北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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30.大祭を迎え祝意を表します

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階段の下は人であふれていた。椅子を持って来て座っている者もいたが、ほとんどが立って建物の奥へと目を凝らしていた。パソンが、背の高いアゼルのあとから姿を出すと、ざわめきが波が引くように引いて行った。

階の上に立つパソンは、静寂の中、大勢の人に見上げられていた。人々は、めいめいの風習に従った礼をとり、胸に手をあてて頭を垂れるものも、胸の前で手を組んでじっと目を凝らす者もいた。また、声にならない声で祝辞を唱え続ける者も、神殿での祈りの所作を繰り返し、指先で胸や額を何度もこする者もいた。みながみな、そこに立った祈りの姫の空気を感じ、恐れと畏敬の念に打たれていた。

パソンは、人々の視線の中で当たり前のように、両手を上げ、左右に広げ、長い袖で、周囲を包み込むような仕草をしてから、
「大祭を迎え祝意を表します」
告げた。細く澄んだ声が、不思議なほど静まり返った森の中へ沁み入った。と、思ったら、どっと人々の歓声が上がった。まるで、噴き出すような喜びの熱気が、彼らから吹き上がり、森の上へと広がっていく。

パソンの後ろで、静まり返った森の気配に身を任せていたアーヘルゼッヘは突然の変容に思わず身を正した。人々は、両手を頭上で打って大声で騒ぎだす者もいれば、となりと嬉しそうに話すものもいて、巫女姫の隣席は大祭への神の祝意だと騒ぎあっている。

もちろん、冷静に帝都とのつながりの濃さを喜ぶ人々もいたようだが、それ以上に、彼らの巫女姫がやってきた、と言う喜びの方が大きい。

「さあ! 姫を町へお連れするのだ。道を開けよ!」

アゼルの腹に響く声は、人々の胸へずんっと落ちたようだ。慌てて、または、まちまちに、巫女姫の乗る馬車道を開けようと押し合いへしあい脇へと寄り始めた。そんな中、屋敷の脇から、馬具の音も賑やかに、護衛の衛兵がやってくる。二頭立ての無蓋馬車を先導している。

立錐の余地のなかった階の下は、空地になり、馬車の周囲は広場のように人垣ができる。パソンがアゼルの手を取って階を降り、土に足をつける前に、階段から渡された板の通路を通って馬車に乗り込むと、町へ続く通りの人波がさらに脇へと下がり始めた。人垣が割れ町へ続く道が生まれる。アーヘルゼッヘが、パソンに声をかけられて馬車に乗ると、先導の馬と一緒にゆっくりと動き出した。

人垣は割れ、左右に立つ人々は、ゆっくりと動き出した馬車に向かって、手を振る者もいれば、頭をを垂れる者もいるのだが、目の前を通り過ぎてゆく、絢爛豪華な装いの美しく前をまっすぐ見て身じろぎ一つしない気高い巫女姫の姿を生涯の宝だとでもいように、しっかりと眼に焼き付けていた。

馬車は果樹園の中を通り、外壁沿いに立つ村々の家や遠方から来た人々のテントの間を通り、そして、厚く高いトンネルのような外壁の通路をくぐって、町中へとはいって行った。背の高い建物の間に、細い道がうねっている。通りには人々があふれ、警邏に押されながら巫女姫を見ようと押し寄せている。

しかし、建物の上の窓は閉鎖され、小道には警邏達が警戒して立ち、時には長い棒を振って人を押し返したり下がれ下がれと大声をあげたりと、一種異様な雰囲気だ。馬車の両脇の、建物との間に立つ人々は、花を投げたりレースを投げたりと喜びを表そうとするのだが、そのどれもが、警邏達の棒や腕の機敏な動きで落とされていく。

中央の巫女姫は、まっすぐ前を見つづけている。が、時折、ゆったりとした動きで周囲の人々を見回している。すると、人々の動きが止まって声も落ち、あたりに馬車と蹄鉄の音だけが響き出す。その静寂に人々が感動し、感動した瞬間に、また、その直前以上の熱気に包まれていく。

