北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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39.童子の清めの道行き

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アーヘルゼッヘは部屋の空気に人間の気配を感じた。つまりは、圧倒的な人々の気配があるだけで、大地や宙の、人間達が神と呼ぶ、聖なる気配は感じなかった。つまりは、山の人間達が、旅人達から、都へ行くために山越えで大陸を横断する人々から通行税を取ってもいいかと許可を求め、帝国が収める大陸といえども山は山の民の者だから勝手にすればいい、と帝国の実力者の家計らしい青年が許可を与えた、と言うことらしい。もちろん、許可を申請するための場所を設けた、と言う話になっているのだが、許可をもらったも同然、と言う顔をプロトルはしていた。

つまり、とアーヘルゼッヘは考えた。ここに居て、気配を感じて空気を操れる本当の巫女や神々に仕える神託を得る立場の人間は、もしかしたら、パソンだけなのかもしれない、と。あとは地方の代表で、神々の声よりも人間の声の方が重要だと思っているのだろう。だからこそ、とアーヘルゼッヘは皮肉な気分になった。自分達にはない、不思議な力を持つ巫女姫が自殺をしてまで帝都を守ろうとういのなら、樹の一本や二本くらい、それが神の木と言われていても犠牲にして、帝都を守る方がいい、と思うのかもしれない。

巫女姫は神々に頼もうと自殺を図ろうとしているのに、巫女姫の命をかけるくらいなら神々の命を取ってくる方がずっと良い、と思っているのかもしれない。彼らにとって、目に見える神として、巫女姫パソンがあって、そのためにはすべての神々を捧げる気なのかもしれない。パソンは、堂々めぐりのど真ん中にいる、とアーヘルゼッヘは気の毒になった。人のために神を守り神に仕え、人はパソンのためにその神を犠牲にする。

人を思う人の心と言うのは、アーヘルゼッヘには分からない、と思った。思っているうちに、
「神事の準備が整いました。今から童子の清めの道行きに入ります」
と廊下から声がかかった。

アーヘルゼッヘは、そこで初めて、ここの部屋は他の人間達から隔離するために作られたのだと気が付いた。彼らの会話を他の人間達に聞かせないために。これから神事を見て、感じて、彼らの大事な神々に喜びをささげて、一年の無事を祈る。そんな人々の目から、帝都のためだ、巫女のためだと言いながら、彼らの大事な樹を引き抜く相談をしている人々を隠すために作った部屋だと気が付いたのだった。

だからだろう。何か嫌な空気がここにある、と不安を感じて、人々はこの部屋のことを視界から消したのだ。気付かないようなふりをした。もし、ここが祭りを楽しむ気配に満ち、ゆったりとした空間に喜びを感じ、特権を味わいつくしているような楽しい気配に満ちていたら、きっとうらやましくなり問題になっただろう。今のここは選びたくない選択をしている人々の集まりだ。息苦しくて、きっと見るのも嫌だと感じているはずだ。だから、きっと、とアーヘルゼッヘは考えて、考えをそこで止めた。

周囲を見た。

神事が始まると聞き、歴史上最後の神事になるはずだ、と思う彼らは扉の外へ出て行った。円柱のある回廊の、庇の下で、すり足で庁舎の入口に入ってこようとする子供たちを見守っている。美しい彫りの石のベンチや、運ばれたクッションの効いた椅子に座って、万感の思いを込めたまなざしを、子供や大樹へ向けている。

アーヘルゼッヘは扉の脇に立ち、外の人々を見て両手で自分の腰を抱いた。震えそうな恐怖を感じて力を込めた。聞こえなかった。いつもなら遮断していないと、勝手に襲いかかってくる、人々の気配が、全く感じられなくなっていた。あるはずの音がない。物音が消えた世界にいるような、茫漠とした無の世界にいるような気がした。

音がなかった、心の声が聞こえてこない。階上の人々が、庁舎の屋根から出た子供達の姿が見えたのだろう。子供たちは、白い着物に銀の帯をしめて、髪は頭の両側で結いあげて銀のひもをなびかせている。姿だけでも祭りの気分を味わえて、華やかで生気を喚起させるものがある。

