喪失~その後

ハジメユキノ

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支え

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浩介は昨日見た羽田のことはしばらく加賀美には言わないでおこうと思っていた。
羽田はまさか社長に見られていたとは気付いておらず、いつも通り真面目に働いていた。
浩介の会社で羽田に支払われている給料は案外悪くない。まして、彼女は引き抜かれるほどの人材だ。同い年の人間の約二倍は稼げているはずだ。それでも足りない額の借金…。しかも親の分とは。
とにかく、副業を禁止している今の就業規則を変えてやらないと…。浩介は加賀美を社長室に呼んで、規則を変えるにあたって必要な手続きを聞いた。
「副業を認めるなんて、珍しいですね」
「世の中そんなに景気いいわけじゃないし、本業をおろそかにしなければ認めても支障ないだろう?」
「そうですね。子どもの学費や親の介護…。何かと必要になってきますからね」
親の借金って理由もあるけどな…。心の中で浩介は時折羽田が見せる思い詰めたような顔を思い出していた。

「社長変わったよな」
「副業なんて絶対認めなそうだったのに…」
廊下に張り出された新しい就業規則を囲んで、社員たちが沸いていた。
「やっぱり美人の奥さんと別れちゃったのがつらかったのかなぁ…」
今となっては、人の口に戸は立てられないと言うが、会社の中では周知の事実だった。
「聞こえてるぞ」
いつの間にか後ろに立っていた社長の姿に、一瞬凍り付いたが、浩介は笑いながら通り過ぎていった。

就業規則を変えた翌週、浩介は一人で先日加賀美と行った高級クラブに行った。羽田はいつものように急いで帰ったから、今日ここに来ているだろう。
「あら、いらっしゃい」
ママが迎えてくれた。
「今日は一人なのね」
「少しだけ飲ませてくれる?」
「病み上がりだから、少しね。この前一緒にいらした加賀美さんに言われてるわ」
あいつ…。仕方ない。一杯だけ…。
「この前聞いてきた子も今日いますけれど。呼びましょうか?」
カナという源氏名で働いている羽田がテーブルについた。もちろん俺を見て顔を引きつらせた。
「いらっしゃいませ。カナと申します」
淡いパープルのロングドレスで、そんなに肌が見えない控えめなデザインだった。
「綺麗だな。馬子にも衣装か…」
表情一つ変えずにカナは水割りを作った。
「病み上がりとお聞きしましまので、薄めにしておきますね」
本当に薄い…。
「これ飲んだら帰って下さいね♡」
可愛く言ってるが、中身は失礼極まりない。
「分かってるよ。様子を見に来ただけだ」
「様子…ですか?」
「君は昼間も手を抜いた様子なくきちんと仕事をしている。一体何時間寝ているんだ?」
「3~4時間は寝られますよ」
「…。体は大丈夫なのか?」
「社長よりは若いですから」
まったく可愛くない。
「とにかく、体には気をつけなさい」
「お父さんみたい…」
「誰が!」
言うに事欠いてお父さんて…。ショックだ。
「まぁいい。親の借金を返すためとか?大丈夫か?どこから借りたお金なんだ?」
「社長には関係ありません」
カナはその話について頑として口を割らなかった。
浩介は少し嫌な予感がした。あまりたちの良くない所じゃないといいんだが…。

浩介は知り合いの弁護士に電話で、ちょっと聞きたいことがあるんだと相談してみた。
「なんだ浩介。また女か?」
内藤というこの弁護士。妻と調停になったとき俺が依頼したのだが、その時からの付き合いで俺が圧倒的に悪い!と客である俺を叱りつけ、奥さんに悪いようにしないようになと、一体誰の弁護士なんだ?という変わった男だった。
しかし、嘘へつらいがないこの男が面白くて、仕事が終わった後も何かと話をするようになっていた。
「女は女だが、俺の女じゃない。俺の秘書だ。かなり有能な」
「珍しいな。社員の心配か…」
「夜、毎日じゃないようだが、ホステスとして働いてるんだ。親の借金返すのに…」
「…。保証人になっているのか?それとも勝手に名義を使われたり…」
「詳しくは聞けなかった。だが、もし勝手に使われたとしたら、返済義務はないよな…」
内藤は少し沈黙した。
「まぁな…。でも返済義務が発生してしまっているかもしれない…」
浩介も会社を経営しているくらいだから、ある程度は理解している。もう、返済し始めている以上、肩代わりさせられているんだろうと…。
「少し探ってみるよ」
「お前が人助けとはな」
相変わらず口の悪い弁護士だ。だが信用できる。
「人は変わるものさ」
笑って電話を切った。

しばらく羽田のことは、浩介は表立って行動することはなかった。ただ、少しだけ探ってもらっていた。
以前依頼していた加東はもう契約してくれない(妻と一緒になった)ので、加東から以前聞いていた知り合いの探偵黒澤に調査を依頼した。
一週間後、羽田が会社を休んだ。本人から体調不良と連絡はあったが、浩介は黒澤からの中間報告にあった不安材料が頭をよぎった。
やはり相手が悪そうだ。俺の嫌な予感は最近よく当たるんだよな…。
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