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図書館の君
休館日以外の毎日9時から16時まで。
僕が配属されたのは、入り口を入って右手にある、駐車券に利用者印を押すためだけに作られた箱。
ここに来る人達はほとんど皆、自分の持つ駐車券を機械に通すためだけに来る。
だから、僕は居ても居なくてもいい位の存在。
図書館司書じゃないの?
いえいえ。僕は警備会社から派遣されたただの警備員です。
僕が仕事を終える16時以降は、持ち回りで図書館の職員が立っているみたいだけど。
無色透明なアクリル板に囲まれた僕は、まるで空気のようにそこにいるだけ。
ほとんど気にされたことがない。
機械の合間に、合いの手のように「こんにちは」と繰り返す。
挨拶は…返ってきたり、来なかったり。
カシャン
カシャン
カシャン
「こんにちは」
その人が来るのは不定期。なんの仕事をしているのか分からないが、僕に小さく挨拶をしていく。
それから、駐車券を機械に入れる。
『カシャン』
その人が入れる時だけ、音が軽やかになる。
そんな仕様はないだろうけど。
そして、小さく微笑むとタブレットとサコッシュのみという軽装で、併設されたカフェに立ち寄る。
そこはついこの間出来たばかりの全国チェーンの旗艦店らしい。
地方の公立の図書館に出来たのは初めてらしく、出来た時は図書館を利用する市民が増えたと話題になった。
その人は僕が入った箱から見える位置にいつも席を取る。
そして、ブレンド(多分)を注文すると、タブレットを開き2時間ほど一心不乱に何かを打ち込み始めるんだ。
僕が配属されてからもう2年。2週間に一度くらいのペースで顔を出す。
挨拶を返す人は珍しくはない。
でも、うつむき加減で微笑むその人は、とても綺麗だった。
綺麗っていうのは……相応しくないかもしれない。
綺麗って言葉で表現されるのは、大抵女性に対して。
でもその人は、多分普通のサラリーマン。
不定期な休みだから、普通ではないのかもしれないけれど。
学生って感じでもないし、多分……。
+++
ここにいると、毎日珈琲の香りするな。
それはきっと、図書館に来る全ての人が思う事だろうけど。
ほんの時たま、僕は仕事が終わる16時過ぎ、制服を脱いで帰宅する前、このカフェに立ち寄る。
僕の給料じゃ連日通うなんて贅沢は出来ない。
だから普段はスーパーで市販の挽かれた豆を買ってきて、自分でペーパードリップして飲んでる。
そんな僕が珈琲を飲んで帰るのは、名も知らぬ綺麗は男がいる時だけ。
日にちも時間も不定期なその人がたまたまいる時。
別に…その人がいるから立ち寄るわけじゃないですよ?と誰に言い訳をするでもなく、自然な体を装って立ち寄る。
いつもなら、少し離れた場所に席を取る。
そして、視界の端に、気取られないようにその人の姿を収める。
そして、珈琲が冷めない内に美味しくいただくと、お腹とともに温まった何かを抱えて家路につく。
その温まったものに名前を付けるとしたら…憧れ……のようなものだろうか。
カシャン
カシャン
カシャン
今日は、その人が来た時間にちょうど16時ちょっと前だったから、いつものように箱の中に収まる警備員の僕に「こんにちは」と涼やかな声で挨拶を返してくれた。
『カシャン』
機械もこの時ばかりは、軽やかな音を立てる。
不思議だ。本当に音が違って聞こえる。
そして、いつもと違ったのは機械だけでなく、機械の仕様まで変える名も知らぬ綺麗なこの男も。
「この前はいらっしゃらなかったですね?」
「えっ?」
「いや……この前来た時、別の方が立ってたので……」
「……時々、休みを入れるんです。労基法とかなんとかで……。」
「そうだったんですね。……あっ、失礼しました(笑)」
後ろに並んだ人にあの綺麗な笑顔で会釈をして、その人はいつものようにカフェに向かった。
カシャン
カシャン
カシャン……
帽子を目深に被り直した。
今のは……何だったんだろう…?
