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3章
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うちの本社ビルの近くの会社で事務員をやっているというのも適当な嘘だったそうだ。俺と話をした後には、その嘘を本物にするべく就職活動をしたものの、これまでレジ打ちくらいしかやったことのない紀香を雇ってくれる会社は無くて、それでも俺の近くにいたいから、ビルの清掃員の仕事を入れていたのだとか。
だから俺からの誘いがあると、スーツに着替えてからいそいそと出てきていたのだと……。
「だって、結婚している女としか付き合えないって勝典さんが言うから。それなら夫がいることにしておこうと思って……でも大丈夫です。私は日陰の身で文句は無いし、たまに会ってもらえるだけで幸せだから……」
紀香は恐らく、それくらい本気で俺のことを好きなのだから、秘密の暴露なんて心配しなくていい、と言いたかったのだろうと思う。
でもこの時にはもう、俺の気持ちは紀香と正反対の方向を向いてしまっていた。
「……そりゃ無ぇって」
俺はコーヒーの領収書を掴んで立ち上がった。胸の中には紀香に対して恐怖や嫌悪感が渦巻いていたのだ。
「紀香とは無理ってことが今はっきりした。まさか俺のことを騙してたなんてさ」
「騙すなんてそんな……」
動揺する紀香に、俺は叩きつけるような声で言った。
「俺は最初に言ったはずだぜ。付き合うにはお互い、秘密を共有できる相手じゃないとダメだって」
「だから、私は勝典さんのためなら絶対秘密を守りますから大丈夫ですよ。小説なんて気にすることは無いんです」
「離せよ」
腕に縋り付いてくる紀香の手を乱暴に払った。
「俺に嘘つくような奴の言うことをどうやって信じろってんだよ。これは遊びなんだからさ、マジすぎるのは勘弁してくれ。あぁもう……既婚者だから、そういう重い話にならないと思ってたのに、そこから嘘だったなんてさぁ……」
いらいらした調子でこめかみを押さえる俺を、紀香は今にも泣きだしそうな顔で見つめてきた。
……なんてぶっさいくな顔なんだ。
こんな女を今まで抱いていたのかと思うと吐き気がしてくるくらいだった。
俺は軽蔑しきった目で紀香を睨みつけた。
「頼むから金輪際、俺のことは忘れてくれ。俺のことが好きなら余計に。俺はお前と違って今の暮らしを捨てたくないんだよ」
「勝典さん……」
「じゃあな」
実にあっさりした別れになった。
別れ際に紀香が泣き出したのは分かっていたが、俺は振り返ることも無くレジへ行き、一万円札を渡した。そして釣りは彼女へ渡すように言って、そのまま店を出て行ったのだった。
紀香が離婚していたことを知り、暴露の犯人が紀香のダンナではないことがはっきりした。いまだアメリカにいる上に、離婚の原因が俺だと知らないのなら、彼はありえない。
……じゃあ誰なんだよ?
紀香と切れたおかげでこれ以上の被害拡大は防げたものの、当初の疑念はきっちり残っている。
瑠美子はどうやって俺の不倫を知ったのか?
