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48.明日には帝都へ入ると言う日だった
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明日には帝都へ入ると言う日だった。どこから汲んで来たのか、盥にはお湯がそそがれ、パソンが一番に、そして、二番にはアーヘルゼッヘが湯を使い、旅の汗を流していた。隣の天幕にはゼ大臣補佐が、セノ卿とともに泊っている。時折聞こえる笑い声は、一日の仕事を終えて寛いでいる賄いの者や家人たちだろう。薪を囲んで夜警を兼ねて休む。こんな休んでも休めていないような辛い旅だと言うのに、まったく疲れたような顔を見せない。パソンと同じだ。
そんな彼らが、明日は帝都と言うことではしゃいでいるようだった。いつも聞こえる笛の音に低い歌声が混じりだす。足踏みの音も聞こえ、誰かが枝で大地を叩いているのか乾いてしなった音もする。彼らが野営を嫌っているようには思えない。アーヘルゼッヘも、北の者特有の銀の髪に長身を見て、避ける者やおびえる者の顔を見ないですむせいで、野営はとてもありがたかった。しかし、パソンは違うらしい。
「みなを労って早く帝都で休めるようにしたかったのです。それを、夕暮に帝都に入るのは危険だなどとおっしゃるから」
と小声で愚痴を言っていた。パソンには珍しいことだった。パソンが続けて語る。
「危険なことはないのですよ。いくら水不安で治安が悪くなりつつあると言ったって、わたくしが馬車で帝都を行くのを止めようとする人々はいません。ましてや襲ってくるような人々など決していないのですよ」
「明るい場所で、堂々と帝都に入りたいのではありませんか。長い旅でしたから」
とアーヘルゼッヘは言った。そのくらい、大変な旅立った、と思ったのだ。が、パソンは、
「わたくしには長旅でしたけれど、ゼ大臣補佐やセノ卿がこれを長旅だと思うかどうか」
と再び深いため息をつく。
「眠れないのでしたら、外を歩きますか?」
「いいえ。眠れないと言うわけではありません。大丈夫です。このお茶にはちゃんと疲れを取る葉も入っていますもの」
と言ってカップを覗き込んだ。しかし、再び深いため息をつく。そのくらい、ここで足止めを食らったことが胸にかかるらしい。
アーヘルゼッヘは、ゼ大臣補佐とセノ卿が、必至にパソンを押し止めていた様子を思い出す。信徒が待っているから、少しでも早く戻らなければならないのです、と話していたが、アーヘルゼッヘの目には、チウを心配して少しでも早く戻りたがっているようにしか見えない。
しかし、出迎えの準備なしには、向こうも気まずい思いをするだけです、と言われると、パソンは何も言えなくなった。神殿を不思議な力で抜け出した姫巫女が、大陸の中心で行われた大祭で、大樹が町の巨大樹になるのを見届けた、と言う話はいつの間にか帝都にも伝わっているらしい。
我らが姫巫女がいたからだ、と言う帝都の人々の帝都自慢と、だからこそ姫巫女が戻ってくれば水問題も解決すると言う根拠のない、しかし、強烈な期待がないまぜになって、一種異様な様子になっているらしい。
アーヘルゼッヘは、ため息をつく巫女姫を見て、そっと自分のため息をかみ殺した。水をうまく噴き上げる装置を、チウが本当に造り上げているといいのに、と人ごとながら思う。そうでなければ、現実は変わらないのに、期待ばかりが膨らんで、結局、パソンは再び火の神に身をささげたいとでも言いだすかも知れない。
アーヘルゼッヘは心の耳を澄ました。外の鍋をたたく音や人々の歌う声の向こうに、何か聞こえないかと耳を傾けた。力さえ戻れば、少しはそれらしい何かができる、とアーヘルゼッヘは思う。本当にできるかと言われれば、大地のバランスを崩してまで得る水は、その後の被害を思えばあまりうまみがない。もしやれるなら、やりたくないと思うだろう。やれない今だからこそ、やりたいと思うのだ、と思うとおかしな気持になってくる。
