし、私も病院にいつまでもいるつもりは無かった。
「ありがとうございます。もう結構です。お時間を頂きすみませんでした。」
「お役に立てましたか?」彼女はベッドから私を見上げて不安そうに聞いてきた。
「ええ、勿論です。それではお大事に。」そう言って私は精一杯の作り笑顔で病室を後にした。
その後、ヘンリーの運転でコッツウォルズの屋敷に戻った。途中でヘンリーは私にコーヒーを買ってくれた。この男は外見や話し方から真面目で人当たりの良い印象を受けた。派手な外見の細君や資産家の父親とはつり合わない優男という感じだ。
屋敷に戻り、夕食を済ませると私は部屋に戻って少し眠ることにした。
その日の真夜中、私はどうも寝付けないのでベランダに出て夜風に当たっていると、どうしようもなく煙草を吸いたい気持ちに襲われた。こんな事なら持って来なければ良かったのだ、このままでは仕事に集中出来ないしとても安眠できそうにない。私が煙草を口に加え、ジッポライターの蓋を開けたとき屋敷に窓が割れる音が響いた。私は火の付いてない煙草を口にくわえたまま、音の聞こえた方に駆け出した。走りながらブローニングを引き抜き、安全装置を外した。
音が聞こえたのは恐らくハリーの寝室だろう。私は彼の部屋の前まで来るとドアを蹴破った。
ドアは勢いよく内側に開き、壁に当たって大きな音を立てた。
ベッドの上で、驚いた顔をした老人の横に、黒い覆面をつけてチェスカのオートマチックを持った大男が立っていた。
私は口にくわえた煙草を吐き捨てると男に向かって三発銃を撃った。一発は男の腕に当たり拳銃を弾き飛ばし、残りの二発は胸と腹に当たった。弾丸は肺と胃袋を突き破り、壁は赤いペンキをこぼしたみたいに真っ赤にそまって、部屋は生臭い臭いでいっぱいになった。この老人はしばらくトマトソースを使った料理は食べられないだろう。
私は男が持っていた銃を拾い上げてから、男の覆面を取った。醜い顔をしたアイルランド人の中年だった。老人はショックで口を開けたり閉じたりしていた。このままでは心臓発作でも起こしかねない。
私は部屋を出ると、駆けつけてきたペドロとヘンリーに言った。
「心配要りません。銃を持った男が窓を割って侵入したようです。私が片付けましたが、ミスタ・ハリーはショックを受けている様です。ミスタ・ペドロはご主人を何処か別の部屋に連れて行ってかかりつけの医者を呼んで下さい。警察を呼ぶのは少し待ってください。それとミスタ・ヘンリー、私の部屋に来たください。」二人は呆気に取られて目を丸くして私を見ていたが、しばらくして私の指示通りに動き始めた。私はヘンリーと部屋で二人になった。
「一体どうなってるんです?あの男は一体何者ですか?私の妻を襲った犯人ですか?父の容体はどうなんです?」彼は震えながら口を大きく開けて私に尋ねた。
「落ち着いて下さい。お父上は無事ですよ、犯人はもう方付きました。それと今回の事件ですが、それももうわかりましたよ。」私は病室でテレサに向けた様な精一杯の作り笑顔で彼に話した。彼は何も言わなかった。
「まず初めに、今お父上の部屋にいた男は奥様を撃った犯人とは別人でしょう。」私は言った。
「ど、どうしてそんな事がわかるんです?」彼は今にも泡を吹いて倒れるんじゃないかという様な表情で私に尋ねた。
「まず今回の男を私はロンドンで見たことがあります。名前は知りませんがアイルランド人の殺し屋です。彼が持っていた銃はチェスカの十連発のオートマチックで四五口径です。奥様が撃たれた弾丸は三八口径でした。違う銃を使った可能性もありますが、奥様は犯人の背はそれ程高く無いと言いましたが今日の男は身長が百九十以上ありそうです。それと、今日の男はお父上を殺しに来たわけでは無さそうですな。恐らく狙いは私でしょう。」
「そ、それはまた何故です?」
さて、いつこの優男が泡を吹いて倒れるか、それともあの老人が心臓発作で倒れるか、そうなったら今日だけで三人も死人が出ることになるだろう。