この謎が解けない限り、俺は枕を高くして眠れそうになかった。
そんな中でも小説の方は相変わらず毎日少しずつ更新されている。
食事会シーンの後の展開は、瑠美子が読者受けを狙ったのかかなりアレンジされてて、酒に酔った香一たちは孝英らと一緒にホテルの一室でスワッピングなんて楽しんじゃってて、いやさすがにそこまでの乱交はしてねぇよ、って内容だったけど。
でもやっぱり、瑠美子がこんなものを書くのは、紀香と俺の関係を知っているからなのだろう。これはもう、あの三人が漏らした可能性が高いと考えざるを得ない。
そこで俺は罠を仕掛けてみることにした。
それは三人それぞれに違う情報を流す、ということ。
その結果『くるみ』が誰に伝えた話を書くかを確認するのだ。
これで犯人が分かるはず―――。
祈るような気持ちで俺は友人たちに三つの違うメールを送り、そして、その二週間後、とうとう犯人を確定できた俺は、怒りに震えながらそいつを呼び出したのだった。
「どうしたんだよ、キング。急に会いたいなんて?」
「ふん……まさかお前が犯人だったとはな、しぃさん」
俺はきょとんとした顔で立っているしぃさんの薄い頭を歯ぎしりしながら睨みつけたのだった。
だから俺からの誘いがあると、スーツに着替えてからいそいそと出てきていたのだと……。
「だって、結婚している女としか付き合えないって勝典さんが言うから。それなら夫がいることにしておこうと思って……でも大丈夫です。私は日陰の身で文句は無いし、たまに会ってもらえるだけで幸せだから……」
紀香は恐らく、それくらい本気で俺のことを好きなのだから、秘密の暴露なんて心配しなくていい、と言いたかったのだろうと思う。
でもこの時にはもう、俺の気持ちは紀香と正反対の方向を向いてしまっていた。
「……そりゃ無ぇって」
俺はコーヒーの領収書を掴んで立ち上がった。胸の中には紀香に対して恐怖や嫌悪感が渦巻いていたのだ。
「紀香とは無理ってことが今はっきりした。まさか俺のことを騙してたなんてさ」
「騙すなんてそんな……」
動揺する紀香に、俺は叩きつけるような声で言った。
「俺は最初に言ったはずだぜ。付き合うにはお互い、秘密を共有できる相手じゃないとダメだって」
「だから、私は勝典さんのためなら絶対秘密を守りますから大丈夫ですよ。小説なんて気にすることは無いんです」
「離せよ」
腕に縋り付いてくる紀香の手を乱暴に払った。
「俺に嘘つくような奴の言うことをどうやって信じろってんだよ。これは遊びなんだからさ、マジすぎるのは勘弁してくれ。あぁもう……既婚者だから、そういう重い話にならないと思ってたのに、そこから嘘だったなんてさぁ……」
いらいらした調子でこめかみを押さえる俺を、紀香は今にも泣きだしそうな顔で見つめてきた。
……なんてぶっさいくな顔なんだ。
こんな女を今まで抱いていたのかと思うと吐き気がしてくるくらいだった。
俺は軽蔑しきった目で紀香を睨みつけた。
「頼むから金輪際、俺のことは忘れてくれ。俺のことが好きなら余計に。俺はお前と違って今の暮らしを捨てたくないんだよ」
「勝典さん……」
「じゃあな」
実にあっさりした別れになった。
別れ際に紀香が泣き出したのは分かっていたが、俺は振り返ることも無くレジへ行き、一万円札を渡した。そして釣りは彼女へ渡すように言って、そのまま店を出て行ったのだった。
紀香が離婚していたことを知り、暴露の犯人が紀香のダンナではないことがはっきりした。いまだアメリカにいる上に、離婚の原因が俺だと知らないのなら、彼はありえない。
……じゃあ誰なんだよ?
紀香と切れたおかげでこれ以上の被害拡大は防げたものの、当初の疑念はきっちり残っている。
瑠美子はどうやって俺の不倫を知ったのか?
この謎が解けない限り、俺は枕を高くして眠れそうになかった。
そんな中でも小説の方は相変わらず毎日少しずつ更新されている。
食事会シーンの後の展開は、瑠美子が読者受けを狙ったのかかなりアレンジされてて、酒に酔った香一たちは孝英らと一緒にホテルの一室でスワッピングなんて楽しんじゃってて、いやさすがにそこまでの乱交はしてねぇよ、って内容だったけど。
でもやっぱり、瑠美子がこんなものを書くのは、紀香と俺の関係を知っているからなのだろう。これはもう、あの三人が漏らした可能性が高いと考えざるを得ない。
そこで俺は罠を仕掛けてみることにした。
それは三人それぞれに違う情報を流す、ということ。
その結果『くるみ』が誰に伝えた話を書くかを確認するのだ。
これで犯人が分かるはず―――。
祈るような気持ちで俺は友人たちに三つの違うメールを送り、そして、その二週間後、とうとう犯人を確定できた俺は、怒りに震えながらそいつを呼び出したのだった。
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