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しおりを挟む支払いを貴伸が済ませてくれて店を出ると、夕焼けのキレイな時間になっていた。
「お、夕日キレイだね。朱莉くん、少し歩かない?」
貴伸がゆったりと歩き出し、朱莉はそれに頷いて隣を歩いた。
「今日、楽しかったな。朱莉くんは?」
きっとこのまま散歩でもして駅で別れるのだろう。いつもならどうやって帰るきっかけを掴むか作戦を練る時間帯だが、今日はその心配はないようだ。
「はい、楽しかったです。初めて行った美術館だったし」
「そっか、よかった。またどこか行こうね」
朱莉がその言葉に頷く。きっと貴伸は少しずつ距離を縮めていくタイプなのだろう。いつも朱莉がデートをする相手はすぐに手を出したがるからこの感じはとても新鮮だった。
朱莉のイメージが少しかけ離れている気がしないでもないが、そこは時間をかければ少しずつ本当の朱莉を理解してくれるはずだ。
そんなことを思いながら朱莉は貴伸の隣を歩いていた。
少し警戒を緩めて歩いていたからだろうか。特に目的地も告げられないまま歩いていた朱莉の目の前に、ふと煌びやかなライトが現れ、朱莉は足を止めた。
すっかり日も落ちて薄闇に浮かぶその光は、ホテル街の光だった。
「……駅までの近道、とかですか?」
「いや、ここが目的地周辺かな。具体的な目的地は朱莉くんが決めていいよ」
「具体的って……」
朱莉が辺りを見回す。これは、入るホテルは朱莉が決めていいということだろうか。というか、これからホテルに入るということか。
「あの、このまま帰る流れじゃ……」
「え? 美術館のあとカフェでおしまいのデート? 朱莉くん、成人してるよね?」
大人なら分かるでしょ、と貴伸が朱莉の手を握る。さっきまでの優しい彼とは違い、強引に朱莉を連れて歩く貴伸に、朱莉は困惑したまま、引きずられるように歩き出した。
「あの、ぼく、そういうつもりで会ったわけじゃ……」
「俺はそういうつもりで会ってるよ」
ひとつの建物の前で足を止めた貴伸がこちらを振り返る。暗いところで見たせいもあるのかもしれないが、さっきまでの優しい表情は消えて、目の奥はぎらついて光っている。獲物にでもなったような気分で、朱莉は息をのんだ。
「だって、前回のデートも俺が出したよね? オプションつけて、二人で一万円。今日だって全部俺が出したよ。美術館のチケットとカフェ、移動のタクシーだって払った」
突然お金の話をされ、朱莉が眉根を寄せる。今話しているのは、朱莉は貴伸に抱かれるつもりはないという話だったはずだ。
「これ、今日君を抱くためのお金だと思って、黙って払ったんだ。ここで拒否するなんてルール違反だと思わない?」
貴伸が朱莉の腰に腕を廻し、力任せに建物の入口に入ろうとする。朱莉はそれに抵抗するように足に力を入れた。
デート代を出してもらったのだから抱かれる義務があるなんて、聞いたことがない。だいたい、そう思うのなら、朱莉の値段は数万円ということだ。それはかなり腹立たしい。
「いや、です! だいたい、デート代を出して欲しいなんて言ってないし!」
「いやって……ここまで来て、それは通用しないだろ」
「いやなものはいやです!」
思い切り体を捩り、貴伸の腕を引きはがす。無理に動いたからだろう、貴伸の腕が腹に当たって、一瞬怯んだが、朱莉はなんとか貴伸から離れた。けれどすぐに貴伸の腕が伸び、胸倉を掴まれる。シャツが引かれ、嫌でも見上げてしまった貴伸の顔は、怒の色に満ちていた。
「いやじゃないんだよ、こんなところで揉めたくないんだ。俺が悪者みたいに見えるだろうが!」
貴伸の言葉を聞いて朱莉が視線をちらりと横に向ける。腕を組んだカップルがこちらに視線を向けている。『無理矢理?』『警察案件?』と小さな声が聞こえ、どうしてこんなに貴伸が焦っているのかが分かった。確かにホテルの前で一方が嫌がっていたら、合意ではないと思われて当然だ。
「……とにかく離してください」
朱莉が静かに言うと、貴伸が少し不満そうにシャツから手を離した。周りの目もあって、このままだと分が悪いと思ったのだろう。朱莉は小さく息を吐いてから、自身のカバンに手を掛けた。
「えっと、この間は一万でしたよね。今日は分からないですけど、二万くらいにしておきますか。全部で三万円、お返しします」
財布から札を取り出した朱莉が、それを差し出しながら貴伸をまっすぐ見やる。つり上がった眉とこちらを睨みつける目は怖かったが、ここで引くわけにはいかない。朱莉は震えそうになる手に力を入れて尚も貴伸を見つめ続けた。
「……ねえ、聞いてた話と違うんだけど」
貴伸が大きなため息をついて苛立ちを紛らわせるように首の後ろを無造作に擦る。朱莉は金を差し出したまま首を傾げた。
「『総務の花』とはすぐやれるって。前にそっちの社員に聞いたんだよ。なんだよ、これ。どうして俺がこんな恥かかなきゃならないんだよ」
「……ぼくと、付き合いたいわけでは、なかったんですか……?」
「いや、俺、男と付き合ったことないから。朱莉くんキレイだし可愛いし、体の相性次第ではそういうのも考えたけど、もう萎えた。デートもつまんなかったし、やっぱり男じゃ無理だな」
貴伸はもう一度ため息を吐いてから、朱莉の差し出していた金を奪うようにかすめ取った。
「これで女の子とデートするよ。じゃあね」
そんな捨て台詞を置いて貴伸がきびすを返し、歩き出す。その後ろ姿を見つめながら、朱莉は深く息を吐いた。
お金は持っていかれたけど、体は守れた。ほっとしたはずなのに朱莉の胸はズキズキと痛みを訴えていた。
あんなに優しかったのに、全部朱莉の体が目的だった。好意を持っているから優しくしていたわけじゃないのだと分かると途端に気分は落ちていく。
この人なら本気で好きになっていいのかもしれないと思っていただけにショックは大きかった。
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