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本編
51. ライラが水面の鯉みたく
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ライラが水面の鯉みたく口をパクパクさせていると、ルビウスが低く嗤った。
「貴様の策、なかなか愉快だったぞ。実に印象深かった。恩義は忘れておらぬぞ」
「うるせぇっ! 策に嵌めたのはてめぇらのほうだろうがっ! おらっ、これを見ろっ!」
アウロスはバッと右の手のひらを開いた。よく見ると、小指が欠けている。
「指返せよっ! 指さえあればオレはもっと強いんだ! この恨み死んでも忘れないからな!」
アウロスは憤怒の形相で叫ぶ。
「はっ、たかが小指如きで大袈裟な」
ルビウスは冷笑する。
「てめぇらのような卑劣なゴミども、神の名の下に正義の鉄槌を下してやる! なにが恩義だ、ふざけやがって!」
アウロスはとうとう腰の剣を抜いた。
ルビウスは生ゴミでも見るような目でアウロスを一瞥する。
「薄汚ねぇ卑劣な魔王めっ! 成敗してくれるっ!」
アウロスが剣を振りかぶり、ライラは月晶煌箭を発動しようとした。が、ルビウスの腕がすっと横に伸び、ライラの詠唱をさえぎる。無言の制止だった。
ルビウスがつと人差し指を立てると、アウロスの体がガキッ、と凍りつく。
「……っ!?」
アウロスは虚をつかれたように目を見開き、剣を取り落とした。
今の、闇術……? なんだろう、冥鎖幽縛《リガメン・テネブラエ》よりももっと強力な……
ライラがあれこれ考察していると、ルビウスは涼やかな双眸をすっと細めた。
「貴様の罠で命を落としかけた日……あれが我が生にとって大きな転機となった。勇者よ、我は感謝しているのだ……」
「……っ!?」
アウロスはなにか叫ぼうとするが、声が出せないらしい。
「……悪いが、極反魔顛石を持たぬ貴様など羽虫より脆い」
ルビウスはほっそりした手を組むと、美しいまぶたを閉じ、詠唱しはじめた。
「冥府に座する深黒の神ザデスよ。時空の繋ぎ目を断ち、我が呪いを異界へと導け……」
ざわざわ……と大気を漂うあらゆる魔力が、ルビウスに吸い寄せられていく。急上昇していくルビウスの魔力に、ライラはふらふらと後ずさる。
ルビウスがわざわざ詠唱するというだけで、本気度が窺える。
「境界を裂きし刃となりて、帰還の道を永久に閉ざせ……」
とんでもない魔力集中だ。アウロスは顔面蒼白で、金縛りから逃れようと足掻いているが、指一本動かせない。
強烈な魔圧でライラは目も開けていられなくなる。
この術はいったい……?
一つだけわかるのは、ルビウスはアウロスを赦す気は微塵もないということだけだ。
ルビウスは右手を前にかざし、カッと目を開けた。ルビーのような深紅の瞳が妖しく輝く。
「この呪、赦しなき審判なり! 虚封裂界ッ!」
フッ、と視界が暗転した。
キィーーーンという耳鳴り。
うわ、真っ暗。なにも見えない……
ライラが伸ばした手は空を掴む。
ガクン、と地面が傾く。
「きゃっ! 地震……?」
どんどん傾き、立っていられなくなり、尻もちをつく。が、床はさらに傾いて……
「うわあぁぁぁーっ!」
アウロスらしき悲鳴がはるか下方へ落ちていった。
が、それどころではない。
……お、落ちるっ……!
ライラは成す術もなく滑り落ち、体が宙に放り出され、落下しはじめた。
……そのとき。
ガシッ、と力強く腕を掴まれ、引き上げられる。
「大丈夫か?」
懐かしい、愛しい声。
「ルッ、ルビウスッ……!」
ライラは必死でルビウスの体にしがみつく。
しばらくすると、視界は徐々に明るくなってきた。
ライラは目を慣れさせるためにまばたきを繰り返す。
「……あ、あれ?」
いつも通りの診療室内の光景だ。机と椅子と調剤台とテーブル。暗転する前と、なんら変わらない。
ただし、アウロスが忽然と消えていた。床に彼の剣だけが落ちている。
「アウロスは……?」
ライラがキョロキョロと辺りを見回していると、ルビウスが事もなげに答えた。
「勇者は異次元に吹き飛ばした」
「ええっ……!」
そうか。さっきの闇術が発動したとき、空間がねじれる感覚があった。空間転移系なんだ!
