うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)2

藤吉めぐみ

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 それから数日後の午後、駅からの慣れた道を歩きながらいつもの現場に向かっていた匠は、スマホの着信に気付き、歩きながらそれを取った。相手はこれから向かう現場の棟梁だ。
「はい、辻本です。今からそちらに……」
『さっさと来い! どうなってるんだ』
「……え?」
 匠が驚いて聞き返すも、電話は既に一方的に切られてしまっていた。匠は呆然として立ち止まる。
「どうなってるって……どうなってるんだ……?」
 とにかく現場に行ってみないと分からない。匠はスマホをジャケットのポケットにしまうと、そこから走り出した。現場はあと数十メートルだ。きっと電話をしたところで説明もしてもらえないだろう。だったら早く行くしかない。
「子猫ちゃん!」
 匠が現場に向かって走っている時だった。道路の向こう側からそんな声が聞こえ、匠が足を止める。
「伊賀さん……」
 ちょうどよく横断歩道の信号が青になり、匠が伊賀に駆け寄る。
「親方、めっちゃ怒ってるから、現場着く前にオレから状況伝えた方がいいと思って」
「あ……ありがとうございます……」
 あがった息を整え、そう答えると、伊賀が嬉しそうに笑って、匠の頬に触れた。
「顔、熱くなってる。ずっと走って来たの?」
「い、いえ……大丈夫ですから」
 匠が伊賀の手を取り、顔から離そうとすると、今度はその手を握られる。
「うわあ、子猫ちゃん手小さいね。可愛い」
「伊賀さん! 冗談言ってないで、説明してください」
「冗談じゃないんだけど……まあ、今は仕事だな。いや、ほらフローリング変更になっただろ? 新しいのもちゃんと入ってきてはいるんだけど、変更前のも来てて……正直、置き場に困ってて」
 広い現場じゃないからね、と伊賀が苦く笑う。
「え? フローリング……? 確かに変更はしたけど、その後真田さんの現場で……」
 そこまで思い出した匠は、あ、と息を呑んだ。確かに変更を告げられた時、現場でそのまま新しいものの発注はかけた。それは覚えているし、控えもある。それから社内のチャットでどこかで使わないか聞いて、真田が拾ってくれたのだ。その返信をしたのも覚えている。
 けれど、その後材料の納入先を変更したかは全く記憶になかった。頭の先からさあっと血液が降りていくような焦燥感に、匠は震える手でトートバックからタブレット端末を取り出した。
「……変更履歴、ない……です……す、すみません!」
 匠は伊賀に向かって大きく頭を下げた。伊賀が慌てて、大丈夫、と繰り返す。
「オレは怒ったりとかしてないから。謝るのは棟梁だけでいいよ。それより、どうすればいいか、考えよう?」
「は、はい……」
 匠が顔を上げて頷くと、伊賀が優しく頷いて匠の頭を撫でた。
「オレは子猫ちゃん……匠くんの味方だよ。一緒に考えよう」
 伊賀が優しく言って匠の肩を軽く抱き寄せる。
「はい……ありがとうございます」
 こんな時に名前を呼ぶなんて、ずるいと思う。
 自分が好きなのは克彦だと、自分に再確認しなければいけないほど、匠の心は伊賀の優しさに惹かれてしまっていた。
「運ぶ場所は知ってるんだよね?」
 そっと匠の体を離した伊賀が改めて聞く。匠が頷くと、じゃあ運ぼうか、と簡単に言って歩き出した。匠がそれに慌ててついていく。
「会社に一台トラックあるから、それで行けないかな? 先方に事情話して、夕方搬入してもいいか聞いて、こっちの現場はちょっと巻きで作業すれば工期も押さないし……どうかな?」
「どうって……あの、そこまでしてもらうわけには……」
「でも、それが多分最善だよ? オレは動けるし」
 大丈夫、と微笑まれ、匠はぐっと唇を噛み締めた。本当は全部自分の責任なのだから、自分が処理をしなくてはならない。本当は伊賀に甘えるなんてダメなのだ。でも、この時は伊賀の言う通り、その方法が最善だった。
「……すみません、ありがとうございます!」
 匠が深く頭を下げる。伊賀は、いいよ、と匠の頭を撫でた。
「じゃあ、子猫ちゃんはこれから親方に怒られて、それから先方に連絡、夕方時間決まったら知らせるからここにもう一度集合。できる?」
「やります!」
 匠が答えると、いい返事、と伊賀が微笑んだ。
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