「私が窓が割れる音を聞いてからこの部屋に来るまで少なくとも四十秒程かかりました。それだけ有れば寝ている老人を撃ち殺して侵入した窓から外に出るには充分ですが、彼はそうしなかった。窓を割ったのは私を誘き出して殺す気だったのでしょう。私の部屋に直接来なかったのは、貴方のお父上を狙った犯行だと見せかける為のカモフラージュでしょうな。」彼はもう何が何やらわからない表情をしていた。
「今回の男を雇ったのは貴方の父親のハリー・スタントンです。雇われた男はプロの殺し屋で、奥様を撃ったのは素人です。奥様は脇腹を一発撃たれたそうですが、寝ている女の腹を狙う様な殺し屋はいません。顔を狙ったりナイフで直接喉を切るような度胸の無い素人の犯行です。」私は続けた。
「ここで一つ聞きたいことがあります。奥様は貴方とアリゾナで知り合ったと聞きましたがそれはアリゾナの何処です?」それを聞いて彼は顔を真っ青にした。
「奥様を悪く言うつもりはありませんが、彼女はアメリカで体を売って暮らしていたのでしょう。そして事件当初、彼女は妊娠していた、違いますか?」彼は震えて顔を地面に向けた。
「貴方はお父上に彼女の生まれや職業を告げなかったかもしれません。しかし貴方の父はそんな事を調べるのは簡単でしょう。彼はこの辺りで一番の資産家であり、家名に誇りを持っている。一人息子の連れてきた妻が売春婦だったと言うのは、彼のあまり感じの良いとは言えない友人とやらに相談する動機としは充分でしょう。あのアイルランドの殺し屋はミスタ・ハリーに誘われた刺客だったというわけです。奥様を撃ったのはあのペドロという召使いで間違い無いでしょう。事件当初屋敷にいた人間で奥様の部屋に侵入して奥様を撃つことができるのは貴方以外には彼だけです。彼は召使いの制服をダウンジャケットと覆面で隠した後奥様を撃ったのです。彼なら召使いという立場上、犯行に使った服を処分するのは簡単です。そしてこの広大なコッツウォルズです。適当な所に銃を埋めれば探し当てるのは困難でしょうな。」 彼は私のベッドに腰を落とし大粒の涙を流して肩を震わせていた。大人の男が泣いてる姿というのはあまり気持ちの良いものではない。
「それとコレは初めてこの家に来た時思ったのですがね」私がそう言うと彼は涙で濡れた顔をこちらに向けた。
「彼が着ていたベストは召使いにしてはちと派手すぎますな。」私は言った。
「私はコレで失礼します。お代は警備の分だけで充分です。後のことはお任せします。」
私はそう告げると門の前に止めてある私のシトロエンに乗り込んだ、もうヘンリーのジャガーでドライブする事はないだろう。
数日後、私はロンドンの事務所で新聞を読んでいると興味深い記事を見つけた。なんでも屋敷に住んでいる資産家の息子が父親と召使いを拳銃で撃ち殺したというのだ。
私は事務所のベランダに出るとラッキーストライクに火をつけた。
ロンドンから車を三時間ほど走らせると、黄緑色の丘の向こうに一見すると納屋の様にも見える小さな家がいくつか見えてきた。
走りながら車の窓を開け、甘い草の香りがするコッツウォルズの空気を肺いっぱいに吸い込むと、少しだけ疲れが取れた様な気がしてくる。私はもう長時間のドライブを楽しめるほど若くは無い。
しばらく窓を開けたまま車を走らせていると黒い鉄格子の門とその先にある石造りの屋敷が見えてきた。ようやく目的地に着いたのだ。
門の前に車を止めると屋敷の庭から執事がこちらに歩いて来た。浅黒い肌にパーマがかかった黒髪の青年で、トムフォードのベストに爪先の長い革靴を履いている。
「エンフィールド探偵社から来ました。エリオットです。」
私はそう挨拶をして右手を差し出すと彼もそれに答えた。彼の右手には純金で出来た指輪が二つ付いていた。
「お待ちしてました。私はペドロ・ガザレス、この家の召使いです。旦那様が部屋でお待ちです。ご案内いたします。」