「アウロスは……死んだの……?」
恐る恐るライラが聞くと、ルビウスは静かに首を横に振った。
「死んではいない。五体満足のまま異次元空間に転移させただけだ。二度と戻ってこられないがな」
「そうなんだ……。よかった……」
いや、よくないのかもしれないけど、命があるだけマシだろう。ルビウスに殺されてもおかしくないことをしたんだから。
「我はおまえとヴィアゴに敬意抱いている。ヴィアゴは徹底した非暴力主義者だったし、おまえも命を大切にしているだろう。ゆえに、殺したりはしない」
「ありがとう、ルビウス。私の意志を尊重してくれて……」
そうだ。アウロスは根っからの悪人というより、どこか病んでいるように見えた。
まぁ、あちらから見れば私のほうが病んでるんでしょうけど……
「まぁ、異次元なぞなにがあるのかわからんからな。殺されたほうがマシだったかもしれんが……」
ルビウスはぶつぶつ独りごち、ライラを心配そうに見つめた。
「大丈夫か……?」
「うん、私は大丈夫。あなたがいてくれてよかった。また延々つきまとわれるかと思ったから。本当にありがとう」
これでようやく心配事はなくなり、ほっとした。
「心を病んだ者、弱き者が癒やされることなく、裁かれる世の中か……」
ルビウスが独り言みたくつぶやく。
ライラはそのことについて考えてみた。アウロスが心を病んだ者だとしたら、癒されることなく裁きを受けた形になる。
けど、いったい誰がアウロスを癒せるんだろう?
アウロスが癒えるまで、私はやりたい放題されないといけないの?
ここまで粘着され、生活を脅かされるぐらいなら、手段なんて選んでいられない。
こうするしか、なかったのだ。
「我々に近づかなければ、幸せに暮らせていたものを」
ルビウスのつぶやきに、ライラはうなずく。
「うん。けど、私も今あるものに感謝して、傍にいる人を大切にしようって改めて思ったよ。私もアウロスみたいにならないとも言い切れないし……」
ルビウスは感慨深そうにうなずいた。
「ふむ。常に己を顧みること……それがなにより重要な第一歩だ」
二人は見つめ合い、安堵したように微笑み合う。そして、互いの存在をたしかめるように、しっかりと抱き合った。
どうか、私の心が健全でいられますように。
アウロスみたく周りの人を傷つけませんように。
そして、できれば、ずっとルビウスの傍にいられますように……
ライラは心の中で強く祈った。
「貴様の策、なかなか愉快だったぞ。実に印象深かった。恩義は忘れておらぬぞ」
「うるせぇっ! 策に嵌めたのはてめぇらのほうだろうがっ! おらっ、これを見ろっ!」
アウロスはバッと右の手のひらを開いた。よく見ると、小指が欠けている。
「指返せよっ! 指さえあればオレはもっと強いんだ! この恨み死んでも忘れないからな!」
アウロスは憤怒の形相で叫ぶ。
「はっ、たかが小指如きで大袈裟な」
ルビウスは冷笑する。
「てめぇらのような卑劣なゴミども、神の名の下に正義の鉄槌を下してやる! なにが恩義だ、ふざけやがって!」
アウロスはとうとう腰の剣を抜いた。
ルビウスは生ゴミでも見るような目でアウロスを一瞥する。
「薄汚ねぇ卑劣な魔王めっ! 成敗してくれるっ!」
アウロスが剣を振りかぶり、ライラは月晶煌箭を発動しようとした。が、ルビウスの腕がすっと横に伸び、ライラの詠唱をさえぎる。無言の制止だった。
ルビウスがつと人差し指を立てると、アウロスの体がガキッ、と凍りつく。
「……っ!?」
アウロスは虚をつかれたように目を見開き、剣を取り落とした。
今の、闇術……? なんだろう、冥鎖幽縛《リガメン・テネブラエ》よりももっと強力な……
ライラがあれこれ考察していると、ルビウスは涼やかな双眸をすっと細めた。
「貴様の罠で命を落としかけた日……あれが我が生にとって大きな転機となった。勇者よ、我は感謝しているのだ……」
「……っ!?」
アウロスはなにか叫ぼうとするが、声が出せないらしい。
「……悪いが、極反魔顛石を持たぬ貴様など羽虫より脆い」
ルビウスはほっそりした手を組むと、美しいまぶたを閉じ、詠唱しはじめた。
「冥府に座する深黒の神ザデスよ。時空の繋ぎ目を断ち、我が呪いを異界へと導け……」
ざわざわ……と大気を漂うあらゆる魔力が、ルビウスに吸い寄せられていく。急上昇していくルビウスの魔力に、ライラはふらふらと後ずさる。
ルビウスがわざわざ詠唱するというだけで、本気度が窺える。
「境界を裂きし刃となりて、帰還の道を永久に閉ざせ……」
とんでもない魔力集中だ。アウロスは顔面蒼白で、金縛りから逃れようと足掻いているが、指一本動かせない。
強烈な魔圧でライラは目も開けていられなくなる。
この術はいったい……?
