北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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32.我町へようこそ

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 アゼルはとっくに馬を下り、御者は馬車の扉を開いた。建物の玄関の大きな扉は開かれて、飛び出すように錦の絨毯を抱えて来た庁舎の役人達が、石段を駆け下りていた。アゼルは馬の手綱を係りの者に手渡すと、馬車に座って周囲の動きをぼんやりと眺めて、木から人へ意識を必死に戻そうとしてルアーヘルゼッヘへ、
「我町へようこそ。庁舎の主、長老の代表として、北の方であるアーヘルゼッヘ殿を歓迎いたす」
と穏やかな声で告げたのだった。

アーヘルゼッヘが、馬車のすぐわきに立って見上げているアゼルを見つめた。長老職は町の重鎮の集まりで、その代表だと言う。そして、庁舎の主とは役人の主のことで、アゼルは警邏の隊長で、兵士を集めてやってきた。と思ったところで、
「長をやっていない役職ってあるのですか?」
と聞いていた。

 町に北の方がやってきた一大イベントに息をのんでいた役人達は何とも言えない顔をした。馬車の扉を抑えて、これまた一大イベントを彩る帝都の巫女姫を馬車から降ろそうとしていた、厚い生地にきらびやかな柄の上着を着た口髭の男が苦い顔で動きを止めた。言われたアゼルは階段を上り振り返った。そして、鼻で笑って、
「家長は父だ。私はベストレート家の何でも屋だ」
と答えた。

あたりはしんと静まり返った。彼は役所で嫌われているのだろうか、とアーヘルゼッヘが思ったところで、髭の男が身を乗り出すように、
「アゼル閣下は、この町で、いいえ、この大陸でももっとも歴史のあるベストレート家の次期主殿でございます。今は、町の簡単な役目をお引き受けいただいているだけでございます」
「簡単な役目…?」

とアーヘルゼッヘが眉間にしわを寄せて聞いた。長老職が簡単だとはおもわなかった。もちろん警邏達をまとめる仕事も、町を収める庁舎の主も。大変な仕事だろうと思ったのだ。だからこそ、そんなに何もかもできるのだろうかと思って聞いたのだ。しかし、髭の男はアーヘルゼッヘの疑問とはかけ離れたことを言った。

「そうです。大陸間のお役職に比べたら、町の主などは簡単なお役目かと存じます」
アーヘルゼッヘはアゼルを見た。アゼルは表情を消していた。アーヘルゼッヘは、
「あの顔はそうは思っていないように見えます」
と答えると、髭の男は首を左右に振って、
「とても優秀なお方です。もっともっと重要な役目を担われるようになるはずです」
と期待もあらわに言うのだった。アゼルは、
「そっちの方が簡単な仕事だ。情報を集めて分析して人を動かせばいいのだからな」
と苦い声で言った。簡単な仕事だと言うより、嫌っている仕事だと言う雰囲気だった。気まずい空気が流れた。アーヘルゼッヘは、横道にそれたのは自分のせいだと気がついた。そして、慌てて、
「私のようなものを歓迎してくださり感謝の言葉もありません。礼を申し上げます」
と言い、簡単に言いすぎたと、慌てたせいで、せっかくの町の代表の歓迎の言葉を踏みにじってしまったのではないだろうかと焦り、慌てて、
「我が名、アーヘルゼッヘにかけて、この歓迎の喜びをすべての者達へ伝えましょう」
と付け加えた。

 アーヘルゼッヘは馬鹿だった。自分は決して嘘はつけない。言った言葉は端から事実になるからだ。つまりは、言い終わった瞬間、アーヘルゼッヘの体はほんのりと光はじめて、輪郭が明るく青く膨らんで、人に向かえ入れられた自分を実感し、その実感が喜びになったところで、
「お待ちください!」
と言う厳しい制止の声を聞いた。

アーヘルゼッヘが目を何度かしばたたくと、目の前には、石段に立ちすくんだパソンがいた。顔色が悪かった。パソンの手を取っていた髭の男は震えていた。どうにか、パソンに手を添えたまま身じろぎしないように体を固まらせていたが、玄関に出てこの大事件をつぶさに見ようとしていた人々は転んだり、跳ねるように後ろへひっくり返ったり、こちらを見ながら死に物狂いの表情で後ろへ後ろへと逃げていた。

アゼルは、石段の中ほどで、パソンの前で片手を広げ、まるでアーヘルゼッヘから守ろうとしているかのように立っていた。アーヘルゼッヘは、言葉が崩れていくのを感じた。喜びが戸惑いになり、広がった言葉の波が収縮し、自分の胸に帰ってくる。ぎゅっと心臓をつかまれたような感じになり、それでもさらに足らないとでも言うように小さくなって、自分の喜びの声を聞いて喜ぶ者が北にいるだろうかと言う疑問が沸いた。

沸いたとたんに縮んだ言葉の波は万力になって心臓をひねりつぶしはじめ、アーヘルゼッヘは目を三度しばたたいて、宙を見た。目の前のパソンもアゼルも見えなかった。北の館で立つ主を探そうとして、胸に手を当て自分を止めた。北の主に、自分のあの喜びをみなに伝えてほしいのです、と伝えるだけで、きっとすべては事実になって、この痛みは消えたはずだ。

しかし、主の前を飛び出したのだ。助けを求めて主の傍へは近寄れない。虫が良いからとか、プライドが邪魔をしてとか、成鳥を見つけるまではだめだからとか、そんな理屈では全くなかった。

ただ、自分が頼みに声をあげ、今までのように当たり前のように、うなずきひとつで引き受けてくれるとは思えなくて。つまりは自分の裏切りを許してくれないだろうと言う恐怖から、主を信じることができなくて声を出せなくなっていた。

アーヘルゼッヘは、爪を立てて襟を鷲頭掴みにしていた。痛みは心臓に杭が刺されているのではないかと言うような大きさに膨らみだして、目の前が真っ白に景色が消えた。パソンの悲鳴が聞こえたような気がした。アゼルが何か云いながら、駆け付けてくれているように見えた。髭の男が舌打ちをして、御者が青ざめながら駆けもどってくる。歓迎してくれていたのだ、とアーヘルゼッヘは思った。

膨らんだアーヘルゼッヘの光は、人々の意識を吹き飛ばすほどの明るさで、パソンが慌てて止めたのだ。そして、光が止まってアーヘルゼッヘの喜びの伝達は中途半端で中に浮き、事実にならなくなってしまって、アーヘルゼッヘへ嘘の報復となって翻り、アーヘルゼッヘは事実にしてくれる数少ない手段の一つを捨てて、そして、報復を全身で受け意識を飛ばした。

「強情な」
というつぶやきを聞いたような気がした。パソン達が思ったよりもよく見えていたから、これも、周囲の誰かが言った言葉だったのかもしれない。しかし、声はさらに、
「後でみんなに伝えればいいのだ。今すぐじゃなくったっていいのだ」
とアーヘルゼッヘの状況に精通しているように助言した。しかし声は大変な怒りようだった。

アーヘルゼッヘが、そうか、今すぐには無理があるから。この喜びはきっといつか。北の主にも伝えて。そうしたら、許しを得た後だったら、きっと主も喜んでくれるはずだから大丈夫。すべてはきっとうまくいく、と安心して意識がそっと遠のいた。声はまだ低く長く続いている。

「北の主よ、なぜ、きちんと話さずに解き放ったのだ!」

怒りは収まらないようで、北の主へ言い放つ。畏敬の念はかけらもなく、小言を言っているように聞こえた。自信があって、のびのびした声で、なぜか、チウの声に似ているような気がした。
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