「でも、外を見て回るのも素敵ですわね」
とパソンが言った。静かになったアーヘルゼッヘが、実は外に行きたがっていたのだ、と勘違いをしたらしい。
カップを目線まで持ち上げて、まるで小さなカップに隠れるようにアーヘルゼッヘを覗き見る。不機嫌になったと思って心配しているようだ。アーヘルゼッヘは微笑を浮かべた。すると、パソンの頬が上気する。どう見てもどこから見ても美しい造作のアーヘルゼッヘは、心からほほ笑むと、周囲にいる老若男女の区別なく頬が上気するのだが、たいていの者は自分の頬には気付かない。もちろん、パソンも気づいていない。
しかし、旅の仲間は、何度もこの様子を見ていたせいで、ゼ大臣補佐やセノ卿はもちろん、賄い婦や荷夫達まで、パソンが北の方に恋をしていると思い込んでしまっていた。アーヘルゼッヘにとっては、パソンの無邪気で子供らしい表情が見れて、いつもの大人以上に冷静な巫女の顔以外の顔が見れてほっとできる一瞬だったのだが、周囲には分からない。この和やかな二人の雰囲気は、周囲にいらぬ噂を呼んだ。
アーヘルゼッヘはまだ、心の耳を開いていた。おかげで、焦点の定まらない目でパソンを見たらしい。うるんだ瞳のアーヘルゼッヘはどこか異世界の住人のようなムードがある。美しいだけではなく、怖いような空気が生まれた。アーヘルゼッヘは、ぼんやりとテントの周囲の音を拾って、そこから外へ、草原の上へと己の耳の世界を広げた。
草を揺らす風の音が乾いた街道を吹き抜ける笛のような音と重なる。これは、外の薪の宴の音だろうか、と思いながら顔を正面に向ける。目の前に不安に目を大きく見開いた少女の顔があった。その向こうに白い石柱が見えた。洞窟の中のようで、上空の丸い穴から差し込む明かりだけが頼りで、石柱の陰に石段が見えた。
ここがパソンの祈りの場だ、と何の説明もなくアーヘルゼッヘは感じた。心の声に耳を傾けていると言うより、どこかを覗き見をしているような気がして後ろめたくなった。慌てて眼をしばたたいて、目の前の立体として存在する少女に焦点を合わせようとした。と、その時、大地が大きく揺らいだ。アーヘルゼッヘは片手をついて周囲を見た。
そんな彼らが、明日は帝都と言うことではしゃいでいるようだった。いつも聞こえる笛の音に低い歌声が混じりだす。足踏みの音も聞こえ、誰かが枝で大地を叩いているのか乾いてしなった音もする。彼らが野営を嫌っているようには思えない。アーヘルゼッヘも、北の者特有の銀の髪に長身を見て、避ける者やおびえる者の顔を見ないですむせいで、野営はとてもありがたかった。しかし、パソンは違うらしい。
「みなを労って早く帝都で休めるようにしたかったのです。それを、夕暮に帝都に入るのは危険だなどとおっしゃるから」
と小声で愚痴を言っていた。パソンには珍しいことだった。パソンが続けて語る。
「危険なことはないのですよ。いくら水不安で治安が悪くなりつつあると言ったって、わたくしが馬車で帝都を行くのを止めようとする人々はいません。ましてや襲ってくるような人々など決していないのですよ」
「明るい場所で、堂々と帝都に入りたいのではありませんか。長い旅でしたから」
とアーヘルゼッヘは言った。そのくらい、大変な旅立った、と思ったのだ。が、パソンは、
「わたくしには長旅でしたけれど、ゼ大臣補佐やセノ卿がこれを長旅だと思うかどうか」
と再び深いため息をつく。
「眠れないのでしたら、外を歩きますか?」
「いいえ。眠れないと言うわけではありません。大丈夫です。このお茶にはちゃんと疲れを取る葉も入っていますもの」
と言ってカップを覗き込んだ。しかし、再び深いため息をつく。そのくらい、ここで足止めを食らったことが胸にかかるらしい。