彼の案内で屋敷の中に入る、屋敷の中は手入れが行き届いており埃一つ見当たらなかった。
階段を登り一番奥の部屋に入ると、赤いカーテンが付いたセミダブルのベッドの上に老人が寝ながらこちらを見ている。私はペドロにしたのと同じようにこの老人にも挨拶をした。握手をするのは止めておいた。この老人の手を握ったらそのまま骨を折ってしまう様な気がする程彼は年老いていた。
「よく来てくれたミスター・エリオット。私はここの家主のハリー・スタントンだ。実の所、君を呼んだのは私では無く、私の息子でね、今は少し出かけてるがそのうち戻ってくるだろう。」
そういうと彼は召使の手を借りて車椅子に座った。
「寝室で話す事もあるまい、中庭へ案内しよう。」
中庭は屋敷の中同様、手入れが行き届いた美しい庭だった。緑に囲まれ、テーブルと椅子が置いてあり、小さな池まである。
「さて、君は息子のヘンリーからどんな話を聞かされてここへ来たのか、私に聞かせてくれないか?」
老人はなるべく穏便に話す様努めていたが、私がここに来た事を快く思っていないのは明らかだった。
「数日前の真夜中ミスターヘンリーの奥様であるミセステレサが寝ている所、何者かが彼女の腹部に三八口径で穴を開けたと。警察の捜査だけでは心許ないので私に事件の調査と屋敷の警備を依頼したわけです。」
私が話し終えると老人はしばらく私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「成る程、大体そんな事だろうとは思った。しかし私はそんなに今回の事を深刻に考えてはいないよ。」
「というと?」私は言った
「私は長い間この地で暮らし、多くの富を築いた。今ではここ一帯の土地は全て私の物だ。オリの中に入った事は無いが全くの善人というわけでは無い、今回の事件は恐らくは私を狙って入った賊が間違えて息子の嫁を撃ったと言うところだろう。」
「あるいはそうかも知れません。しかし、息子さんはそうは思っていないようですな。」
老人の表情は石のように硬く変わらなかった。そうこうしてるうちに玄関先に九四年式のジャガーXJが止まった。私の雇主であるヘンリー・スタントンがようやく帰ってきたのだ。
「息子が帰ってきたようだな、私は部屋に戻るとしよう。」老人はそう言うと召使いと共に屋敷の中に戻っていった。
ヘンリー・スタントンは車から降りるとサングラスをポロシャツの胸ポケットにしまい、私のいる中庭へと真っ直ぐ歩いてきた。
「お待たせしてしまったようで申し訳ありません。妻の見舞いに行っていたもので。私がヘンリー・スタントンです。」
彼はそう言って私に右手を差し出してきた。彼の手には結婚指輪が付いている以外には装飾品は付いていなかった。
「初めまして、ミスタヘンリー、エンフィールド探偵社のエリオットです。奥様のご容態はどうです?」
「幸い命に別状は無い様です。今は病室に警官も居てくれますし、ひとまず安心しました。」
彼の顔は疲れ切っており、コカインを十年使ったみたいに顔がやつれていた。彼はそのまま中庭の椅子にすわり、煙草を口に加えると私にも一本差し出した。「一本いかがです?」
「大変ありがたいですが遠慮しておきます。医者にきつく言われてましてね。これ以上酒と煙草を続ける様なら還暦前にイエス様に直接お会いする事になるようです。」それを聞くと彼は少しだけ笑い、直ぐに真剣な表情に変わった。
「それでは仕事の話しに入りましょうか。」
「事件が会った日の事を改めてお聞かせください。」私は言った。
「ええ、以前電話でお話しした通りです。事件が会ったのは深夜の二時頃です。屋敷に居たのは私と妻のテレサ、父のハリーと使用人のペドロだけです。私は銃声を聞いて目を覚ましました。テレサの部屋に駆け込むとベッドは血で赤く染まっていまして、私は何が何やら…情けない話で、すっかりパニックになってしまいまして。その直ぐ後ペドロが部屋に来て、警察と病院に電話をかけました。妻は助かりましたが脇腹を銃で撃たれたようです。事件が会った日は当然戸締りもしていたのですが…。」
