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『あ、こっちのピンクの花も入れてもらえる? あと、これも入ったら素敵じゃない?』
ふと聞き覚えのある女性の声が聞こえた。元気で明るいその声をどこで聞いたか朱莉は思い出そうと視線を上へ向ける。朱莉の周りは女性が多いので思い出すのに時間がかかる。
『ええ、そうですね……』
貴伸の声のほうが小さく聞こえるということは相当声が大きい女性らしい。そんな女性、知り合いにいたか、と朱莉は首を傾げた。
『あの、奥にも他の花があったりするんですか?』
『奥は作業場があるだけですよ』
作業場、という言葉を聞いて朱莉は顔を上げた。
今、店頭の二人の意識は作業場に向いている。今大きな音を立てればこのドアが開くのではないかと思い、朱莉は咄嗟に近くにあった椅子を手に取り、ドアにぶつけた。
ガン、という大きな音が響く。
『今の……』
『なんでもないです! 多分、道具が落ちただけです。慌ててこっちに来たので』
『そう……あ、領収書くださいね。泉田、で』
その言葉を聞いて、朱莉がもう一度ドアに椅子を打ち付けた。ドアが少しへこんだが気にしていられない。そこに客としているのは泉田だ。ようやく声の持ち主が分かり、朱莉はこの好機を逃すわけにはいかないと思い、大きく息を吸い込んだ。
「泉田先生! 助けてください!」
店頭までそれほど距離はなかったはずだし、さっき椅子をぶつけた音も届いていたようだから、きっとこの声も届いたはずだ。
しばらくすると、もめるような声が届いた後に、百合原くん? と呼びかける声が聞こえ、朱莉はもう一度泉田を呼んだ。
『ここはお客様が立ち入る場所ではないです。お引き取りください』
『知り合い……いいえ、私の患者が中にいるかもしれないの。開けて、確認させてくれる?』
そんな会話がすぐそこで聞え、朱莉はドアを叩いた。
「開けてください!」
朱莉の声は外まで聞こえているようで、泉田がもう一度朱莉に呼びかけた。朱莉はそれに、ぼくです、と答える。
『……医者としてお願いします。患者さんを助けたいので、ここを開けてもらえませんか?』
静かな、でも毅然とした声が響く。
しばらく沈黙が続き、やがて鍵の開く音がしてドアが開いた。
「百合原くん、無事?」
開いたドアの向こうには心配そうにこちらを見る泉田と不機嫌に立ち尽くす貴伸がいた。朱莉はそのどちらも見やってから、泉田の言葉に答えるように頷いた。
「よかった……」
泉田が朱莉の肩に触れて、全身を見回した。服の乱れがないことを確認したのか、少しほっとした顔をしたが、すぐに言葉を繋ぐ。
「怪我とかはない? 念のため病院で診察しようか?」
先日倒れたことも影響しているのか、またはここにどのくらい閉じ込められていたのか分からないからか、過剰に心配してくれる泉田に朱莉は、大丈夫です、と苦く笑った。
その時だった。
「朱莉くん!」
店のドアが開く音と同時に自分を呼ぶ声がして、朱莉が店頭の方へ視線を向ける。すると泉田が、やっと来たのね、と朱莉の腕を掴んで歩き出した。朱莉がそれに導かれるままに店頭へと向かう。
「……秋生、さん……?」
そこには、白衣のまま息を切らせて立っている秋生がいた。胸にはまだネームプレートもさがっていて、診察室からそのまま来たようないで立ちだった。いや、ような、ではなく、きっとそのまま来たのだろう。
まさに着の身着のままという姿だった。
「朱莉くん、無事?」
朱莉の姿を見つけた秋生が、こちらに向かい、すぐに朱莉を抱き寄せる。消毒薬のような匂いに、汗の匂いが混ざっていて、とても急いでここまで来てくれたことが分かり、嬉しかった。
「無事です。来てくれて、ありがとうございます」
「途中で電話切れちゃって、本当に心配した」
本当は充電が切れて通話も切れたのだが、何かあったことには違いないので駆けつけてくれたことは本当によかった。安心して秋生の胸に顔を埋めていると、後ろから、朱莉くん、と名前を呼ばれ、朱莉が振り返る。
「もう、無理、なのかな……」
そこには眉を下げ、悲しそうな顔をしている貴伸がいた。二度も朱莉に無理強いをしたくせに、今更しおらしくされても慈悲はないのだが、それでもその言葉にははっきりと答えなくてはいけないと思い、朱莉は貴伸に向き直った。
「無理です。ぼくが本気の『好き』を捧げるのは、ここにいる秋生さんだけなんです」
朱莉ははっきりと答えると、すぐに秋生を見上げた。そっと朱莉の肩に秋生の手がかかり、そのまま軽く抱き寄せられる。
「朱莉くんは朱莉くんだけのものだけど、彼の『好き』は僕が独り占めするよ。誰にも渡すつもりはないから、これ以上彼に関わるのはやめてほしい」
秋生が貴伸に向かってはっきりと告げる。朱莉はその言葉が嬉しかった。『朱莉は僕のもの』と言ってくれても嬉しいのだが、こうして朱莉自身は尊重してくれる、それが秋生らしい言葉のような気がしてもっと嬉しくなる。
「……今日は、もう店を閉めるので、出てもらえますか?」
貴伸が静かに告げる。それに反対する気はないので、泉田と秋生と共に、朱莉は店を後にした。