アーヘルゼッヘは、ゼ大臣補佐とセノ卿が、必至にパソンを押し止めていた様子を思い出す。信徒が待っているから、少しでも早く戻らなければならないのです、と話していたが、アーヘルゼッヘの目には、チウを心配して少しでも早く戻りたがっているようにしか見えない。
しかし、出迎えの準備なしには、向こうも気まずい思いをするだけです、と言われると、パソンは何も言えなくなった。神殿を不思議な力で抜け出した姫巫女が、大陸の中心で行われた大祭で、大樹が町の巨大樹になるのを見届けた、と言う話はいつの間にか帝都にも伝わっているらしい。
我らが姫巫女がいたからだ、と言う帝都の人々の帝都自慢と、だからこそ姫巫女が戻ってくれば水問題も解決すると言う根拠のない、しかし、強烈な期待がないまぜになって、一種異様な様子になっているらしい。
アーヘルゼッヘは、ため息をつく巫女姫を見て、そっと自分のため息をかみ殺した。水をうまく噴き上げる装置を、チウが本当に造り上げているといいのに、と人ごとながら思う。そうでなければ、現実は変わらないのに、期待ばかりが膨らんで、結局、パソンは再び火の神に身をささげたいとでも言いだすかも知れない。
アーヘルゼッヘは心の耳を澄ました。外の鍋をたたく音や人々の歌う声の向こうに、何か聞こえないかと耳を傾けた。力さえ戻れば、少しはそれらしい何かができる、とアーヘルゼッヘは思う。本当にできるかと言われれば、大地のバランスを崩してまで得る水は、その後の被害を思えばあまりうまみがない。もしやれるなら、やりたくないと思うだろう。やれない今だからこそ、やりたいと思うのだ、と思うとおかしな気持になってくる。
「でも、外を見て回るのも素敵ですわね」
とパソンが言った。静かになったアーヘルゼッヘが、実は外に行きたがっていたのだ、と勘違いをしたらしい。
カップを目線まで持ち上げて、まるで小さなカップに隠れるようにアーヘルゼッヘを覗き見る。不機嫌になったと思って心配しているようだ。アーヘルゼッヘは微笑を浮かべた。すると、パソンの頬が上気する。どう見てもどこから見ても美しい造作のアーヘルゼッヘは、心からほほ笑むと、周囲にいる老若男女の区別なく頬が上気するのだが、たいていの者は自分の頬には気付かない。もちろん、パソンも気づいていない。
しかし、旅の仲間は、何度もこの様子を見ていたせいで、ゼ大臣補佐やセノ卿はもちろん、賄い婦や荷夫達まで、パソンが北の方に恋をしていると思い込んでしまっていた。アーヘルゼッヘにとっては、パソンの無邪気で子供らしい表情が見れて、いつもの大人以上に冷静な巫女の顔以外の顔が見れてほっとできる一瞬だったのだが、周囲には分からない。この和やかな二人の雰囲気は、周囲にいらぬ噂を呼んだ。
アーヘルゼッヘはまだ、心の耳を開いていた。おかげで、焦点の定まらない目でパソンを見たらしい。うるんだ瞳のアーヘルゼッヘはどこか異世界の住人のようなムードがある。美しいだけではなく、怖いような空気が生まれた。アーヘルゼッヘは、ぼんやりとテントの周囲の音を拾って、そこから外へ、草原の上へと己の耳の世界を広げた。
草を揺らす風の音が乾いた街道を吹き抜ける笛のような音と重なる。これは、外の薪の宴の音だろうか、と思いながら顔を正面に向ける。目の前に不安に目を大きく見開いた少女の顔があった。その向こうに白い石柱が見えた。洞窟の中のようで、上空の丸い穴から差し込む明かりだけが頼りで、石柱の陰に石段が見えた。
ここがパソンの祈りの場だ、と何の説明もなくアーヘルゼッヘは感じた。心の声に耳を傾けていると言うより、どこかを覗き見をしているような気がして後ろめたくなった。慌てて眼をしばたたいて、目の前の立体として存在する少女に焦点を合わせようとした。と、その時、大地が大きく揺らいだ。アーヘルゼッヘは片手をついて周囲を見た。
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