あと5分ほど。時間が来たら…今日は目の前のカフェで温かい珈琲を飲んでいこう。
+++
空いている席が……あの男の隣しか無かった。
僕は相変わらず一心不乱にキーボードを打ち込むその人の隣で、いつもの珈琲を注文した。
僕はこんな事なら図書館で何か厚めの小説でも借りればよかったと後悔していた。
そうしたら、珈琲1杯でも長居できたのにと。
キーボードを叩く音がカタカタと続いていた。
この人眼鏡なんて…掛けてたかな?なんて考えていた。
珈琲をネルドリップで淹れるいい香りがしていた。
僕、酸味が強いのは苦手なんだよな……。
この人は…どんな味が好きなんだろう。
僕と似たような苦味が強いほうが好きだったらいいな。
「あの……。」
いつの間にかキーボードの音は止まっていた。
僕に声を掛けたのは、僕の隣の綺麗な男だった。
「駐車券の……。」
「はい。さっきお会いしました。」
「いつもここに?」
「いえ……いつもなんて寄ってたら、僕のお給料なんか飛んでいきます(笑)」
僕にあの綺麗な笑顔が向けられていた。
「じゃあ……今日は特別なんですね?」
眼鏡は外されていて、柔らかく微笑む目の横に優しい笑いジワが刻まれていた。
「ええ。……特別…です…かね?」
「フフ(笑)……僕が質問したのに(笑)」
緊張して何故か疑問形で返してしまった僕は、綺麗な瞳に射抜かれて心臓がどうにかなってしまいそうだった。
「じゃあ、特別な珈琲を飲んだら……ちょっと付き合ってくれませんか?」
「へっ?」
きっと僕は間抜けな顔をしているんだろう。
目の前の綺麗な男が今にも吹き出しそうだ。
「でも…お仕事中だったんじゃ……。」
いつものタブレットで物凄く一心不乱に……。
「ええ。でもまぁ……それよりも大事な用が出来たので……。」
「大事な用…?」
「これは……いつでも出来るので……。」
「はぁ……いつでも……。」
「迷惑……でしたか?」
しおれた顔がご主人に叱られて項垂れた大型犬のよう……。
「いえ!そんなことは……」
「そうですか!食べ物は何が好きですか(笑)?」
ご主人に褒められてブンブンとフサフサの尻尾を振っているような……。
「ぼ、僕……ナンパされてるんですか(笑)?」
「そんな感じですかね?」
「僕が質問したのに(笑)」
そんな所に、「お待たせいたしました」と特別な珈琲が香ばしい香りとともに僕の目の前に置かれた。
「好き嫌いはありません。どっちかって言うと、野菜が結構好きです。えっと……。」
あっそうだ!と名乗っていないことを今気づいたようで、サコッシュから名刺入れを出して一枚僕にくれた。
そこには肩書もなく、ただ名前が印刷されていた。
でも、裏側には僕が何度も読み返している、大好きな本の題名が書かれていた。
「犬飼…守って……。犬飼守ぅ?」
「しー!声が大きい!」
珈琲の注文カウンターから、店員の冷たい視線が送られていた。
『スミマセン』と声を出さずに謝ると、僕にもう一度「しー!」っとジェスチャー付きで注意した。
「ごめんなさいって。えっ……あなたが?」
「ええ。ご存知でしたか。」
ご存知も何も……。何の取り柄もない僕は、犬飼守の本に何度も励まされてきた。
家の都合で大学進学を諦めて警備員として働いていた僕は、この人の本の登場人物に勝手に自分を重ねて、落ち込んだ時に自分を鼓舞していた。
「僕、この本が大好きなんです。」
僕は渡された名刺をひっくり返して、犬飼さんに見せていた。
「そう……。がっかりしてないですか?」
がっかり?しないしない!
「しませんよ!何でですか?」
「いや…だって……。図書館でナンパしてるんですよ(笑)?」
照れくさそうに笑う美麗な男のその顔は、悪戯っ子のように可愛く見えた。
「僕は……嬉しいです。よ?」
「そう……。あっ!ごめんね?冷めない内に珈琲……。」
「あっ!はい。」
僕が湯気を吹き飛ばしていると、横で見ている犬飼さんはチョコレートのように甘ったるい視線を送ってきた。
「猫舌なの?」
「…子供みたいで格好悪いですよね……。」
「可愛いよ。」
やっと口に入れた珈琲が口から出そうだった。
「ぶっ!んぐ………。ケホケホ……。」
「ごめんごめん(笑)」
睨む僕の背中に、犬飼さんの大きくて温かい手が触れた。
「それで……七瀬くん。僕のナンパは成功した?」
優しい瞳に少しだけ色が見えた気がした。
この僕の『図書館の君』は果たして紳士なのかな?