「警察の言い分はどうです?」
「恐らくは屋敷に侵入した物盗りの仕業だろうと、妻に見つかり証拠隠滅の為に撃ったのだろうと言っています。その場合、犯人が再び現れる事は無いだろうと言っていましたが、私は不安でなりません。」彼は煙草を消すと、震える手で新しい煙草に火をつけた。
「先程あなたのお父上のミスタハリーとお話ししましたが、どうやら彼は自分を狙ってきた人間の仕業だと考えているようですな。」私は言った
「あるいはそうかも知れませんね、考えたくは無いですが、父には敵が多いのも事実です。あまり感じが良いとは言えない友人も多いようです。」
「成る程、明日奥様にお会いして少し話を聞きたいのですが構いませんかね?」
「ええ、勿論です。明日の昼頃車で送りますよ。今日は屋敷に泊まって行って下さい。」
「助かります、私は少し屋敷の周りを見てきます。」私はそう告げると中庭を出て屋敷の周辺をぐるりと歩いて回った。
屋敷の周りには誰も住んで無い家が二、三件ある以外は何もない平坦な田舎といった具合だった。確かに人を撃ったり何かを盗んだりするには絶好の場所であるのは事実であった。
その後私は召使いのペドロに案内されて部屋を一つ借りた。来客用の小さな部屋で、ベッドとテーブル、クローゼットと姿見のある小綺麗な部屋だった。
私は夕食をご馳走になった後部屋に戻り、ブローニングの手入れをし眠った。
翌日の昼過ぎ、私はヘンリーのジャガーに乗り、彼の妻が入院しているというチェルトナム総合病院に向かった。
駐車場は広く、院内は静かで清潔だった。彼の案内でテレサの病室の前まで来ると彼は言った。
「妻と少し話をしてくるのでココで待っていてください。あなたを雇った事は伝えてありますが、思い出したく無い事も沢山ありますから。」彼の疲れてやつれた顔は、私に怯えているようでもあった。私に失礼の無い用に、慎重に、一つ一つ言葉を選んで話している様な印象を受けた。
「勿論かまいませんよ。」私は言った。
それから二、三分待った後、私は病室の前にいる警官に私立探偵の許可証を見せ、ブローニングを預けた後、ヘンリーと入れ替わる様にテレサの病室に入った。
病室は壁も床もカーテンもベッドカバーも全て真っ白で無機質だった。私ならこんな部屋に一日でも居たくなかった。ココには酒もタバコも無い上にテレビもレコードも無かった。刑務所とそう変わらないだろう、床がフローリングかコンクリートか、ベッドの横にカーテンがあるか鉄格子があるか、という点が違うだけだ。
そんな病室の中、ミセステレサ・スタントンはベッドの上に居た。パーマがかかったブロンドの長い髪に整形手実でつくったであろう厚い唇、眠そうな眼。典型的なアメリカ人女性という外見で年齢は三十代後半だろうか。
「初めまして、ミセス・スタントン。私はエリオット、エンフィールド探偵社からご主人に呼ばれてきました。」私は言った。
「ええ、初めまして。テレサ・スタントンです。私、探偵の方とお会いしたのは初めてですわ。」私はだんだん彼女がローラ・ダーンに見えてきた。美人と言って差し支えないが私の好みでは無い。私はもうブロンドというだけで飛びつくほど若くは無かった。
「早速ですが、事件のことをいくつかお聞きしたいのです。話しづらい事もあると思いますが、事件解決の為にお話して下さい。」彼女はゆっくりと力なく頷いた。
「まず犯人の動機を知りたいのです、貴方や貴方の夫に恨みのある人間に心当たりはありますか?」私は言った。
「それは無いと思いますわ。夫のヘンリーは普通の会社員ですし、私の出身はイギリスではありませんからこの辺に知り合いはあまりいませんの。」
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「わかりました。警察の方は物盗りの犯行だと、ミスタ・ハリーは自分を狙った人間の犯行だと言っていますが、コレについて貴方はどう思います?」