人々は子供の列を見て歓声を上げる。子供が手にした細い造り物の銀の枝を左右に振ると、息をのんで声を落とす。それなのに、アーヘルゼッヘには音としての歓声が聞こえるだけで、何も波を感じない。熱く頬を打つような感動のうねりがない。音以上にびりびりと震えるような人の心の波があるはずなのに、全く見えない。わからない。

 理由が分からなかった。ついさっき、庁舎についた時には暴走していた。ちょっとした言葉の彩で力ははじけた。制御ができなかったのだ。なのに、今は力がない。アーヘルゼッヘは腰の手をはずして、片手を目の前に持ってきた。
「手に光が宿る」
と小声で呟いてみた。子供のころからやっているお遊びだ。暗がりで手を光らせて振ってみる。光の筋がついて、動かすと絵のように筋が踊る。単なる子供の遊びだった。明るいところでやると、一瞬のまぶしいほど光りになり、暗がりでやるとぼぉっとした光になる。
「手に光が宿る」
と再び呟いてみた。しかし、手は白く長い指があるだけで何もない。光もなければ、まぶしさもない。
「血が踊る」
と言ってみた。一瞬赤い血の筋が浮かび上がってくるはずだった。が、血管どころか手の筋も動かなかった。
「何の呪文ですか?」
と脇に立ったのは少年だった。

北の方に敬意を表しているようで、生真面目な目で見つめている。アーヘルゼッヘは少年を見下ろした。あの部屋に入った時には力は全くなくなっていた。と、少年を見て気が付いた。この少年が好奇心に目を輝かせているのは分かる。しかし、神々にもっとも近いところにいると島の人間達が思っているほどの光は見えない。

パソンにあった時には分かったことが分からない。島の人間の思い込みで本当は力がないのかもしれないが、それも今のアーヘルゼッヘには分からない。部屋の人間達のことも分からない。祭司だと言ったプロトルが神意を聞こうと手を挙げた時でさえ、わからなかった。

もしかしたら、あの時本当に大地のうねりがあったのかもしれない。なのに、パソンしか本物はいない、と思ったのだ。だからこそ、人々はパソンを守ろうとしているのだと思ったのだ。しかし、自分は見えないだけだ。力がなくなっていただけだった。アーヘルゼッヘは少年を見て首を左右に振った。心細い気持ちになった。

「いいえ。子供のころにした遊びです」
「童を見たから、子供のころを思い出したのですか?」
と後ろの大樹の周りを小枝を振りながらゆっくりと歩み続ける子供の姿を、さして言った。そして、その子供よりもずっと幼い少年は、大人びた顔で、
「見て上げていただけませんか? 北の方がご臨席すると聞いて、きっとみんなは興奮しているはずなんです。なのに見向きもしないとなると、きっと自分達に何か失敗があったのかもしれないと不安になります。がっかりすると思うのです」
アーヘルゼッヘは少年から、大樹の周りの子供に目を向けた。一生懸命、樹を見上げては左右に枝を振り上げて、祈りを唱えて半歩進む。うつむいては、すり足をして左右へ動き、再び枝を下へ振り払い、半歩進む。

「見えているんですよ、結構」
と少年は、神事をする子供たちを見ながら悪戯っぽい声で言う。きっと、この少年も島々では神事をしているのだろう。そんな声だ。

「一生懸命であればあるほど、周囲がよく見えてくるんです」
そう言って、少年はまっすぐアーヘルゼッヘを見た。あなたの姿で、彼らの成功が失敗になったかのように感じてしまうと訴えている。アーヘルゼッヘは、このまっすぐな視線の意味はよくわかる。と思った。そして、この子供が分かるようには、神事に励む子供の気配の意味は分からなかった。胸が痛い。北の方、とこのティアラーネは声をかけてくれた。

しかし、本当に今も自分が、北の者か分からない。もう、北の主とは縁が切れて、だからあの無限に思えた、レヘルゾンの力も消えてしまったのかもしれない。もう、自分はどこの誰でもなくなってしまったのかもしれない、と思った。

アーヘルゼッヘは大きな喪失感を飲み込んだ。飲み込みながら少年に視線を落して、
「失礼なことをしているつもりはなかったのです。私も神事を見届けたい」
そう言った。すると少年はうなずいて、アーヘルゼッヘを先導するように歩きだし、部屋の外へ、パソンの脇の寝椅子へと、アーヘルゼッヘを導いた。
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