北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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47.あたり一面、大草原だ

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一般に帝国と呼ばれるものは、この世界には三つあった。大陸は四つ。北に一つと、人間の住む南の大陸が三つである。そのうち、二つの大陸に帝国があった。三大陸の中央に位置する中津大陸に一つ、西に位置する花大陸に二つである。

東の大陸は無法の地とも呼ばれていたが、全く別のシステムで暮らす土地で、パソン達にとっては無法の地としか言いようがなかったようだ。パソン達の住む大陸は最大の大陸である中津大陸だった。

帝国は、最大の大陸を収める最大の国だった。帝国は、一般に中津国と呼ばれていたが、書類にはパ帝国と書かれることが多かった。パ帝国の帝都は、西大陸からの玄関口とも呼ばれるバソナ湾を見下ろす小高い丘の上にあった。

そこから、内陸に大穀倉地帯とも呼ばれる大平原が広がり、かつては、西の大陸との交易が今ほど頻繁に行われていなかった時代には、この大平原こそが帝国の国庫であり、帝国の宝庫とも呼ばれていた。

「今では見る影もありません」
そう呟いたのはパソンだった。

 あれから馬に乗って二週間。砂漠から山岳地帯へ移動した。そこから渓谷を流れる急流を船で下って、岩礁の険しい海に出た。さらにそれから、風が見合う最寄りの半島へ二週かかり、川下りを入れれば三週間だ。

やっと付いた半島で、めぐりが悪く、バソナ湾への風を待つと半年待たなければならないと言われ、再び、陸に戻って馬と馬車とで移動して、かれこれ四週間が過ぎようとしていた。アーヘルゼッヘがかつては一瞬にして渡った距離を、今は、馬と船で二ヵ月の旅をしている。なのに、いまだに、帝都の影も形も見えない。あたり一面、大草原だ。地平線まで広がっている。

「草が生い茂っていますが」
「茂っているのは、なで草と呼ばれるどこにでも生える雑草です。穀倉地帯と言わしめた、穀類を生やす土壌ではなくなっているのです」
「水がなくなってしまったからですか?」
「もちろんです」
「川が干上がったのですね」
と言って、アーヘルゼッヘは馬上から河を探した。

一行は、ゼ大臣補佐やセノ卿のお付き、家人に護衛の者と、旅の荷を運んだり、露営の食事の準備をしたりする雇われ人と、アゼル隊長がパソンの為につけた町の警護兵のソン達とで、パソンとアーヘルゼッヘは、総勢百名ほどの一団だった。

アーヘルゼッヘは馬車を嫌がり騎乗していた。慣れない馬は、はじめは身体の節々まで痛み、山に行くまで乗ったあと二度と乗りたくないと思ったものだが、土煙りの中、石をはじく轍音を腰の下で延々と聞きつづけるよりずっと良いと考えを改めたのだった。

クッションの良い馬車で、舗装された帝都であれば、馬車は快適だと言うのだが、アーヘルゼッヘには全く信じられないことだった。歩くよりはずっと良くて、荷馬車よりもさらに良いのだが、人間の旅に慣れていないアーヘルゼッヘには、どうしても、快適な馬車というのを想像できない。

アーヘルゼッヘは慣れてきた馬の項に手をおいて、あたりを左右に見渡した。前にはゼ大臣補佐達の乗る馬車とそれを守る護衛達の一団が見え、後ろはソン警備兵達がいて、その後に家財道具を一切合切ひっさげているような荷車の一段が追っている。細い道には土埃が上がり、太陽はじりじりと大地を焼き、行きかう人は全くいない。

アーヘルゼッヘは草原に目を向けた。あれだけたくさん草があれば、川がどこかに見えるだろう、と思ったのだが、
「土の下ですわ。地下水路を引いています。帝都へ引く大水路から、枝分かれさせて草原へ引いたものです。ところどころお饅頭のように石が積まれていますでしょう? あそこが、かつての井戸の跡です。あそこから水を汲んで大地へ撒いて穀物を育てていたと聞いています」
草で覆われ、ところどころレンガがむき出しになっている、子供がかがんでいるような小さな塚が、等間隔に、大地の端まで連なっていた。ところどころ崩れている。

「井戸の掃除や整備に、人がもぐっていた時期があったそうですが、資料庫での記録の話になりつつありますわ」
ため息をついてパソンは帽子の庇をあげた。白いフリルのドレスの上に、馬の背まで覆う白く大きなマントを着ている。帽子にフードをひっかけて、まるで真冬の大地を行くように見えるのだが、時折降るスコールよけだ。

すぐ乾くのだから、濡れた方がよほど気持ちがいいと思うのだが、服が肌に張り付く姿を人に見られるくらいなら、馬車に乗って一生出てこない方がまし、なのだそうだ。腕であっても嫌だと言う。

ともあれ、その暑苦しい姿で、この一ヵ月、横座りで鞍に乗り、クッションの助けを借りながらだが、姿勢を全く崩さず、疲れた顔一つしないで、もくもくと揺られているのだから。すごいとしか言いようがなかった。

特に、すぐに疲れが顔にでてしまうアーヘルゼッヘにとっては、尊敬としか言いようがない気持ちが湧き上がる。もちろん、尊敬すべき事ばかりの姫巫女だったのだが、精神的にではなくて、体力的にもすごい少女なのだとわかると、尊敬とともに、自分のひどさを思って落ち込んでしまう。

人間はすごいぞ、と言われていた、レヘルゾンの頃の話を思い出す。あの頃は、何の力もないのに、胸を張って生きていけるからすごいのだ、と思っていたのだが、もっと別の意味ですごいのだ、と思うようになっていた。

「そんな昔から水が干上がっていたのですか」
アーヘルゼッヘが草原を見ながら言った。すると、パソンは苦い顔で振り向いて、
「帝都に水を引くために、草原への止水をしたのですわ。渇水を心配して、と言う話ですけど、西大陸との貿易で、荷受人や職産業の人手が必要になり、農村から人々を動かそうとした、アセスト家の盲策です」
と厳しい調子で言った。さらに、
「こんな大地を怒らせるような事をするから、帝都の川まで消えたのですわ」
水を止めてしばらくして、帝都に湧き出ていた清水が消えて行ったそうだ。

その辺りから、神の怒りではと言う話が生まれ始めたらしい。渇水は、清水の分まで水をくみ上げなければならなくなったからだ、とパソンは言う。

「かつては、農家が村を作り、この通りは帝都と半島を結ぶ重要な穀物街道の一つだったのです。宿場町も賑やかに、半島から季節の物が届くのは、まずは、草原の村人から、と言うのが常識だったのに」
それも、史書となりつつあるらしい。

おかげで、何の変哲もない石ころだらけの通りで露営をしなければならない、と言うのがパソンの最大の文句だった。それは、露営がいやだと言うのではない。旅を共にして気心知れた者達に囲まれて過ごすのは、見知らぬ宿屋や町の人々にじろじろ見られるよりはずっと落ち着く。姫巫女と言う身分上、町や近隣の身分のある人々の挨拶は宿命とも言える大変難儀な行事だった。

「でも、わたくしが宿に泊まらない限り、誰も休めないのです」
とパソンは穏やかな声で、天幕の下の厚い絨毯の上で、クッションに持たれて、熱いお茶のカップを手につぶやいた。
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