「亮介です。ご飯だけですよ?」
「もちろんさ。野菜が好きって言ってたね?じゃあ……焼き鳥なんかどう?アスパラとかねぎまとか…野菜…あんま無いか(笑)」
「いいですね(笑)。僕、焼き鳥好きです。」
僕の返事に安堵したのか、手を組んで背筋を伸ばした。
「あぁ…良かった。僕はね、定期的に息抜きするために図書館に通っていたんだ。」
何故か2週間に一度は頭の中が煮込みすぎたお鍋みたいに濃くなって、このまま閉じこもって書いていても煮詰まってしまうと思ってね…とニコニコしながら僕に話してくれた。
「たまたま来た時に、新しい制服を着た君…亮介くんが迎えてくれたんだ。初々しくて、今まで居た警備員の人なんか、マネキンなのかな?っていうくらい少し離れて、来る人の手元しか見てなかったんだけど……。」
僕に向かって綺麗なあの笑顔をくれた。
「亮介くんはさ、来る人みんなに『こんにちは!』って爽やかに挨拶しててさ。僕、癒やされてたんだよね(笑)」
「癒やされて…?」
「ホントに。密かに僕は楽しみにしてた。『僕の図書館の君』ってあだ名を付けて(笑)」
いやいや……。僕そんな爽やかに挨拶してませんって。
「何かフィルターかかってません?あ!目、悪いとか?」
必死に否定する僕を見て、犬飼さんは笑った。
「目は確かに近眼も老眼も入ってるけど、そういうことじゃないって(笑)」
「そういうこと?」
「ただ僕の好みだったって事(笑)」
「はぁぁ↗?」
また怒られた。しー!って。
だってそうだろ?何?僕の好みって……そして『僕の図書館の君』って!
「ま、そういう事。全部バラしちゃったけど、バラしたついでにちょっとだけ下心あります(笑)」
「ぶっ!…ケホケホケホ………。」
「大丈夫。取って食ったりしないから。」
ホントかなぁ……。でも、見た目だけの憧れじゃない。そんな事より大事なのは中身。
「それで……本当に犬飼守…さん?」
「嘘ついてどうするの?騙してなんか僕にメリットある?」
「だって……作家の先生ってもっと……。」
「もっと?」
こんな見た目綺麗なのかって。
「眼鏡かけた真面目な人とか、もさっとした感じだったり、おじいさんだったり……。」
「それはどういう意味?」
「あの…その……本の袖に写真とか載ってなかったし……。こんな……。」
「こんな?」
何だか楽しそうだな。僕に言わせたいんだな?
「こんな綺麗な人が小説書いてるなんて思わなかったんです!」
またやってしまった。犬飼さんの大きな手に口を押さえられた。
「声!」
「うぅ……。」
「それで……僕が綺麗だって?」
答えようにも口ががっちりホールドされている。仕方なく首を縦に振ってジェスチャーで答えた。
「ふぅん(笑)」
やけに色っぽい目つきで見られ、半ば抱きしめられているような格好で、犬飼さんの良い匂いに包まれた僕は腕の中で脱力してしまった。
「じゃ、行こう!」
「ふがっ?」
「珈琲は飲み終わったみたいだよ?」
「……。今日は止めとこうかな……。」
「えっ↘ぇぇぇぇl………。」
「嘘です。聞きたいこと、いっぱいあるし……。」
「何でも答えるよ(笑)」
軽いな!
でも、何だか楽しそうだし、凄く元気出た。
だからこの人が本物の犬飼守かどうかなんて、何だかどうでも良くなってきた。
まぁ、せっかくだから僕の好きな本について聞いてみよう。
でも、僕の『図書館の君』は聖人君子ではなさそう(むしろ軽い……ノリが良すぎるきらいがあるけど)。
「じゃあ、行きましょう。」
「よし!いっぱい食べな(笑)」
「僕は美味しくありませんよ?いっぱい食べて太らせて、食べるつもりですか(笑)」
「僕だって狼じゃありませんよ(笑)」
図書館を出ると、目の前には立派な木が何本も生えている。
ここは昔、この辺りを治めるお殿様が住んでいた城跡だ。
そして、空には美しく輝く綺麗なまん丸の満月が輝いていた。
僕が配属されたのは、入り口を入って右手にある、駐車券に利用者印を押すためだけに作られた箱。
ここに来る人達はほとんど皆、自分の持つ駐車券を機械に通すためだけに来る。
だから、僕は居ても居なくてもいい位の存在。
図書館司書じゃないの?