一つだけわかるのは、ルビウスはアウロスを赦す気は微塵もないということだけだ。
ルビウスは右手を前にかざし、カッと目を開けた。ルビーのような深紅の瞳が妖しく輝く。
「この呪、赦しなき審判なり! 虚封裂界ッ!」
フッ、と視界が暗転した。
キィーーーンという耳鳴り。
うわ、真っ暗。なにも見えない……
ライラが伸ばした手は空を掴む。
ガクン、と地面が傾く。
「きゃっ! 地震……?」
どんどん傾き、立っていられなくなり、尻もちをつく。が、床はさらに傾いて……
「うわあぁぁぁーっ!」
アウロスらしき悲鳴がはるか下方へ落ちていった。
が、それどころではない。
……お、落ちるっ……!
ライラは成す術もなく滑り落ち、体が宙に放り出され、落下しはじめた。
……そのとき。
ガシッ、と力強く腕を掴まれ、引き上げられる。
「大丈夫か?」
懐かしい、愛しい声。
「ルッ、ルビウスッ……!」
ライラは必死でルビウスの体にしがみつく。
しばらくすると、視界は徐々に明るくなってきた。
ライラは目を慣れさせるためにまばたきを繰り返す。
「……あ、あれ?」
いつも通りの診療室内の光景だ。机と椅子と調剤台とテーブル。暗転する前と、なんら変わらない。
ただし、アウロスが忽然と消えていた。床に彼の剣だけが落ちている。
「アウロスは……?」
ライラがキョロキョロと辺りを見回していると、ルビウスが事もなげに答えた。
「勇者は異次元に吹き飛ばした」
「ええっ……!」
そうか。さっきの闇術が発動したとき、空間がねじれる感覚があった。空間転移系なんだ!
「アウロスは……死んだの……?」
恐る恐るライラが聞くと、ルビウスは静かに首を横に振った。
「死んではいない。五体満足のまま異次元空間に転移させただけだ。二度と戻ってこられないがな」
「そうなんだ……。よかった……」
いや、よくないのかもしれないけど、命があるだけマシだろう。ルビウスに殺されてもおかしくないことをしたんだから。
「我はおまえとヴィアゴに敬意抱いている。ヴィアゴは徹底した非暴力主義者だったし、おまえも命を大切にしているだろう。ゆえに、殺したりはしない」
「ありがとう、ルビウス。私の意志を尊重してくれて……」
そうだ。アウロスは根っからの悪人というより、どこか病んでいるように見えた。
まぁ、あちらから見れば私のほうが病んでるんでしょうけど……
「まぁ、異次元なぞなにがあるのかわからんからな。殺されたほうがマシだったかもしれんが……」
ルビウスはぶつぶつ独りごち、ライラを心配そうに見つめた。
「大丈夫か……?」
「うん、私は大丈夫。あなたがいてくれてよかった。また延々つきまとわれるかと思ったから。本当にありがとう」
これでようやく心配事はなくなり、ほっとした。
「心を病んだ者、弱き者が癒やされることなく、裁かれる世の中か……」
ルビウスが独り言みたくつぶやく。
ライラはそのことについて考えてみた。アウロスが心を病んだ者だとしたら、癒されることなく裁きを受けた形になる。
けど、いったい誰がアウロスを癒せるんだろう?
アウロスが癒えるまで、私はやりたい放題されないといけないの?
ここまで粘着され、生活を脅かされるぐらいなら、手段なんて選んでいられない。
こうするしか、なかったのだ。
「我々に近づかなければ、幸せに暮らせていたものを」
ルビウスのつぶやきに、ライラはうなずく。
「うん。けど、私も今あるものに感謝して、傍にいる人を大切にしようって改めて思ったよ。私もアウロスみたいにならないとも言い切れないし……」
ルビウスは感慨深そうにうなずいた。
「ふむ。常に己を顧みること……それがなにより重要な第一歩だ」
二人は見つめ合い、安堵したように微笑み合う。そして、互いの存在をたしかめるように、しっかりと抱き合った。
どうか、私の心が健全でいられますように。
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ライラは心の中で強く祈った。
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