「わかりませんわ、ウチにはそれ程高価な物はありませんし、お父さまの仕事に関しては詳しく存じませんから。」
「それでは犯人の外見についていくつかお聞かせ下さい。服装、身長、肌の色、髪型。些細な事でも思い出して話してみて下さい。」
「何しろ深夜の事ですから、あまりはっきりとは見えなくて。身長はそんなに高く無いと思います。服装は、黒くて分厚いダウンジャケットをきてました。顔や髪型はわかりませんわ、丁度映画に出てくるような目の所に穴の開いた黒い覆面を被って手袋をしていたんです。その人が銃を持ってることに気づいた時に、自分が撃たれたことに気づきました。その後は気を失って…気がついたらこの病室でした。」話しながら彼女はとても疲れている様子だった。あまり長居は出来そうもないし、私も病院にいつまでもいるつもりは無かった。
「ありがとうございます。もう結構です。お時間を頂きすみませんでした。」
「お役に立てましたか?」彼女はベッドから私を見上げて不安そうに聞いてきた。
「ええ、勿論です。それではお大事に。」そう言って私は精一杯の作り笑顔で病室を後にした。
その後、ヘンリーの運転でコッツウォルズの屋敷に戻った。途中でヘンリーは私にコーヒーを買ってくれた。この男は外見や話し方から真面目で人当たりの良い印象を受けた。派手な外見の細君や資産家の父親とはつり合わない優男という感じだ。
屋敷に戻り、夕食を済ませると私は部屋に戻って少し眠ることにした。
その日の真夜中、私はどうも寝付けないのでベランダに出て夜風に当たっていると、どうしようもなく煙草を吸いたい気持ちに襲われた。こんな事なら持って来なければ良かったのだ、このままでは仕事に集中出来ないしとても安眠できそうにない。私が煙草を口に加え、ジッポライターの蓋を開けたとき屋敷に窓が割れる音が響いた。私は火の付いてない煙草を口にくわえたまま、音の聞こえた方に駆け出した。走りながらブローニングを引き抜き、安全装置を外した。
音が聞こえたのは恐らくハリーの寝室だろう。私は彼の部屋の前まで来るとドアを蹴破った。
ドアは勢いよく内側に開き、壁に当たって大きな音を立てた。
ベッドの上で、驚いた顔をした老人の横に、黒い覆面をつけてチェスカのオートマチックを持った大男が立っていた。
私は口にくわえた煙草を吐き捨てると男に向かって三発銃を撃った。一発は男の腕に当たり拳銃を弾き飛ばし、残りの二発は胸と腹に当たった。弾丸は肺と胃袋を突き破り、壁は赤いペンキをこぼしたみたいに真っ赤にそまって、部屋は生臭い臭いでいっぱいになった。この老人はしばらくトマトソースを使った料理は食べられないだろう。
私は男が持っていた銃を拾い上げてから、男の覆面を取った。醜い顔をしたアイルランド人の中年だった。老人はショックで口を開けたり閉じたりしていた。このままでは心臓発作でも起こしかねない。
私は部屋を出ると、駆けつけてきたペドロとヘンリーに言った。
「心配要りません。銃を持った男が窓を割って侵入したようです。私が片付けましたが、ミスタ・ハリーはショックを受けている様です。ミスタ・ペドロはご主人を何処か別の部屋に連れて行ってかかりつけの医者を呼んで下さい。警察を呼ぶのは少し待ってください。それとミスタ・ヘンリー、私の部屋に来たください。」二人は呆気に取られて目を丸くして私を見ていたが、しばらくして私の指示通りに動き始めた。私はヘンリーと部屋で二人になった。
「一体どうなってるんです?あの男は一体何者ですか?私の妻を襲った犯人ですか?父の容体はどうなんです?」彼は震えながら口を大きく開けて私に尋ねた。
「落ち着いて下さい。お父上は無事ですよ、犯人はもう方付きました。それと今回の事件ですが、それももうわかりましたよ。」私は病室でテレサに向けた様な精一杯の作り笑顔で彼に話した。彼は何も言わなかった。