いえいえ。僕は警備会社から派遣されたただの警備員です。
僕が仕事を終える16時以降は、持ち回りで図書館の職員が立っているみたいだけど。
無色透明なアクリル板に囲まれた僕は、まるで空気のようにそこにいるだけ。
ほとんど気にされたことがない。
機械の合間に、合いの手のように「こんにちは」と繰り返す。
挨拶は…返ってきたり、来なかったり。
カシャン
カシャン
カシャン
「こんにちは」
その人が来るのは不定期。なんの仕事をしているのか分からないが、僕に小さく挨拶をしていく。
それから、駐車券を機械に入れる。
『カシャン』
その人が入れる時だけ、音が軽やかになる。
そんな仕様はないだろうけど。
そして、小さく微笑むとタブレットとサコッシュのみという軽装で、併設されたカフェに立ち寄る。
そこはついこの間出来たばかりの全国チェーンの旗艦店らしい。
地方の公立の図書館に出来たのは初めてらしく、出来た時は図書館を利用する市民が増えたと話題になった。
その人は僕が入った箱から見える位置にいつも席を取る。
そして、ブレンド(多分)を注文すると、タブレットを開き2時間ほど一心不乱に何かを打ち込み始めるんだ。
僕が配属されてからもう2年。2週間に一度くらいのペースで顔を出す。
挨拶を返す人は珍しくはない。
でも、うつむき加減で微笑むその人は、とても綺麗だった。
綺麗っていうのは……相応しくないかもしれない。
綺麗って言葉で表現されるのは、大抵女性に対して。
でもその人は、多分普通のサラリーマン。
不定期な休みだから、普通ではないのかもしれないけれど。
学生って感じでもないし、多分……。
+++
ここにいると、毎日珈琲の香りするな。
それはきっと、図書館に来る全ての人が思う事だろうけど。
ほんの時たま、僕は仕事が終わる16時過ぎ、制服を脱いで帰宅する前、このカフェに立ち寄る。
僕の給料じゃ連日通うなんて贅沢は出来ない。
だから普段はスーパーで市販の挽かれた豆を買ってきて、自分でペーパードリップして飲んでる。
そんな僕が珈琲を飲んで帰るのは、名も知らぬ綺麗は男がいる時だけ。
日にちも時間も不定期なその人がたまたまいる時。
別に…その人がいるから立ち寄るわけじゃないですよ?と誰に言い訳をするでもなく、自然な体を装って立ち寄る。
いつもなら、少し離れた場所に席を取る。
そして、視界の端に、気取られないようにその人の姿を収める。
そして、珈琲が冷めない内に美味しくいただくと、お腹とともに温まった何かを抱えて家路につく。
その温まったものに名前を付けるとしたら…憧れ……のようなものだろうか。
カシャン
カシャン
カシャン
今日は、その人が来た時間にちょうど16時ちょっと前だったから、いつものように箱の中に収まる警備員の僕に「こんにちは」と涼やかな声で挨拶を返してくれた。
『カシャン』
機械もこの時ばかりは、軽やかな音を立てる。
不思議だ。本当に音が違って聞こえる。
そして、いつもと違ったのは機械だけでなく、機械の仕様まで変える名も知らぬ綺麗なこの男も。
「この前はいらっしゃらなかったですね?」
「えっ?」
「いや……この前来た時、別の方が立ってたので……」
「……時々、休みを入れるんです。労基法とかなんとかで……。」
「そうだったんですね。……あっ、失礼しました(笑)」
後ろに並んだ人にあの綺麗な笑顔で会釈をして、その人はいつものようにカフェに向かった。
カシャン
カシャン
カシャン……
帽子を目深に被り直した。
今のは……何だったんだろう…?