ふと聞き覚えのある女性の声が聞こえた。元気で明るいその声をどこで聞いたか朱莉は思い出そうと視線を上へ向ける。朱莉の周りは女性が多いので思い出すのに時間がかかる。
『ええ、そうですね……』
貴伸の声のほうが小さく聞こえるということは相当声が大きい女性らしい。そんな女性、知り合いにいたか、と朱莉は首を傾げた。
『あの、奥にも他の花があったりするんですか?』
『奥は作業場があるだけですよ』
作業場、という言葉を聞いて朱莉は顔を上げた。
今、店頭の二人の意識は作業場に向いている。今大きな音を立てればこのドアが開くのではないかと思い、朱莉は咄嗟に近くにあった椅子を手に取り、ドアにぶつけた。
ガン、という大きな音が響く。
『今の……』
『なんでもないです! 多分、道具が落ちただけです。慌ててこっちに来たので』
『そう……あ、領収書くださいね。泉田、で』
その言葉を聞いて、朱莉がもう一度ドアに椅子を打ち付けた。ドアが少しへこんだが気にしていられない。そこに客としているのは泉田だ。ようやく声の持ち主が分かり、朱莉はこの好機を逃すわけにはいかないと思い、大きく息を吸い込んだ。
「泉田先生! 助けてください!」
店頭までそれほど距離はなかったはずだし、さっき椅子をぶつけた音も届いていたようだから、きっとこの声も届いたはずだ。
しばらくすると、もめるような声が届いた後に、百合原くん? と呼びかける声が聞こえ、朱莉はもう一度泉田を呼んだ。
『ここはお客様が立ち入る場所ではないです。お引き取りください』
『知り合い……いいえ、私の患者が中にいるかもしれないの。開けて、確認させてくれる?』
そんな会話がすぐそこで聞え、朱莉はドアを叩いた。
「開けてください!」
朱莉の声は外まで聞こえているようで、泉田がもう一度朱莉に呼びかけた。朱莉はそれに、ぼくです、と答える。
『……医者としてお願いします。患者さんを助けたいので、ここを開けてもらえませんか?』
静かな、でも毅然とした声が響く。
しばらく沈黙が続き、やがて鍵の開く音がしてドアが開いた。
「百合原くん、無事?」
開いたドアの向こうには心配そうにこちらを見る泉田と不機嫌に立ち尽くす貴伸がいた。朱莉はそのどちらも見やってから、泉田の言葉に答えるように頷いた。
「よかった……」
泉田が朱莉の肩に触れて、全身を見回した。服の乱れがないことを確認したのか、少しほっとした顔をしたが、すぐに言葉を繋ぐ。
「怪我とかはない? 念のため病院で診察しようか?」
先日倒れたことも影響しているのか、またはここにどのくらい閉じ込められていたのか分からないからか、過剰に心配してくれる泉田に朱莉は、大丈夫です、と苦く笑った。
その時だった。
「朱莉くん!」
店のドアが開く音と同時に自分を呼ぶ声がして、朱莉が店頭の方へ視線を向ける。すると泉田が、やっと来たのね、と朱莉の腕を掴んで歩き出した。朱莉がそれに導かれるままに店頭へと向かう。
「……秋生、さん……?」
そこには、白衣のまま息を切らせて立っている秋生がいた。胸にはまだネームプレートもさがっていて、診察室からそのまま来たようないで立ちだった。いや、ような、ではなく、きっとそのまま来たのだろう。
まさに着の身着のままという姿だった。
「朱莉くん、無事?」
朱莉の姿を見つけた秋生が、こちらに向かい、すぐに朱莉を抱き寄せる。消毒薬のような匂いに、汗の匂いが混ざっていて、とても急いでここまで来てくれたことが分かり、嬉しかった。
「無事です。来てくれて、ありがとうございます」
「途中で電話切れちゃって、本当に心配した」
本当は充電が切れて通話も切れたのだが、何かあったことには違いないので駆けつけてくれたことは本当によかった。安心して秋生の胸に顔を埋めていると、後ろから、朱莉くん、と名前を呼ばれ、朱莉が振り返る。
「もう、無理、なのかな……」
そこには眉を下げ、悲しそうな顔をしている貴伸がいた。二度も朱莉に無理強いをしたくせに、今更しおらしくされても慈悲はないのだが、それでもその言葉にははっきりと答えなくてはいけないと思い、朱莉は貴伸に向き直った。
「無理です。ぼくが本気の『好き』を捧げるのは、ここにいる秋生さんだけなんです」
朱莉ははっきりと答えると、すぐに秋生を見上げた。そっと朱莉の肩に秋生の手がかかり、そのまま軽く抱き寄せられる。
「朱莉くんは朱莉くんだけのものだけど、彼の『好き』は僕が独り占めするよ。誰にも渡すつもりはないから、これ以上彼に関わるのはやめてほしい」
秋生が貴伸に向かってはっきりと告げる。朱莉はその言葉が嬉しかった。『朱莉は僕のもの』と言ってくれても嬉しいのだが、こうして朱莉自身は尊重してくれる、それが秋生らしい言葉のような気がしてもっと嬉しくなる。
「……今日は、もう店を閉めるので、出てもらえますか?」
貴伸が静かに告げる。それに反対する気はないので、泉田と秋生と共に、朱莉は店を後にした。
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