「まず初めに、今お父上の部屋にいた男は奥様を撃った犯人とは別人でしょう。」私は言った。
「ど、どうしてそんな事がわかるんです?」彼は今にも泡を吹いて倒れるんじゃないかという様な表情で私に尋ねた。
「まず今回の男を私はロンドンで見たことがあります。名前は知りませんがアイルランド人の殺し屋です。彼が持っていた銃はチェスカの十連発のオートマチックで四五口径です。奥様が撃たれた弾丸は三八口径でした。違う銃を使った可能性もありますが、奥様は犯人の背はそれ程高く無いと言いましたが今日の男は身長が百九十以上ありそうです。それと、今日の男はお父上を殺しに来たわけでは無さそうですな。恐らく狙いは私でしょう。」
「そ、それはまた何故です?」
さて、いつこの優男が泡を吹いて倒れるか、それともあの老人が心臓発作で倒れるか、そうなったら今日だけで三人も死人が出ることになるだろう。
「私が窓が割れる音を聞いてからこの部屋に来るまで少なくとも四十秒程かかりました。それだけ有れば寝ている老人を撃ち殺して侵入した窓から外に出るには充分ですが、彼はそうしなかった。窓を割ったのは私を誘き出して殺す気だったのでしょう。私の部屋に直接来なかったのは、貴方のお父上を狙った犯行だと見せかける為のカモフラージュでしょうな。」彼はもう何が何やらわからない表情をしていた。
「今回の男を雇ったのは貴方の父親のハリー・スタントンです。雇われた男はプロの殺し屋で、奥様を撃ったのは素人です。奥様は脇腹を一発撃たれたそうですが、寝ている女の腹を狙う様な殺し屋はいません。顔を狙ったりナイフで直接喉を切るような度胸の無い素人の犯行です。」私は続けた。
「ここで一つ聞きたいことがあります。奥様は貴方とアリゾナで知り合ったと聞きましたがそれはアリゾナの何処です?」それを聞いて彼は顔を真っ青にした。
「奥様を悪く言うつもりはありませんが、彼女はアメリカで体を売って暮らしていたのでしょう。そして事件当初、彼女は妊娠していた、違いますか?」彼は震えて顔を地面に向けた。
「貴方はお父上に彼女の生まれや職業を告げなかったかもしれません。しかし貴方の父はそんな事を調べるのは簡単でしょう。彼はこの辺りで一番の資産家であり、家名に誇りを持っている。一人息子の連れてきた妻が売春婦だったと言うのは、彼のあまり感じの良いとは言えない友人とやらに相談する動機としは充分でしょう。あのアイルランドの殺し屋はミスタ・ハリーに誘われた刺客だったというわけです。奥様を撃ったのはあのペドロという召使いで間違い無いでしょう。事件当初屋敷にいた人間で奥様の部屋に侵入して奥様を撃つことができるのは貴方以外には彼だけです。彼は召使いの制服をダウンジャケットと覆面で隠した後奥様を撃ったのです。彼なら召使いという立場上、犯行に使った服を処分するのは簡単です。そしてこの広大なコッツウォルズです。適当な所に銃を埋めれば探し当てるのは困難でしょうな。」 彼は私のベッドに腰を落とし大粒の涙を流して肩を震わせていた。大人の男が泣いてる姿というのはあまり気持ちの良いものではない。
「それとコレは初めてこの家に来た時思ったのですがね」私がそう言うと彼は涙で濡れた顔をこちらに向けた。
「彼が着ていたベストは召使いにしてはちと派手すぎますな。」私は言った。
「私はコレで失礼します。お代は警備の分だけで充分です。後のことはお任せします。」
私はそう告げると門の前に止めてある私のシトロエンに乗り込んだ、もうヘンリーのジャガーでドライブする事はないだろう。
数日後、私はロンドンの事務所で新聞を読んでいると興味深い記事を見つけた。なんでも屋敷に住んでいる資産家の息子が父親と召使いを拳銃で撃ち殺したというのだ。
私は事務所のベランダに出るとラッキーストライクに火をつけた。
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