あと5分ほど。時間が来たら…今日は目の前のカフェで温かい珈琲を飲んでいこう。
+++
空いている席が……あの男の隣しか無かった。
僕は相変わらず一心不乱にキーボードを打ち込むその人の隣で、いつもの珈琲を注文した。
僕はこんな事なら図書館で何か厚めの小説でも借りればよかったと後悔していた。
そうしたら、珈琲1杯でも長居できたのにと。
キーボードを叩く音がカタカタと続いていた。
この人眼鏡なんて…掛けてたかな?なんて考えていた。
珈琲をネルドリップで淹れるいい香りがしていた。
僕、酸味が強いのは苦手なんだよな……。
この人は…どんな味が好きなんだろう。
僕と似たような苦味が強いほうが好きだったらいいな。
「あの……。」
いつの間にかキーボードの音は止まっていた。
僕に声を掛けたのは、僕の隣の綺麗な男だった。
「駐車券の……。」
「はい。さっきお会いしました。」
「いつもここに?」
「いえ……いつもなんて寄ってたら、僕のお給料なんか飛んでいきます(笑)」
僕にあの綺麗な笑顔が向けられていた。
「じゃあ……今日は特別なんですね?」
眼鏡は外されていて、柔らかく微笑む目の横に優しい笑いジワが刻まれていた。
「ええ。……特別…です…かね?」
「フフ(笑)……僕が質問したのに(笑)」
緊張して何故か疑問形で返してしまった僕は、綺麗な瞳に射抜かれて心臓がどうにかなってしまいそうだった。
「じゃあ、特別な珈琲を飲んだら……ちょっと付き合ってくれませんか?」
「へっ?」
きっと僕は間抜けな顔をしているんだろう。
目の前の綺麗な男が今にも吹き出しそうだ。
「でも…お仕事中だったんじゃ……。」
いつものタブレットで物凄く一心不乱に……。
「ええ。でもまぁ……それよりも大事な用が出来たので……。」
「大事な用…?」
「これは……いつでも出来るので……。」
「はぁ……いつでも……。」
「迷惑……でしたか?」
しおれた顔がご主人に叱られて項垂れた大型犬のよう……。
「いえ!そんなことは……」
「そうですか!食べ物は何が好きですか(笑)?」
ご主人に褒められてブンブンとフサフサの尻尾を振っているような……。
「ぼ、僕……ナンパされてるんですか(笑)?」
「そんな感じですかね?」
「僕が質問したのに(笑)」
そんな所に、「お待たせいたしました」と特別な珈琲が香ばしい香りとともに僕の目の前に置かれた。
「好き嫌いはありません。どっちかって言うと、野菜が結構好きです。えっと……。」
あっそうだ!と名乗っていないことを今気づいたようで、サコッシュから名刺入れを出して一枚僕にくれた。
そこには肩書もなく、ただ名前が印刷されていた。
でも、裏側には僕が何度も読み返している、大好きな本の題名が書かれていた。
「犬飼…守って……。犬飼守ぅ?」
「しー!声が大きい!」
珈琲の注文カウンターから、店員の冷たい視線が送られていた。
『スミマセン』と声を出さずに謝ると、僕にもう一度「しー!」っとジェスチャー付きで注意した。
「ごめんなさいって。えっ……あなたが?」
「ええ。ご存知でしたか。」
ご存知も何も……。何の取り柄もない僕は、犬飼守の本に何度も励まされてきた。
家の都合で大学進学を諦めて警備員として働いていた僕は、この人の本の登場人物に勝手に自分を重ねて、落ち込んだ時に自分を鼓舞していた。
「僕、この本が大好きなんです。」
僕は渡された名刺をひっくり返して、犬飼さんに見せていた。
「そう……。がっかりしてないですか?」
がっかり?しないしない!
「しませんよ!何でですか?」
「いや…だって……。図書館でナンパしてるんですよ(笑)?」
照れくさそうに笑う美麗な男のその顔は、悪戯っ子のように可愛く見えた。
「僕は……嬉しいです。よ?」
「そう……。あっ!ごめんね?冷めない内に珈琲……。」
「あっ!はい。」
僕が湯気を吹き飛ばしていると、横で見ている犬飼さんはチョコレートのように甘ったるい視線を送ってきた。
「猫舌なの?」
「…子供みたいで格好悪いですよね……。」
「可愛いよ。」
やっと口に入れた珈琲が口から出そうだった。
「ぶっ!んぐ………。ケホケホ……。」
「ごめんごめん(笑)」
睨む僕の背中に、犬飼さんの大きくて温かい手が触れた。
「それで……七瀬くん。僕のナンパは成功した?」
優しい瞳に少しだけ色が見えた気がした。
この僕の『図書館の君』は果たして紳士なのかな?