「広い通りに出るまでの辛抱です」

馬車を御する兵士が言った。まるで、周囲の町の人々が襲ってきそうな気配で、アーヘルゼッヘは緊張の極みにいた。何かがあった時には、パソンを連れて森に飛ぼうとまで思っていた。しかし、パソンはまっすぐ前を見ながら、
「大丈夫です」
とだけ答えた。それは、自分が大丈夫だと言うよりも、何事もない、何かが起こるはずがない、と言っているようにも聞こえた。

ともあれ、馬車はすぐに大通りへ出た。周囲を護衛の馬が囲うと、熱気も声も離れて行った。すると、パソンは笑顔を見せた。周囲を見ながらまるで、今さっきまでの気高さは嘘だとでも言うようににこにこしながら、人々をながめ始めた。

木立の間をしばらく行くと、見上げるばかりの威容の建物が見えてくる。人々は、木立の間の歩道から、パソンを見ては両手を振ったり騒いだり、先ほどとは違った色の、それこそ祭りで楽しむようなにぎやかさだ。

パソンの笑顔を見ると、両手を上げて歓声を上げるが、先ほどのようなしんと静まる気配はない。すぐそばで腰かけているアーヘルゼッヘは、笑顔のたびにパソンから噴き出していく清浄な空気に身も心もリラックスしていた。

これほど穏やかな空気をまき散らせるのなら、町までの道も、細い通りでも、笑顔でいればいいものを、と思っていた。が、パソンが笑顔を振りまいていると、慌てたように、離れて護衛をしていたアゼルが馬を駆って近寄って来た。

と、思うと、パソンに向かって、
「ご自重ください。あなたは巫女姫なのですぞ!」
と厳しい声で戒めた。アゼルの顔は穏やかで、遠目には何気ないご機嫌伺いに見えただろう。しかし、そばで聞いているアーヘルゼッヘには、ぴりりと肌に来るような厳しさがあった。パソンは、アゼルに負けないほどつんとした声を出した。

「わかっています。力の調整くらい、わたくしでもできます」
「なら、なぜ、今の今、私の兵は、あなたの笑顔欲しさに狂い出した人々を必死に抑えているんです!」
「これほど離れていて、笑顔も何もわかりません」
「なら、あれは。あれをどう見ておいでです!」
と、馬上で、軽く肩を引く形で右を差した。そこには、木立の間で、警邏達の棒を乗り越えて通りにでたせいで、騎乗の兵士たちに馬で追われるように歩道に戻される人々がいた。

「神への笑顔は人々には毒なのですぞ。麻薬のようにとめどもなくほしくなると、帝都で習ったのではありませんか?!」
とアゼルが厳しい声で言うと、パソンは口を固く閉じた。目はまっすぐ前を見たたまま。遠目には、行先に好奇心が湧いて正面を見ているように見えたかもしれない。しかし、そばに座るアーヘルゼッヘには、悔しさに口をかみしめているのが分かった。それで、つい、アーヘルゼッヘは、
「毒ではなくて、滋養でしょう」
とつぶやいた。パソンが気配をアーヘルゼッヘへ向けた。が、アゼルが手厳しく、
「過ぎれば何であれ毒になるんですよ。北の方」
と言う。パソンは諦めたかのように気配が消える。それを感じて、
「必要なだけ足りていれば、滋養はどれだけあっても滋養です」
と言い返した。パソンが顔をアーヘルゼッヘへ向けた。アゼルが手厳しく文句を言おうとした。が、それより前に、
「わたくしもそう思います。すべての人々が満ち足りていれば、巫女の笑顔があってもみな気にもかけなくなると思うのです」

「気持ち良い笑顔を気にかけなくなると言うことはないと思うのですが」
「いいえ! 巫女だのみなど、よくありません。みな、自分たちの力で悠々と生きていけるような世界にならなければ」
「巫女姫殿!」
とアゼルが、怒りを含んだ声で止めた。ほおに力が入って顎から首の筋が浮く。
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