「亮介です。ご飯だけですよ?」
「もちろんさ。野菜が好きって言ってたね?じゃあ……焼き鳥なんかどう?アスパラとかねぎまとか…野菜…あんま無いか(笑)」
「いいですね(笑)。僕、焼き鳥好きです。」
僕の返事に安堵したのか、手を組んで背筋を伸ばした。
「あぁ…良かった。僕はね、定期的に息抜きするために図書館に通っていたんだ。」
何故か2週間に一度は頭の中が煮込みすぎたお鍋みたいに濃くなって、このまま閉じこもって書いていても煮詰まってしまうと思ってね…とニコニコしながら僕に話してくれた。
「たまたま来た時に、新しい制服を着た君…亮介くんが迎えてくれたんだ。初々しくて、今まで居た警備員の人なんか、マネキンなのかな?っていうくらい少し離れて、来る人の手元しか見てなかったんだけど……。」
僕に向かって綺麗なあの笑顔をくれた。
「亮介くんはさ、来る人みんなに『こんにちは!』って爽やかに挨拶しててさ。僕、癒やされてたんだよね(笑)」
「癒やされて…?」
「ホントに。密かに僕は楽しみにしてた。『僕の図書館の君』ってあだ名を付けて(笑)」
いやいや……。僕そんな爽やかに挨拶してませんって。
「何かフィルターかかってません?あ!目、悪いとか?」
必死に否定する僕を見て、犬飼さんは笑った。
「目は確かに近眼も老眼も入ってるけど、そういうことじゃないって(笑)」
「そういうこと?」
「ただ僕の好みだったって事(笑)」
「はぁぁ↗?」
また怒られた。しー!って。
だってそうだろ?何?僕の好みって……そして『僕の図書館の君』って!
「ま、そういう事。全部バラしちゃったけど、バラしたついでにちょっとだけ下心あります(笑)」
「ぶっ!…ケホケホケホ………。」
「大丈夫。取って食ったりしないから。」
ホントかなぁ……。でも、見た目だけの憧れじゃない。そんな事より大事なのは中身。
「それで……本当に犬飼守…さん?」
「嘘ついてどうするの?騙してなんか僕にメリットある?」
「だって……作家の先生ってもっと……。」
「もっと?」
こんな見た目綺麗なのかって。
「眼鏡かけた真面目な人とか、もさっとした感じだったり、おじいさんだったり……。」
「それはどういう意味?」
「あの…その……本の袖に写真とか載ってなかったし……。こんな……。」
「こんな?」
何だか楽しそうだな。僕に言わせたいんだな?
「こんな綺麗な人が小説書いてるなんて思わなかったんです!」
またやってしまった。犬飼さんの大きな手に口を押さえられた。
「声!」
「うぅ……。」
「それで……僕が綺麗だって?」
答えようにも口ががっちりホールドされている。仕方なく首を縦に振ってジェスチャーで答えた。
「ふぅん(笑)」
やけに色っぽい目つきで見られ、半ば抱きしめられているような格好で、犬飼さんの良い匂いに包まれた僕は腕の中で脱力してしまった。
「じゃ、行こう!」
「ふがっ?」
「珈琲は飲み終わったみたいだよ?」
「……。今日は止めとこうかな……。」
「えっ↘ぇぇぇぇl………。」
「嘘です。聞きたいこと、いっぱいあるし……。」
「何でも答えるよ(笑)」
軽いな!
でも、何だか楽しそうだし、凄く元気出た。
だからこの人が本物の犬飼守かどうかなんて、何だかどうでも良くなってきた。
まぁ、せっかくだから僕の好きな本について聞いてみよう。
でも、僕の『図書館の君』は聖人君子ではなさそう(むしろ軽い……ノリが良すぎるきらいがあるけど)。
「じゃあ、行きましょう。」
「よし!いっぱい食べな(笑)」
「僕は美味しくありませんよ?いっぱい食べて太らせて、食べるつもりですか(笑)」
「僕だって狼じゃありませんよ(笑)」
図書館を出ると、目の前には立派な木が何本も生えている。
ここは昔、この辺りを治めるお殿様が住んでいた城跡だ。
そして、空には美しく輝く綺麗なまん丸の満月が輝いていた。
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